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言葉は音だった
◆言葉は音だった
読字障害に関する新聞記事か何かで読んだ記憶があるのだが、どうやら私たちは文を黙読している時でも脳内で音読しているようだ。
それをしないと、書かれている意味を理解するのは限りなく不可能に近いらしいのだ。
詳しい内容は忘れたが、読字障害の人というのは、こういった過程のどこかに何らかの差しさわりがあるらしい。
早速、私も脳内音読なしの黙読というのをやってみた。
確かに、脳内音読なしで文の意味を理解するのは無理そうである。
で、思い出したのだが、SF作家の新井素子は、完成した作品を必ず一度は声に出して最初から最後まで読んでいるらしい。
この話、昔は「へぇ、そう」ぐらいにしか思っていなかったが、脳内音読の重要性を知った今は、さすが十六歳でプロデビューするような小説家は違うと感心した。
言葉は、書き言葉の世界においてさえ、「音」だったのである。
そして、そこを制したものが恐らくプロの作家になれるのだろう(たぶん)。
ところで、私は平野啓一郎の『日蝕』という小説が大好きなのだが、この作品は実に漢字含有率が高い。
しかし、あれほど漢字だらけの作品なのに、けっこう読める(音に変換できる)。
恐らく、文脈でうまく読ませているのだろうが、これも今思うとすごいテクニックだ。
歴史に名を刻むような作家というのは、意識してか無意識かはわからないが、みな音に敏感な気がする。
私の場合、歴史に名を刻むことはもうなさそうだが、それでも小説を書く限りは音に敏感でありたいと思っている。
読字障害に関する新聞記事か何かで読んだ記憶があるのだが、どうやら私たちは文を黙読している時でも脳内で音読しているようだ。
それをしないと、書かれている意味を理解するのは限りなく不可能に近いらしいのだ。
詳しい内容は忘れたが、読字障害の人というのは、こういった過程のどこかに何らかの差しさわりがあるらしい。
早速、私も脳内音読なしの黙読というのをやってみた。
確かに、脳内音読なしで文の意味を理解するのは無理そうである。
で、思い出したのだが、SF作家の新井素子は、完成した作品を必ず一度は声に出して最初から最後まで読んでいるらしい。
この話、昔は「へぇ、そう」ぐらいにしか思っていなかったが、脳内音読の重要性を知った今は、さすが十六歳でプロデビューするような小説家は違うと感心した。
言葉は、書き言葉の世界においてさえ、「音」だったのである。
そして、そこを制したものが恐らくプロの作家になれるのだろう(たぶん)。
ところで、私は平野啓一郎の『日蝕』という小説が大好きなのだが、この作品は実に漢字含有率が高い。
しかし、あれほど漢字だらけの作品なのに、けっこう読める(音に変換できる)。
恐らく、文脈でうまく読ませているのだろうが、これも今思うとすごいテクニックだ。
歴史に名を刻むような作家というのは、意識してか無意識かはわからないが、みな音に敏感な気がする。
私の場合、歴史に名を刻むことはもうなさそうだが、それでも小説を書く限りは音に敏感でありたいと思っている。
更新日:2013-04-16 19:17:27