エピローグ 〜ルピア(4)
■(23日目・夜)■
夜。シモンは碧の家をのしのしと歩き回っていた。
「・・・碧?みどり〜。居ないのか?」
部屋という部屋を探しても、碧が見つからない。
「・・・どうかなさいましたか?シモンさん」
碧の母親、悠子がシモンに尋ねる。会社から帰ってきたばかりなのか、グレーのスーツ姿だ。黒いストッキングがタイトスカートから伸びている。
彼女は今でも催眠術に掛かっており、シモンがこんな夜遅くに自分の家に居ることに何の疑問も抱いていない。
「・・・碧さん、帰ってきてないんですかね」
「いえ、鞄がありますから、一度は戻ってきているはずですけど・・・」
悠子も首をかしげる。
「・・・ああ、そういえば・・・」
確かにリビングルームには鞄があった。
「そういえば、悠子さん」
「何でしょうか」
「この指先を見てもらえますか?」
「え・・・?」
シモンがすっと突き出した指に悠子の視点が固定される。
「・・・私が指を鳴らすと、貴方の意識は掻き消えます。ですが貴方は立ったままでいることができます・・・ただ私の声だけが聞こえる・・・そういう状態になります・・・」
「え・・・あ・・・」
悠子はシモンの囁くような声を聞いているだけで、もう目が虚ろになってきている。
「いち、にぃの、さん!」
パチン。とシモンが指を鳴らすと、悠子の瞳から輝きが消え、その場に蝋人形のように立ち尽くす。
「・・・ちょっと失礼」
シモンは悠子のスーツの上着を脱がせ、ブラウスのボタンを外し、彼女の白い肌を外気に晒す。豊満な胸がブラジャーを押し上げ、それがシモンの眼前に突き出される。
シモンは一瞬それを掴もうかどうか逡巡し、辛うじて堪える。
「・・・・・・目の毒だなこれは・・・」
シモンはそれを紛らわすかのように、彼女の皮膚をゆっくりと撫で回す。それは愛撫ではなく、医者としての触診に近い。
白く輝く彼女の皮膚の上に、注意深く診ないと分からないくらいにうっすらと残る痕をシモンは撫でる。
「・・・悠子さん、ここは痛くありませんか?」
「・・・いいえ」
「よろしい」
シモンはその後、彼女の背中を撫で回す。
そこには小指の先ほどのサイズのシールのようなものが張ってある。シモンはそれを剥がし、色を確認する。
「・・・陰性か。もう問題ないということだな」
シモンは彼女に服を元に戻すように指示すると、リビングルームのソファに座り込んだ。
「これでいよいよこの家にも全く用が無くなったか・・・」
シモンがぼんやりと呟くと、ふと、視界に碧の鞄が目に入る。
「あれ・・・?」
鞄の横にあるポケットに、白い封筒が入っている。
「あんなのあったっけか・・・」
シモンはその封筒を取り出し、中の便箋を開いた。
その日の深夜。碧が通う学校の校庭。
何本が立っている外灯から申し訳程度の弱々しい光を放たれてはいるものの、昼間は授業やら何やらで何かと騒がしいその校庭は、今は薄暗い闇に包まれている。もちろん人はおろか、猫一匹いない。
そんな校庭に、ブロック塀をよじ登って侵入する男が一人。
「ったく、なんでこんなところにこんな時間に呼び出すかね」
ぶつぶつと文句をいいつつ、シモンは校庭のど真ん中に歩いてくる。
「学校か・・・」
何度か来たことはあるが、こんな時間に来たのは初めてだ。
校舎に掲げられた時計は、既に12時を回っている。
「・・・来たんですね」
シモンが声のする方を振り向くと、校庭の片隅に、いつの間にか碧が立っていた。
「そりゃ、女性からの呼び出しにはきちんとお答えしないとな」
シモンは碧を見つめながら答える。
「・・・碧・・・いや、ルピアと言うべきか。今日はおめかしだな」
そこに立っているのは、濃緑のヴァルキリーの魔法衣に身を包み、杖を持った碧−−ルピアだった。校庭をわずかに照らす外灯が、魔法の祝福を受けたアクセサリーの数々と、彼女の服に光沢のある糸で刺繍された意匠を煌かせ、凛としたルピアの姿を闇の中から浮かび上がらせる。深く切り込まれたスリットからは、ストッキングに包まれた白い脚が伸びている。
シモンの軽口にルピアはうっすらと笑いを浮かべて答える。
