エピローグ 〜ルピア(2)
■(3日目)■
次の日。
私は夜が明けるか明けないかのうちに目を覚ます。
すぐさま自分の身体を、そして布団が乱れてないか、自分の部屋のドアの鍵が開けられてないかを確認する。・・・異常は無い。
・・・メイド服に着替えてから、そうっと廊下に出て、お母さんの寝室のドアを鍵を使って開ける。
お母さんはまだ眠っている。昨日寝かしつかせた状態のままだ。布団も乱れていない。昨夜、お母さんの部屋のドアにもこっそり魔法をかけて、開けたら私は自動的に目が覚めるようにしておいたのだけれど、その反応も昨晩は無かった。
・・・どうやら、お母さんにも私にもシモンは昨晩手を出さなかったらしい。
私は軽く安堵の溜息をつくと、朝食の支度をするために台所へと向かった。
・・・ネメシスの連中が空に還った後、ローズ司令は洗脳薬の成分を分析して、抗洗脳薬を作ることに成功した。これさえ飲んでいれば、とりあえず洗脳されることはない。
ネメシスは消えたが、何時彼らが地球に戻ってくるかわからないので、その薬は私と朱美には念のため渡されている。
残念ながら、既に洗脳されている人間をこれで解除することはできない。あくまで予防的なものだ。だからお母さんに今から飲ませても意味が無い。
・・・まさか本当に使うことになるなんて・・・。
私はシモンがいないことを確認すると薬を飲み込んだ。
学校についてからも私は上の空で、授業も耳から耳へと抜けていく。
・・・何か、隠している。あの男。
やっぱり油断ならない。はやくなんとかしないと・・・。
「・・・どり・・・碧・・・」
「わ!」
「きゃ!」
突然名前を呼ばれて声を出すとそれに呼応して仰天した声が返ってくる。
声の主を見やると、朱美だった。相変わらずぴんぴんしている短い癖っ毛が驚きのせいか逆立っているようだ。
「もー、いきなりなによー、びっくりするじゃない」
普段から大きな目をさらに広げて朱美が抗議する。
「・・・ごめんなさい」
「いや、別にいいんだけどさ・・・。もうお弁当の時間だよ?」
ふとあたりを見渡すと、授業はとっくに終わっており、めいめいが友達と弁当箱を広げたり、コンビニで買ったパンにぱくつきはじめている。
「あ・・・もう授業終わってたんだ・・・」
「んー、もうしっかりしてよ・・・」
朱美は持ってきた弁当を私の机に載せ、椅子を自分の机から持ってくる。どうやら私の机で食べようというらしい。
私もあわててバッグから弁当箱を取り出し広げる。そんな私の様子をじっと見ながら、朱美は心配そうに声をかけてくる。
「・・・碧。何か、心配事ある?」
「・・・ううん、何も」
「・・・・・・碧、自分で思ってるほど嘘うまくないんだよなあ・・・」
朱美は弁当の玉子焼きをつつきながら呟く。
「・・・・・・ごめん、朱美。今はちょっと・・・」
「あ、いいんだ、全然。・・・まあなんかあったら相談してよ」
「・・・うん、ありがとう」
朱美はそれからうってかわったようにいつものバカ話モードに戻った。
こういう気遣いができるのは、朱美の本当にいいところだと思う。
・・・午後の授業中、私は改めて、シモンの来襲と母親が(実質的に)人質に取られていることを先生と朱美に伝えるべきかどうか考え込んだ。
シモンの言っていたことは本当だった。とにかくお母さんにシモンの体液を−−シモン曰くDNAを−−飲ませないと、お母さんは発作を起こす。この発作を治す手段がこちらに無いと、強硬手段に出ることはできない。
ともかく、先生に現状を相談するべきだろうか?
しかし、彼がどのような手段で私の行動を監視しているか、それが全く分からない以上、自分の行動は全て監視されていると思っていたほうがよい。戦闘能力はゼロに近いが、諜報活動と詐術においては高い能力を有している、というのがヴァルキリー本部による彼の能力についての結論だ。シモンがここにいるということは、あの日宇宙に消えた残りの三人もいるはずで、彼らが見張っている可能性も十分に考えられる。
・・・それに、あいつの真意がよくわからない。お母さんを洗脳した以上、不意打ちで私を洗脳することだって全然難しくなかったはずだ。なぜ、私を洗脳する前に、わざわざ姿を現したりしたのだろうか。・・・ひょっとして、ここで私が動くことこそが彼の真の狙いで、私が動くことでまんまとその罠にはまるのではないだろうか・・・。
そう考えると、私の頭はぐるぐると結論の無い迷路に迷い込む。結論を出すには、あまりにも情報が不足している。
お母さんの命が握られている以上・・・確実な情報を得られるか、本当にどうしようもなくなったときまでは、慎重に慎重を期したほうがよい。幸い、私がすぐに洗脳されることはないし、彼も人間に敵対的な行動をする素振りは今のところは無い。
長期戦になる。私はそう腹を括った。
私が家に帰るとシモンは朝とほとんど変わらない姿勢でがちゃがちゃ怪しげなことをやっている。
私は家のカーテンを全部閉めてからメイド服に着替える。もう一々抵抗するのは馬鹿馬鹿しくなった。
沸かしたコーヒーを持っていくと、シモンは端末から目を離すことなく私に話しかける。
「・・・碧」
「・・・コーヒー、お嫌いでしたか」
わざと、メイドらしい言葉遣いで、いやみったらしく言ってやる。しかし、そんな私のささやかな抵抗を感じ取ることも無く、シモンは反問する。
「いや、コーヒーはコーヒーでいいんだが、お前、数学得意?」
シモンの質問があまりに唐突だったので碧は一瞬返答に悩む。
