エピローグ ローズ(8)前編
都会のオフィスの一角。白と黒のモノトーンで統一された家具が必要最小限だけ置かれたオフィスに、長身の女性がディスプレイを見つめながら、口を切り結んでいる。
視線は画面に寄せられているものの、そのディスプレイがスクリーンセーバーになってもなお、彼女の姿勢は揺らぐことがない。延々と沈思黙考しているかのようである。
その彼女の後ろに、一人の少女が姿を現す。その手のトレーにはコーヒーカップが乗せられ、白い湯気とともに品の良い芳香が漂う。
だが、ヒルダはそれに反応することもなく、ただ虚空を見つめている。
「……」
「あ、あの……」
「………………」
「あの……ヒルダ司令?」
「…………………………」
すぅーーーっと少女は息を吸うと、ヒルダの耳元で、
「わ!!!」
「ひ!…………ってアン!貴方が何、こんなところに?」
「『こんなところに?』じゃないですよ。ヒルダ司令。今日は朝からこちらにお伺いする、って前もって連絡してたじゃないですか」
「……そうだったか?」
はぁ、と大げさに肩を落とすしぐさをしつつ、アン、と呼ばれた少女は、
「そうですよ。もう、ずぅぅぅっと待っていましたのに、気づいてくれないんですから。折角のコーヒーが冷めちゃいますよ」
と、口を尖らせながら、デスクの上のすっかり冷えたコーヒーカップと、トレーの上のコーヒーカップを交換する。
「あぁ、本当にすまんな。考え事をしてたものだから」
そういうと、再び彼女は黙考に入る。
小さく溜息をつくと、アンは小さくお辞儀をしてドアから外に出た。
「はぁ。全く。うちのボスにも困ったものね」
「どうしたの?アンティゴネ」
「ああ、イスメネ。来てたんだ」
褐色の肌をした少女、イスメネは小さく頷いた。年齢はアンティゴネ、と言われた少女とそう変わらないが、彫りの深い顔立ちと細い目、そして黒いストレートのショートヘアが印象的だ。長い手脚には、日ごろの鍛錬の成果の賜物なのか、うっすらと筋肉がつき引き締まっているが、それでいて、胸や腰は優美なカーブを描いてており、雌豹のような雰囲気を醸し出している。
一方、アンティゴネ、のほうは、白い肌にブロンドのウェーブの髪をしている。全体としてアンティゴネの方が活発で幼い印象を、イスメネのほうが物静かな印象を与えるが、アンティゴネのほうが年上である。
二人はヒルダの部下、ヴァルキリー団の中でも筆頭格に当たる。ヒルダの厳しい訓練によって培われてきた二人の能力は、滅多なことで人を褒めないヒルダにも評価されている。二人は姉妹のように育ち、そしてヒルダに仕えてきた。
「そうは言っても、我々の命は司令に帰っていただくことにある。まだ司令には辞令の件、伝えていないのか?」
「ぅぅ……だって言えないよぅぅ……」
「なれば、私が伝えよう」
「あ、あぅ、ちょっと、ちょっと待ってよ」
そういって追いすがるアンティゴネをほったらかし、イスメネはヒルダの部屋に向かった。
「ヒルダ司令。お久しぶりです」
先ほどのアンティゴネとは違い、ヒルダはすぐに彼女の声に反応する。
「イスメネ?貴方までここに来ているのか。欧州は誰が留守を預かってるのだ?」
「ミカエラ副司令です。筆頭格はユリイカとベルタが残っています。ネメシスが撤退した今、十分すぎる布陣です。もちろん、我々がここに来ることは、現在ヒルダ司令に代わり、欧州での全権を代理しているミカエラ副司令も承認済みです」
多少不満そうな表情を浮かべるも、そもそも自分が一方的に日本に来ると言い捨てて、副司令のミカエラに全てを委任してここに来ていることを思い出し、ヒルダは、
「で、何か用なの?」
「はい。本部から帰還予定期日を相当経過しているので、直ちに帰還するよう指示が来ております」
「延長願いを出しておいたと思うが」
「理由が不明確のため、承認保留となっています」
てきぱきと答えるイスメネ。
ふぅ、とヒルダは溜息をつくと、立ち上がる。その長身だがしなやかな体躯、長い手脚がややけだるげに動く。
「……鬱陶しい」
「は」
「…………イスメネ、なぜ本部が私を呼び戻そうとしているかわかるか?」
「概ね」
「え?え?なんで?なんでイスメネ知ってるの?私知らないよ?」
短く答えるイスメネの隣で、頭に「?」マークをまとわりつかせて二人のやり取りをおろおろとしているアンティゴネ。
ヒルダは頭をふると、腹立たしげに、
「あのシルビアがいきなり欧州総司令職の辞表をたたきつけるから私にお鉢が回ってきたってことだ!いまいましい!ああいうデスクワークばかりの仕事は、私には向いてない!」
