洗脳戦隊


 

 
第7話 決戦



 ベルが鳴る。目覚ましのベルが。
 浅い眠りだった。
 ルピアが・・・碧が目を覚ますと、7時。いつもならすっきり目が覚めている時間だ。
 頭がどんよりと重い。
 のろのろと体をベッドから引き剥がす。
 昨日・・・私は・・・ネメシスのシモンと・・・交わってしまった・・・。
 それは拭い去ることの出来ない事実だ。
 彼女は洗面所に向かう。ひどい顔をしている自分が鏡に映る。
 しかし・・・。私はヴァルキリーだ。
 ヴァルキリーの使命を裏切ることはできない。
 シモン・・・。
 彼の名前を思い浮かべるだけで心がうずく。
 身体が火照る。
 あわててルピアは頭に水をかける。
 忘れろ、彼のことは。
 あれは一時の気の迷いだ。
 落ち着いて考えれば・・・私があいつを好きになるはずが無い。
 何か・・・おそらく何かの術を誑かされたのだ。
 そういえば・・・カーネリアは・・・昨晩遅く帰ってきた。彼女はその時の記憶が全く無く・・・全くいつものカーネリアだった。学校で寝ていて、夜になって慌てて帰ってきた・・・それが昨日の彼女の全ての記憶だ。表面上はいつもの明るく正義感の強いカーネリアだったが・・・、油断はできない。彼女にもいろいろ聞いて、あの術の正体を確かめて今後の対策をローズ司令と練らねば・・・。
 そう思った時に、ドアがパーンと開かれる。
「ルピア、いる〜?」
「・・・ノックくらいしてください。カーネリア」
 ルピアが髪の毛をタオルで拭きながら洗面所から姿を現す。
「ごめ〜ん、まあ女同士なんだからいいでしょ」
 カーネリアがドアを後ろ手で閉める。
「朝っぱらからなんですか。まだ学校は早いでしょう」
「そうそう、実は・・・昨日のことで少し気になったことがあって」
「昨日のこと・・・?」
「そう、実は私のかばんの中にこんなものが入ってたの」
 カーネリアがかばんの中からウォークマンのようなものを取り出す。テープレコーダーだろうか。スピーカーと一体型のものだ。
「・・・これは・・・」
 中にはテープが入っている。
「私のじゃないんだけど・・・ルピアに何なのか確かめてもらおうと思って・・・」
「・・・あ、スイッチは・・・」
ここでは入れないで、と制止する間もなくカーネリアはスイッチを入れる。
「・・・・・・おはよう、私の愛しいルピア・・・そして我が忠実な僕カーネリア・・・そのまま・・・凍れ」
 雑音の中に、男の低い声が浮かび上がってきこえる。
 あの声、あの時の・・・シモン・・・。脳髄にひんやりとした氷が流し込まれるような感覚がする。手が・・・足が動かない・・・。
「そう・・・お前たちは俺の人形だ。俺の言うことに従う人形になれ・・・」
 テープレコーダーに手を伸ばしかけた状態のままルピアが凍りつき、彼女の瞳から光が消える。スイッチを入れたカーネリアは、そのままの姿勢で凍り付いている。表情からは全ての意思が抜け、ぼんやりと虚空を見つめて、彼女の主人の言葉を待つ。
 その後、テープは回り続け、シモンの言葉がスピーカーから流れていく。カーネリアとルピアの耳にそのメッセージが延々と流し込まれていく・・・。
 
 ベルが鳴る。目覚ましのベルが。
 よく眠れた。
 ルピアが・・・碧が目を覚ますと、7時20分。少しいつもより遅い。目覚ましを掛け間違えただろうか・・・もっとも時間の余裕はまだある。よく寝たせいか、目覚めもすっきりだ。
 頭は抜けるように軽い。
 ルピアは朝の支度をし始めた。