「・・・・・・・人並みには」
「物理は?」
「選択科目で取ってはいます」
「ふむ」
シモンはどこからとも無く厚手の参考書2冊と紙切れを二枚取り出した。
「この参考書、どこ見てもいいからその紙の問題解いてくるように。3時間以内」
「・・・って・・・」
「家事はしなくていいから。それだけやっているように」
シモンはその後問答無用とばかりに再び端末との格闘に没頭する。
「なんなのよ・・・あいつーーーー」
私は声を荒げてベッドの上に参考書を投げ出す。
「・・・問題って・・・」
紙には計算問題が10問。文章題が10問。文章そのものは日本語で書かれているものの、どの問題も見たことがない用語や記号が並んでいる。数学か物理に関係するのだろうが、さっぱり意味がわからない。明らかに高校のレベルを超えている。
ぶつくさいいながらも、机に向かって作業に取り組む。
ちらっと机の上においている鏡を見る。ヘッドドレスを頭につけて、黒のメイド服を着ている自分が机に向かって、物理数学の問題を解いている姿が映っている。
「・・・なんでこんな服着てこんなことしなきゃいけないんですか・・・」
しかし、誰もそれに答えてくれる人はいなかった。
「・・・はい」
3時間後、シモンに紙を手渡す。
「・・・ん・・・」
シモンはサインペンを取り出してキュッキュと赤入れを始める。
一通り、丸付けを終わらせると、シモンは私に紙を返して、
「・・・・・・・25点」
結局20問中5問しか正解していなかったのだ。
・・・当たり前だ。こんな大学レベルの問題、いきなりやれといわれてもできるもんか。私だって、それなりに頭に自信はある。だけど、いくらなんでもこんなの無理だ。
「・・・まだ勉強してない範囲ですから。で、何をさせたかったんですか?私をバカにしたかったんですか?」
私の問いにシモンは直接答えず、あたかも不出来な生徒を叱る教師のような声で、
「・・・2時間後にもう一回テストをする。それで80点いかなかったら、お前の母親には体液を与えない。そのまま死んでもらう」
「な、なんでそんな・・・」
「・・・この紙がさっきの問題の解き方だ。次はパターンを変えて出すが、やらんよりはましだと思って復習しておけ。テストは復習が大事だ」
「・・・・・・なんで、って聞いても、答えてくれないんですよね」
「・・・・・・・・・・・・」
シモンは私の殺人的な視線をそよ風のように受け流し再び端末との格闘に戻った。
バン!!
ドアが壊れるんじゃないかと思うくらいの勢いで私は自分の部屋のドアを閉じた。
「・・・・・・・なんなのあいつ・・・!」
こんなアホなやりとり真っ平だ。後先考えずにあいつを叩きのめしてローズ司令に突き出してやろうか・・・。
私はそんな衝動に駆られつつも、部屋の中を歩き回るうちに、次第に冷静になってくる。
・・・落ち着け。とにかくキれたら終わりだ。
私は改めてシモンから渡された模範解答を見る。
几帳面な字で丁寧に解答方法が書かれている。参考書の対応ページまでご親切に書いてある。
一読すると分かりづらいが、何回か読むと、自分がつっかかっていた部分や誤解していた部分が氷解していく。
「・・・解けるんだったら自分で解けばいいじゃないですか・・・」
私は机に座りなおすと、自分が間違えた問題の解き方を復習し始めた。
2時間後、シモンの手で私のテストは再び採点される。
しゅ、しゅ、しゅ。小気味良く、赤い丸がテスト用紙に書き込まれていく。
「・・・85点か。まぁいいか」
「・・・お褒め頂き・・・ありがとうございます」
私は嫌味を言いながら、軽くあくびをする。ちょっと頭がぼんやりする。・・・無理も無い。もう21時だ。ぶっ続けで5時間も勉強するなんて、試験期間中だってやったことがない。今頭をつついたら数式が零れ落ちてきそうだ。
「今日はもう寝て構わんぞ」
「・・・でもお母さんが・・・」
ちょうどその時、音をたてて玄関のドアが開く。お母さんが帰ってきたのだ。
「ただいま〜」
「ああ、お帰りなさい」
「・・・お帰りなさい」
「あー、シモン君もいたんだ。ちょうど良かった〜」
お母さんは持っていた紙袋から駅前のケーキ屋の箱を取り出す。
「ちょっと遅いけどおやつにしましょう」
・・・考えてみれば、おやつどころか、夕御飯も食べてなかった。私のお腹が唐突に鳴り始める。
私とシモンがちょっと呆気に取られているのをよそに、お母さんはお茶の支度をいそいそと始めた。
お母さんは、シモンが家にいることに何の違和感も感じていない。それが「当たり前」だという暗示をかけられているからだ。そもそも私がメイド服を着ていること自体、気にしていないくらいだから・・・医者に行ったら若年性アルツハイマーとでも診断されかねない。まあお母さんは素ボケだから、実際に私がメイド服を着ていても「最近それが流行なんだ〜」とでも言いそうだが・・・。
ただ、そういった認識以外はまったく何時もどおりのお母さんで・・・今日は昨日のように発作も起きていない。
三人でヨーグルトムースを食べて紅茶を飲む。
と、突然シモンが隣の椅子に座っているお母さんに
「悠子さん、口元にクリームがついてますよ」
「え、そう?」
シモンはそのままお母さんの口元に顔を寄せ、唇の周りについていたムースを舐め取り、ついでに軽くキスをする。
あまりにその仕草が自然だったので、私は目を丸くして凍ってしまった。
「・・・シ・・・シモン君・・・み、碧が見てるのに・・・」
