エピローグ〜ローズ 1




            
■(1)■






 首都トウキョウ。行き交う車や人々の喧騒が消えることのないこの街にも、まとまった大きさの公園や緑地がいくつか整備されおり、人々の憩いの場所となっている。

 だが、そうした緑地のひとつに、長きの風雪に耐えて建ち続けている石造りの教会があることは、あまり多くの人の知るところではない。


 教会の入り口をくぐると、ずらりと並べられた木製の椅子がまず目に入る。正面には大きな十字架が掲げられ、その脇には美しく柔らかな微笑みを浮かべた聖母マリアの像が配置されている。
 昼だというのに、教会の中には薄暗く、ひんやりとしている。ただ、ステンドグラス越しに射す日の光と、壁面に並べられた蝋燭の灯火だけが、この教会の内部を照らし出している。

 飾り気の無い、だが静謐で厳かなそんな空間で、ステンドグラスに染まった光を浴びながら、黒いスーツ姿の若い女性が一人、十字架の下で目を閉じて跪き、祈りを捧げていた。


「・・・熱心ですね」
 声をかけられた若い女性は立ち上がり、ゆっくり振り返る。
 シスター服に身を包んだ、中年の女性が背後から話しかけたのだ。

「失礼しました。私はここの近くの修道院でシスターをしているものですが、めったにここにお祈りに来られる人はいないもので。つい、珍しくて」
 品のよさそうなシスターはニコニコと話しかける。

「いえ、私も久しぶりです。いつもトウキョウに来たときはここに来ることにしているもので。・・・ここはとてもいい場所です」
 滑らかな日本語だが、ブロンドの髪と青い目は、典型的な白人のものだった。ただ、その顔の造形は「典型」を遥かに上回っている。

「あら、外国の方なのね。ようこそニホンへ。観光ですか?」
 その何気ないシスターの質問に、
「いえ、inquisition・・・シンモンというべきでしょうか」
 スーツ姿の女性は少し間を置いて、うっすらと微笑みながら答えた。

「・・・・・・シンモン?」
 その場違いな言葉にシスターが戸惑っていると、彼女の後ろから少女が音も無く現れる。十代後半といったところだろうか。ブロンドヘアに大人の雰囲気を漂わせているスーツの女性とは対照的に、白銀の髪に黒い人形のような服を着ている。

「シルビア様、お時間です。ご準備を」
「わかってるわ、フィロメア」

 早口で短い、英語での会話が交わされた後、
「それではシスター。失礼させていただきます」
「・・・いえ、こちらこそお邪魔をして・・・」
 若い女性はシスターに向かって十字を切ると
「この神無き地にて、神に身を捧げられたあなたに、主のお恵みがありますように」
と呟き、軽くお辞儀をして退出する。女の子もシスターに深く頭を下げると、無言のまま女性の追って教会を出た。

「・・・どういった方たちなのかしら・・・」
 残されたシスターは一人首をかしげていた。

 



  
■(2)■






 一方、同じ首都トウキョウの中でもまた別の一角。
 数多くあるビジネス街の一つに聳え立つ、外見からは特に個性の無い、しかしその実、最高度のセキュリティで物理的・電子的に防護されているインテリジェンスビルの最上部のドアには、『社団法人 特殊災害対策機構』という看板がかかっている。

 表向きは、地震・大火災などの大規模災害に対する情報収集・企画立案を担うと対外的に説明されているその組織の中でも「『その他特殊な案件に対する対策』を担当する」というアカウンタビリティの欠片も見当たらない説明がなされる『特殊対策課』に入るためには、防諜措置の施された二重の曇りガラスのドアをくぐらなくてはならない。