「シモン、こっちがまだ汚れてるぞ」
「・・・うぅい、たく、人遣いが荒いんだから・・・」
「荒いのは私ではない。サファイア様だ」
「わかっとる・・・」
「あ、そこの蛍光灯も換えてくれ。切れそうだから。あと布団干しと洗濯と・・・」
 シモンは朝からアジトの家事だ。最近主夫ぶりが板についてきた自分が悲しい。ダリアはそれを横で監督している。サファイアからシモンがさぼらないようにことづかっているらしい。
「あのさぁ・・・俺、明日までにローズを倒さないと処刑なんだけど・・・」
「それで?」
 蛍光灯をシモンに渡しながら返事をするダリア。
「いや、今日中に学校でちょっと仕込んでおこうかと思ってて、俺が直々に行かないとちょっとまずいんだけど・・・」
「・・・・・・サファイア様を、お前が説得できるのか?」
「・・・ぬう」
 昨日の『おしおきモード』のサファイアなら問題ないだろう。しかし、昼間はいつもどおりのサファイアでいるように暗示してある。もちろんキーワードを言って強制的に人形状態にもできるが、あのサファイアがシモンの言うことに易々と従うようでは、シモンがサファイアを洗脳したのではないか、という疑念をダリアに抱かせることにもなりかねない。
 もちろん、シモンは自分が昨日サファイアにしたことがダリアに筒抜けであることは知る由も無い。
 ・・・ここは、あの二人に頑張ってもらうしかないか・・・。まあ、多分間違いは無いだろう・・・。シモンはあきらめて大掃除に精を出すことにした。