「いいでしょう、別に。彼女も僕と悠子さんのことは良く知ってますよ」
おかあさんは顔を真っ赤にして狼狽しているものの、それはシモンにキスされることそのものではなく、私に見られることに対してだった。
「で、でも・・・うん・・・んんん・・・・んふぅ・・・」
更に抗弁をしようとするお母さんをシモンは掻き抱くと再びキスをする。今度のキスはさっきみたいな軽いキスじゃない・・・シモンの舌がぬめりと唇を割り、お母さんの唇に挿し込まれる。一瞬抵抗するものの、シモンが胸を乱暴に掴むと、力ががくりと抜けて唇が開き、シモンの舌に蹂躙されるがままになる。顔は上気して、鼻に掛かった甘い声が彼女の口から漏れる。お母さんの腕がゆっくりと動き、シモンの頭を抱きしめ、更に深く深くお互いの唇が重なる。睫毛が震え、瞳は潤んでる。お母さんの舌も絶対シモンの口の中をレロレロと舐めまわしてるに決まってる・・・。それは、私が今まで見たことがない−−お父さんとの間でだって見たことがない−−おかあ−−ううん、母親の雌としての姿だった。
「やめ・・・」
私が立ち上がって叫び出そうとした瞬間、シモンは私にちらっと視線を投げかけ、手で制する。やがてお母さんの喉がごくごくと動き始める。十数秒後・・・シモンとお母さんが唇を離すと、唾液のアーチがつつっと二人の間にかかり、床に零れ落ちた。
虚ろな瞳をして荒い息をついているお母さんに対して、
「悠子さん、今日はここまでです。・・・おやすみなさい」
シモンがお母さんの目に手のひらを当てると、お母さんの体から力は抜け落ち、シモンに体重をすっかり預ける形になる。
「これで今日の分は終わり、というわけだ。・・・どうした、碧。顔が真っ赤だぞ。お前もしてもらいたいのか?」
「誰がそんなこと言うもんですか!!」
「そうか。まあ昨日はお前に面倒かけさせたからな。今日は俺がじきじきに飲ませてやった。・・・どうする?明日から、またお前が飲ませるか?」
「・・・冗談はあなたの存在だけにしてください。大体、唾飲ませるだけだったらキスしなくてもコップにでも吐き出して水で薄めて飲ませればいいじゃないですか!!」
シモンはとぼけたように顎を撫でて、
「うーん、しかし、家にも出られずずっと作業してばかりで、これくらいしか楽しみが無いんだから、まあ、認めてくれや。それに悠子さんだって結構まんざらじゃ・・・」
「なれなれしく名前で呼ばないで下さい!大体貴方がそうやってお母さんを洗脳したからでしょうが!」
「まあ落ち着けよ、あまり大きな声を出すと近所迷惑だ」
肩で息をする私に対してシモンは相変わらずしれっとした顔をして、いけしゃあしゃあと言葉を続ける。
「ふぅん。・・・でもお前、今目の前で見ているのしんどそうだったなあ・・・。何なら、お前が見ていないところで・・・」
私はダイニングテーブルをバンと叩く。
「・・・・・・私が、見てる前で、して、ください・・・」
・・・陰でされたら、何をされるかわかったもんじゃない。
「口の利き方が乱暴だが、まあいいだろう。では明日からご要望にお答えすることしよう」
シモンは立ち上がると、また自分が寝るべきソファーに向かっていく。
「あ、そうそう、一つ。俺はお前の身体にも、お前の母親の身体にも、特段の興味は無い。だから別に、鍵なんか掛けて警戒しなくてもいいぞ」
「・・・・・・」
「・・・といっても信用はないだろうがな。そこは任せるさ。それじゃあ、おやすみ」
シモンは言いたいことだけ一方的にしゃべりたおすと、そのまま彼の寝床と化したソファのあるリビングルームに消えた。
■(4日目)■
次の日、学校から帰ってくると、シモンは小さい端末と参考書、紙の束を私に渡した。
「計算を手伝ってもらう」
そういうと、シモンはいくつか手短に説明した。要するに、自分が行っているシミュレーションの手伝いをしろ、というのだ。
「・・・まさか、核爆弾のシミュレーションなんかじゃないでしょうね・・・」
「そんなことするわけないだろ。人畜無害なシミュレーションだ」
シモンは自信満々に答えるが、この男が自信満々なときほど疑わしいものは無い。
「・・・いいですよ。どうせ私には拒否権、無いんでしょうから・・・」
「よくわかってるじゃないか。それくらい素直だとこっちも助かる」
私とシモンはリビングルームでテーブルを挟んで向かい合わせになり、それぞれの端末を使ってシミュレーションを開始する。彼が言うには、計算範囲があまりにも広いので、手分けするほうが効率が良く、しかもこの端末ではカバーできない手計算をしなくてはならない部分があるのだという。
なるほど、その計算というのは、確かに昨日シモンの問題に出てきたものと良く似ている。基本的には数字が違うだけだといってもよい。
私は渡された手順書の通りに、計算を始めた。
・・・私がごりごりと計算をしていると、コーヒーの香りが漂ってくる。
「淹れておいたから、適当に飲め」
ふと見ると、わたしのカップにコーヒーが注がれて、テーブルの上に置かれている。
「・・・・・・どうも、ありがとうございます」
カップを口元まで持っていって、一瞬たじろぐ。
何か入れられてるんじゃないか・・・。
でも、抗洗脳薬も飲んでいるわけだし、あまり不服従の姿勢を見せるのもまずい。
私はごくっと飲み込む。
・・・普通のコーヒーの味だった。
「んん・・・」
しばらくは問題なくすいすいと解けていてが、途中で詰まった。
どこかで計算を間違えたのかな・・・。