「あ、そういうことなんですか。それはご栄転おめでとうございます。まあ、ヒルダ司令はどっちかといえば頭より体動かして勝負のタイプですからね」
「……貴方、ずいぶんと口が悪くなったんじゃない?」
じろっとヒルダがアンティゴネを睨む。
「さぁ、ローリング・スシ・レストランで、デビルフィッシュのスシを食べ過ぎたせいで口が曲がったのかもしれません」
しれっと言ってのけるアン。
と、アンも口悪くいうものの、ヒルダの能力はその身体能力にとどまらない。現場の指揮官としても一流だし、もちろん事務能力だってそこらへんの文官など全く太刀打ちのできないレベルだ。ただ、本人が事務仕事や役人や事務屋相手にポリティカルゲームをするのが性に合わず、さらに「本部」には政治力学と権謀術数をいじり倒すことに生きがいを感じるシルビアがいたものだから、それを幸いにヒルダは現場にとどまっていたというところが実情である。
それが、シルビアが先日、日本支部に「転籍」を申し出たものだから、本部は大パニックに陥った。結局、本部司令のお鉢が彼女に回ってきた、ということになる。それは、とりもなおさず、ヴァルキリーの長に彼女が就くことを意味するのだが、もちろんそんなことはヒルダには何の魅力もない。
ヒルダはクローゼットから黒いレザーの上着を取り出すと、部屋から出て行こうとする。
「ど、どちらに行かれるんです?」
「決まってる。シルビアを説得する」
「は?」
「辞表を撤回させるのよ。人に面倒ごとをまかせようだなんて、冗談じゃない。二人とも、ついてきなさい」
ヒルダはそのまま単車に乗ると、一路シルビアのマンションに向かった。
「……珍しいわね。貴方から私を訪ねにくるだなんて」
シルビアの借りているマンションに乗り込むヒルダ、そして引きずられるようについてきたアンティゴネとイスメネを、シルビアとフィロメアが揃って出迎えた。
「シルビア、お前の真意を聞きたい。なぜ欧州総司令職を辞する?」
「あら、いきなり本題に入ってしまうの?せっかちね……。とりあえずコーヒーでもいかが?それとも紅茶がいいのかしら」
「どっちも結構。それはともかく、答えてもらおう」
「せっかちね。では紅茶にしましょう。珍しくいい葉が手に入ったの」
シルビアが、ぱん、と手を打ち鳴らすと、ティーポットとカップをトレーに載せたフィロメアが音もなく現れる。4人の前に流れるような動きで茶器を並べ、芳わしい香りたつ琥珀色の紅茶を注いでいく。
それには目もくれず、シルビアを睨み付けるヒルダをよそに、シルビアは悠然と紅茶を口に含み、脚を組みかえると、
「なぜ、総司令職を辞する、でしたっけ?それは、このクニに住むためよ」
「は?」
「私とフィロメアはこのクニに住むことにしたの。総司令職を続けていたら、こちらにはいられないでしょう?だから辞めたの」
「・・・・・・」
無言のヒルダに、シルビアは首をかしげながら、
「納得いかない、という顔をしてるわね」
「当たり前だ。そもそもお前は、こんな湿気の多いまともなワインもチーズもろくに手に入らないクニには一秒も長居したくない、と嘯いていたではないか。いつから宗旨替えをしたんだ?」
「宗旨替えはしていないわ。本当は帰るつもりだったし、蒸し暑いのも、ワインやチーズの不満も解消されてないけど・・・・・・フィロメアがどうしてもここに住みたい、というものだから」
「フィロメアが?」
給仕を済ませ人形のように微動だにせず立ち続けるフィロメアに視線を動かすヒルダ。だが、フィロメアの表情からは何も読み取れない。
「なら、フィロメアだけこちらに異動させればよいのではないか?なぜお前が辞めてまで・・・・・・」
「フィロメアを一人にするわけにはいかないでしょ?私はフィロメアの『保護者』なのだから」
その答えに、やはりヒルダは憮然とした表情をしたままであった。
■■■
あれこれ問いただすヒルダを柳に風の勢いでシルビアが受け流して、帰宅させた後、
「シルビア様」
そこに音もなく現れたのはフィロメアだった。
「お電話が入っております」
彼女が差し出した携帯電話は「非通知」だった。
「フィロメア。まず貴方が取って」
「そうは参りません。プライベートかもしれませんので」
「私に非通知でかけるような無礼な輩はいないわ」
「お願いします」
珍しく強行なフィロメアに気圧されるように、シルビアは携帯を受け取り、耳に当てる。
「どなたかしら?」
