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エロはとこしえ

◆エロはとこしえ

タイトルは、大好きな草間彌生(ピカソと同じぐらい偉大だと言われている前衛芸術家)の作品名(「愛はとこしえ」)のもじりです。

偉そうにも断筆宣言して間もないのに、早速帰って来たゆんでれマン(?)です。

で、テーマは「エロ」。

というのも今、森鷗外の『ヰタ・セクスアリス』を読んでいるからです。

これ、公開当初「発禁処分」になったほどのエロ小説です。

まだ最後まで読んでないものについて書くのはどうかと思うのですが、あまりに素晴らしいので書かずにはいられません。

まだほんの数ページしか読んでないのに、いったい「性欲」という言葉が何回出てきたか!

「エロ」に対する社会の見方について、痛烈な批判がユーモラスになされているのも笑えます。

当時のエロ非難が、ちょうど現代社会のBL非難と似ているのも、面白いです。

現在の文芸評論家や文学研究者は「『ヰタ・セクスアリス』は、エロ本ではない!鷗外大先生は、そのような気持ちで、あの本を書かれたわけではない!」と主張しているようですが、これを聞いたら恐らく鷗外はゲラゲラ笑い出すか、困ったような顔をすること間違いなしです。

その時代には通俗小説として批判されたものが、百年経てば名作文学になるのは、周知の事実です。

百年経っても読まれているのは、その小説が通俗的で面白いからであって、名作だからではありません。

何故、こんな明白な事実が多くの人にはわからないのか、不思議でたまりません。

最近、古典エロ文学に興味を持っているのですが、調べていると「江戸時代には、『源氏物語』より『伊勢物語』のほうが、よく読まれた。理由は、『伊勢物語』のほうがエロ描写が直接的だったから」という評論を発見しました。

間違いなく、事実でしょう。

人間には、エッチなものを見たい、読みたいという欲望が本質的にあると思います。

と、もうひとつ興味深いことを紹介したいと思います。

『ヰタ・セクスアリス』の中に、鷗外自身を反映していると思われる子どもが出てくるのですが、なんと七歳にして「父母が、夜に何をしているか?」なんてことを考えています。

そして、その子は十歳にしてエロ本(春画?)を見ています。

鷗外は、本当に偉大です!

人間って、こんなもんです。

更新日:2013-05-16 09:16:15