Makoto Kawamoto
川本 真琴
1996年「愛の才能」でデビュー。その後シングルヒットを連発。ファーストアルバムはミリオンセラーとなった。10周年を迎えた2006年に川本真琴名義での作品の発表を終了することを宣言。
川本 真琴 さん(ミュージシャン)
目まぐるしく転調するコード進行、ポップでありながら早口でときに攻撃的でもある詩。デビュー曲「愛の才能」から川本真琴さんの奏でる曲は、ときに大人と子どもの狭間を揺れ動くような、ひりひりとした心象を聴き手に覚えさせるところが印象的でした。一時期、活動を休止されていましたが、現在は、タイガーフェイクファとして活動されている彼女に10代の頃、そして現在のことを尋ねました。
当時は将来のことは特に考えていませんでした。ただ親は私をピアノの先生にしたかったみたいです。後で、その理由もかなり適当だったと気付いたんですが、親に期待されていると思って、わりと素直に受け取っていました。高校、大学と音楽科に進んで、自分でもいつかピアノの先生になるもんだと思ってました。
とにかく親に勉強しなさいとも言われなくて、めちゃくちゃ成績が悪くなければそれでいいって感じでした。だから気持ちはあんまり勉強に向かわなくて、吹奏楽部や課外活動に懸命でしたね。それがなかったら学校へ行く楽しみがないくらいでした。
男の子の投げた靴が私に当たってしまって…、まあ、それに限らず男の子と仲が悪くてよく喧嘩していたんです。何というか、もっと一緒に遊んでいたいのに、中学になると男の子は「近寄るなよ」という雰囲気になってきて、それに対して「なんで?」って思って、そういうのに突っかかっていたんです。
他の女の子と違って、なぜか私はそういうのを腹立たしく感じたんです。小学校のときは男女の意識もなくて仲はよかったのに、私からしたら、男の子たちが急によそよそしくなったと感じたんです。
最初はどうしてそうなるのかわからなくて、喧嘩ばかりしていました。そうしたら先生に「女の子がどうして喧嘩するの」と怒られました。先生は「他の女の子みたいにおとなしくしていたら、喧嘩にならないんだ」と私に言ったんですが、その意味がよくわからなかった。でも、「ああ、そうか。何かもう変わってきたんだなぁ」と気付かされたように思います。
寂しいというのではなくて、「あ、そうなんだな」と。このまま私が追いかけても、全然あっちは心開かないとわかって、そういうもんなんだなぁと思いました。
中学のときは、男女のあり方に違和感があって、ずっと「訳わかんないなぁ」って思っていました。なんだか派閥ができたりして…、そういうのって普通なんでしょうけれど、普通だけに訳がわからなかった。
ところが女子校の音楽科に進学したら、そういう訳のわからなさがまったくなくなりました。あんまり女子校に行きたいとは思っていなかったんですが、入ってみたらとっても楽でした。専門学科なので、やることは明確だし、おまけに女子校なので男の子の取り合いはない(笑)。だから気楽でしたね。
大学も女子大に進んで楽しかったけれど、卒業後に「世間ってこんなふうになっていたんだ」ということに改めて気が付いて、カルチャーショックを受けました。
なんて言うか、やっぱり培われてきた男女間のルールみたいなのができあがっているんですよね。普通に共学で来た人たちは、暗黙のルールをつくっていて、その上で生きていて、それに対してこっちは「あー、そういうことになってるんだな」と驚きました。でも、そこには乗れないなとも思いました。今でも乗れてないなと思いますけど…。
どちらかというと、そういう男とか女の立ち位置に関するルールというのがわからないんです。だから「何でこういうことでもめるんだろう」と私は疑問に思っても、周囲はもめる理由も納得の仕方も知っているんです。私からすると理不尽なのに納得していたり「わかんないな」と思うことが、今でも多いですね。
そういう「わかんない」という態度のままだと、天然ボケみたいに思われがちですが、そうではなくて、本当にわからない。ルールとして成り立っていることを理解しないから、「あいつは何を考えているかわかんない」と思われていたりします。まあ、そう思われていても、どうでもいいなって思いますが(笑)。
子どもの頃は、あんまりみんな変わりなく、一緒の感じじゃなかったですか? それが大人になるにしたがって、どんどん変化して、価値観も多様になって「あの人はああいう趣味だから好きだ」「あの人はかっこ良いから、きっとこういう中身だ」とか「ここがいい、ここが嫌い」とかそういうふうに細かく相手を見ていくようになりますよね。でも、子どもの頃って親の買ってくれた服を着ていて、あんまり外見も他と変わらないし、大人のようには細かいことにこだわらなかったから楽だった気がします。
子どもの頃は「あいつはああいう趣味だからいい」と思って付き合っていなかったと思います。大人は表面的には、いろんな人がいるなって思うんですけれど、よく付き合ってみると、子どもの頃の感覚で話せる気がします。でも、そこにいくまでに、いつの間にかできあがっている大人同士の付き合いのルールを乗り越えないといけなかったりして、そういうことが辛いときがありますね。
きれいで優しそうなお姉さん!みたいなことくらいで、特になかったです。
デビューして、少し経ってから初めて「私は何をして生きていくのか」を考えるようになりました。気付いたら10年間考えながら、音楽活動をやっていた気がします。とことん考える間もなくデビューしたというのもありますが、けっこう流されることが多くて、それで問題ないと思っていました。でも、実はすごく問題があったんですね。
