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ファンタジーのセオリー?

◆ファンタジーのセオリー?

最初に断っておくが、本章で取り上げているファンタジーは伝統的な意味でのファンタジーである。

ライトノベルやネット小説で見かけるたぐいのファンタジーではなく、ましてや現代ファンタジーのことではないので、どうか誤解しないでください。

   ***

実は、「指輪物語」は読んだことがない。

映画で見ただけである。

ハリー・ポッター・シリーズは、もちろん読破した。

「ナルニア国物語」は読んだが、昔すぎて映画の印象しかないというのが本当のところだ。

で、ファンタジーである。

なんとなくではあるが、大人になってから「ファンタジーって、差別的な表現が多いな」と感じている。

例えば、「指輪物語」。

なぜ復活した正義の味方が「白のガンダルフ」なのかが、非常に気になるのだ。

白が善で、黒が悪。

黒人公民権運動が盛んな頃のアメリカなら、さぞ叩かれたことだろう。

こういった、ステレオタイプな善悪の表現が、どうもファンタジーには多い。

(しつこいようですが、ラノベやネット小説のファンタジー、現代ファンタジーのことではありません!昔ながらの、ダーク目なファンタジーのことです!)

思うに、いかにも悪らしいものを悪とし、一般的に言って善らしいものを善にするというのが、ファンタジーを書く際のセオリーらしいのだ。

このこと自体は、別に悪くない。

私がもしファンタジーを書くとすれば、ぜひ肝に銘じておきたいセオリーである。

基本的には、「勧善懲悪」は好きだ。

でも、差別的発言は気になる。

栗本薫がグイン・サーガ・シリーズで、らい病患者の団体から訴えられていたが、これなど典型的なファンタジー差別問題だと言えよう。

もちろん、栗本薫は謝罪し作品は訂正されただが、ファンタジーにはジャンルとして差別が起こりやすい土壌があることを忘れてはいけないと感じる。

実は私は、差別発言バリバリの改定前のグイン・サーガを読んでいる。

子どもだったので何とも思わなかったが、今思えば「確かに、ひどい」という表現が多々あった記憶がある。

(「らい病だから性格が悪い」とか「悪い行ないの結果としてらい病になった」とかである。)

栗本薫のような頭のいい人でも思わず見逃してしまうほど、長い年月ファンタジーにとって非科学的なステレオタイプ表現は当たり前だったのだろう。

もちろん、例外もある。

「オズの魔法使い」では、勇猛なはずのライオンはへたれで、多才な権力者のオズは単なる奇術師だった。
(まさか「オズの魔法使い」のストーリーを知らないFC2作家はいないと思うので、ネタばれしました!)

しかし、私のような古いタイプの書き手が、もしファンタジーを書くとすれば、充分に気をつける必要があるだろう。

ファンタジーらしくするためには、古い価値観を用いる必要があるが、差別発言は避けたい。

書き始めてもいないのに、早くも障害者団体などから訴えられることを心配している私です。

更新日:2013-06-14 19:51:44