 ヴァルキリー日本司令部司令官の雷のローズ、という役職はもちろん裏のものであって、学校では英語教師、清水由佳である。ネイティヴ顔負けの発音を誇るが、それは海外での暮らしが長かったからだ。
「はい、今日はこれで終わり。みんな宿題ちゃんとやってきなさいよ」
 生徒たちがお約束の怨嗟の声をあげるが、それを軽く手を振ってあしらい、教室を出る。
 今日は半日なので、授業は昼までだ。
「はぁ〜、今週もくたびれた・・・」
 由佳は応接用の控え室にこっそり滑り込んだ。ここは由佳専用の休憩室兼サボり部屋となっている。柔らかなソファーに身を沈め、来客用の重厚な机に形のいい足を投げ出して、しばし目をつむる。
 ヴァルキリー司令官としての業務は、対ネメシスの戦闘指揮をするだけではなく様々な会議や雑務もこなさなくてはならない。昨日も夜遅くまでその仕事に追われていた。睡眠もろくろく取らない状態で、次の日は何食わぬ顔で教壇に立ち、教師としての授業や雑務をこなす。タフなことで鳴らす由佳とはいえ、さすがに週末ともなると疲れがどっと出てしまう。
 コンコン。
 ドアがノックされる。
「はい?」
 慌てて居ずまいをただし、パンプスを履きなおす。
「清水先生?藤谷と松田です」
 碧の声だ。
「ああ、どうぞ」
「失礼します」「失礼しま〜す」
 碧と朱美が入ってくる。
「どうしたの。二人とも」
「いや、先生がここに入ってくのを見かけたから、またさぼってるんだろうな〜と思って」
 朱美は相変わらずな調子だ。
「あのねぇ。サボっているんじゃなくて、今日は仕事が終わって休憩してるだけ」
「・・・先生、お疲れですか?」
「ん、・・・まあそれほどでもないけどね。今週はちょっと立てこんでたから。・・・あれ?二人ともそのお揃いのイヤリング、どうしたの?」
「へっへー。こないだ二人で買ってきたんだ。どう?」
 碧は淡い緑色の、朱美は深い赤色のイミテーションの入ったイヤリングをしている。
「んー。中々センスあるわね。で、二人して何か用?」
「実はね、碧が最近、ロマ・・・ロマ・・・・・」
「・・・・・・アロマテラピー」
「そうそう、その何とかピーに凝っててね、これがすごく効くの」
「へぇ」
「で、先生最近疲れてるみたいだから碧にやってもらおうかな、と思ってるの。少しリラックスしたほうがいいんじゃないかな〜と思って」
「まぁ・・・、そこまでのものでもないですけど・・・」
 碧がバッグから陶器でできたポットやカラフルな蝋燭、いくつかの小瓶を取り出す。
「ふぅん・・・、碧にそういう趣味があったなんて知らなかったな・・・。まあ朱美がそういう趣味を持ってたらもっと驚くけどね」
「先生、それどういう意味よ」
 朱美がぶ〜っとふくれる。
「アロマテラピーって蝋燭に火をつけるだけじゃないんだ・・・」
「簡単なタイプのはそうですが、本格的にやる場合は、エッセンシャルオイルを温めるんです。ラベンダー、ローズ、ローズマリー、カモミール、ベルガモット、ティートリー・・・、先生、好きな匂いは何ですか?」
「うーん、よくわからないけど、とりあえず、リラックスできるやつお願い」
「じゃあカモミールにしましょうか」
 碧は手際よく、ポットに水を張り、エッセンシャルオイルを垂らす。キャンドルに火をつけて温める。その間に朱美は部屋のブラインドを落す。部屋が薄暗くなり、キャンドルの炎だけが揺れる。
 しばらくすると、カモミールの柔らかい香りが部屋に充満してくる。すぅっと吸うと心地よい。
「なんと言うか、ちょっと高級感漂う趣味よね。こういうの」
「先生、肩揉んであげるよ、凝ってるでしょ」
 朱美がソファーの後ろから由佳に声をかける。
「そうねぇ。あなたたちの心労が私の身体を痛めつけてるからね」
「ひどいこと言うな〜。じゃあこんな感じでどう?」
 朱美が肩をマッサージし始める。肩全体をマッサージしつつ、ツボにいい形で指圧され、非常にきもちがいい。
「お、おぅ、おぅ、いいね。朱美、学校辞めて指圧師になりなよ。力強いし向いてると思うよ」
「先生・・・親父くさい・・・」
「いいじゃないの。私とあなたたちの間で隠すことなんか何も無いんだからさ・・・あぁ、でも本当にいいな・・・なんだかふわぁ〜っとしてくる」
 由佳はすっかりリラックスした表情で目を瞑り、体重をソファーに委ねる。朱美は肩から首筋、頭、二の腕と丹念にマッサージを続ける。