「・・・外でメイド服を着るわけにはいきませんから」
「いや、その服もどうかと思うがな。変な趣味を持ってると思われるぞ」
「・・・これは礼服です」
「結婚式でもあったのか?」
「・・・いえ、これから葬礼があるかもしれませんので、念のため、です」
「・・・・・・・そりゃ物騒だな」
シモンはしばらくぶりに見るルピアの魔法衣姿を、目を細めて見つめる。
二人の間合いは距離にして20メートル程。ルピアの風の魔法ならシモンを攻撃可能なレンジだ。しかし、彼女にはまだ語るべきことがあるのだろう。シモンにゆっくりと近づきながら、語りかけてくる。
「・・・明後日、ローズ司令が家(うち)に来ます」
「へえ、カテイホウモンというやつか?」
「・・・あなたを殺しに来るんです」
「それはご苦労なことですなあ」
緊張感の無い返事をするシモンに、ルピアは冷ややかな視線を送る。
「・・・あなたに勝機があるとでもいうんですか?」
ルピアの質問に、シモンは顎を撫でながら問い返す。
「お前の母親が人質になっていることは、ローズも知ってるんだろう?」
「・・・もちろんです」
「・・・ということは、既にウィルスの仕掛けは見切ったわけだな?」
「・・・ええ。貴方の言う言葉を真に受けていた私が馬鹿でした・・・」
シモンの言う「細菌」による発作を抑えていたのはDNAではなく、おそらくはその蛋白質か電解質のうちの何かだったのだろう。シモンの体液の共通した成分を抽出したカプセルを母親、悠子に飲ませたところ、シモンの体液を飲まさずとも発作が起こらなかった。−−そのことを、ルピアはシモンに告げた。
シモンは横を向き、空を見上げる。澄みわたった夜空には、真円に近い月が浮かび、その月に付き従うかのような青白い星々が光を放っている。
「・・・なるほど、俺とキスしたのも、俺にフェラチオをしたのも、唾液と精液を集めるのが目的だったわけだ」
「・・・その通りです。血液は貴方が自分から出してくれましたから」
「そうかぁ、俺はてっきりお前が俺に惚れてくれたとばっかり思ってたのになあ・・・。なんだか切ないねえ・・・」
「・・・自惚れないで下さい。そうでなければ、誰があんたなんかと、自分からするもんですか・・・」
彼女は少し目を伏せて、拳を震わせる。シモンはそんな彼女の姿を見ることなく、頭の後ろに手を組んで、首をぐるぐるとストレッチをするようにのんきに回す。
「あの程度のトリックでは、お前やローズには通じないか。やはり最初に攻略するのはカーネリアにしておくんだったかなあ・・・。いやあ、参った、参った・・・」
シモンはルピアに顔を向けなおす。言っている内容の割にはシモンに焦りは見られない。
更に歩を進めるルピア。残すところ数メートル。
「・・・そして、貴方が使っている洗脳薬・・・。あれも、私たちは抗体を開発済みです。私は既にその抗体を飲んでいるので、洗脳薬は効きません。・・・もっとも、貴方は私には使わなかったみたいですけどね・・・」
シモンは少し感心したように「ほぅ」と声をあげた。
「・・・どうですか。まだ貴方にカードは残ってるんですか?」
「無い」
シモンはあっさり答えた。
ルピアは形の良い眉をひそめる。
「・・・そういわれると却って不信感が募りますが・・・」
「いや、本当にカラテ、対策無し、ゼロアンサーだよ」
シモンはお手上げのジェスチャーをした。
・・・いつもだったら・・・こいつは何かを仕掛けているんだろうけど・・・。
ルピアは、杖を握りなおし、更に問う。
「シモン・・・二つ、貴方に聞きたいことがあります」
「はて、何を?」
「・・・お母さんのお腹に、大きな傷がありました。・・・もうほとんど治ってますが・・・」
「・・・へえ、そんなものがあったんだ」
「・・・あなたが、やったんですか?」
「・・・・・・・・・さてねえ」
はぐらかすシモンをルピアはしばらく睨んでいたが、
「・・・・・・・・・・最後の質問です。・・・あの白衣を着た小さい子・・・ダリアは、今、どうしてるんですか?」
「・・・・・・・・・さぁ、どうしてるんだろう?」
