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没後50年 むつで川島雄三墓前祭
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今年で没後50年となるむつ市出身の映画監督・川島雄三(1918〜63年)の墓前祭が命日の11日、同市新町の徳玄寺で営まれ、参列者が今も多くのファンに愛される昭和の名監督をしのんだ。
墓前祭は「映画監督川島雄三を偲ぶ会」(高瀬厚太郎会長)が毎年主催。親族や市の関係者、会員ら約30人が参列し、墓前で焼香した後、作品のせりふにも使用された漢詩の一節「花に嵐のたとえもあるぞ サヨナラだけが人生だ」と刻まれた顕彰碑に献花し、奇才と評された川島をしのんだ。
おいの川島晋一さん(84)が参列者を前にあいさつし、「没後50年たっても雄三おじは話題の人。大変ありがたい」と感謝。高瀬会長は、2018年に生誕100年を迎えることなどから「川島雄三の最終章はまだ終わっていない。今後も川島の業績を伝え、この地から文化人の掘り起こしに努めなければならない」と呼び掛けた。
偲ぶ会によると、79年に建てられた顕彰碑は、「映画監督川島雄三の碑」の題字が生前親交が深かった今村昌平監督の書。「花に嵐の−」は森繁久弥氏の書。参列者の中には、顕彰碑にも川島の足跡が見て取れると、碑をさすりながら眺める人の姿も。
ファンの一人で東京から駆けつけた会社員の藤岡啓さん(44)は「川島監督の作品に影響を受け、憧れて(監督と同じ)明治大学にも入った。川島映画の魅力は男女の本質を突いていて、ドキッとさせられる」と語った。
川島は45歳の若さで亡くなるまで、喜劇映画の最高傑作の一つとされる「幕末太陽傳」(57年)や「洲崎パラダイス赤信号」(56年)、「しとやかな獣」(62年)など19年の監督生活で51本の作品を残した。
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