エピローグ〜ローズ 4


 
■(12)■







 繁華街からわずかに裏通りに入った安アパートの一室。

 築何十年となったか分からないその部屋の前の住人は、事業が回らず夜逃げしたらしく、持ち出しきれなかった古ぼけた家電製品や家具が置いてある。少しでも金になりそうなものはあらかた闇金融に持ってかれたのか、残っているものは壊れかけたり汚れたり、と売り物にならなそうなものばかりだ。
 
 しかし、その程度の瑕疵は全く意に介していないのだろう、カーテンを閉め切った明かりの無い薄暗い部屋の中、足が一本折れかかったちゃぶ台の上に資料を雑然と並べたまま、その一室の新たな住人は染みだらけの畳の上でごろ寝をしている。

 と、その時、ギギっと耳障りの悪い音とともに立て付けの悪いドアが開き、人影が2つ部屋に入ってくる。

「朝っぱらからいいご身分だな、シモン」
「・・・ホント、もう少し整理整頓というものをしたら・・・」
「ん・・・?」
 シモンが目をこすりながら身体を起こすと、そこにはこんな掃き溜めのような場所がおよそ似つかわしくない二人の若い女性の姿があった。



 碧の家を出て流浪の生活を送っていたシモンが居を構えたのは、四畳一間のアパートだった。手持ち流動性資産が限られているシモンにとっては、怪しげな住人が数多く棲まう集合住宅の大家を軽く洗脳して住み込むのが関の山であり、今やネメシスチキュウ侵略本部最前線はトイレガス共同、風呂は歩いて5分の位置にある銭湯に行かねばならないこの部屋である。


 さすがにサファイアはここに住む事に抵抗があるらしく、彼女は普段は脱出用のカーゴで寝泊りをしている。今日は碧と示し合わせてここに来たのだろう。


「で、シモン。作戦は決まったのか?」
「んー・・・いろいろ考えてはいるのですが・・・」
 碧がポータブルガスコンロで作った朝飯代わりの焼きソバを食べながら、シモンはサファイアの質問に言葉を濁す。
 

 シルビアとフィロメア、そしてヒルダ。三人の情報をシモンは様々なルートから――といってもそのほとんどは洗脳状態のローズからの聞き取りだったが――入手し、分析していた。


 ヒルダはローズの盟友ともいうべき存在であり、ローズに害になることはしないだろう。今の段階で積極的な対策をとる必要はない。


 問題は、ローズに比肩する戦闘能力を持つシルビアに、その忠実な尖兵として影のように動くフィロメアだ。


 この二人と真っ向勝負で戦うのは、たとえローズ、ルピア、サファイアを擁しても難しい。そもそも、チキュウに再び潜入していることを知られるわけにはいかないのだから、表立って戦うのは下策である。

 となれば不意打ちして洗脳、というシモンの十八番の策を検討することになるが、これも容易ではない。まずシモンとサファイアの面は割れているから、二人が彼女達に近づいて不意打ちを食らわせるのが難しい。ローズやルピアはもとよりシルビアのライバルに当たるから、シルビアが気を許すことは無いだろう。

 しかもシルビアはシモンと同様洗脳技術に長け、かつ、シモンが洗脳を得意としていることを知っている。最初から自分の能力を知っており、その能力に長じている相手との戦いが難しいことは、対ダリア戦を通じて身に染みてよくわかっているシモンである。


 幸い、まだこの二人にネメシス一味がチキュウに戻ってきていることは知られていない。三十六計逃げるに如かず。台風に過ぎ去ってもらうまで冬眠を決め込むのが無難というものだった。

