高木徹『戦争広告代理店』講談社<旧刊再訪>
『オシムの言葉』を紹介したエントリにいただいたコメントの中で、ひげいとうさんが本書について言及していた。2年前に読んだ時に書き留めておいた感想があったのを思い出したので、ご紹介かたがたアップしておく。正式なタイトルは『ドキュメント 戦争広告代理店 〜情報操作とボスニア紛争〜』(刊行は2002年6月)。
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90年代のバルカン半島での民族紛争において、西側世界が、セルビアを悪役、ボスニア・ヘルツェゴビナ(のムスリム)を被害者と認定し、セルビアへの制裁に傾いていった背景には、ボスニア・ヘルツェゴビナに雇われたアメリカのPR会社の周到かつ緻密な戦略があったのだという。本書は、このルーダー・フィン社の幹部ジム・ハーフを主人公に、関係当事者たちへの徹底したインタビューによって、当時のルーダー・フィン社の活動内容を明らかにしていく。驚愕の書、と言ってよい。
アメリカの大統領府、議会、メディアの三者に対し、豊富な人脈と緻密な戦略・戦術によって「民族浄化ethnic cleansing」「強制収容所concentration camp」というキーワードを浸透させ、意思決定者たちの考えと世論を誘導していくハーフの手腕は見事というほかはない。「PR会社とは何か」と問われたら、この本は絶好のテキストとなるだろう。
昔から戦争というものは情報戦を含むものであったし、現代の国際紛争が国際世論(とりわけアメリカの世論)を味方につけた者が優位に立つということも、多くの例が示している。デービッド・ハルバースタムの『静かなる戦争』も、バルカン半島での紛争についての国際世論の流れを丹念に追い、国際社会が紛争に介入する上で、世論が決定的な要因であることを浮き彫りにしている。その意味では、現代の戦争にPR会社が介入するのは必然的な流れなのかも知れない。
本書によれば、欧米社会において「民族浄化ethnic cleansing」という言葉はナチスドイツのユダヤ人迫害を、「強制収容所concentration camp」という言葉は同じくナチスドイツのガス室を、それぞれ強く連想させる力があるという。このレッテルを貼られてしまったら、誰も擁護することができない。そういう性質の言葉だ。
セルビアを擁護しようとは思わない。さまざまな「人道に対する罪」を犯してきたことは間違いないのだろうと思う。だが、ハーフが「民族浄化」と名付けた行為はセルビアだけでなく、クロアチアやボスニアのムスリムも(セルビア人に対して)行なっていたし、捕虜収容施設はあったが、虐殺を目的とした施設の存在は確認されていない、と著者は書く。にもかかわらず、ハーフがセルビアに貼り付けたレッテルは、すさまじい威力を発揮して国際世論の動向を決定づけた。
本書で最も恐るべき記述は「邪魔者の除去」と題した第12章かも知れない。ハーフたちが「強制収容所」というキーワードを見いだして、ボスニアに西側世界のメディアの注目を集め始めた時期に、国連軍司令官から帰国したカナダの将軍が「強制収容所があったかどうかは知らない」と発言した。これを知ったハーフは、この将軍の存在を自らのミッションに対する障害と考え、カナダ政府や各国メディアに働きかけて将軍批判の世論を作りだして、退役に追い込んでしまうのである。
事実の追及よりも勝利が優先されるという点でも、彼らがやっていたことは戦争そのものだ。もっとも、PR会社の仕事とは、常にそういうものなのかも知れないが。
内容そのものは別として、本書は「ノンフィクション」という書籍のジャンルにおける、大いなる問題提起にもなっている。著者の高木徹はNHKのディレクター。本書は2000年10月に放映されたNHKスペシャル『民族浄化』のために行なった取材に基づく、いわばテレビ番組の副産物だ。
本書は「第1回新潮ドキュメント賞」「第24回講談社ノンフィクション賞」を受賞している。大宅壮一賞でも最終選考まで残った。文藝春秋誌上で大宅賞の選評を読んだ記憶があるが、選考委員のうちの何人かが、予算も人員もケタ違いに大きいテレビ番組の取材によって作られた本を1人のルポライターが取材して書いた本と同じ土俵で審査するのではルポライターにとってあまりに分が悪い、と指摘していた。まして、この場合は「みなさまのNHK」が、税金のようにして集めた受信料によって作った番組なのである。その取材によって得た情報をもとに書いた本を、NHKとは何の資本関係もない講談社から刊行するというのは、道義的にもいかがなものか。活字業界の一員である私は、こういう排除的な論理に、感情としては同調する面もある。
しかし一方で、私はその番組を見ておらず、本書によって初めて番組の存在を知った。本書が書かれなければ、ここに書かれた事柄を知ることはなかっただろう。実際のところ、本書を手に取って読む以前から、書評その他によって、おおまかな内容は知っていた。テレビ番組の視聴者の数は書籍よりも圧倒的に多いが、波及効果という点では、書籍の力は決して小さくはない。
テレビ番組は、放映時にそれを見なかった人間に対して影響力をほとんど持たないし、時間が経てば影響力は急速に減じる。書籍の影響力は持続的であり、その本自体が残るだけでなく、他者による引用や言及や批評を通じても伝わっていく。
従って、本書が書かれたことは、私にとっても世の中にとっても意義がある。しかし同時に、このような生まれ方をした本は、ノンフィクションを生業とするライターの生活を確実に圧迫する。ジレンマは深い。同種のジレンマは、今後ますます深くなるはずだ。
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コメント
「日本人というものはどうも、囮になる動き、というセンスに欠けてるようだ」と