 由佳は今日はダークグレーのスーツにタイトスカート、白系のストッキングだ。ウェスト周りがぴっちりと締められており、それだけに胸と腰周りのボリュームが強調される。それでいて全体的に上品さが保たれているのは、由佳の持つ顔立ちの気品のせいだろうか。しかし、今はすっかり弛緩した表情だ。時折長い睫毛がピクっと動く。
 由佳は小さくあくびをする。頭がじんわりとしてくる。アロマの影響なんだろうか。何かを考えるのがとても億劫だ。ただ、鼻腔をくすぐるカモミールの香りと、身体のいたるところをほぐしていく朱美の指の感触だけが、由佳の五感の全てとなる。
 碧が問い掛ける。
「・・・先生・・・寝ちゃった?」
「・・・ううん・・・起きてるよ・・・」
「じゃあ少し体操をしましょうか・・・。手と手を組んで・・・伸びます・・・・」
 言われるままに由佳が手を組んで伸ばす。
「はい、力を抜いて・・・」
 脱力した腕がソファの上にだらりと垂れさがる。
「今度はその手が自然に上がっていきます。何の力もいれないのに風船がついたみたいに・・・上に・・・上に・・・」
 ピク・・・と由佳の腕が反応したかと思うと、ふらっと浮き上がる。何だろう・・・不思議な感じ・・・。
 エッセンシャルオイルに混ぜられた洗脳薬の成分は、既に由佳の自由意志を奪いつつある。由佳は自分の意思でやっているつもりだが、既に行動支配まで暗示は進んでいる。しかし、それに彼女は気づいていない。
「そう・・・あくまでリラックスしたまま・・・手だけがふわぁっと浮いていきます・・・。腕が浮けば浮くほど先生は気持ちよくなっていきます・・・」
 手首はだらりと下がったまま、腕がどんどん上にひっぱられていく。その間にも朱美はマッサージをしながらゆっくりと由佳の頭を動かす。由佳は為されるがままに朱美に頭の動きをゆだねる。時々まぶたがピクリと動き、そのたびに長い睫毛が震える。ルージュのひかれた唇が艶かしい。普段の授業の時は無論、司令部でも見せることの無い、艶やかな表情だ。同じ女の碧ですらその色香にぞくりとする。
「・・・その手に引っ張られる形で・・・先生は立ち上がります・・・でも身体はリラックスしたままです・・・1、2の3で立ち上がってください・・・1、2の3!」
 碧が手を叩くと、由佳は両腕を上に上げたままふらりと立ち上がる。あたかも操り人形が立ち上がるかのように。
「先生・・・先生はもう何も考えることができません・・・私の言うとおりにしてください・・・。そうするともっとリラックスできます・・・いいですね・・・」
 由佳はこくりとうなずく。
「そうしたら先生、腕を下ろして・・・この指を見てください」
 碧が指を由佳の前に突きつける。由佳は腕を下ろすとゆっくりと目を開き、その指先を凝視する。碧が指を揺らすと、陶然とした瞳が由佳の指を追尾して右へ左へと動く。
「この指は魔法の指です・・・。この指で触られたところは、温かくなって、気持ちよくなって・・・感じてしまいます・・・。先生・・・気持ちよくなりたいですよね・・・」
「・・・はい・・・」
「じゃあ、いくよ・・・先生・・・」
 碧は由佳の顔をゆっくりと撫でまわす。途端に由佳の顔が蕩ける。目は半開きになり体中から力が抜けそうになるのを懸命にこらえているのがわかる。碧はとりつかれたようにその指を彼女の頬、首筋、と伝わして、その豊かな胸に落とす。唇がうっすらと開き、「はぁ・・・」、と熱い溜息が漏れる。由佳のつけている香水の香りが彼女のフェロモンと混じり合い、カモミールと洗脳薬で麻痺しかけた碧の鼻腔を刺激する。
 碧は、いまやシモンの命令としてではなく、本能的に由佳の身体をまさぐる。右手はシャツ越しに乳房を、左手は由佳の長い髪の毛をかきあげる。朱美は膝の裏から抱きかかけるようにしてふくらはぎと太腿をストッキング越しにさする。由佳は切なげに腕を宙に彷徨わせる。もう、自分がどうなっているか、由佳は把握できていない。ただ、甘い快楽だけが彼女の体の芯を満たしている。
 由佳の虚ろな目が碧をとらえる。由佳の腕が柔らかく碧を包む。潤んだ目と目の距離が近づき・・・、碧は思わず唇を合わせる。ルージュが甘い。自分の秘部が潤うのが自分でもわかる。
「・・・碧・・・」
 朱美の声に思わず我に返る碧。
「・・・先生・・・ゆっくりとソファーに座ってください・・・・・・」
 碧は使命に戻り、指示を出す。由佳は言われるままに腰を下ろす。足はだらしなく伸ばされ、勢いでスーツのスカートがまくれあがる。艶かしい太腿を包むストッキングにガーター、その奥の下着が見えている。碧は黙って彼女のスカートの裾を整える。その様子を由佳は感情の無い表情でただぼんやりと見つめている。