 
 ぼんやりとそんなことを考えつつ、シモンが焼きソバを口に運んでいると、
「んあー」
 という声とともに、今までちゃぶ台の下にでもいたのだろうか、そのヘリから小さな女の子の顔が現れた。栗毛色の髪の毛はまだ幼い子供特有の細さと柔らかさを保っているその娘は、白い小さな顔をちゃぶ台の上に乗せ、小さな指を口に咥えながら睫毛の長い黒目がちの瞳をシモンに向ける。
「ん、欲しいのか?」
「んあ」
 ニコニコして頷く少女の口にシモンが息をかけて少し冷ました焼きソバを運ぶと、その娘は美味しそうにはもはもと口を動かす。
 貧乏長屋に肩を寄せ合うように暮らす仲の良い年の離れた兄妹、あるいは父娘の昼食の図。本来、ほほえましい風景。


 ・・・のはずだが、それを見た二人の女性は液体窒素に漬けた薔薇のように凍てついている。


「・・・シモン、貴様、ょぅし"ょにまで手を出していたとは・・・。いくら被支配種族相手とはいえ、やっていいことと悪いことがあるぞ、そこに直れ!」
「今なら間に合います!早く自首してください!!」
「んあ〜♪」
 鞭を鳴らすサファイアに、狼狽してシモンの首を絞める碧。そしてそれを何か新しい遊びなのかと勘違いしてシモンの首にぶら下がる女の子。
 シモンは畳をタップしつつ悲痛な声で、
「ま、まて、碧、ぐ、ぐるじい、そんなに引っ張ると首が・・・、ってドサクサに紛れて貴方まで首を絞めないでください、ベリル様・・・」
「「・・・ベリル様?」」
「あー?」
 サファイアと碧の視線が、笑いながらシモンの首に抱きついている栗毛の女の子に集中する。




 シモンがかいつまんで話すところでは、元来、ベリルの身体は特別な生体でできており、その容姿はある程度本人の意思で変えることができるらしい。
 そして、シモンに洗脳されて幼児化した彼女は、その精神と共に幼児型がデフォルトになってしまった、というわけだ。
 むろん元来の大人体型になるのも訳は無いのだが、下手に大人体型で幼児的行動をとるとあられもない姿になってしまうことが多く、シモンの劣情を催すことがしばしばのため、とりあえず中身に相応しい姿格好にしている。


「むしろこっちの方が劣情を催すのではないですか?」
「・・・うう、ベリル様。このようなお姿に身をやつしているとは・・・おいたわしい・・・」
 そんなシモンの必死の説明にも、碧の声音はせいぜい液体窒素から液体酸素程度にしか温まらず、サファイアといえばよよとハンカチで涙を拭っては天を駆け地を焼き尽くした彼のネメシス総帥の変わり果てた姿を嘆くのだが、当の本人はそこまで深刻に考えている様子もなく、碧が即席で作ったチョコミルクにストローを挿してちゅーちゅーと吸い付いている。
「はぁ・・・まあいいです。ともかく、私はそろそろ学校ですから、シモン様、く・れ・ぐ・れ・も、過ちのないようにお願いしますよ?いいですね?サファイア様もしっかり見張っておいてくださいね!」
「・・・あ、ああ・・・」
 凄い剣幕の碧にサファイアですら気圧されている。
「・・・お前、ヴァルキリーでありながら、オノレが俺とやっていることは過ちではないとでも・・・、と、庖丁構えるな、構えるな!」
「こんな小さい子としたら法令にひっかかるでしょうが!」
「法令が怖くてネメシスをやってられるか!だいたい、自分はひっかからんとでもいうのか?」
「い、いいんです!制服の女の子はみんな18歳以上なんです!そういうお約束なんです!!」
「・・・・・・・・いや、そういう問題より前にヴァルキリーとしての職務専念義務違反なんじゃないかということを俺は指摘したいんだが・・・」
「こ、この男は・・・元はといえば貴方が私をかどわかして・・・キーーーーーーーーーーーーーーーー!!」

「・・・この者たちは、何を朝から言い合ってるんでしょうか、ベリル様・・・」
「んあー」
 呆れているサファイアに抱きかかえられているベリルは、自分が原因だということを分かっているのかいないのか、じゅるる、という音とともにチョコミルクを飲み干した。



