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誰のために書くか?

◆誰のために書くか?

曽野綾子のエッセイに『誰のために愛するか』というのがあるが、今回は「私は、誰のために小説を書いているのか」について考えてみた。

実は、このテーマ(?)については、ン十年前から考えています。

若い頃の私は、エッセイなんかを書いて小銭を稼いでいた。

現金ではなく図書券のことなどもあったが、それなりに小遣いの足しになり、助かった。

その頃、よく考えたのが「私は、誰のために書いているのか?」だった。

ひとつのエッセイを書き始めると、書き始めは明らかに自分のために書いているのに、途中から読者が楽しんでくれることが目的に変わり、その瞬間が自分でもはっきりとわかったからだ。

小銭を稼ぐためには何としても採用される必要があり、そのためにやはり常に「読み手」の存在を意識している必要があったからだろう。

真剣に(?)小遣い稼ぎをしていたのはほんの数年で、その後は何かを書く際に「誰のために書くか」を意識することはなかった。

しかし、数カ月前からネットで小説を発表するようになり、感想欄などで様々な人の色々な意見を読み、一番驚いたのは多くの書き手が「自分のため(だけ?)に書いている」らしい事実だった。

「読者を意識し過ぎないように」「読者を意識すると、作品の質が下がる」的な意見も、多く見られた。

もちろん、私は完全な紙媒体世代で、ネット世代とは意識も考え方が違う。

私が生きてきた時代の大半には、インターネットはまだマイナーなツールだったし、自由に自分の意見や作品を発表できる場はなかった。

昔は、出版社の編集者や、冊子の運営母体、企業などの審査を通らない限り、作品が大衆の目にふれることはなかったのである。

どんな人が審査するのかわからないので、最大公約数で判断して、どんな読み手が読んでも「面白い」と思ってもらえるものを書かないと!と、常に気負っていたような気がする。

作品を多くの人に読んでもらう状態にもっていくためには、何としても審査に合格し、発表後はできるだけ多くの読者に喜ばれそうなものを書く要があったのだ。

そして、自由に自作を発表できるようになった今、私は何を目的に書いているのだろう?

恐らく…

①自分がこの世に生まれてきた証として:3割
②自分の楽しみのため:2割
③読者にとっての何らかの利益(楽しさや気分転換、興味深い知識)の提供
:4割
④読者のなれの果てとして作者になっただけ:1割

…ぐらいの割合かと。(①と②を合算すると「自分のため」のほうが多い!)

この比率が人にどんな印象を与えるのかわからないが、おおむねこんな感じです。

更新日:2013-04-28 11:20:11