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言葉の変化
◆言葉の変化
大昔のテレビコマーシャルでやっていた、腰に毛皮を巻きつけ石斧を持った役者が言う「どんと ぽっちい」というフレーズが流行った。
「どんと(固有名詞)が欲しい」を石器時代の日本語で言うとするとこうなるらしいのだが、子ども心に強い衝撃を受けた。
現代では明らかに間違っているとされている表現が、古代には正しかったことを知ったからである。
逆に言えば、現代の日本において正しいとされている日本語の多くは、石器時代や平安時代には間違いだったといえる。
平安時代の人が話していた速度で録音した『源氏物語』というのも聞いたことがあるが、現代人には聞いていらられないほどゆっくりで、話すスピードすらも変化してしまっていることがわかった。
今でも日本語には、(「こうり」ではなく)「こおり」、(「わたしわ」ではなく)「わたしは」のように音と表記の不規則性は存在しているが、ほんの百年ほどまえには不規則な語はもっと多かったこともわかっている。
ラノベも携帯小説も読んだことがないので、これまでは接する機会が少なかったが、ネット小説を読み始めてから言葉の変化というのをしみじみと感じるようになった。
例えば
気持ち悪い = きもい
恥かしい = はずい
とらえる+つかまえる = とらまえる
などなど。
これらは、音声で聞くことはあっても、ちょっと前までは書き言葉で見かけることは少なかった。
しかし、今では当たり前のように、二次元の世界にあふれている。
世の中というのは確実に、冗長から簡略あるいは短縮形に、例外の多いルールから誰にでもわかりやすい規則的なルールへ、ゆっくりからスピーディーへと変化している。
そういった変化は誰にも止められないし、自分のスタンダードに固執するのは愚かだと思う。
とって付けたように新しい言葉を使うのもみっともないが、過去の栄光にしがみつく亡霊みたいな書き手にもなりたくない。
もしかして、百年後には「えー!『はずかしい』?何それ、ハズいっつうの!古文の授業じゃあるまいしぃ」なんていう会話が、交わされてるのかも・・・なんてことを考えながら、今日もネット小説を読みまくっています。
大昔のテレビコマーシャルでやっていた、腰に毛皮を巻きつけ石斧を持った役者が言う「どんと ぽっちい」というフレーズが流行った。
「どんと(固有名詞)が欲しい」を石器時代の日本語で言うとするとこうなるらしいのだが、子ども心に強い衝撃を受けた。
現代では明らかに間違っているとされている表現が、古代には正しかったことを知ったからである。
逆に言えば、現代の日本において正しいとされている日本語の多くは、石器時代や平安時代には間違いだったといえる。
平安時代の人が話していた速度で録音した『源氏物語』というのも聞いたことがあるが、現代人には聞いていらられないほどゆっくりで、話すスピードすらも変化してしまっていることがわかった。
今でも日本語には、(「こうり」ではなく)「こおり」、(「わたしわ」ではなく)「わたしは」のように音と表記の不規則性は存在しているが、ほんの百年ほどまえには不規則な語はもっと多かったこともわかっている。
ラノベも携帯小説も読んだことがないので、これまでは接する機会が少なかったが、ネット小説を読み始めてから言葉の変化というのをしみじみと感じるようになった。
例えば
気持ち悪い = きもい
恥かしい = はずい
とらえる+つかまえる = とらまえる
などなど。
これらは、音声で聞くことはあっても、ちょっと前までは書き言葉で見かけることは少なかった。
しかし、今では当たり前のように、二次元の世界にあふれている。
世の中というのは確実に、冗長から簡略あるいは短縮形に、例外の多いルールから誰にでもわかりやすい規則的なルールへ、ゆっくりからスピーディーへと変化している。
そういった変化は誰にも止められないし、自分のスタンダードに固執するのは愚かだと思う。
とって付けたように新しい言葉を使うのもみっともないが、過去の栄光にしがみつく亡霊みたいな書き手にもなりたくない。
もしかして、百年後には「えー!『はずかしい』?何それ、ハズいっつうの!古文の授業じゃあるまいしぃ」なんていう会話が、交わされてるのかも・・・なんてことを考えながら、今日もネット小説を読みまくっています。
更新日:2013-03-31 13:55:54