 嵐のような勢いで『人として、そして生物としての"道"』について教育的指導を加える碧をなだめすかしてようやく学校に送り出し、その後やんちゃを起こしたベリルをシモンが寝かしつけると、朝のバラエティー番組も既に終わりかけていた。
「はぁ・・・くたびれた・・・」
 シモンの淹れた日本茶を一口飲んだ後、サファイアは神妙な面持ちで
「うむ、あの者はどうもお前が幼児体型が趣味なのではないかという疑念を持っているようだな」
「・・・それは濡れ衣だぞ」
「どうだかな。奴も下手に自分が無駄に胸が大きい分、そういう雑念が入るというものだろう。奴隷の身分とはいえ、こともあろうかこのような下賤な者に恋心を抱いていると見える。意外にゲテモノ好きなのだな」
 しらっとした目つきでシモンにそう言い放つサファイアも夜になればシモンの下僕に等しいのだが、本人にはその自覚は全く無い。あの『お仕置き』はあくまで『優れた上司である自分の務め』だからだ。
「はぁ。まあ、ローズの再洗脳も成功しましたし、あの恐ろしげな金髪ヴァルキリーの襲来もかわしきりました。とりあえずこれで腰を落ち着けてチキュウ再占領策を練れるというものです」
「うむ、しかと頼むぞ」
「心得ました」
 彼女の膝枕の上で寝ている幼いベリルの安らかな寝顔がそうさせるのだろうか。珍しくサファイアは機嫌がいい。しばしば優しげな視線をベリルに投げかけ、髪の毛を撫でている。

 いつもこうだといいのだが、とシモンが内心ひとりごちていそいそと昨日公園のベンチで拾ったバイト求人誌をめくり始めると、サファイアはいささか怪訝な視線をシモンに投げかけ、

「・・・しかしシモン。いささか解せんな」
「え、あ、あの、これはあくまで兵糧を得ることが兵法のイロハであるとの思想から研究しているのでありまして、チキュウ再占領策の一環として決して軽視できないステップであり・・・」
「そんなことを聞いているのではない。ローズにつけた首輪のことだ。あの首輪は何だ?なんであんなものをつける必要がある?」
 時給1000円以上の求人ページにこまめに付箋を貼る手をしばし休め、シモンは、
「ああ、あれですか。あれはプレゼントですよ。『戦友』への」
「・・・よくわからんな」
「ともあれ、しばらくはこちらも体勢を整えつつ相手の出方を待つ、ということでいいのではないかと・・・」
 そもそもその相手こと金髪ヴァルキリー=シルビアはあくまでローズの審問のために一時的にこの国に来ているに過ぎない。その審問も失敗した以上、時が来れば自分の国に戻るだろう。
 職を探し、小金を溜めて、じっくりと今後の展開を練る・・・それだけの余裕はあるはずだ。
 

 だが、シモンはほどなくその読みが、シルビアのローズに対する執念をいささか甘く見ていたものであることを知ることになる。


 
■(13)■



 
 学校の教室。夕刻過ぎて西日が射している職員室はがらんとしている。清水由佳は自分の机で残務処理をしていたが、少し気晴らしに窓の遠くを見る。
 野球部やサッカー部の部員が日々のトレーニングをしており、遠くからはオーケストラ部だろうか、ヴァイオリンやトランペットの音色が聞こえる。

「ふぅ・・・少し休むかな・・・」

 伸びをしてひとりごちながら机の上に置いてある鏡を見やる。午後になると化粧の具合も気になるところだ。マスカラよし、ファンデーションよし、とチェックをしていく由佳の手がその首元のスカーフのところにきて、ふと止まる。