私が自分が書いている数式の羅列を改めて点検する。
しかしごちゃごちゃしすぎてどこで間違えたかすらよくわからない。
・・・もう一度やり直しなのか・・・と思っていると横からつつ、っと指が伸びてきて、ある数式を指し示す。
「ここ、プラスとマイナスが逆だ。あとここで積分がおかしくなってる。そこさえ直せばちゃんと最後までいけるはず」
パキン。何時の間にかシモンが私の脇にやってきて、買い置きの煎餅を齧っている。
・・・。あ、本当だ。
そこを直すと、するすると最後まで行って答えがでてくる。
私はそこ出てきた数字と条件を端末に打ち込む。端末からしゅるると音がして、シミュレータが計算をし始める。
「あそこらへんは計算がややこしくてよく間違えるから気をつけとけ。間違った数字を入れるとシミュレーションが全部無駄になるからな」
シモンはコーヒーをぐびっと飲みながら私に話しかける。
「・・・ついでに聞いていい?」
「どうぞ」
私は今までの計算で疑問に思っていた良く分からなかった部分をいろいろと尋ねることにする。
シモンは私の質問に即座に解説をする。
・・・驚くべきことに、彼はこのややこしい計算の全てのプロセスをきちんと理解していた。
「・・・で、ここで確率場を計算するわけだけど、シミュレータにそのままつっこむと計算量が大きくなりすぎる。次数が縮退できるんであれば次元を落としたほうがいいから、その可能性を確認する必要があって・・・」
シモンは視線を落としてペンで一つ一つポイントを書き込んで丁寧に教えてくる。そんなシモンの横顔を私はちらと盗み見る。
・・・前に別れたときより、やせた感じがする。やつれた、というか、憔悴した、というか。・・・まあ隠遁生活を強いられていれば当然なのかもしれない。
「・・・その解が互いに独立だったら別の方式を使ったほうがいい。まあたいていは従属するんだけど、そうでなかった場合には・・・」
・・・普段私に命令したり、会話するときと違って、シモンの声は柔らかい。・・・大体シモンが柔らかい声を出すときって、人を陥れようとか操ろうとするときか・・・あるいは、完全に操られた人間に対して接するときだ。お母さんにしているみたいに・・・。
そういえば、この数日間、どうもシモンはシモンらしくないような気がする。シモンらしい、っていうのは、やたら弱気で臆病で間抜けか。どこかとぼけた益体の無い戯言をしゃべちらかしているか。あるいは何か秘策を練っていて無駄に自信満々か、あとは・・・その、頭撫でたり、キスしたり、抱いたりしてくるときの・・・あの優しい感じか・・・。どれかなんだけど・・・。
でも、ここで出会ってからのシモンは、−−たまには軽口も飛ばすけれども−−もっと・・・なんだろう、何か張り詰めた、とげとげした、せっぱつまった・・・そんな感じだった。
それは、私の知ってるシモンのどの姿にも当てはまらないものだった。
・・・でも、私の質問に答えてくれるシモンは・・・その、優しくしてくれた時のシモンがちょっと仄見える感じがする・・・。
「・・・お前、話聞いてる?」
突然シモンが顔を上げ、私のほうをじっと見つめる。私の心臓がどきんと鳴る。
「え、あ、はい、聞いてます・・・」
「じゃ、この数式の意味は?」
シモンが指差す。さっきシモンが丁寧に意味を教えてくれた式だ。
「ええと、これは・・・」
私はつっかえつっかえになりながらも、上の空で聞いていたシモンの話をなんとか手繰り寄せて答える。
「まあ、いいだろう。じゃあ、続きをやってくれ」
シモンは私の側から離れると、再び自分の端末に戻って作業を始めた。
私は心を落ち着かせるように、冷めかけたコーヒーを飲みつつ、一言。
「・・・貴方、意外と教え方がうまいんですね・・・びっくりしました・・・」
「・・・・・・俺に教えた奴が上手だったからな」
教えた奴って・・・と聞き返すまえに計算終了を示すビープ音が鳴る。
私は再び手計算モードへと移行したので、その質問の答えは聞きそびれてしまった。
夜。
・・・私はまたお母さんとシモンがまさぐりあうのを見せ付けられている。
・・・そう、彼の行動でよくわからないことが二つある。
一つ、彼は、お母さんは洗脳したんだろうけど・・・私を洗脳しようという素振りが全く無いこと。薬を飲んでいるから私を洗脳することはできないけど、抗洗脳薬を飲んでいる状態ならシモンの使っている洗脳薬の『風味』を感じることができる。だから彼が食べ物や飲み物に混ぜたら分かるはずだ。・・・だけど、彼は今のところ、そうしたことをする気配がない。
そして、もう一つ・・・お母さんにも私にも、「身体には」手を出そうとしないこと。いや、最初に「いい身体だった」と言ったくらいだから、お母さんを一回は抱いたのだろうけど・・・それ以降は、多分抱いていない。
「んふ・・・ん・・・」
キスをしながらくぐもった嬌声を上げる・・・お母さん。
そう、キスはする。胸も服の上から愛撫する。
・・・でもシモンは、それ以上のことは絶対にしようとしない。
・・・こんなところも・・・「彼らしくない」と私が感じる理由だ。贔屓目ではないが、私のお母さんは結構綺麗だ。年齢にしては見た目も若い。・・・身体も・・・まあシモンの言葉を信じれば、多分若い。それを、洗脳した相手を弄ぶのが趣味みたいな男が調教しようとしないのは・・・自分の経験からいっても、あり得ない。
・・・いや、別に彼にしてもらいたいとか、そういうことじゃなくて・・・。