「朱美・・・、つけてあげて・・・」
「OK・・・」
「先生・・・私たちからプレゼントをあげるから、少し待っててね・・・」
 朱美は胸のポケットから淡い琥珀色のイミテーションの入った一組のピアスをとり出すと、由佳のピアスと交換する。由佳はそれに何の疑問もさしはさまず、ただなされるがままになっている。朱美と碧は淡々と作業を進める。
「先生・・・この炎を見てください・・・」
 アロマキャンドルを取り出し、由佳の前に突きつける碧。由佳の霞みがかった瞳はその炎のゆらめきをただ鏡のように映し出す。表情は弛緩し、全く感情が無い。
 もう十分だろう。碧と朱美は目配せする。
 碧はPHSを取り出し、ボタンをおす。
「・・・はい・・・準備ができました・・・はい・・・・・・」
 碧は一言二言言葉を交わし、電話を切ると、由佳に向かって話し掛ける。
「今から、先生の耳元から声が聞こえてきます・・・、その声を聞いていると・・・先生はどんどん気持ちよくなってきます・・・。心がゆったりとしてきます・・・。よく耳をすませてください・・・、いいですね・・・」
 由佳はこくり、とうなずく。
 その直後、由佳のしているピアスの片方から声が流れ出す。無線特有の、歪んだノイズ交じりの声だ。
「・・・由佳・・・聴こえるか・・・」
「・・・はい・・・・・・」
「・・・・・・よし・・・よく聴け、由佳・・・。俺はお前のマスターだ・・・。お前の主人だ・・・。わかるか・・・」
「・・・マスター・・・?主人・・・・・・?」
「そうだ・・・お前は俺にこれから支配される・・・、何もかも・・・」
「支配・・・される・・・」
「そうだ・・・。由佳・・・今お前は気持ち良いだろう・・・?」
「・・・はい・・・」
「それは、お前が支配されているからだ・・・。支配されれば、何もかも委ねきれば・・・何も悩まない・・・何も苦しまない・・・」
「支配されれば・・・苦しまない・・・」
「そうだ・・・このピアスから聴こえる声は・・・お前のまだ見ぬご主人様の声だ・・・・・。お前はこの声がきこえると・・・その声のいうとおりに行動する・・・・・・。この声の言う通りにすればするほど・・・お前は気持ちよくなる・・・」
 おかしい、そんなことが・・・、そもそも何でこんな声がピアスから・・・。由佳の心の中から疑問が沸き立つ。しかし、朱美の手が由佳の身体をゆっくりと揺らし始めると、思考がまとまらなくなり、たださざなみのような快楽だけが由佳の心を満たす。
「疑うな・・・疑うと・・・お前は苦しくなる・・・、どんどん身体が重くなる・・・」
 由佳は突然体が押し付けられるような感覚に襲われる。本当は朱美が後ろから体を押さえつけているだけなのだが、由佳は気づかない。
「どうだ・・・。由佳・・・」
「・・・苦しい・・・・・・」
 由佳は苦悶の表情を浮かべる。
「・・・俺の言葉を信じろ・・・そうすれば・・・身体は軽くなり・・・さっきの快楽がまた戻ってくる・・・さあ・・・口に出していってみろ・・・『このピアスから聞こえる声は私のご主人様の声です』・・・さあ」
「・・・この・・・ぴあす・・・から・・・聴こえる・・・声は・・・私の・・・・ごしゅ・・・ご主人様の・・・声です・・・」
 由佳は苦しさから逃れたい一心で言葉を繰り返す。
「『ご主人様の命令は絶対です・・・』・・・」
「ご主人様の・・・命令は・・・絶対です・・・」
「『支配されることは、私の悦びです』・・・」
「・・・支配されることは・・・私のよろこびです・・・」
「そうだ・・・さっきより身体が軽くなってきただろう・・・、もっと繰り返せ・・・そうすればもっと身体は軽くなる・・・」
 虚ろな目のまま、由佳はひたすら言われた言葉を繰り返す。朱美の手から力が抜け、由佳の身体は拘束から解き放たれる。由佳の顔から緊張が抜け、晴れやかになっていく。
「・・・よろしい・・・今のお前が繰り返した誓いはお前の心の奥底に沈む・・・。普段は思い返すことはないが、この声が聞こえると思い起こされる・・・いいな・・・」
「はい・・・」
「よろしい・・・それでは由佳・・・お前は今から深く深く眠る・・・。今のピアスのことや俺の話したことは思い出せなくなる・・・。このピアスはお前が最初からつけていたものだ・・・いいな・・・」
「はい・・・」
 由佳の瞳は閉じ、彼女の肢体はソファーに沈む。
「・・・碧、朱美・・・仕事は終わりだ・・・後始末をしろ・・・」
「「はい・・・ご主人様・・・」」
 二人の下僕は、それぞれのイヤリングから聴こえる指示に従順に従った。