 その丁寧に巻かれたスカーフの奥からは、赤い首輪がわずかながら姿をのぞかせている。




 シルビアの審問から数日を経た。学校の仕事をこなしている間は忙しく、そんなことを思い出す余裕もないが、こんな風に時間が空くと、つい自然とあの日のことを思い出してしまう。

 シルビアに催眠誘導され、あの淫魔に取り憑かれたような日々を思い起こさせられ、・・・気が付いたときにはこの首輪をはめていた。
 シルビアにつけられたものではない。あの尋問部屋を出た時は確かに何もつけていなかったはずだ。
 だが、自分にはこの首輪をつけられた記憶が欠け落ちている。

 
 ・・・唯一、その日、車の中でうたた寝をしていたときに見たあの夢以外は・・・。

 
 無論、家に帰ってから首輪を取り外そうとした。が、留金に掛けられた錠前は特殊なもので開錠できず、首輪自体も細い割には丈夫にできており、手元にある工具では歯が立たなかった。

 しかたなく、スカーフを使って生徒からの視線を誤魔化す日々が続く。

 チョーカーといって押し通すことができないわけでもないが、毎日同じチョーカーをつけていればさすがに怪しまれるし、ましてや・・・『あの男』に贈られたものと同型の『首輪』をつけているのを他人に見られることは、彼女にとって耐え難かった。


 改めて、由佳はその赤い首輪を見やる。


 この首輪のせいだろうか、シルビアに催眠誘導されてあの辱められた日々を思い起こさせられたせいだろうか。あの日から見る夢は毎日同じだった。


 白い壁。鉄パイプのベッド。金属音をたてる鎖。床に置いてあるミルクを湛えた皿。・・・そして、赤い首輪。由佳自身は服を着ていることもあれば、裸同然なこともあった。

 やがてドアが開くと、男が立っている。

 男から与えられる言葉は心地よく、その手にうなじを触れられるだけで自分の子宮が疼くのがわかる。はやる心を抑えてその男の服を不器用に脱がし、膨れ上がった赤黒い性器に口をつけ、青臭い匂いとともに自分の口の中で膨らんでいくその肉の弾力を味わう。唾液が次から次へと湧き出て、怒張の先からあふれ出すとろみのある液と共に飲みこむと、胃が焼けるように熱くなる。それは自分にとって麻薬であり、また甘露でもあった。

 知らず知らずに顔が前後を動いていく。男を感じさせるために、というよりは、自分がその舌先の感触を味わうために、・・・そして自分が支配されていることを実感するために。

 やがて男は絶頂に達し、自分の喉奥に白濁した液を注ぎ込む。男が自分の髪の毛を柔らかく撫でてくる。恍惚と気だるさが入り混じり、精液で口が満たされたのと同じように、自分の心が何かに満たされ、そしてまた蕩けていく。
 



 そして・・・その後は・・・私の濡れた・・・裂け目に・・・私の唾液で濡れた熱い怒張を・・・・・・。



「先生、せんせー、・・・せ・ん・せ・い!」
 突然の声に、由佳は現実に引き戻される。
 
 目の前にはちょっと地毛の赤味がかったショートカットの女の子・・・朱美だ。

「あ・・・朱美?」
「もー、朱美?じゃないですよ。先生。どうしたんですか?最近疲れ気味?」
 無邪気に尋ねる朱美に、由佳は慌てて首元のスカーフを整えながら、
「いえ・・・ごめんなさい、ちょっとぼぅっとしていて・・・」
「ふぅーん。ま、いっか。はい、プリント」
 朱美が由佳に手渡ししたのは英語のプリント。宿題を忘れた朱美に由佳が課したペナルティだ。
 由佳はそれを斜め読みすると、さらさらと赤ペンで丸をつけていき、
「ほいほい・・・ふむふむ、はい、よくできました。はなまるをあげましょう」
「えっへん」
「胸を張るなら居残りしないで最初からやってきな・・・」
 朱美への小言を中断し、由佳は職員室のドアを開いて廊下を見る。
 