自分の記憶と妄想で頭が一杯になって、思わず血が上る。
・・・多分、また濡れちゃってる・・・。
「おい、終わったぞ」
「・・・え?」
私がびっくりして声をあげると、シモンがお母さんを抱きかかえるようにして私の目の前に来ていた。
「・・・疲れてるだろうからゆっくり寝かせてやれ、じゃあお休み」
すやすやと眠るお母さんを私に預けながら、彼はリビングルームのソファに戻っていった。
私はお母さんを寝室に連れて行くと、パジャマに着替えさせる。
お母さんはシモンとのキスが終わると、よく気絶する。シモンが注入した細菌のせいだろうか。・・・・・・それとも・・・そんなに気持ちが良いんだろうか・・・。
「・・・・・・まあ・・・私に興味が無いんだったら・・・こっちも助かるというものですけど・・・」
下腹の奥の疼きを堪えながら、私はお母さんの唇からこぼれる唾液をティッシュペーパーで拭き取ると、小さい小さい声で呟く。
ふと、着替えさせているときに、お母さんの肌−−腹部から背中にかけて・・・うっすらと肌の色が変わっているのが目に入る。
「・・・これは・・・」
それは目を凝らさないとよくわからないレベルではあったが、何か深い傷を負った痕だった。もう殆ど治っているが、その傷を塞いだ肉が白く艶かしい色味で浮かび上がってくる。最初の日に着替えさせたときは、部屋が暗くて気がつかなかったけれど、明るい部屋で見ると明らかだ。
お母さんがこんな大怪我をしたという話は聞いたことがない。第一、この傷は新しい。
「・・・あの男の仕業・・・?」
すやすやと眠るお母さんの前で、私はしばらく立ち尽くした。
■(5日目)■
私が学校から帰ってくると、シモンは既に作業をしている。私は着替えて早速手伝う。
「・・・12ブロック、確率、2.7かける10のマイナス89乗、標準誤差は10のマイナス93乗のオーダー、です」
シモンはしばしの沈黙の後、
「・・・・・・・・・了解。じゃあ×つけといて」
作業テーブルには少し大きめの紙に8×8のマス目が書かれている。
数字が1から64まで振られ、今は11まで赤で×がつけられている。
要するにこれは作業進行表だ。これが全部×がついたら、それで彼のシミュレーションは終わるらしい。
・・・いや、×がつかないこともあるらしいが・・・その「確率」−−シミュレーションの最後に出てくる数字なのだが−−が10のマイナス3乗・・・つまり0.1%以上なら△をつけるという決まりになっている。50%以上なら○だ。しかし、そんな大きな数字が出たことはない。たいてい10のマイナス100乗レベルで、それと比べればさっきの数字だって随分大きい方だ。
ちなみに、10のマイナス100乗というのは0.0000・・・0001のゼロが100個つく数字のことだ。それくらい、小さい確率。
「・・・シモン、これは何の確率なんですか?」
「・・・・・・ナマコが突然変異して知的生命体になる確率」
「・・・この前は日本語が世界言語になる確率だって言う話でしたけど・・・」
「そうだったっけ、じゃあそういうことにしておけ」
・・・シモンはこの話になるといつもはぐらかす。
・・・でも、彼がこの計算をするときの目つきは真剣で、そんなお遊びじゃないということは明らかだった。
・・・ひょっとしたら人類の将来に関わる計算をしているのかもしれない。地球が爆発する確率とか・・・。
・・・私はなんとかそのとっかかりを掴もうと暇を見ては端末のプログラムソースや彼から借りている参考書を読み漁るのだが・・・正直、厳しい。
・・・やっぱり、・・・ローズ司令・・・清水先生に相談するしか・・・。
もう一つ、彼がはぐらかす質問がある。
「・・・シモン、他の人たちは・・・今どこで何をしてるんですか?」
「・・・他の人って?」
「・・・あの髪の毛二つに分けてる・・・サファイア、でしたか。それとベリル総帥と・・・白衣を着た小さな女の子です」
「・・・昔々あるところに・・・」
「・・・もう結構です」
彼は、3人がどうなったのか、それも言わない。まあ、私に言えばヴァルキリーの特務部隊が急襲する恐れがあるわけで、彼が言わないのも尤もなことだ。
・・・逆に言えば、その3人は、おそらく今襲撃されたら抵抗できない状態にある、ということでもある。何にせよ、何か異常事態が彼らの中でも起きているのだ。そうでもなければ、こんなリスクを犯して私のところに彼が一人いるはずもない。
その情報さえ得ることができれば、今の私と彼の立場は逆転することができる。お互いに人質をとることになるんだから。こんな馬鹿げた監禁劇からも解放される。
・・・私の当座の目的は、その二つの質問の答えを探ることだと考えている。
そしてもう一つ、今日は聞かなくてはいけないことがある。
昨日お母さんの着替えさせたときの傷・・・。
私は作業が一段落してお茶を啜っているシモンを睨む。
「・・・シモン、一つ聞きたいことがあります」
「どうぞ」
「お母さんの身体にあった傷、何?」
私としてはさりげなく爆弾を投げつけたつもりだったが、
「・・・ふぅん、そんなものがあるのか」
シモンはしらばっくれる。
「・・・お母さんの裸を見たんだったら、気がつかないはずは無いです。・・・あなた、まさか変なことしようとした時にお母さんを怪我させたんじゃ・・・!!」
「そんなことはしないぞ」
思わず声が高くなる私に対して、シモンはイライラするくらい冷静に答える。