 その一室で、中年の男は眼鏡をずりあげながら部下から受け取ったレポートに一通り目を通している。その前には直立不動の若い女性が立ったまま、上司の指示を待っている。

「・・・なるほど、わかりました。では、追って連絡するので、職務に戻ってください」
「・・・失礼します」
 妙齢のスーツの女性は、一礼をすると、ドアを開け部屋から出て行こうとする。
「ああ、ちょっと、清水君」
 名前を呼ばれて彼女の動きが止まる。
「あれからしばらく経つが、体の調子は問題ないかね?」
「・・・いえ、健康そのものですが、『長官』。何か気になることでも」
「いや、なに、如何にヴァルキリーとはいえ、あれだけ厳しい戦いの後だ。暫く休んでもよいのではないかな?そもそも、もう教師を続けることもあるまい。なかなか先生稼業との掛け持ちも厳しいだろう」
 清水君、と呼ばれた彼女は振り返り、自分の腰の高さほどの所にある男の顔を見つめる。
 昼行灯ということで専ら有名な男は、単純に善意から言っているのだろう。
「いいえ。私はあの子たちが好きで、教師をしているんです。どちらか辞めろと言われるなら、こちらを辞めさせていただきます」
 きっぱりとした口調の彼女。
「そ、それは困るな。君ほどの逸材を失うのは・・・。まあ君が大丈夫というなら何も言うつもりはない。ローズ『総司令』」

 清水由佳−−ローズはもう一度深くお辞儀をすると、部屋から出て行った。




 いわゆるネメシスに対抗するために世界各地にヴァルキリー部隊が結成される一方で、表立ってそれを公表できない政府は、こうして人目をはばかるように組織を密かに結成し、素質のある人物を訓練して、ネメシスに対抗させていた。

 しかし、それもつい先日までのことだ。

 ネメシスは果敢なヴァルキリーの活躍により敗れ、一部の敗残部隊も宇宙に消えた。

 今やこの対策課の仕事はほとんど残務処理ばかりだ。じきに不要のものとして、そのうちどこかに吸収されることになるだろう。
 

 


 男が薄くなった髪の毛を撫でながら茶を啜り、書類に目を通していると、ドアがノックされる。
「入りたまえ」
「失礼します」
 ドアが開くと、黒いスーツを着た女性が入ってくる。ローズも背が高いが、彼女は更に高い。おそらく見栄えも彼女と同列の美しさだろう。細く切れ長な眉、大きな瞳、赤い唇。鋭角的なシルエットのスーツ。全体的に剣呑な雰囲気が彼女の周りには漂う。
 
 しかし何より、そのブロンドの艶やかな髪と、青い瞳の色が目を引く。そして肌の色は、東洋人とは一つ次元の違う白さだ。


「・・・ああ、君は・・・シルビア司令官・・・だったか」
 男は昔国際会議で出会ったことのある彼女の名前を手繰り寄せる。
「『統括』司令官です、長官」
「うん、そうだった」
 彼女の微妙な返事に気付いた風も無く、長官と呼ばれた男は相変わらずのんびりと茶を啜っている。
「なんでこんな辺鄙なところに?日本嫌いの君が、欧米統括司令官の仕事を放って観光ということもあるまい」
「勿論、出張です。仕事の行き先で我侭を申すつもりはありません」
 品のいい、完璧なイントネーションで発音される日本語だ。
「それは立派な心がけだ。清水君といい、シルビア君といい、最近の若い子はみんな真面目だねえ」
「・・・シミズ専門職はお元気ですか?」
 専門職、というのはローズの表向きの役職だ。ヴァルキリーの存在をおおっぴらにできない以上、「司令官」という官職名はつけられない。
「こっちがびっくりするくらい健康そのものだよ。とてもあの死線を潜り抜けたとは思えない。ああ、そうそう、彼女は『首席』専門職に昇格したよ、先日」
「・・・無論、存じております」
 彼女の声音は、微妙にこわばっていた。
「しかし、出張とは、そりゃ突然だな。連絡も何も無い」
「ご無礼をお許しください。ただ、前もって連絡するわけにはいかない用件でしたから」
 こわばっていた彼女の顔が、ようやく緩む。
 彼女は手元の薄いバッグから書類を一枚取り出し、男に渡した。
 英語で味気ないタイプ打ちをされた文章には、アメリカのヴァルキリーを統括する組織の公印が押されている。
「『特命監察』?」
「はい」
「・・・こりゃ穏やかじゃないな。しかし、うちは使い込むような予算も大して無いんだが・・・」
「・・・いいえ、そういうことではありません。もっと重大で・・・綱紀に関わることです」
 