 しかし、そこには誰も居ない。

「・・・」
「・・・先生?」
「・・・うん?いや、ちょっと誰が人がノックしたような気がして」
「へ?そう?」
「あ、私の気のせいみたいね、じゃあお小言の続きを・・・」
「え”〜もういいよ〜・・・」

 

 職員室で比較的のどかな会話がされている最中、その職員室のドアからは見えない死角で、黒衣の少女が、小型端末を通じて淡々と会話を行っていた。
『・・・総司令殿は?』
「教職員の待機室でカーネリア相手に指導を行っています」
『そう、こっちはもう少しで出てきそう・・・。いいわ、フィロメア、1分以内にこっちに来なさい。こちらのお嬢様をアフタヌーンティーに招待することにしましょう』
「・・・心得ました」
 そう答えるや否や、少女は音もなくそこから姿を消した。






「・・・ったくあの男は本当に気を休める暇も・・・」
 朝から腹の虫の居所が悪い碧は委員会室を出て、更に校門を出てからも相変わらずぶつぶつと独り言を言いながら歩いていた。

 その虫の居所の悪さゆえに注意力散漫になっていたことはあるだろう。しかし、日常生活に戻った彼女にそれほどの注意力を要求するのは酷であるし、何より、正統な戦闘技術に特化した碧と、諜報活動から絡め手までの全てに練達した彼女達の間では、そもそもその筋の錬度の桁が違いすぎる。

「・・・あらあら、学校一の秀才のお嬢様がボーイフレンドの話?隅に置けないわね」
 校門を出てほどなく、碧が後ろからする声に振り返ると、ニホンジン離れした体形と髪の色をした女性が微笑みを浮かべて歩み寄るのが目に入る。
「・・・・・・シルビア・・・司令・・・」
「あら、覚えていてくれたんだ。碧さん、でよかったかしら。貴方とは一回くらいしか面識がなかったと思うけど。・・・それとも、何か覚えておく必要でもあったのかしらね」
「・・・・・・お逢いできて光栄です。こちらにはどのようなご用件で?」
 シルビアの言葉をさりげなく無視するには、碧はまだ若すぎた。微笑みを浮かべつつも顔は強張り、シルビアが歩み寄るにつれ、その形のいい脚は自然に戦闘時の構えに近くなる。
「ちょっと観光旅行がてら、優秀なニホンの学生がどんな勉強をしているかを調査に、ね」
「・・・それは・・・ご参考になったかどうか」
「いえいえ、大変ためになったわ。でね、少し貴方とゆっくり話したいんだけれど、時間をもらえないかしら?」
「・・・申し訳ありませんが、私は今日は用事が・・・」

 言葉を継ごうとする碧のうなじに、ひやりとした何かが押し当てられる。
 それがナイフであることを碧が察するまで、大した時間はかからなかった。

「ああ、フィロメア。気をつけてね。私、貴女のその服すごく気に入っているのよ。紅い染みがついたら目も当てられない」
「・・・承知しております。シルビア様から頂いた服を汚すような粗相はいたしません。一瞬で済みますから」
 碧は唇を噛んだ。シルビアの会話に気を取られ、自分の背後にフィロメアが近づくことに気づかなかったのだ。
「まあ、立ち話もなんでしょう?近くに私達の秘密のティールームがあるのよ。ご招待するわ」
「・・・ありがとうございます」
 せいぜい皮肉めいた口調で感謝を伝えることが、今の碧には精一杯であった。



 
■(14)■





 ぴぴぴ。

 
 チープな電子音が貧乏長屋の一室に鳴り響く。
 昼寝をしていたシモンは腰につけた小さな端末をまさぐり、眠たそうな表情でその端末についたちゃちな白黒ディスプレイに浮かんだ表示を見やる。
 