「・・・・・・・・・・・・わたしだよ、シルビア」
「・・・・・・どの『私』さん?間違い電話でしょうけど、名くらい名乗りなさい」
「ご挨拶だな、君は『奉仕専門肉人形』だろう?シルビア」
その言葉に、落雷に打たれかのように動きを止めるシルビア。
「・・・・・・はい、私は、奉仕、専門の、肉人形・・・・・・です・・・・・・」
「よろしい。それでは30分くらい後に、そちらに行くから、準備しておくように」
「はい。お待ちしております。シモン様・・・・・・」
ノイズ混じりの携帯電話を耳に当てるシルビアからは、いつの間にか、ついさっきまでの倣岸な雰囲気とともに、瞳からも意思の光が消えていた。
■■■
清水由佳は驚きを隠せなかった。
まだあのシモンがこのチキュウにいたなんて。
休日だったが、たまたまシルビアに急ぎの用件があり、彼女のマンションに向かった由佳がシルビアの部屋の前で見たのは、誰あろう、憎き仇敵のシモンの姿だった。
「あ、あなた・・・・・・なんでこんなところに!」
すぐさま臨戦モードになる由佳ことローズだったが、シモンは「おんや」と間の抜けた声を出して、
「やあ、奇遇だな。お前もシルビアに用か?」
「・・・・・・なんで貴方がここに・・・・・・いえ、そもそも何でここを知ってるの?そもそも何でチキュウに!?ベリルは、他のネメシスの輩も一緒なの?」
「おいおい待て待て、そんなに一度に聞かれても、答えられんよ」
そうこうシモンが言っているうちに、シルビアの部屋のオートロックのドアが自動で開き、シモンがその中に当たり前のように入っていく。
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
シモンを追って部屋の中に入ったローズ。だが、
「お待ちしておりました」
「・・・・・・ちょっ・・・・・・」
そこに立っている女性の姿を見て清水由佳ことローズは言葉を失った。
白い薄いレース地のシースルーのブラウスが、形の良い、それでいて日本人離れした乳房を品良く淫靡に覆っている。絹のような光沢の黒いミニスカートから、ガーターストッキングに覆われた白い長い脚が伸びている。首には赤いチョーカー、というよりはむしろ飼い犬用の首輪というべきエナメルの赤い首輪が彼女の白い首筋を飾り、そこから細い鎖が胸の谷間までネックレスのように垂れ下がっている。絹のように滑らかな光沢を帯びた髪をヘッドドレスが飾っている。
黒いレースの手袋を短いスカートの前で組んで、一言で言えばフレンチメイド、というべき衣装に身を包んだシルビアは、二人に向かって深々とお辞儀をした。
「シルビア、あなた何でそんな格好を・・・・・・」
「何でも何も、私はシモン様に奉仕するための道具ですから、それに相応しい格好としてシモン様が恐れ多くも賜わったものを身に着けているだけです」
埒が明かない、とばかりにローズはシモンを睨み付ける。
「貴方、彼女に何をしたの!」
「何をも何も・・・・・・彼女に人に仕える悦びを教えてあげただけだよ」
「・・・・・・どうせ洗脳で人格を造り替えたんでしょ!この外道が!!」
「うむむ、まあ外道か極道かは君らの価値観だから任せ・・・って、のわわわわ!!!」
韜晦するシモンの台詞など聞いていられない、とばかりにシモンの腕を取るとそのまま床にたたき付ける。
「シルビア、変な動きをしたら貴方もまとめて弾き飛ばすから。シモンの手に堕ちている以上、容赦しないわ」
「・・・・・・シモン様」
シルビアの声に、シモンは、
「案ずるな。手を出すに及ばん、待機してろ」
「御意」
シモンの指示に再び頭を下げるシルビア。
「・・・・・・へぇ、随分と諦めるのが早いのね」
ローズの言葉に、シモンがくぐもった笑いを漏らす。
「・・・・・・何がおかしい?」
「いやいや、毎回毎回、いろいろな攻撃をしてくるものだな、と思ってな。もう何度お前に攻撃されてかわからんが、毎回パターンが違うからかわせんのだよ。さすがはヴァルキリー総司令といったところかな」
「・・・・・・毎回?」
シモンは嘲るように軽く笑い、
「そう、毎回だ。前回は・・・・・・そうだな、1週間前だったよ。いきなり背中を蹴飛ばされてな。しばらく寝込まざるを得なかったよ。なのに・・・・・・お前が泣いてせがむものだからな、無理に腰を動かしてさらにダメージが大きくなったよ。お前はバックから衝かれるのが好きだし、騎乗位も意外に振動が背中に響くからあまりよくないんだよなあ・・・・・」
