理事長に就任して4カ月後の6月、初の総代会を終えた。期末預金は25・5億円増。「店舗が、山口、広島、高知など15店舗あるので、全店を回った。民団関係の行事なども多く、鄭義夫会長と手分けしながら顔をだした。そうした挨拶が終わって、総代会を迎えたが、まずまずの手ごたえ」と胸をなでおろす。 国際化、大型化の金融業界にあって、中小金融機関の前途は厳しさが予測される。「各支店を回って大変だと感じた。協議をしていくなかでも、最後はこうしようと、理事長として自ら決断しなければならないからだ」と、理事長職の責任の重さを噛みしめる。 入組は1978年。規制金利で、在日社会も資金需要が旺盛だった。預金だけ集めれば、融資先はいくらでもあった。ところが現在は、行政の対応も資金需要も競合他行との関係もまったく異なるという。融資のお得意先だった遊技業も活気がなくなってきた。 「地方の都市だから、大きな流れを作ることは困難だ。次の段階を考えられるような体力を作ることが今の課題」だという。現在の店舗とそれぞれのエリアの特性を活かしつつ、統廃合が必要なら考えていかなければならないとも話す。一方で「企業活動の原点は、その企業で働く従業員の幸せ。その土壌があってこそ、経営努力が活きてくる。だから、人づくりを最重点に努力したい」と課題を把握している。 |