 一応用心のため、ルピア、ローズ、サファイア、ついでにベリルに、シモンは盗聴器と位置発信機を取り付けてある。この端末はその受信機だ。

「・・・ルピアか」

、ディスプレイに浮かんだ表示に目を走らせた後、シモンはその端末からヘッドホンを引き出して耳にあて、メモリに録音された音声を確認する。
 しばらくすると、その表情は今までのだらけモードから一転厳しいものとなった。
「ん・・・どうした、シモン」
 ベリルと共に寝入っていたサファイアが目をこすりながら起きる。
「下手打ったな・・・俺・・・」
 思わずシモンは舌打ちした。

 シルビアに碧が拉致された。おそらく彼女の目的は碧の記憶。
 ローズには厳重に記憶封鎖を施したが、碧は完全に洗脳していたこともあり、大した施術を行っていない。シルビアにかかればローズを洗脳していることはおろか、自分たちがチキュウにいることは勿論、現在のアジトの位置、はてはシモンの性的嗜好まで洗いざらい彼女にばれてしまうだろう。

「・・・もうちょっとノーマルなプレイだけにしておけばよかったかな・・・でもあいつもそこそこ悦んでたしなあ・・・」
 今まで碧相手に行ってきた放縦な性戯の数々にいささか後悔の念がよぎりはしたものの、問題の本質はそんなことではない。
 朝、頭の回転を止めたところから、シモンは再度作戦を練り始める。朝とはうってかわって思考が形を成していく。
 所詮、彼の頭は危地に陥らないと働かないのだ。

「どうするんだ、シモン」
 サファイアの問いに、
「・・・まず救出。しかる後、相手の急襲方法にあわせてこちらもカウンターをしかけます」
 とはいえ、自分たちが直接動くと事態は猛烈にややこしくなる。
 シモンは部屋の片隅に転がっている昔懐かしき黒電話に手をかけダイヤルを回す。
「・・・どこに電話してるんだ?」
「正義の味方」
 シモンはもう片方を電話の受話器につけ、鼻歌交じりに相手が電話を取るのを待った。





 


「貴方の名前は?」
「・・・藤谷・・・碧です・・・」
「職業は?」
「・・・学生・・・です」

 白い壁。無味乾燥なテーブル。そしてそこに向かい合わせにあるソファー。

 先日由佳が座っていたそのソファーに、今は碧が座っている。
 
 部屋にはシルビアとフィロメア。しかし、前回お目付け役でいたヒルダはいない。もちろん、由佳も。

 既に薬物投与をされてから数十分が経過し、抵抗も空しく碧は深い被暗示状態に陥ちている。

「・・・さて、何から尋ねましょうか。今日は邪魔者もいないし、時間はたっぷりあることだし・・・」
 シルビアは椅子に腰掛けている碧の頬を撫でた。虚ろな瞳をした碧は、全くの無表情でシルビアにされるがままになっている。
 
 シルビアはいくつか当たり障りの無い質問をした後、彼女が答えにくい質問を開始する。碧の催眠深度を測るためだ。

「・・・貴方の初めてのキスは?」
「・・・高校一年の時・・・」
「じゃあはじめてのセックスは?」
「・・・高校一年の時、です・・・」
 それほどの抵抗も無く、碧は回答する。
「ふぅん、総司令様より早いのね。じゃあ最近したのは?」
「・・・・・・・昨日です」
「昨日?」
 シルビアは眉をひそめた。
 碧には今彼氏がいない。シルビアの持っている事前情報だとそうだったはず。
「・・・相手は誰?」
「・・・・・・・・・」
 碧は答えない。
「・・・碧。答えなさい」
「・・・・・・・・・・・・・」
 碧は苦しそうな表情を浮かべる。シルビアからの命令には絶対服従という暗示に対し、何か別の枷が拮抗しているのだろう。
「碧」
 シルビアが更に追い討ちをかけるように声を高めると、碧は苦しげに、か細い声で、
「・・・シモン・・・・・・・・です・・・」
「・・・シモン?」

