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無意識と意識 ―ストーリーテラーか文章力か?―

◆無意識と意識 ―ストーリーテラーか文章力か?―

「創造するということ」の章で、「無意識」と「外部からの情報の取り入れ」について書いた。

無意識と意識のあいだにあるフィルターの存在と、その開閉についても言及した。

私は何かにつけ反応が遅いタイプなのだが、昨夜ふとある事実に気付いた。

主に自分のことなのだが、他の作家さんの作品を読んでいても、確かにそういった傾向ってあるかも?と思いついたのだ。

どういった傾向かというと、文章についてこだわりのあるタイプの書き手は、短編ばかり書いている人が多いという傾向である。

私は決してストーリーテラーではないし、長編を書くのは非常に苦手…というか、今のところ一度も成功していない。

その代わり…という言い方も変だが、ごく短い短編でも、頭の中から出てきた文章をそのまま使うことは滅多になく、推敲はしつこいぐらいやるし、辞書も引くほうだと思う。

そのお陰か、文章の文法的間違いは比較的少ないはず。

(自惚れかもしれませんが…。)

神経質に細部にまで文章に完璧性を求める行為は、いわゆる”意識”的行為といえる。

で、無意識のほうですが、もしかすると長編小説を得意とする書き手というのは、無意識部分を多く使って書いているのでは?と思いついたのだ。

無意識と意識をわけるフィルターの開いている時間が長い目の人、あるいは全開に近いほど開けられるタイプの書き手が長編作家になるのではないか?というのが、私の推測だ。

長編作家の方々の文章は、短編が得意な書き手と比べると、どちらかといえば粗い。(失礼な言い方で、すみません!)

しつこく一文を推敲などしていたら、長編を書きあげるまでに二十年ぐらいかかってしまうだろうし、当然と言えば当然である。

あるいは、文体が既に確立し安定し、そこに注意のリソースを払わなくていい書き手が、長編小説を書くのかもしれない。

意識をフル活用して文章を練りに練り上げるか、無意識の部分を多く使ってストーリー展開で勝負するか、、書き手のタイプは様々なのだろう。

もちろん、単純に二分できるものではないし、フィルターの開閉バランスの良い書き手がベストではある。

ただ、書き手としての自身の弱点の原因がわかったのは、非常に喜ばしいことだと感じている。

方法はまだわからないものの、無意識と意識をわけているフィルターを今以上に長く大きく開くことができれば、私にも長編小説が書けるはず!

と、こういう頭でっかちな考え方自体が、非常に”意識”に偏ったものだとは思う。

もっと感情重視というか、その場その場の感覚で書いていくのが、もしかすると私に必要なことなのかもしれない。

更新日:2013-05-26 10:34:07