 男が改めて椅子に深く座りなおすと、ぎぎぃと椅子が鳴った。

「・・・まあ、そういうことなら、私が云々する話でもあるまい。どうぞお好きなように監察でも検分でもしてくれたまえ。ただ、叩いても埃どころか塵一つ出てこないと思うよ」
「・・・ご厚慮、ありがとうございます」
 シルビアは、ローズと同じように深く頭を下げながら微笑んだ。






 廊下を歩くローズに声がかけられる。
「久しぶりね、ローズ」
 よく通るソプラノの声。彼女が振り返ると、そこには背の高い女性が立っている。黒いスーツの肩口まで伸びるブロンドの髪。膝上までしかないタイトスカートからは、ストッキングに包まれた白く形の良い脚が伸びている。
「・・・シルビア司令」
「あら、覚えてくださってるのね。光栄だわ、総司令殿」
 丁寧な言葉遣いの中に微妙な棘がある。
「久しぶりね。1年振り・・・かしら」
 シルビアはローズに歩み寄る。

 ローズとシルビアは1年前まで、ヴァルキリーのアメリカ総司令部で共に働いていた。当時はシルビアは北米司令官で、ローズは彼女直属の副官だった。

「ご昇進おめでとう。素晴らしい活躍だったそうね」
「・・・・・・ありがとうございます」
「まさか私の副官だった貴方が、いつの間にか私を追い抜いて総司令になるとはね・・・。あの頃は想像もしてなかったわ」

 ネメシスを撃退した功労として、ローズは2段階の昇進を命ぜられ、一気に世界のヴァルキリー司令部を統括する総司令官に任ぜられた。つまるところは、元の上役であるシルビアを追い抜き、彼女の上司になったことになる。

「今日は、どういったご用件ですか?」
「あら、そんな丁寧語使わなくていいのよ。貴方の方がいまや階級が上なんだから」
 だとすればむしろシルビアが丁寧語を使うのが筋だろうが、彼女にはそんな気は微塵も無いようだ。
 シルビアはわざとらしく周囲を見渡すと、ローズの耳元で囁く。
「・・・そうね、ここは人通りがあるから、別の場所に行きましょう。それが未来のある総司令殿のためでもあるわ」
 ローズは訝しげな表情を浮かべつつも、無言でうなずく他は無かった。





 ビルの隅にある会議室。完全防音のこの部屋はよほどのことでなければ使われない。
「どうぞ」
 シルビアに促されるまま、ローズは入室する。部屋には明かりがついていない。

 1歩、そして2歩。進んだ刹那。

「・・・・・・!」

 ローズは部屋の一角に向かって身構える。そこには只の闇しか見えない。

「フィロメア、この人はお客さんよ。・・・今は、ね」

 シルビアが笑うように言うと部屋の明かりをつける。

 ローズが身構えたその方向には、一人の少女が立っていた。
 シルビアとは対照的に白銀の髪の毛に赤いリボン。質の良い生地で仕立てられた落ち着いたデザインの黒いワンピースで身を包んでいる。年や背格好はカーネリアやルピアと大差ないが、その服装のせいか、やや幼い雰囲気を醸し出している。
 しかし、決定的な違いはそんなところにはない。なにより、カーネリアやルピアの見せる豊かな表情が、彼女からは欠落している。それが彼女の存在を不思議と現実感の無いものにしていた。
 特殊な形状のナイフを今にも投げんとしていた彼女は、シルビアの声を受けてその構えを解き、無表情のままナイフを自分の長いスカートの中に仕込まれている鞘に戻す。

「・・・随分とご挨拶ですね。最近の米国司令部では挨拶の仕方が変わったんでしょうか」
「ちょっとしたジョークよ。それにしてもローズ。少し勘が鈍ってるんじゃないかしら。昔だったらこの部屋に入った瞬間に気づいたと思うんだけど」
「・・・ご助言、いたみいります」
 シルビアをじろっと睨みながらローズは席に座る。
「せっかく久しぶりに会ったんだから、お茶でも飲みましょう・・・つもる話もあることだし、ね?」