 彼女の文化圏では余りにもありふれた固有名詞だけに、一瞬混乱するシルビア。
「・・・シモン、とは、誰?」
「・・・・・・・」
「碧」
 
 長い沈黙。だが、シルビアのその声音に碧は屈服するかのように、途切れ途切れに、
「・・・・・・ネメシス・・・の・・・・・・・男・・・・・・・です・・・」
「ネメシスの?」

 さすがのシルビアもその回答は全く想定していなかった。

「フィロメア。"シモン"と名のつくネメシスの戦闘員を洗い出して」
「・・・了解しました」

 フィロメアの手が踊るようにキーボードを跳ね、ヴァルキリー部隊の極秘データベースにアクセスする。ほどなくしてシルビアの視覚端末にデータログが映し出された。

 シルビアはそのログをしばらく見つめていたが、
「・・・・・・・・・・これはこれは。面白いことになりそうね。フィロメア。薬を追加しましょう。あまり意識レベルを落さないで、かつ自白作用のある・・・そう、4番と7番を1対2で調合して」
「かしこまりました」
 主人の久方ぶりに愉しそうな笑いを見ながら、フィロメアは無表情のまま、碧に注射するためのアンプルを調合し、シルビアに手渡す。


 ・・・。

 ・・・・・・。

 ・・・・・・・・・。

「・・・気分はどう?」
「・・・・・・よく・・・・・・わかりません・・・・・・」
「そうね。いいのよ、分からなくて。貴方は私が言うことだけを素直に答えてくれればいいの。それだけ。それだけで気持ちよくなれるから。わかった?碧」
「・・・・・・・・・・は・・・い・・・・・・」
 碧の瞳の色は、更に深く淀み、表情は青白い。最早碧にはシルビアの言葉に抗する力は残されていない。
「・・・シモン、というのは、ネメシスの戦闘員のことよね?」
「・・・・・・・はい・・・」
「・・・『シモン。ネメシスの戦闘員。体格は平均的。黒い上下揃いのスーツ姿で出没することが多い。数次の対ネメシス戦、主にニホン地域における戦闘に登場。特に能力的に見るべき点は無く、特殊能力も皆無。危険レベルはBダブルマイナス。階級は小隊長クラスと想定されるが、部下を連れていることは滅多に無く、ほぼ単独行動を常としている。ここ最近の戦闘経過は、一般家庭の住居に不法侵入し、そこに居た少女に暴行を加えようとしたところを、ニホン総司令部所属のヴァルキリー・カーネリアとヴァルキリー・ルピアによって阻止され、その後、別の少女を誘拐して身代金100万円を要求したところを同じくヴァルキリー・カーネリアに阻止され、』・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 シルビアがいささか怪訝そうな表情でディスプレイから目を離し、
「・・・・・・この男のこと?シモンというのは」
「・・・・・・はい・・・」
「・・・・・・この男があなたの昨日のお相手?」
「・・・・・・はい・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・男を見る目は養った方がいいわ。先達として忠告よ、一応」
「・・・・・・はい・・・」

 ともあれ、ニホンにネメシスの敗残兵が残って悪事を働いているようであれば、もちろんそれはローズの失点であり、ましてやヴァルキリーである碧ことルピアがその男と性交渉をしていたとなれば、ローズの監督責任に派生する。
 これだけでも充分過ぎる収穫である。

「・・・さて、不純異生命体間交遊についてのお咎めは後にしておきましょう。・・・その男の居場所を教えてくれる?碧」
「・・・・・はい・・・」

 碧は、従順に、今日朝詰め掛けたシモンの仮の苫屋の住所を伝えた。

「さて、これでそのネメシス人を捕獲するか殺せば・・・」

 ふと、シルビアの声がそこで止まる。


 なぜ、この碧が、そんなネメシスの男と交わっているのだろうか。


 彼女はヴァルキリーとしてはそれなりの実力を持っている。勿論自分やフィロメアには及ばないだろうが、中堅クラスのネメシス人相手であれば一対一で負けることは無い。だから、そんなひ弱なネメシス男の暴力に屈して、ということはありえない。