「先生、せ〜ん〜せ〜い〜」
 はっと目を覚ます。窓から入ってくる明るい光が目にまぶしい。
「もぅ、先生ったら、すっかりねちゃうんだもん」
「・・・やっぱりお疲れだったみたいですね」
 ぼんやりとあたりを見回す由佳。朱美と碧があきれたように見ている。
「・・・・・・あ、あれ?私・・・」
 目の前にはアロマポットと火が消えたキャンドルがある。空気を入れ替えたのか、部屋にあれほど濃厚に焚きしめられていたカモミールの香りは仄かにしか残っていない。
「ああ、私寝ちゃったんだ・・・」
「そうだよ。で、先生どう?身体の調子は」
 由佳は立ち上がり、大きく伸びをする。
「いや、すごいすっきりしてる。肩こりもなくなってるし・・・。ありがとう、碧、朱美」
「どういたしまして」
 碧はにこやかに返事をする。
 窓から入る日光を受けて、3人の耳のイヤリングとピアスが光った。


 碧と朱美を帰した後も、由佳はテストの採点やら、質問に来た生徒の対応やらに追われた。小1時間ほどしてようやく一段落したので、帰ろうかと廊下を歩いていると、ポケットのPHSのバイブレータが震えた。ディスプレイには「松田 朱美」の名前が浮かぶ。
 あたりに人がいないのを見回して、スイッチを入れる。
「こちら清水。朱美、どうしたの?」
「・・・先生!大変なの、碧が、さらわれて・・・」
「状況を報告して」
 由佳のその時の声と顔つきは、もうヴァルキリー司令官のものだった。