名将の目には看破されてしまうような、日本人のパワーゲームにおけるセンスの無さ、
という印象に常々危惧を覚えております。
男は黙って……、とか
そんな手を使ってまで勝ちたいとは思わない、とか
いいダンナというものは金は出しても口は出さねぇもんだ、とか
そんなメンタリティ。カッコいいですけどね。
でも、かつての戦争においてもそうだったかもしれないし、
何より今後の様々な紛争局面において、
金をさんざん払わされたあげくに悪者のままとか、子分のまま、という
「ひとり負け」的な貧乏クジ引いちゃうのが日本人かぁ、みたいな。
さいとうたかを氏に政府の相談役をお願いしてみてはどうかと思うアタシです。
(すいません、本筋からそれた気分なコメント……)
投稿: ヌルハチ | 2005/12/23 02:09
>ヌルハチさん
こんにちは。
>日本人のパワーゲームにおけるセンスの無さ、
という印象に常々危惧を覚えております。
うーん、どうなんでしょうね。
「日本人はフィジカルコンタクトに弱い」という通説がありますが、例えば柔道やレスリングでは別に弱くはないですよね。ご指摘の「外交における知恵(あるいは狡猾さ)」のようなものも、あるところにはあるけれども、国の外交交渉のような肝心の場で発揮されていない、という気がします。
>さいとうたかを氏に政府の相談役をお願いしてみてはどうかと思うアタシです。
『ゴルゴ13』は脚本家システムによって作られているので、あのプロットをすべてさいとうさんが考えているわけではないと思います(笑)。
投稿: 念仏の鉄 | 2005/12/23 08:44
ようやく『オシムの言葉』を買うことができました。本エントリの『戦争広告代理店』は当然持ってます(笑)。実はハルバースタムの『静かなる戦争』も持っています。いちど念仏の鉄さんの本棚を見てみたいと思っています。
本題ですが、『戦争広告代理店』のような本はいちルポライターには書けない、というのはその通りでしょう。実際、この本以外にPR企業を扱った書籍は皆無ではないかと思います。ジム・ハーフがコソヴォ紛争にも関わったとありますが、どのように関わったかはほとんど知りようがありません。彼らの商売からして当然のことではあるのですが。そう考えると、よくこの本、そしてもとになった番組を製作できたものです。
そういえば今年の自民党圧勝の立役者のひとりと言われる世耕弘成は、政治家になる前はNTTで広報を専門にしていたとのこと。米大学院で企業PR関係の研究で修士号も取っているようです。
こういう状況を見るにつけ、やっぱりあらためて本は大事だなと感じます。オシム本7000部が3日も持たずになくなるのですから、まだまだその力も捨てたもんじゃありません。深く静かに潜行せよといったところでしょうか(笑)
投稿: E-Sasa | 2005/12/24 00:35
>E-Sasaさん
>いちど念仏の鉄さんの本棚を見てみたいと思っています。
本棚には恥ずかしくて他人様には見せられない本もたくさん詰まっているのですが(笑)。
>よくこの本、そしてもとになった番組を製作できたものです。
そう、その点にはもちろん頭が下がります。NHKが放映している海外ドキュメンタリーには、自前のものも海外で作られたものも、見るべきものが多いと思います。ちょうどこの時期はBS1で傑作を再放送しまくっていますが。
>米大学院で企業PR関係の研究で修士号も取っているようです。
日本でPRを学問として教えている大学があるのでしょうか。国策として研究してもいいくらいですね。
投稿: 念仏の鉄 | 2005/12/24 11:00
僕のコメントがきっかけになってのエントリーとは、光栄の至りです。でもって、鉄さんの「戦争広告代理点」の書評が読めるなんて、果報に過ぎるってもんですよ。
大宅賞選考における下りは、初見で興味深く拝読いたしました。選考委員がそう言及する心情もわからんでもなく、鉄さんの感想も理解できたつもりです。しかし、それだけの手間暇かけて集められた膨大な材料があっても凡庸な書き手にかかれば凡庸な作品しか生まれてこないし、読み手側からすれば、書き手側の事情を忖度するよりまずは質の高い作品を読みたい、というのが先にくるのではなかろうか、と思いました。僕がそんな風に考えるのは、3年70億かけて絶望的な駄作が生まれてしまう一方、4ヶ月数百万で世界的なメガヒットが出来てしまう業界に、長年身を置いていたからでしょうか。
さて、図に乗って、鉄さんが あさのあつこ「バッテリー」を読んだら、どういう書評を書いてくれるのか興味がありますと書いて、このコメントを〆させていただきます。
投稿: ひげいとう | 2005/12/28 01:59
>ひげいとうさん
や、これはどうも。
>読み手側からすれば、書き手側の事情を忖度するよりまずは質の高い作品を読みたい、というのが先にくるのではなかろうか、と思いました。
最終的にはおっしゃる通りだと私も思います。賞の選考理由にこれを持ちだすこと自体どうかとも思いますし(じゃあ出版社の経費で取材したものと、著者が自腹で頑張ったものではどうなんだ、という話になりますし)。
出版業界と放送業界では動かせる経費のケタがいくつか違いますから、多分に選考委員たちの嫉妬も含まれた判断だったのではないかという気がします。かといって、この選考理由のようなことを言ってたらジリ貧の未来しか待っていないわけですから、作品が扱うテーマによっては、他の業界と連携して大きな商いにする方向で考えるのがいいのでしょうね。
>さて、図に乗って、鉄さんが あさのあつこ「バッテリー」を読んだら、どういう書評を書いてくれるのか興味がありますと書いて、このコメントを〆させていただきます。
読んだことないんですが、評判いいですよね。いずれ読んだらご報告します(笑)。
投稿: 念仏の鉄 | 2005/12/28 08:56