 シルビアが笑いながら席に着くと、フィロメアと呼ばれた少女は、シルビアの脇に侍女のように控え、二人に紅茶を淹れる。
 
 ローズはそんなフィロメアをちらりと見て、何気なく質問する。
「前とは別の子ね。あの子はどうしたの?」
 フィロメアが淹れた紅茶を飲みながら、何のことはないようにシルビアは答える。
「ああ、壊れたからこの子に代えたわ」

 カップを持ったローズの手が一瞬止まる。シルビアはその様子を見ながらさも嬉しそうに、

「なかなか使い手のある子だから、前の子よりはずっと持ちそうね。体術、魔力、忠誠心・・・どれをとっても素晴らしいわ。・・・余計な迷いがない分、邪念に惑わされがちだった昔のあなたより強いかもしれない」
 シルビアはフィロメアに視線を向ける。その視線は、マイスターが自分が作り上げた一級の工芸品を見つめるような恍惚感に溢れている。

「・・・・・・・・・相変わらず、『人形造り』をしているわけですか」
 ローズは無表情を装いつつも、シルビアの言葉から催される本能的な嫌悪感が知らず知らずと言葉を堅いものにする。
 そんなローズをからかう様に、シルビアは微笑みながら、
「随分ひどい言い方ね。神と神を信じる全ての善良な人々のために全てを捧げる・・・その崇高な使命に彼女たちは目覚めただけよ。むしろ、何も知らない女学生を騙して戦場に送り出してる教師と比べたら、ずっと真っ当だと思うけれど」
 シルビアは押し黙ったまま紅茶に口をつけるローズを見ながらくすくす笑う。
「・・・相変わらずね、ローズ、貴方は。怒るとすぐ黙る癖、直ってないわね」
「・・・これから学校に行かなくてはいけないので、手短にお願いできませんか?」

 余計な会話はしたくない、と言わんばかりのローズに、シルビアは一枚の紙を渡す。さっき長官に見せたのと同じ紙だ。ローズはざっと目を走らせ、怪訝な表情を浮かべる。

「・・・監察?」
「そう、あなたには疑義がかけられているわ」
「・・・何のでしょうか」
「内通よ、ネメシスとの」
 モデル並に長い脚をシルビアは組みかえる。

 さりげない言葉の爆弾だったが、ローズは、少なくとも表面上は、ポーカーフェイスを貫くことに成功した。

「・・・・・・・・・何のことかわかりません」
「・・・貴方が提出した、戦闘レポート、読ませてもらったわ」
 シルビアはクリアファイルから「Confidential」と赤インクで判を押されたコピーの束を机に取り出す。


 −−シルビアが言うには、こういうことだ。

 このレポートでは、ネメシスに対してヴァルキリー日本総司令部の部隊3名が内部に侵入し、ネメシスの首魁である『ベリル』を暗殺した。それを受けた何名かのネメシスの敗残部隊は抵抗することもなく、地球外に脱出した、ことになっている。

 しかし、それには何点かの矛盾がある、というのだ。

「残念ながら、あの戦闘の間、戦闘地域には結界が張られていて内部で何が起きていたかは不完全な情報しか得られていない。けれど、いくつか分かっていることがあるわ」

 強力なエネルギー体が1体、上空に存在していたこと。そのエネルギー体を取り巻くように最低3方向から断続的にエネルギー攻撃が加えられていたこと。戦闘中に地底からネメシスの宇宙船と思しき質量とエネルギーを保持する物体が空中に突如現れたこと。

 そしてもう一つ、当該戦闘地域から超高速の物体がほぼ同時に6方向へ射出され、うち4つは1時間後に戦闘地域に戻り、その直後、強力なエネルギー体は急速にそのエネルギーを喪い、消失したこと。

「前の三つは別にあなたのレポートと矛盾しないわ、ただ、最後の一つは、あなたのレポートに全く記述がないのよね」
「・・・・・・」
「貴方たちには、それほどの速度で射出できる武器は無いし、そんな術も持ち合わせていないはず。だから、ネメシス側の武器なんでしょうけど、それを使って、ネメシスの首魁が打ち倒されるのも不自然な話よね」