「・・・・・・戯言を!お前の言葉を聴いていると耳が穢れるわ!!死ね!!!」
シモンの薄気味悪い言葉を塞ごうと頚椎を折らんと力を込めかけたローズに、
「まあ、待て、『雌犬ローズ』」
その言葉にローズの手が止まる。
「そう、それでいい。いい仔だ。じゃあお前の顔を見やすいように仰向けにしてもらおうかな」
「な、なんで私が・・・・・・そんなこと・・・・・・・・・・・・」
そういいつつも、その言葉に、ローズはゆっくりとシモンの体を起こし、床に仰向けにする。
「うむ、いい顔だ。怒った顔もいいが、戸惑っている顔も美しいな」
ローズの体に異常な感覚がせめぎあう。シモンに対する怒りと殺意は相変わらず燃え滾っているにもかかわらず、シモンに言葉をかけられ、命じられると、そのまま従ってしまう。
いや、違う。
無理やり従ってしまうのではない。従いたい。従うのが心地よいのだ。
ローズはシモンの口を凝視続ける。命じてほしい。言葉を聞かせてほしい。自分に言葉を注いでほしい・・・・・・。
「ローズ」
「・・・・・・は、はい・・・・・・」
荘厳な父親に呼び出された娘のように、厳格な上司に呼び出された新入社員のように、ローズはおびえながら返事をする。
「素直に心に感じたことを言うんだ、ローズ。これは命令だぞ」
シモンはそういうと、ローズの腕を引っ張り、逆に組み伏せる。
「ちょ、何を・・・・・・」
とまどうローズに、シモンは首筋をさわさわと撫で付ける。
「あ・・・・・・」
「どうだ、ローズ。気持ち良いか?」
「・・・・・・きもち・・・・・・いい・・・・・・」
「もっと触ってほしいか?」
「・・・・・・触ってほしい・・・・・・」
シモンの質問に思わず答えていくローズ。シモンの与える愛撫から来る快感、そしてシモンの命令に従わされていることからくる快感、その二つがない交ぜになり、ローズの身体と精神を蝕み、彼女の理性を麻痺させていく。
「胸を見せてごらん」
「あ・・・・・・」
その命令が非常識であればあるほど、その命令に従うことから来る快楽は激しくなる。
シモンの命令のまま、ローズはスーツを脱ぎ去り、ブラウスのボタンをはじくようにして外す。ブラをずり下げると、白い乳房がまろびでて、シモンの眼前に晒される。
「何度見ても見飽きるということがない、すばらしい出来栄えだな。造物主の傑作のひとつといってもいい。俺は神を信じないが、こればっかりはチキュウにメスを創った神様に感謝しておかねばな」
シモンは腕を突き上げるようにしてローズのたわわな果実を蹂躙する。ゴムまりのように形を変えるその乳房の先にある、薄桃色の乳首にを口に寄せ、音を立てて啜るとローズの口からくぐもった小さな呻きが漏れはじめる。
既にさっきまで使命感と怒りに燃えていた彼女の瞳は、既にガラス玉のように光を喪い、頬は紅潮し、被虐と従属の悦びに染まりつつあった・・・・・・。
■ ■ ■
・・・・・・再びシモンの雌犬として、そして苗床としての存在に堕させられてからのローズは、普段はその記憶を封じられ学校教師として、そしてヴァルキリー司令としての生活を送っていたが、折に触れシモンにこのように呼び出されては、弄ばれ、そしてその都度被支配と隷属の快楽漬けの中で、雌犬として、そしてシモンの隷属物としてのあるべき姿を刷り込まれていたのだった。
だが、それが終わるたびに、ローズはその記憶が消去されては、再び日常生活に戻されていた。ルピアとフィロメアは既に彼女たち自身が洗脳されていることを自覚しているので、たまには変わったアプローチをしてみようというシモンの、よくいえば探究心、悪く言えば趣味の悪さの現れである。
その効果からか、日常生活はシモンに洗脳されてるとは全く自覚せず、普段どおりであるにもかかわらず、ローズはかつてと比べ圧倒的に洗脳に落ちる速度も、その深さも大きくなりつつある。
今日も戯れにローズとシルビアの肢体を貪ろうしたシモンが、ローズにシルビアへの「用件」があるように誘導してシルビアのマンションに来させたのが、今日のシモンとローズの「偶然」の邂逅につながったわけであるが、ローズはもちろん知る由もない。
そして、ローズが、そしてシルビアがこのような状態になっていることを、当然ヒルダは知るべくもなく・・・・・・そのことは、ローズの盟友であるヒルダと、その部下であるヴァルキリーの少女達に避けがたい運命をもたらすこととなる。
続く
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