シモンはあくびをしながら、ルピアの問いに答える。
シモンのその言葉を聞いて、ルピアは目を瞑る。
「・・・貴方は・・・結局、何も話してくれないんですね・・・」
「・・・・・・別に特段話すことも無いからなあ・・・」
「・・・・・・・そうですよね・・・私に話す理由なんて、無いですよね・・・」
「・・・いや、別にお前だから話さないというわけではなくてだな、その・・・」
彼の弁解を遮るかのように、ルピアは目を開く。
その目からは冷たい光が放たれている。
それは、普段のルピアの持つ冷ややかさとはまた異質の、硬質で乾いた冷気を孕んでいた
「たとえどんなに身勝手であろうとも、貴方には貴方なりの理由があるのだと思ってました。・・・・・・・・・・でも、それを話してくれないのであれば、私がそれを斟酌する義理はありません」
「・・・まあな」
シモンはルピアの凍れる視線を受け止める。
「今まで、あなたが私とお母さんにしてきたことを、私は許さない」
「・・・・・・当然だな」
ルピアは杖を構えた。魔法の光が杖から滲み出て、辺りがぼんやりとした光に満たされていく。
「・・・おや、こんな住宅地で勝負する気か?お前も自分の正体が人に見られたら困るだろう」
「・・・ご心配なく。この学校の敷地には結界が張ってありますから、音も外に漏れませんし、誰も来ません・・・」
「・・・やれやれ、準備の良いことで・・・」
肩をすくめるジェスチャーをするシモン。危機的状況にいるにもかかわらず、どこか他人事の様にも見えるその振る舞いが、ルピアの杖から滲み出る彼女のオーラを更に冷たいものにしていく。
ルピアの固い声が校庭に響く。
「・・・それでも・・・最後のチャンスを上げましょう。・・・もし、貴方が私に勝つことができたら・・・貴方のことを、見逃してあげます」
「負けたら?」
「・・・貴方を捕まえて、ローズ司令に引き渡します」
「お前、話を聞いてなかったのか?カラテの俺がお前に勝てるはずがない」
ヴゥン!
轟音と共にルピアとシモンの間に砂煙が舞い上がり、二人の視界がゼロになる。シモンの後ろに群生する木々が激しくその枝葉を打ち震わし、まだ青々とした葉を辺りに撒き散らす。
もうもうと舞う砂煙の中、警棒を持って構えるシモンは荒い息をつく。彼の立ち位置から逆Vの字に校庭の土はえぐられ、ちょうどシモンは川の中州に取り残されたような形になる。
ルピアの風の魔法をシモンに叩き付け、シモンはそれを特殊警棒の発する障壁でもって、すんでのところで弾き飛ばしたのだ。
ただでさえ暗い夜の校庭。辺りを舞う土煙はまだまだ収まる様子が無く、視界はゼロに近い。
「・・・危ないじゃないか。もうちょっと構えが遅れてたら死んでたぞ」
「・・・殺すつもりで撃ったんです。・・・本気にならないと、死にますよ」
土煙を震わすシモンの声に、どこからともなく静かなルピアの声が返ってくる。
「・・・ったって、そんなこといきなり言われても・・・」
「風の精霊よ、悪を撃ち抜け!ウィンド・スピア!!」
「ぐ!!」
圧縮空気が音速の槍と化し、シモンの眼前から襲い来る。シモンは腕を一振りして警棒から発する障壁を使って弾き飛ばす。
これくらいでやられるものかとばかりに、シモンが軽く舌打ちすると、それが聞こえたのか聞こえないのか、ルピアの詠唱が続き、
「・・・風の霊王よ、悪を滅せ!ウィンド・ブラスター!!!」
呪言とともに、圧縮空気の刃が数十発、唸りを上げ、土煙を突き破り、束になってシモンに迫る。シモンの警棒はプラズマ光を発し空間を歪め、辛うじてそれを弾き飛ばすが、一発、また一発と風の塊が障壁に衝撃を与えるたびに、警棒を支えるシモンの腕と肩はギリギリと悲鳴を上げる。
「・・・くそ・・・ルピア、貴様・・・あ、あれ?」
最後のカマイタチが虚空に消えた頃に土煙が晴れる。しかし、先刻までシモンの眼前にいたルピアの姿が無い。
まずい。いくら防護障壁で弾き返せるとはいえ、攻撃の方向がわからないと・・・。と焦るシモンに、
「・・・どこを見てるんですか」
「そっちか!」