 朱美が言うには、二人が帰る途中に突然シモンが現れ、ガスのようなものを二人に吹き付けたという。途端に意識が遠のいて眠ってしまい、起きた時にはシモンも碧もおらず、置き手紙がおいてあったという。
「『ローズに告ぐ。碧をあずかった。帰してほしければ今日の午後3時に裏山の倉庫に来い・・・。ネメシス第二部隊小隊長 シモン』・・・前にもこういう事があったわね。あの時は碧が行って女の子を助けたのよね」
「はい。・・・先生、どうしよう」
 何か罠がかけられているかもしれないが、かといって碧を放っておくわけにはいかない。
「もちろん助けに行きます。朱美、30分で準備して」
「わかりました」
 由佳と朱美は早足で司令部に戻った。


 倉庫を遠くに見る丘に、朱美−−カーネリアと、由佳−−ローズが並び立つ。
 ローズの戦闘服は白を基調にしたものだ。金色の飾り紐で前を留めた白いベストに肘まで覆うベージュの手袋、白いエナメルのスカートからは光沢のある白系のストッキングに包まれた太腿が伸び、ブーツへとつながる。カーネリアも凛々しいが、ローズと比べるとやはり貫禄負けをする。
 胸に光る金色の星は今までにネメシスの幹部を倒した数を示す。大きな星が二つ、小さな星が三つ・・・13人、ということだ。肩票には司令官級であることを示す金色のストライプが2本入っている。ネメシスからは「閃光のローズ」「白い魔女」と呼ばれ、恐れられている所以だ。この渾名の噂をきいて「悪の組織から魔女呼わばりされるなんて、先生らしいです」と放言したのは碧だった。
「ローズ司令、まだ2時だけど・・・」
「3時に来いといわれて3時に行ってどうするのよ。待っていたらトラップがかけられるかもしれない。こういう時は先制あるのみ、行くわよ、カーネリア」
「はい」
 ローズは遠目からこの倉庫を観察し、裏口があるのを見つけた。まずは中を偵察しなくてはならない。二人は裏口から倉庫へ侵入した。
 倉庫内は薄暗く、じめじめしている。細く曲がりくねった廊下を慎重に移動する。途中のドアをいくつかチェックしたが、ただの物置でルピアは見当たらない。
 行き止まりのドアに突き当たる。ここは大部屋のようだ。あまり見通しの良いところにいきなりでるのは避けたいが、止むを得ない。
「カーネリア、行くわよ」
「はい」
 ローズはドアを静かにあける。中は広く、メインの倉庫のようだ。あたりには箱詰になった花々が並べられている。・・・出荷前の花の倉庫なのだろう。
 突然、部屋のスイッチが入れられる。目が一瞬くらむ。
「ふはははははは!よく来たな、ローズ、カーネリア」
 倉庫の奥には黒いスーツにバイザーの男・・・シモンが立っている。・・・ルピアの姿は見えない。
 シモンは二人を舐めまわすように観察する。
「若干お早いお着きだったな。そうあせることもないのに」
「前口上は結構。ルピアを返してもらうわ」
 ローズは腰に差してあった黒いメイスを振りぬき構える。長さ50cmほどのいかついものだ。カーネリアはトレードマークの剣を抜く。
「・・・・・・おい、お前ら、人質の命はどうなってもいいのか?」
「あんたなんかにやられるほど、ルピアはヤワじゃないわよ!」
 カーネリアが悪態をつく。
「・・・・・・いや、一応こういう時は、すこしくらい躊躇したり考え込んだりと、それなりに仲間を気遣うのがお約束というものかと」
「スプラッシュ・サンダー!!」
 シモンのセリフが終わるのを待たずにローズの持つメイスから轟音と共に稲妻が迸る。「うわっ!!!」
 いきなり繰り出されるとは思わなかったのだろう。シモンは間一髪で避けるが、体勢を崩す。ローズがそれを見逃すはずもない。一気に間合いを縮める。
「わた、た、くそっ。これでも喰らえ!」
 シモンはいつもの煙玉を投げつける。白い煙がもうもうと噴き出す。この煙に乗じてシモンは逃げ出す・・・はずだったが、
「甘い」
 ローズがシモンの眼前に立ちふさがった、と思うや否や、腰の入った鋭い蹴りがシモンのどでっ腹に叩き込まれる。
「げほっ!」
 カーネリアの蹴りも大したものだが、ローズの蹴りはそれを上回る重量級だ。シモンの口から胃液が飛び出す。なんとか立ち上がろうとするが足に力が入らない。そうこうしている間に白い煙の中からローズの姿が現れる。
「あ、ま、待った、ストップだ、ローズ!」
 しかし、そんなシモンの言葉に耳を貸すこともなく、手にしたロッドをゆっくりと振り回しながら、ローズはゆっくりとシモンに歩み寄る。シモンは狼狽して言いつのる。
「お、お前、俺の声に聞き覚えがないのか?」
「・・・あなたとは初対面のはずよ」
「いや、そういうことじゃなくて、お前は俺の声には従うはずだろ?」
「・・・・・・さっきの蹴りで、頭、やられちゃった?」
 ローズは冷ややかに笑う。
「・・・!あ、そうか、マイク越しの声じゃないと駄目なのか・・・ええと、ええと」
 シモンが慌てて体をまさぐる。しかし、探しているものが見つからないらしい。
 ローズはそんなシモンを尻目に、メイスを構える。さっきは試し撃ちだったが、今度は倍の出力で攻撃する。そうすれば少し避けても絶対に当たる。
「今度は本気よ・・・・・・さようなら」
 ローズがメイスを振りかぶると、
「!」
 突然背中から両腕を羽交い絞めにされる。がっちりと固められ振りほどくことが出来ない。
「くっ、誰!・・・え・・・?」
 それがカーネリアが自分を羽交い絞めしているのだということに気づくのに、ローズは数秒かかった。
「カ、カーネリア・・・何を?」
「・・・・・・シモン様を傷つけるモノは・・・許さない・・・」
 カーネリアは感情のこもらない声で答える。
「な、何を言ってるの、カーネリア。離しなさい!!」
「・・・・・・シモン様を傷つけるモノは・・・許さない・・・」
 いや、答える、というよりは、壊れたテープレコーダーのように自動的に流れる声。
「離しなさい!!」
 カーネリアの身体を振り回すローズ。体格にすればローズの方が大きいが、がっちりとしがみついて放さないカーネリア。
 シモンはそれを見て命からがらという様子で逃げ出す。
「ええい、めんどうね!」
 ローズはそのまま勢いをつけてシモンに向かってタックルをする。
「うわ!!」
 まさか自分の方に向かってくるとは思ってなかったのだろう。シモンはそのままローズのタックルをまともに受けて壁に弾き飛ばされる。ローズはそのままの勢いで自分の身体を背中から壁にたたきつける。間に挟まれたカーネリアの口から
「あぁ!!!」
という叫び声があがり、カーネリアの腕が緩む。その隙をついてローズはカーネリアをふりほどく。
「カーネリア!しっかりして!!」
 ローズが倒れこんだカーネリアを揺さぶる。カーネリアがうっすらと瞳を開ける、と思うや否や、
「シモン様を・・・傷つけるものは・・・許さない・・・」
「カ・・・カーネリア・・・」
 カーネリアは立ち上がり、よろよろとローズに向かってくる。目は虚ろだ。ローズは諦めたように溜息をつくと、
「・・・カーネリア、ごめんね・・・」
 ローズはカーネリアの首筋に手刀を当てる。
「あぁ!」
 カーネリアは気を失い、その場に倒れこんだ。
 ローズはカーネリアの首筋の脈をとる。命には別状ないだろう。その場で息を整えながらあたりを見回すローズ。大きな倉庫の壁際にはラベンダーの花束が山積みになっている。あたりはさっきの戦いでぶちまけられたダンボール箱が散乱している。煙はほとんど消えたが、シモンの姿は見えない
 ・・・洗脳、か。
 その場に倒れこんでいるカーネリアを見ながら、ローズは自分の知識を掘り起こす。確か、人間を洗脳することができる薬をネメシスは開発していたはずだ。今思えば、本部の廊下に落ちていたラベンダーの匂い。あの匂いは・・・洗脳薬の匂いだった。あの日、既にカーネリアはシモンに洗脳されていたのだろう。
 シモンが洗脳薬を持っていることに気づくべきだった。ローズは自分の迂闊さを呪った。
「・・・ルピアも・・・もう・・・」
 最悪の事態を想定し、対応する。それが司令官の努めだ。そして、最悪の事態の場合は・・・心を鬼にして行動する。もちろん、それだけの覚悟はローズには出来ている。今まで何度と無くそういった修羅場をくぐり抜けてきたのだから。
「・・・・・・でもシモン・・・、そうなったら、あなたを絶対に許さない・・・。今までの誰よりも残酷に、あなたを殺してあげる・・・」
 静かに笑いながら、ローズはシモンに宣戦布告を告げた。獲物を見つけた猛禽のようなその笑みは、ネメシスを震え上がらせた白い魔女のものだった。