「・・・人の家に居座るために、人の母親を洗脳したあげく細菌に感染させるような男のいうことなんて、信用できません」
「なら聞くな。時間の無駄だ」
シモンはそれ以上応対をする気がないらしく、湯のみを置くと端末を弄り始めた。
私もそれ以上追及するのはあきらめ、自分の作業に戻った。
夜。
私はまた、お母さんとシモンがキスをしている前で・・・黙ってそれを見ている。
自分で言い出したこととはいえ・・・ひどく不愉快な時間だ。
ぷはぁ・・・。とお母さんは私の前で満足気な吐息をつき、私の方をちらりと見て、少し恥ずかしそうにする。
私はそれを見て・・・いたたまれない気持ちになる。
・・・いたたまれないのに・・・体の奥はじんじんして・・・もう・・・我慢できなくなってくる。
私はお母さんを部屋に連れて行った後、自分の部屋に戻って鍵をかける。
・・・服を脱ぎかけてふと自分の下着に手を這わせる。
すっかり濡れている下着を少しずらして自分のアソコにふれてみる。
くちょ・・・。
「ん・・・」
ぬめりと共に私の人差し指が襞の中に吸い込まれていく。私の中・・・熱くて・・・ぐしょぐしょになってる・・・。
シモンが来てから・・・声があいつに聞こえたりしたら嫌だから一度も自分を慰めてなかったけど・・。
少しだけ、指を曲げてみる。
「あふ・・・」
指先がわたしの中の一番感じやすい部分に当たって、私はそのままベッドに倒れこむ。
「ちょ・・・ちょっとだけ・・・ちょっとだけ・・・だから・・・」
私の胸にもう片方の手が勝手に動いて、メイド服の上着のボタンを外してブラジャーの下に隠れている乳首を摘む。もうすっかり勃ちあがった乳首に触るとそれだけでわたしの頭は滲んだようにぼうっとなる。その間にもう一方の手は、・・・指が一本じゃ足らないから二本目を挿してこんで・・・手の平でクリ○リスの上を刺激するようにこすりあげた瞬間、私の背筋にぞくぞくっとした快感が走る。
「きゃう!!」
思わぬ高い声を出てしまい、私はしばらく息を潜めて、ドアを見つめる。
・・・30秒、1分・・・。
誰も来ない。
私はふぅと息をついて、またゆっくりと両手で自分の身体を慰め始める。
「ん・・・んん・・・」
目を閉じると、さっきのお母さんとシモンのキスが思い浮かぶ・・・。
お母さんが私を見てる・・・。恥らうその表情の中で・・・私を見つめる目・・・それは優越感に浸った目・・・快楽を満足させてもらっている女の表情(かお)・・・。
ずちゅ、ずちゅ、ずちゅ・・・。
私はそれを振り払うかのように自慰に没頭する。
「ん・・・んあぁ・・・」
あんなの・・・あんなの・・・全然大したこと無い・・・。
朦朧とした意識の中で私は何かに憑かれたように体中をまさぐる。
私は・・・もっと・・・してたんだから・・・彼と・・・。もう・・・彼の身体で私が知らないところなんて・・・ないんだから・・・。お母さんの知らないところ・・・全部知ってるんだから・・・。
だから・・・取らないでよ・・・お母さん・・・。
ちゅ・・・ぐちょ・・・ぐちょ・・・。
唇で指を湿らせ、また2本入れる。・・・もう・・・1本じゃ・・・指が足らない・・・。
中途半端にさかった身体は少し触れただけでとスイッチが入ってしまい、あっという間に上り詰めていく。
「ら・・・らめ・・・きこえちゃう・・・」
ベッドカバーを口元に持っていって噛む。そうでもしないと大声で喘いでしまいそうで・・・。
「ん・・・んんん・・・んん・・・ひ・・・ひふぉん・・・ひふぉん・・・」
私はうわ言のように彼の名前を呼ぶ・・・。
最後に思いっきり指を奥にまで突き刺すと同時に乳首を捻りあげる。
「ん・・・んあぁあああああ!!!!」
私の身体がぎゅん・・・と突っ張って、・・・体がふわっと浮いた感じになる。
あ・・・いっちゃった・・・。
私はふやけた指をぬぽっと膣から抜き取って、口元に持っていく。しょっぱいような、不思議な味がする自分の液を舐めて・・・そのまま私は気だるい眠りの中に落ちていった・・・。
■(6日目)■
「おはよう」
「・・・おはようございます」
起きてきたシモンと私はいつもように台所で挨拶をする。
シモンは私をしげしげと眺めて訝しげな表情をする。
「・・・お前、なんでメイド服じゃないんだ?」
私の服は学校の体育で使うジャージだ。
私は顔を真っ赤にして返事をする。
「・・・汚れたんです」
「・・・流しの水でもひっかけたか?」
「・・・・・・そんなところです」
・・・まさか昨日メイド服のままオナニーしてぐしょぐしょになっただなんて言えやしない。
「ふぅん」
シモンは生返事をした後、自分の寝床の荷物をごそごそ漁って、紙箱を取り出した。
「渡し忘れてた。替えのメイド服。一着じゃ足らないと思って用意しておいた」
「・・・・・・どうも、ありがとうございます」
今日は土曜日だから学校は無い。お母さんは買い物に出かけた。午前中から二人だけで作業が始まる。
相変わらず自分の世界に没頭するシモンは、ひたすら端末とにらめっこをしている。私のことなんか気にしてもいない。
でも私は昨日の晩のことがどうも気になって仕方が無い。
・・・昨日・・・私がイっちゃったときの声とか・・・聞こえてたんじゃないかな・・・。
「・・・シモン、あの・・・」
「あ?」
「・・・昨日の晩・・・変な音とか・・・聞こえませんでしたか・・・?」
「変な音?」
「うん・・・」
「さぁ。昨日はすぐに寝たからな。なんだ、地震でもあったのか?」
