アーサー: | 「真・女神転生 STRANGE JOURNEY」が、2009年10月8日に発売となります。 しかし、その内部は一部が明らかにされているとはいえ、情報量が依然不足しており、詳細な解析が完了していません。 特に不明瞭な部分は、このゲームの成り立ちに関する情報です。 未だ謎に包まれた真相を明らかにしてくためには、本作品のクリエイターである金子一馬さんと石田栄司さんから、できるだけ多くの情報を収集し、重要な手がかりを発見することが望まれます。 そこで、まずは「ストレンジ・ジャーニーの始まりを解明せよ」をミッションとして発令します。 ちなみに、今回のミッションはワタシが自ら調査を行います。 |
アーサー: | まずは、何故今回の作品は「真・女神転生IV」というナンバリングタイトルではなく「真・女神転生 STRANGE JOURNEY」というタイトルで発売になるのか、といったところから分析していくことにしましょう。 「真・女神転生 STRANGE JOURNEY」のプロデューサーであり、オリジナルコンセプト、キャラクターデザイン、悪魔デザインも手がけている金子さん、その辺りの詳細を報告してください。 |
金 子 : | そうですね。真・女神転生はI(※1)、II(※2)、III(※3)と一通りの流れがあって、東京にこだわっているのが特徴だったんですけど、それが地域限定みたいなムードの作品になっていた部分もあったと思うんですよね。 でも、東京っていうとロンドンとかニューヨークに住んでる人とかはピンとこないと思うんですよ。 さらにはケニアに住んでる人もピンとこないと思うんですけど・・・・・。今ギャグだったんですけど(笑) |
アーサー: | ギャグといった極めて情緒的な議論は不要です。不確実な情報は省いていただき、論理的に話しを進めてください。 |
金 子 : | ザイールにしとけばよかったかな・・・。
まあ、東京だとなかなか海外ではわからない所があると思うんで、どうせなら海外の人にもピンときてもらえるといいなというのがあって。 それじゃどうしたらいいんだろうねって話があって、じゃあ東京ではない所で、その上で現実世界を舞台にしようよ、なんて話になってきたんですよ。 そこで、南極がいいんだよね、みたいな話が出てきて。石田さんが、南極がいいって言うんですよね。 それに、石田さんは洋ゲー好きなんですよ。だからちょっと海外も視野に入れて、海外で目立ちたかったんじゃないですかね。 |
アーサー: | 目立つとは一体どういうことなのでしょうか?理解不能です。個人的な趣味嗜好を製作行為に持ち込んだということでしょうか? 「真・女神転生 STRANGE JOURNEY」のディレクターである石田さん、ご回答ください。 |
石 田 : | た、確かに実際好み半分なところが結構あると思います(汗)。最初はニューヨークがいいとか、そんな話もありました。「ニューヨーク1997」からきてるだけなんですけど。 |
金 子 : | ジョン・カーペンター好きとしては。 |
アーサー: | 「ニューヨーク1997」とは、ジョン・カーペンター監督、カート・ラッセル主演の1981年に公開されたアメリカ映画ですね。 |
石 田 : | まあそうですね。でも真面目な話、さっきの金子さんの話にもあった通り、東京っていう地区に対して、地方や海外に住んでいる方がやっぱり乗っかれない部分とかあるかな、と。 その時にどこがいいだろうとなったんですが、いろんな国の人が集まってもいい場所は、やはり南極かなと。 ニューヨークだとやっぱりアメリカ兵だけになっちゃうか、とか。つまり、南極だといろいろなイデオロギーの人やいろいろな国の人がぶつかれる土壌っていうのがあると思うんですよね。ニューヨークとかよりは無印の所がいいんじゃないかな、っていうのがありました。 |
金 子 : | じゃあ南極にみんなで行く話にしようってなってきた時に、I、II、IIIの流れじゃないような気もするって感じになってきたんですよね。まあ、一時IVにしようか、って時期もあったんですけど。今までの流れとはちょっと違うんで、ここは違うタイトルでいこうよ、と。 |
アーサー: | I、II、IIIと続いてきた、東京への強力な心理的こだわりを解除することはかなり困難だったと推測されますが、もう少し詳しい情報を提供してください。 |
金 子 : | 凄い思い切ったわけでもないんですけどね。こだわってねぇんだよって言っちゃうと、ちょっと裏切りっぽくなっちゃうんですけど。もともと自分は東京で暮らしていて、自分の視点で物語を作りたかったから、必然的に東京に住んでいる僕らの目線で東京になってたんです。 まあ、この辺を歩いててビルが一斉にぶっ壊れたら面白いだろうなと想像するわけですよ。本当にぶっ壊れたらヤバイと思うけど。特に若い時なんかは、世の中の体制に対してすごい不満があったりするじゃないですか。自分がやりたいことが中々できないし、否定されることばっかりで、段々その中に馴染んで自分を殺していくことで社会に順応していくしかない。 でも、それはちょっとやだよね、という気持ちがどこかにあるんですよね。東京をぶっ壊してやるという、街とか全部ぶっ壊れて本当の意味での格差がなくなって皆が平等になった時にオレは頑張れるんだっていう、オレの真の中身が輝くんじゃないか、みたいな気持ちが。 格差っていうハードルがなくなってしまえばもっと頑張れるんじゃないのかってこともあって、あくまでも自分目線で凄く東京にこだわってたんですよ。 他のRPGって最初から勇者の息子や王様の息子じゃないですか。これって社長の息子だと言われているようなもんですよね。僕は社長の息子じゃないので、もう感情移入できないんですよ。僕は村人の一部でしかも貧乏人の息子なんで。 で、ウチの手伝いしろとか洗濯しろとか掃除しろとか、そんな人間がいかにヒーローになっていくかってことなんですよね。真・女神転生は。そこを描きたかったので、一個人の人間としての視点を考えると東京が良かったということですよね。 そういう意味では、逆に東京である必要もないとも言えるので、今回は南極だよ、って感じですね。 |
アーサー: | わかりやすくいえば、東京にはまた戻ってくるかもしれないが、東京に住む自分という視点で物語を作るのは一区切りがついたので、違うステージに進んだ。そういう事ですね? |
金 子 : | 他にも、もっとシステマチックな話もあります。
やっぱりDSっていう携帯機だと、どこでもやれてどこでも切れて、物語が途切れちゃうんですよ。 「真・女神転生 STRANGE JOURNEY」をプレイしてもらえれば分かると思うんですけど、非常にシステムで楽しむゲームなんですよね。そのあたりは、石田さんがこだわって作っているので。 電車に乗った時ちょっとやる、でもすぐ着いちゃう。そういう途切れ途切れだと、どうしても物語のテンションが切れちゃうんですよね。次どこ行くんだろ、あーやめなくちゃ、みたいなのがあるんで。 できれば途切れ途切れにやっても面白いのにしたいねっていう部分でも、東京を避けてドラマチックなところが良かったんですよ。よりシステマチックなドラマ性っていうんですかね。そういう理由もあるんですけど。 |
※1 真・女神転生I: 1992年、スーパーファミコン用ソフトとして発売された「真・女神転生」。プレイステーションやゲームボーイアドバンスでもリメイク版が発売された。 ※2 真・女神転生II:1994年、スーパーファミコン用ソフトとして発売された「真・女神転生II」。プレイステーションやゲームボーイアドバンスでもリメイク版が発売された。 ※3 真・女神転生III:2003年、プレイステーション2用ソフトとして発売された「真・女神転生III NOCTURNE」。追加要素を加えた「真・女神転生III NOCTURNE マニアクス」も発売された。 |