「・・・私自身、当事者として戦っていましたので、必ずしも事態を全て把握できていたわけではありませんから」

 空いたシルビアのティーカップにフィロメアは紅茶を注ぐと、シルビアは喉を潤す。

「もう一つ。この戦闘がある前に、貴方たち3人はヴァルキリー本部と一切音信不通になってる。この空白の時間については『ネメシスへの潜入を試み、成功した』としかレポートには書いていないわね」
「・・・それ以上、書くべきことも、書く必要もありませんから」
「あのネメシスの本部に、たった3人で、しかも事前に本部への連絡もなく潜入するなんて、成功したからいいようなものの、失敗したら懲戒ものだったはず。いつもの手堅いあなたが、そんな規律違反スレスレのことをするなんて解せないのよね・・・。本当に、潜入調査だったのかしら?」

「・・・・・・・」

 3杯目を注ごうとするフィロメアを、シルビアはジェスチャーで制する。フィロメアは軽く一礼すると、そのまままた人形のように静かに不動の姿勢を取る。

「何より」

 シルビアが沈黙するローズに薄く笑いかける。

「・・・『白い魔女』と呼ばれた貴方が、みすみすネメシスの残党を見逃すわけがない。私が知ってる頃の貴方なら、残党全員を捕らえるか、殺しているはず。ちょっと見ない間に随分優しくなったものね。ローズ」

「・・・・・・」

「・・・それとも、殺せなかった理由があるのかしらね・・・」

 白い両手を組んで形の良い顎を乗せ、シルビアは意地悪そうな視線をローズに向ける。
 普通の人間なら、その全てを見透かすような視線にこらえられず、思わず余計なことをしゃべってしまうところだったが、ローズは動じなかった。

「・・・それは、何かの根拠を以っての、監察官としてのご質問でしょうか」
「あらあら、今日はあくまでお茶会よ。だから個人的な興味として」
「・・・であれば、憶測からの質問にお答えする義務はございません」

 シルビアは、ブロンドの髪をさらっと掻き揚げ、

「今日はこんなところね。また日を変えてお話したいわ。総司令殿」
 長い脚を組みなおし、シルビアは微笑んだ。





    
■(3)■






 がらららら。
 立てつけの悪い職員室の引戸が力一杯引っ張られて、レールと扉が悲鳴をあげた。
「あ、清水先生、今日は遅出なん・・・です・・・ね・・・・・・・」
「・・・・・・・」
 声をかけた若手の男性教師は、大股でずんずん突き進み自分の椅子に座り込んだ彼女のその不機嫌オーラに気圧され、慌ててパソコンでの自分の作業に戻る。

 もちろん、由佳はそんな男性教師の泡を食った様子など気づきもしない。



 ・・・最悪のタイミングだわ。
 


 碧からシモンが家に居ついているという報告を受け数日が経過している。碧の報告によれば、シモンが碧の母親を洗脳し、致死性の細菌に感染させているらしい。彼女の協力もあって、何度かの失敗の末ようやく特効薬が完成し、明日にでもシモンを倒しにいこうかという矢先に・・・。



 よりによってシルビアか。



 シルビアは由佳〜ローズのかつての上官であり、戦闘・指揮の師でもある。年齢はローズより一つ上だ。
 
 彼女は、自分の手駒として洗脳した少女を使うことを旨としていた。フィロメア、と呼ばれていたあの少女も、その一人だろう。あの殺気の消し方といい、ナイフの構えといい、シルビアがローズと同等かそれ以上の実力、といったのも、決して大げさな評価ではあるまい。
 

 −−ネメシスの用いる特殊な攻撃と物理障壁に対しては通常の火力や兵器が通じない。特殊な術式−−人によっては魔法とよび、人にっては霊術とも超能力とも呼ぶ−−を用いる必要があり、その使い手となるには特殊な素養が必要だった。
 今のところ、若い女性にしかその能力が発現しないため、必然的にうら若き女性のみでネメシスに対抗する特殊部隊は構成されることとなった。いつしか、その女性隊員は、北欧神話の神に仕えた戦乙女に倣い、ヴァルキリーと呼ばれることとなった。