シモンがその声のする方向を向いた瞬間、シモンの背面に強烈な衝撃が加えられる。防護障壁は一方向にしか効力が無い。彼の身体は弾き飛ばされ、ゴムまりのように校庭の隅にある体育倉庫の外壁に叩きつけられた。
「・・・私の力は風。声を別の方向から飛ばすなんて造作もありません」
地べたに倒れ伏したシモンは、くぐもった唸り声を上げる。まだ生きてはいるらしい。
「・・・まだまだこれからです。・・・私と・・・お母さんが受けた屈辱・・・その身に刻んでください・・・」
ルピアは立ち上がろうとするシモンに向かって静かに進んでいく・・・。
それから10分たっただろうか。
ルピアの魔法を数十発叩き込まれ、空へ飛ばされ、地面に叩きつけられ、身体中をカマイタチの尾に切り刻まれたシモンは、校庭の片隅に生えているプラタナスの根元に倒れ込んでいる。シモンは全く抵抗らしい抵抗をすることもなく、ただルピアの魔法攻撃に蹂躙され続けた。もはや虫の息だ。
翻ってルピアは、汗一つかいていない。元々白い顔は、月と外灯の薄寒い光を受けてか、さらにその白さが際立っている。その抜けるような白い顔には表情は無く、瞳は冷ややかな光を帯びている。
・・・自分を、友を、先生を凌辱し、しかも母を凌辱した男。その男が、碌な抵抗もできず、嬲られ、今ここで倒れている。
ルピアはシモンに近づく。あと数歩というところまで近づくと、ようやく彼のか細い呼吸音が、ひゅぅひゅぅと聞こえてくる。
「・・・シモン・・・聞こえてますか」
しかし、シモンは反応を返さない。
ルピアは杖をシモンの方へと突きつける。
「・・・私が今ここで撃てば、貴方は死にます。私たちを辱めた罰を・・・そして私たち人類を苦しめた罰を、・・・あなたの命で贖うことになります・・・。それでいいですね?」
ルピアは彼の返事を待つ。
一分、・・・二分・・・。
しかしその返事は無い。
「・・・シモン。それで、いいんですか。・・・そんなことで、いいんですか?」
おそらくは、無意識の言葉。その言葉が、ルピアの中の何かを弾けさせた。
「あなたは・・・生き残らなくちゃいけないんじゃないですか?」
彼女は一歩シモンの方に歩み寄る。知らず知らずのうちに、声が高くなる。
「どんなにみっともなくても、どんなに苦しくても・・・生き残らなくちゃいけないんじゃないんですか?」
口調が熱っぽさを帯び、こらえきれなくなったように次から次へと言葉が溢れてくる。
「・・・あの子は遠くの世界に行って、還ってこないのかもしれない」
「だけど・・・あの子はそんなところでも貴方を待ってるんじゃないんですか?」
「貴方が待ってるって・・・信じてるんじゃないんですか?」
「だからこそ・・・還ってこようと・・・頑張ってるんじゃないんですか?」
「もし、還ってきたときに・・・貴方がいなかったら・・・彼女はどうすればいいんですか!」
「貴方から約束したんじゃないんですか?『二人が別れ別れになっても、精一杯努力して生き残ろう』って・・・」
校庭に響くルピアの声。だがシモンは地面に伏したまま動かない。
ルピアはすぅっと息を吸うと、一気に爆発させる。
「こぉの、意気地なしの、根性なしがぁぁぁあああああああああああ!!」
しかしシモンは何の動きも見せない。ぴくりともしない。
ルピアはそんなシモンを暫く見ていたが、やがてあきらめたように溜息をついた。
「貴方は・・・卑怯で卑劣で体力が無くて、その上スケベで、どうしようもない男ですけど・・・、意地だけはあるんだと思ってました。・・・けど・・・私の見る目が、無かったということですね」
彼女は自分を納得させるように呟く。
「・・・・・・じゃあ、終わりにしま・・・」
「ちょっとタンマ!!」
突然発せられた大声に、ゆっくりと杖を構えかけていたルピアの動きが止まる。
まずは両手。バン、と地面に叩きつけられた指が土を掴む。
そして腕。重力に逆らい、体躯を地面から引き剥がす。あたかも、九十九回腕立て伏せをした人間が最後一回を行うかのような緩慢な動き。
ボサボサの前髪の間から見える額には、さっき地面にたたきつけられた衝撃からか紅い血が流れ、それが彼の顔面を覆っている。歯をぎりぎり食いしばって、やっとのこと膝に力を込め、シモンは、ゆっくりと立ち上がる。