「・・・ううん、なんでもないです・・・」
「・・・?変な奴」
シモンは再び作業に戻り、私はそれ以上何も聞けなかった。
■(10日目)■
それから何日かが過ぎた。
・・・私とシモンの毎日は相変わらずだ。
朝、3人分の朝食と自分のお弁当を作り、お母さんを送り出した後、自分も学校に行く。
昼間、私は学校に行っている間、シモンは一人でシミュレーション。
私が帰ってからは私がそれを手伝って・・・夕食を、時にはお母さんと一緒に、時にはシモンと二人きりでとって・・・。
そして夜・・・お母さんとシモンがキスをするのを見届けて一日が終わる。
シモンの様子は変わらない。淡々とシミュレーションを進めている。64あった升目ももう半分以上に×がついた。この調子でいけば30日より前にシミュレーションは終わるだろう。
そう。彼は変わらない。
変わっていくのは私のほうだ・・・。
午後、私は帰ってきて、メイド服に着替えて、またリビングルームでシモンと一緒にシミュレーションをする。
カタカタカタ・・・。端末を叩く音だけが部屋に響く。
ごくん。
・・・最近は唾を飲むことすら気を使う。
私の唾の音が、シモンに聞こえてるんじゃないか。
高鳴ってる心音が彼に聞こえてるんじゃないか。
そんなあり得ないことすら、心配になってくる。
私は二人の間の沈黙を切り開くかのように声を出す。できるだけ自然に。自然になるように。
「・・・シモン。ちょっと分からないところがあるんですけど・・・」
「ん?」
シモンは私の声に自分の作業をとめ、隣に来る。
わたしは声がうわずらないように、ちょっと意図的に低い声を出す。
「・・・この方程式なんですけど・・・」
「ん・・・」
私の質問にシモンはじっと耳を傾け、少し考えてから、解説を加えていく。
「・・・要するにこれはだな・・・」
私はそんなシモンの話に相槌を打ちながら、シモンの顔をちらちら盗み見ている・・・。
・・・あれからも相変わらず、シモンとお母さんは毎日儀式のようにキスをする。
それを見るたび、私の胸は苦しくなって・・・なのに私の身体は熱く火照って・・・どうしようもなくなっちゃって・・・もう、私は・・・ベッドの中で激しくオナニーをしなければ眠れなくないような状態が続いている。
・・・最初は、以前洗脳されていた頃にいやらしいことをされた記憶を身体が思い出しているだけだと思ってた。お母さんがシモンにキスされて、気持ちよくなってるのを見て、それを思い出してるだけだと思ってた。
・・・でも、違う。それだけじゃない。
私は・・・シモンにキスされてるお母さんを見て・・・その幸せそうな、快感で蕩けそうな顔を見て・・・ずっと嫉妬してたんだ。
私にかけられた全ての暗示は、あの最後のベリルとの決戦の前に彼自身によって解除された。その後、この家に彼が来てからも、彼は私に洗脳薬は使っていない。もちろん催眠術や怪しげな妖術を使っている気配もない。だから、彼が私の心を操っているわけではない。
だったら・・・この気持ちは・・・。
午後四時半。カーテンを通して柔らかい光が部屋にうっすらと差し込む。フローリング張りのリビングルームには淡いピンク色のカーペットが敷かれ、ソファと質素なテーブルが置かれていて、そこに私とシモンだけが居る。部屋にはコーヒーの香りと端末がたてる起動音。そして私の質問に答えるシモンの声だけが静かに響く。
今、この時間は私とシモンだけの時間。
今、こうやってシモンが間近にいて、私に向かって、私だけに時間を使ってくれてると思うだけで・・・もう他に何にもいらなくなる。
このまま時間が止まってしまえばいいのに。
私がヴァルキリーだとか、彼がネメシスだとか、そういうことは関係なく。
・・・ただそんな感情に溺れたいと思う自分がいる一方、・・・私の中のどこかで別の声がする。
・・・これはいけないことだ。危険だ。これ以上深みにはまるな・・・。
・・・あいつは敵だ。私のお母さんを洗脳して、細菌を注射した男。今まで私達に無慈悲な暴力を加えてきたネメシスの一味。これからも、隙があれば一気に私達を支配しようとしてくるかもしれない。そういう男。
・・・今なら引き返せる・・・まだ間に合う・・・。
・・・その声は、多分正しい。
・・・そんなことは、よくわかってる。
・・・私の心は・・・その忠告の声を聞くたびにどんどん苦しく重くなっていく・・・。
「・・・碧・・・碧・・・」
「は、はい?」
突然シモンの声がした、と思ったら彼の顔が目の前にある。
「碧、顔が赤いぞ。熱でもあるのか」
「え、ち、ちが・・・きゃ!」
私はいきなり眼前に現れたシモンが私の額に手を当てようとするのを避けるために腕を動かす。と、反動でバランスを崩し、そのままシモンの手を巻き込むような形で私は床に倒れこんだ。
「・・・・・・あ」
シモンは私の上に覆いかぶさるようになっている。私は床の上に倒れ、少しスカートと襟ぐりが乱れてるのが自分でも分かる。シモンの腕は私の腕と横腹の間と、私の顔の脇で彼の体重を支えてるが、彼が少し力を緩めれば、そのまま彼は私の身体を抱きしめる形になるだろう。
「ふむ・・・」
私の顔の脇にあったシモンの手が動いて、そっと私の額に寄せられる。
・・・シモンの顔が目の前にある。私の視線はシモンの唇から離せなくなる。
・・・今、キスされたら・・・。
・・・・・・絶対・・・拒否できない・・・。
そんな時、シモンの身体が動いて・・・。
「よっこいしょっと」
「きゃ!」