ただ、ヴァルキリーとしての素質があっても、多くの少女は訓練に耐えられず、あるいはネメシスとの戦闘にあたってその恐怖から実力を発揮することができないことが多く、ネメシスとの戦いは苦難を極めた。

 当時ヴァルキリー部隊の一員にすぎなかったシルビアは、素質のある少女を見繕っては密かに洗脳を施して訓練し、死を恐れずただ神に−−実態はシルビアに−−命を捧げる奉ことを喜びとする少女たちを戦地に送り、戦果を挙げてきた。そうしたやりかたにヴァルキリー上層部の中でも異議を唱える声もあったが、彼女の挙げる目覚しい戦果にその声もかき消され、瞬く間に彼女は司令官の座にまで上り詰めた。だがローズはただ一人、シルビアのやり方を常に批判していた。

 もともと、ローズが単身で日本司令部に回されたのも、シルビアの画策であった。彼女は自分の副官で頭角を現しつつあり、ことにつけ自分のやりかたに異を唱える彼女を次第に疎み、単身でニホンに派遣してネメシスの本拠を殲滅することを命じたのだ。もちろん、その失敗を理由に彼女を失脚させるのがシルビアの計画でだった。

 日本で司令部を立ち上げるにあたっても、洗脳して忠誠心を植え付け、恐怖を知らない神の使徒を手駒とするべきだと主張するシルビアの意見を容れず、敢えて碧と朱美という普通の少女を抜擢し、ネメシスへの戦いに挑んだ。結果としてローズはネメシス殲滅の功を得て、シルビアを差し置いて最高位に達したわけで、それがシルビアのプライドをどれだけ傷つけたのかは想像に難くない。

 ・・・しかし、まさかこんな策を打ってくるとは・・・。

 ローズは爪を噛んだ。



 別に自分はヴァルキリーの総司令官だなんて地位はどうでもよい。正直今すぐにでもヴァルキリーなど辞めたいくらいだ。
 だが、仮にネメシスに自分たちが洗脳されていたことが発覚すれば、おそらくシルビアは自分たちがネメシスの手下になっている可能性があることを理由として、自分たち3人を再洗脳することを主張するだろう。それがどういったことになるか・・・今日出会ったフィロメアという少女を見れば明らかだ。
 それに、碧、朱美がシモンに蹂躙されたことまでが明らかになってしまう。自分はともかく、自分に付き従った少女を、衆目の好奇の視線に晒すわけにはいかなかった。



 ・・・・・・なんにせよ、まずはシモンをなんとかしなくてはいけない。
 今ここでシモンがのうのうと生きながらえて、しかも碧の家に居座っていることがシルビアに露見すれば、それだけでアウトだ。


 碧には明後日シモンを倒すといったが、もう待ってられない。今日今すぐにでも・・・。


 放課後、学校を出た由佳〜ローズが意を決して碧の家の方角に向かってしばらく歩みを進めていたが、人気の無い公園の前で立ち止まり、あたりを見渡す。
 夕暮れ時の公園には子供も誰も居ない。ただ、時折吹く風にざわざわと木が揺れ、ブランコが軋む音を立てながら力なくぶらさがる。そんな公園に足を踏み入れるローズを威嚇するかのように、カラスが逃げ惑いながらも、がぁ、がぁ、と喚く。
 
 不気味なくらい長い影が、ローズの足元から伸びる。
「・・・いるんでしょう。わかってるわ。出てきたらどう?」

 ローズの呼びかけに30秒ほど間を置いた後、

「ご無礼、お許しを。ローズ総司令」
 丁寧な、それでいて無機質な声とともに、黒い服を着た少女が音もなく現れる。白い肌と銀色の髪の毛が朱い夕陽に染め、陰翳を深いものとしている。