彼は暫く仁王立ちのまま荒い息をついていたが、やがてルピアに背を向け、体中に鉛が入っているような鈍重な動きでやっとのことで歩き始める。校庭の隅に備え付けられている洗い場にたどり着くと、蛇口を捻り、水撒き用のホースで顔にべったりとついた血を洗い流す。
そして、ぶるぶると濡れた犬のように髪の毛を振るわせ水を弾き飛ばし、首を軽く捻り、柔軟体操を軽く、そして苦しげに行うと、一言。
「・・・あーさっぱりした」
そんなシモンの様子をじっと見詰めていたルピアは、ぼそっと、
「・・・頭は冷えましたか?」
「おかげさんで」
彼女の皮肉にシモンはしれっと答え、地面の上に転がっている警棒の電池を詰め替え、握りなおす。ブィンと軽く音が鳴り、警棒を中心に場が歪む。障壁が張られたのだろう。
ルピアはそんな彼の行動をじっと観察していたが、
「・・・・・・まだ、闘う気なんですか?」
「当たり前だ」
「・・・勝てると思ってるんですか?」
くしゃん、とシモンはくしゃみを一つして、
「勝つ」
と短く言い切る。
「・・・さっきと言ってることが違うんですが」
「そんな昔のことは忘れた」
シモンは鼻水をずずっと啜りながら言ってのける。
しばし、二人の間に沈黙が流れる。
やがて、ルピアは呆れたように溜息を一つつきながら、
「・・・残念です。折角あきらめだけはよくなったかと思ったのに・・・」
「悪いねえ、めんどくさいことにつき合わせて。でもこれもヴァルキリーの仕事だと思って、あきらめてくれや」
「・・・ええ、仕事ですから仕方ありません」
「嬉しそうだな」
「・・・・・・・・・それは嬉しいですよ。私も無抵抗の生き物を切り刻むのは気が引けますから」
彼女は、再び杖を構え、
「・・・最後まで、せいぜい抵抗して下さい」
「・・・勝つ、と言ったはずだ」
それに応じるかのようにシモンも構える。
煙玉。ナイフ。反動障壁。果ては警棒に仕込んであった隠し荷電子銃。長年の下っ端生活と現場の知恵から生み出される姑息な手段と戦術は、当初は圧倒的な戦力差をなんとかカバーしていたものの、地力の差は如何ともしがたく、次第に追い詰められていく。
やがて闘うこと数十分。おそらくシモンが今まで白兵戦でヴァルキリーと対峙できた最長の時間の果て。
校舎の外壁を背に追い詰められたシモンは、顔中ルピアの攻撃から発せられる鎌鼬で切り傷だらけになり、服もぼろぼろになり、芝生の上に座り込んでいる。警棒も電池が切れたのか、その力を失っている。
「・・・流石にもう限界ですか?」
傷一つない白い顔を向けてルピアがシモンに語りかける。さっきと違うのは、少しだけルピアも汗をかき、魔法衣には多少の傷がついている点。そして、瞳の光が、冷たさ以外の何かを含んでいる点だ。
「・・・まだまだやれるぞ」
といいつつも、シモンは腰が地面にくっついたかのようにその場を動こうともしない。もう体力の限界なんだろう。口の割には顔色は悪い。
「・・・だったら、立ち上がったらどうですか?」
「・・・用がある奴が来るのが礼儀というもんだ」
そのシモンの声を受け、ルピアは彼に少しずつ近づく。
シモンの状況も、さっきと似ている。
が、違うことがある。彼の瞳が炯々と光っていることだ。
ルピアはシモンに厳かに告げる。
「・・・シモン。あなたには二つの選択があります。一つは、私に捕縛され、ヴァルキリーの本部に引き渡されること。この場合、貴方は害獣と同じ扱いなので、殺された後に解剖やら標本やらと素敵な末路がまっています」
「そりゃどうもご親切に」
「・・・そしてもう一つは、この場で私に叩き殺されることです。どちらがお望みですか?」
シモンは少し考える素振りを見せた後、
「・・・まあ捕まっておくか。最後に少しくらいうまい飯を食わせてもらえそうだしな」
そういうとシモンは地面に持っていた警棒をごろっと転がす。
「さぁ、とっとと捕まえてくれや」
シモンは立ち上がると、ぶらりと両腕をルピアに差し出す。