シモンが私の手をぐいっと引っ張って身体を起こす。
私は元の体勢に戻される。
シモンの手がゆっくりと伸びて、私の太腿に触れる。
・・・私のメイド服のスカートは・・・さっきのドサクサで捲くれ上がって、中のショーツが晒されている。
シモンの指がゆっくりと伸びていく。
・・・止めて・・・濡れてるのが・・・わかっちゃう・・・。
・・・・・・でも、その一方で・・・触られることを期待している自分が居るわけで・・・。
シモンはさっとその手で私のスカートの裾を直すと、
「スカート、捲くれてる。あと熱は無いみたいだな」
シモンはそそくさと自分の端末に戻って、平然と作業を再開する。
・・・私はへたりと座り込んだまま、ただ呆然としていた。
■(11日目)■
・・・もう駄目だ。
このままだと・・・いつか・・・シモンに自分の今の感情を見抜かれる。
そうしたら・・・彼はその私の感情につけこんで、・・・別の方法で操ろうとするかもしれない。
・・・そうしたら・・・もう・・・絶対に戻れなくなる。
私は・・・先生に今の状況を告げる決心をした。
・・・先生なら・・・この状況を何とか打破する方法を思いつくのかもしれない。
・・・もちろん、今の私の気持ちや・・・体の状態は・・・恥ずかしくていえないけど・・・。
私も、ここ数日、寝ていたわけではない。シモンの監視方法を見抜くために、色々調べていた。監視カメラが無いか、他のネメシスの連中が私を見張ってはいないか・・・。
そして、その結論。彼は、私の服か持ち物・・・その何かに無線を発信する盗聴器をしかけている。だから、音声は監視されているので使えない。
ただ、それ以外の無線的な監視は行っていない。ネメシスの連中の監視も、今のところ見当たらないが、言葉を使わず、先生と二人っきりになれて、誰も見ていない場所なら、先生に相談することができる。
「・・・先生、ちょっとよろしいですか?」
「ん?」
放課後、私は清水先生−−ローズ司令に話しかける。
「・・・さっきの授業の内容についての質問なんですけど・・・」
私はそう言いながら、つつっと一枚のメモ用紙を見せる。
【相談したいことがあります。盗聴される可能性があるので筆談でお願いします。】
清水先生はそれをメモをちらっと見た後、
「・・・そう。それじゃ、別の場所に行きましょうか・・・」
先生は私を連れて生徒相談室に行って、ドアの鍵をかける。この部屋はヴァルキリーとしての任務を相談するための特別な部屋で、全ての盗聴や盗撮についての対処が為されている。
しかし、先生は油断せず、一枚のルーズリーフと鉛筆を2本取り出す。盗聴を恐れての筆談だ。そして敢えて部屋の電磁シールドを解除する。突然盗聴電波が遮断されれば、盗聴を見抜いたことがばれてしまう。シモン相手なら、そこまで徹底しなくてはいけない。
「で、どこらへんがわからないわけ?」
「・・・それが・・・」
私と先生との会話、というよりは筆談はそれから30分に及んだ。もちろん、しゃべっている内容は単なる英語の授業の質問で、筆談内容とは全く関係がない。
「・・・わかったかしら?」
「・・・はい、先生、ありがとうございました・・・」
私は帰り道、ずっと赤面し通しだった。
・・・なんだ。
先生に指摘されて、ようやく気がついた。
シモンは「俺のDNAを毎日飲ませないとお前の母親は死ぬ」といったわけだけれど・・・。
【DNAだったらどこかシモンの体液か・・・場合によっては髪の毛からだって複製ができる。だから増殖して錠剤として飲ませれば、別にシモンの存在は必要ではない】
・・・先生の書いたその文を見た瞬間、自分のバカさ加減を呪いたくなってきた。そんなことにも気が回らないなんて、どうかしてた・・・。
夜、シモンとお母さんがキスをしている。
・・・シモンの髪の毛は、彼がシャワーを浴びた後のバスタブから採集した。
これを先生に渡せば・・・全てが終わる。
私は、その髪の毛を入れた袋をポケットに入れ、顔をこわばらせたまま、二人の姿を見つめていた。
■(12日目)■
私は次の日先生に封筒を手渡した。
そこにはシモンの髪の毛が・・・こっそり拾ったものがある。
・・・これを増殖させて薬剤にするまで多少の時間はかかるが、後はそれを待つだけだ。先生が言うには2、3日かかるらしい。
あとは完成を待つだけだ。
私はその日以降、石のように自分の感情を凍らせて、ただ、淡々と作業をこなした。
■(15日目)■
放課後、清水先生がちょいちょいと私に手招きする。
「・・・碧、この小包、後で適当に発送しておいてくれる?」
「・・・はい、わかりました」
「ああ、一応中身チェックしておいてね」
「・・・はい」
先生から渡された小包。そこにはヴァルキリー部隊で使う暗号が小さく書かれている
。
・・・完成したんだ。
私はトイレの個室に閉じこもり、その小包を開く。そこには、緩衝材の中にカプセルが一杯入った瓶が一つ。シモンの髪の毛から抽出したDNA入りのカプセルだ。
これがあれば、シモンをとっとととっ捕まえてぐるぐる巻きにして先生に引き渡すことができる。
お母さんとシモンとのキスを毎日見なくても済む。
毎日メイド服を着る日々からも解放される。
こんな馬鹿げた毎日ともおさらばだ。
そう。・・・もう、終わりなんだ。
私は、胸の小さな痛みを押し殺して、静かに、実行の時を待った。
<続く>
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