 それはシルビアに影のようにつき従っていた少女、フィロメアだった。

「何かご用かしら。人の跡をつけてくるだなんて、どこの国でもマナーとしてはよくないことよ?」

 年下の女の子をたしなめるかのような口ぶりではあるものの、由佳の声音は少し堅い。
「・・・いえ、偶然です。たまたま通りかかっただけです。総司令」

 もう少しもっともらしい嘘をつけばよいものだが、ここらへんの機転の利かなさは洗脳された人間に特有のものなのか、それともこのフィロメアという少女の奥底に流れる気質なのかは、判断しかねるところだった。

「なんならご主人様のところに連れて行ってあげるわよ。フィロメア」
「ご心配には及びません。シルビア様の居場所は常に把握しておりますから」
「さすが、あの人のお気に入りなだけはあるわね。優秀だわ」
「恐れ入ります」

 ローズの皮肉を全く意に介せず−−というよりは皮肉という概念を理解していないのかもしれないが−−フィロメアはペコリと頭を下げた後、

「総司令はどちらにいかれるご予定ですか。こちらは総司令の邸宅の方向とは異なるようにお見受けしますが」
「−−ニホンにはミチクサという習慣があってね、たまには帰り道を変えてリフレッシュするものなの。もう帰るわ」
「・・・そうでしたか。申し訳ありません。この土地の習慣に不慣れなもので。・・・それでは、お気をつけて」

 フィロメアは深々と一礼をして、去っていった。

「・・・ここまで冗談が通じないとこっちが馬鹿みたいね・・・」
 一人公園に残された由佳はつまらなさそうに呟く。

 フィロメアの気配は今は無い。だが、彼女は気配をほぼ完全に消しつくすことができる。ここまで彼女に跡をつけられた以上、今から碧の家の行ったら全てが露見しかねない。
 やむをえない。今は碧を信じるしかない。
 苦々しげに舌打ちをすると、ローズは自宅に戻ることにした。
 
 

 無論、その判断が彼女の運命の決定的な岐路になることを、彼女が知る由もない。





 
■(4)■






「・・・いなくなった?」
「・・・はい」
 次の日の放課後、碧の報告に由佳は彼女らしくない驚きの声をあげた。

 無論、部屋はいつもの遮音室。シルビアとフィロメアにマークされていることが確実な以上、機密は絶対に守らなくてはならなかった。

 碧が言うには、朝起きたら、書置き一つを残してシモンが消えたのだということだった。
「・・・これです」
 碧が差し出した紙切れには、マジックで大きく、さがさないでくれ、という趣旨のことが書かれていた。

 微妙な頭痛を感じて思わず由佳は眉間を押さえる。

「・・・それでお母さんは?」
「・・・はい。前の薬のおかげで、もう発作は起こりません・・・」
「そう。とりあえずそっちは解決したということね・・・」

 懸念だったのは洗脳され、致死性の細菌を感染させられていた碧の母親だった。それが解決したことはともかくありがたい。
 だが、シモンが逃げられたのは痛い。あの男が目の届かないところで、仮に洗脳を始めてその人質を盾にしてきたとしたら・・・。
 昨日の間に奴の首根っこを押さえつけておくんだった。由佳はほぞを噛んだ。

「・・・先生・・・すみません」
 申し訳なさそうに頭を下げる碧。憔悴しきっているのか、目の下に少しだけクマができている。おそらくここ数日、ろくに眠ることもできなかったのだろう。

 ・・・なんにせよ、碧が抗洗脳薬を飲んでいたことは幸いだった。彼女が洗脳されていないことはありがたい。
 その不幸中の幸いに由佳は感謝した。

「いいの、碧。あなたは悪くないんだから。それより、ちゃんと寝なさい。目の下、クマができてるわよ」
「え、え、え、あ、その、あの、すみません!」
 碧は突然顔を真っ赤にして、あわてふためく。
「・・・??いいわよ、謝らなくても・・・今日はもう帰りなさい」
 予想外の碧の動揺に驚きながらも、由佳はねぎらいの言葉をかけた。


 いつもの由佳なら、碧の様子がおかしいことに気が回ったのかもしれない。
 しかし、シルビアとシモンへの対策で頭が一杯の由佳は、そんな碧に気を回す余裕がなかった。





続く



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