 いや、そもそも敗残兵だとすれば、ヴァルキリーとネメシスとの最後の戦いの過程でもその存在が現れてしかるべきだ。なぜローズの報告に、この男の存在が全く出てこないのだろうか。


「・・・碧。このシモンという・・・」
「シルビア様」

 シルビアが再び問いかけようとした矢先、フィロメアが声をひそめて、

「ローズ総司令がこの部屋に向かっています」

 フィロメアの声は、やはりこんなときも落ち着いたものだった。


 
■(15)■




 バン!

 ドアが勢いよく開かれる。


「シルビア!」
「・・・・・・あら、お久しぶりね、ローズ」
「あ、ローズ司令・・・」
 ローズ・・・由佳がヴァルキリー事務組織の別館の会議室に――前回自分が『審問』を受けた部屋はそこだった――に飛び込むと、ソファーに三人の女性が座り、お茶をしている光景が目に入る。シルビアは落ち着き払って、フィロメアは無表情で、そして碧は驚きの表情で。
「・・・碧。大丈夫?」
「え・・・ええ・・・別に・・・」
 碧の身体にあれこれ触れて問いかける由佳に碧は目をぱちくりとさせている。
「そう、良かった・・・」
 ほっとしたように言ったのも束の間、すぐさま鋭い目つきでシルビアを睨んだ由佳に、シルビアは少し大げさに肩をすくめて、
「ちょっと帰り道に彼女に偶然出会ってね。せっかくだからお話しようと思って、ここでお茶をしていた、というわけ。それとも、貴女の学校はハイスクール・スチューデントにもなってミチクサもしてはいけない、なんていう前近代的な管理教育体制なのかしら?先生?」
「・・・ミチクサも買い食いも構わないけど、怪しい人についていってはいけない、とは教えているわ。クスリの売人とか」
「アハハハハハ。随分とまぁ嫌われたものね」
 シルビアは少し愉快そうに声を立てて笑った。彼女にしては珍しい。
「まあいいわ。碧さん。たまにはこういうフレーバーティ・パーティも悪く無いでしょ?」
「・・・え・・・あ・・・はい・・・」
「はい、見回りの先生が来ちゃったから、今日のお茶会はこれでおしまい。またゆっくりと、お話をお聞きしたいわ。碧さん」
「・・・・・・はい・・・」
 そんなシルビアと碧の会話の間も、由佳の刺すような視線はずっとシルビアに向けられている。
「・・・碧。先に出てて。私はシルビア司令と少し話があるから」
「・・・は、はい」
 碧はその雰囲気に気圧されるように、部屋を出て扉を閉めた。

 残った由佳は部屋を見渡す。

 机の上にはティーカップ。シュガー。ミルク。ポット。クッキーがいくつか。あたりにはハーブの残り香が漂っている。
 ただそれだけだ。怪しげな薬剤も注射器も置かれていない。

 確かにお茶会、といってそれに反論する余地は無い。
 ここがヴァルキリー事務組織の別館会議室であることを除けば、だが。

「・・・・・・本当のことを話す気はなさそうね」
「・・・・・・貴女が本当のことを話してくれたら、教えてあげる」
 数秒の睨み合いの後、
「・・・私のことは構わない。でもうちの教え子にちょっかいを出すなら、それ相応の覚悟はしておきなさい。シルビア」
「・・・あら怖い怖い。大丈夫、私はその点はノーマルだから。貴方のお友達と違って」


 由佳はそのまま返事をすることなく部屋を出て行った。



「・・・さて、面白いことになりそうね・・・フィロメア、出かけるわよ」
「心得ました」
 閉ざされたドアを見ながら、シルビアは微笑んだ。


続く

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