「・・・その右ポケット。ナイフが入ってます。あと左のズボンの袋に煙玉2個。それも出してください」
「・・・・・・よく見てるな・・・」
シモンは言われたとおりナイフと煙玉も地面に転がす。
「じゃあ、おとなしく・・・」
ルピアが更に近づいて、彼の手首に服から取り出した手錠をつけようとしたその瞬間。
「・・・う・・・」
うめき声をあげると、シモンの身体が突然ぐらりとよろけ、彼女にぶつかる。ルピアが彼の身体を受け止めようとした瞬間、彼の手が音も無くルピアの顔へと動き・・・。
ぐっ。
シモンの手首がルピアの手に掴まれる。
シモンの手には、湿った白い布地が握られている。
「・・・やっぱり、・・・最後はそれに頼るんですね・・・」
「・・・・・・・」
「・・・シモン・・・知ってるでしょう。貴方の洗脳薬を無効にする薬を私が飲んでることを」
「知ってる」
「・・・じゃあなんで、その薬を使おうとするんですか?」
「・・・ひょっとしたら、代謝が進んで薬の効果が切れているかもしれない」
「・・・・・・」
「・・・・・・・・・ひょっとしたら、別の薬を間違えて飲んでいるかもしれない」
「・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・もしかして、薬の期限が切れているかもわからない」
「・・・・・・確率は?」
小さい声で尋ねるルピアに、シモンは強い口調で言い返す。
「そんなことは知ったことか!今までだって博打博打の連続だった。今更博打を避けて何になる!」
シモンがぎっとルピアを睨む。瞳からは強い光が放たれ、彼女を射抜く。
ルピアは何も言わない。
シモンは荒く息をつくだけだ。
そうした沈黙が、ほんのわずかの時間、二人の間に流れた後、ルピアが口を開く。
「・・・シモン」
「何だ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あの子を、待っててあげてください」
「・・・・・・?」
ルピアは彼の手をぐいと自分に引き寄せて、その布地を自分の顔に当てる。
すぅ・・・。
大きく二回の深呼吸。
目を丸くしているシモンに、ルピアは微笑んだ後・・・。
彼女の瞳から光が失われ・・・、ルピアはシモンに抱きつくように倒れこんだ。
「お、おい、こら、お前、何、あ、あ?」
突然彼女に抱きつかれる格好になったシモンは狼狽する。
シモンは彼女の身体を自分から引き剥がす。しかし彼女の身体からは力が抜けており、シモンは倒れそうになるルピアを慌てて支える。
彼女の目は閉じられ、シモンが身体を揺すると彼女の首がくらくらと揺れ、長い睫毛が震える。ただ。何か幸せな夢をみているように、口元は軽く微笑んでいるように見える。
「・・・・・・おい、ルピア?」
しかし、シモンの問いかけにルピアは答えない。
「・・・おい、起きろ、ルピア」
シモンがペチペチと彼女の頬を叩くと、ゆっくりと彼女は瞼を開く。
しかしその瞳からは意思の光が消えており、無機質なガラス玉のように、ただシモンの顔を映し出している。
「・・・自分で立つんだ」
シモンに言われるまま、彼女はシモンの身体から緩慢に自分の身体を引き起こし、ふらりと立つ。
シモンは彼女の頬に手をよせ、指を彼女の瞳に突き立て、眼球に当たる寸前で止める。
しかし、彼女の虚ろな瞳は全く反応をせず、虚空を見据えたままだ。
「・・・ルピア、私の声が聞こえるか」
「・・・はい、聞こえます」
「・・・右手を上げてください」
「・・・はい」
ルピアは右手を上げる。
「・・・・・・・スカートをたくし上げてください」
「・・・はい」
ルピアは何の躊躇もなく、シモンに言われるままに濃緑の魔法衣をたくし上げる。ハイニーソックスに包まれた白い太腿とショーツが暗闇の中に浮かび上がる。
「・・・・・・・・・・戻してください」
「・・・はい」
・・・間違いない。彼女は洗脳薬の支配下にある。
「・・・なんだそりゃ・・・」
シモンは思わず頭を抱え込んだ。
<続く>
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