「・・・ぐるじぃ・・・。本当に容赦ねぇな、あの女・・・」
 シモンは倉庫の2階にある小部屋に転がり込んでつっぷす。まだ胃がごろごろ喚いている。カーネリアにかけておいた後催眠−−シモンの危機には身を呈して守れ−−が発動してなかったら、今ごろは感電死だろう。
 今思えば、カーネリアとルピアを使ってローズに洗脳薬を嗅がせた時にしっかり自分が暗示をかけに行けばよかったのだが、・・・後の祭りだ。
「・・・まぁ、あのピアスがついていれば、なんにせよこっちのもんだがな・・・・・・と、これこれ」
 シモンはマイクと無線機をとりだす。さっきは余りに急激な展開で取り出す間も無かったが、これさえ使えばこっちのものだ。
 スイッチを入れる。
 しかし、電源が入っていることを示すLEDランプは光らず、機械は反応しない。
「・・・れ?」
 カチカチ、とスイッチを入れるが、やはり反応しない。
 さっき蹴られた時の衝撃で壊れたのだろうか。
 振ったりさすったりするが、機械は屍のように何の反応もしない。
「・・・・・・・・・冗談でしょ?」
 カツン・・・カツン・・・。慌てふためくシモンをよそに、ドア越しに聴こえる階段を登るブーツの音は、次第に近づいてくる・・・。


 
 


 

 

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