そもそも東京に来たのも何かしたくてではなく、ただ来たかったからで、この年になって、「さて、これからどうしようかな?」と思っています。
東京に来た頃は、すごく貧乏で一日100円あるかないかの暮らしをしていたんです。その後、デビューしましたが、いきなり大金を持つなんて想像もしていなかったので環境の変化に驚きました。でも、貯金の数字が増えるのは楽しいし、ゲームみたいに思っていました。どこまで数字が増えていくのかなという思いがあって、それに捕われていたところがありました。
けれど、何でもかんでもうまくいっていたわけではなくて、やりたいことより周囲の意見のほうが先に通ったりして、自分の意見は100%のうち5%くらいしか取り入れられないこともありました。「つまんないな」と思うようになって、そうしたら身体の具合が悪くなってしまったんです。
元々やりたくないことをやったら熱が出るといった体質で、そうしたこともあって、ご飯も食べられなくなり、音楽もちゃんとやりたいのにできなくなってしまいました。
つまらないことをやるのではなく、楽しいことだけをするにはどうしたらいいかなと考えると、ある程度、人が自分に合わせてくれないと楽しくはできないわけです。
それまでは周りの意見を聞かないと、みんなの好きなものにはならないと思っていたんですが、それは私の思い込みでしかなくて、意外とそうでもないんじゃないかと思うようになったんです。
ただ、そうやって必死にやっていく中で、少し時間が空いたときに「こういう忙しい状態をずっと続けるのかな」と思うようになりました。歌うことは好きだし、楽しい。でも、それだけかな。それだけでもいいのかな?と思ったんですね。
理由はたくさんありますが、あるとき「いろいろあっても、やっぱりお金は必要だよな」と思ったんです。でも、その瞬間に音楽活動が楽しくなくなった。でも、本人はなぜ楽しくなくなったのか、うまく気付けなかった。ある人に「お金とか社会的なことを気にしているから、楽しくないんじゃないの」と言われて、「ああ、そうか。じゃ、辞めよう」と思いました。
事務所を辞めたのは、何かそういう流れもあって、ここはお別れするしかないという状況になったからなんです。私のやりたいことをやらせてあげようと考えてくれている人もいましたが、一方でそのことで無理している人の存在も見えてきた。無理している人がいるのに厄介になっているのもどうかと思ったんです。
それまでは食事も外食が多かったし、寝る時間もバラバラだったりしたので、自分の生活をきちんとすることを中心にしようと思いました。でも、結局のところ生活もあんまりきっちりしすぎるとつまんなくなるんですね。絶対に家で自炊して、何時には寝ると決め出すと、なんだか楽しくない。きちんと手をかけて生活することを目的に暮らしていると、それこそ「何のために生きてるんだ?」と思ってきて、たまに食べるハンバーガーがめちゃくちゃおいしかったりして、生活をちゃんとするのも、程度の問題だなって思いました。
たとえば、11時には寝ると決めたとしても、仕事が入ったとか、お隣さんがピアノ弾いているとかで寝つけずにイライラする。でも、そんな決まり事を勝手に決めなければいら立つことはないですよね。
生活面を整えたいというのも、実は「これさえしておいたら大丈夫」というような、自分を守ろうとすることでしかなかった。そういう守りの姿勢と関係なく、普通に生きていられたらいいなって思うようになりました。だからといって毎日夜中まで遊んでいたいとも別に思わないんですが、加減がだんだんわかってきた感じですね。
とってもいいお誘いをいただくこともあるんです。一般的に見たら、すごい条件ですが、でも、どんなに好条件であっても、ちょっと違うんじゃないかと思ったら止めておこう。そう思っているのが現状です。
たぶん今後もCDを出していくと思います。そんな感じですね。
才能というと技術の集まりみたいな感じもありますけど、実は気持ちがないと技術は養えない。気持ちの部分を大切にして欲しいですね。
でも、本当にやりたいことが見えている人には、迷いがないから、そういう質問をしないんじゃないですかね。だから「どうしたら音楽で生きていけるか?」と尋ねる人が本当に聞きたいのは、「どうしたら世の中に出られるか」だと思います。でも、それは音楽をやりたいんじゃなくて、世の中に出たいってことですよね。
世の中に出たいということが、「有名になりたい」ことなら、人とはちょっと違うことをしないといけない。極端な話をすれば犯罪を起こしても有名になりますよね。「有名になりたい」という思いには、気をつけたほうがいいと思います。
Makoto Kawamoto
川本真琴
1996年「愛の才能」でデビュー。その後シングルヒットを連発。ファーストアルバムはミリオンセラーとなった。10周年を迎えた2006年に川本真琴名義での作品の発表を終了することを宣言。8月9日にはタイガーフェイクファとしてプレミアムシングル「山羊王のテーマ」をハマジムレコードよりリリース。
あくまで独自の音楽活動を独自のペースで行っている。
ハマジムレコード:
http://www.hamajimrecords.com/
オフィシャルサイト:
http://www.salon-kawamoto.com/
タイガーフェイクファ:
http://www.hamajimrecords.com/yagioo/intro.html