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新・地震学セミナー

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  [1831] 潜水調査船「しんかい」が見つけたPT理論の破綻
Date: 2013-05-07 (Tue)
 ブラジルのリオデジャネイロ南東沖1500kmの海底に大陸性の岩盤(花崗岩)が見つかったと報じられました。

 アトランティスとの関連が話題になっていますが、アトランティスのあった場所は北大西洋のはずです。ブラジルの沖に「激しい大陸化作用を受けた大陸地殻」があることは分かっていることですが、花崗岩を採取できればプレートテクトニクス理論が破綻していることの物的証拠が出ることになるのですから、PT論を卒業する機会にしなければいけません。
NHKの記事を紹介します。
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「アトランティス」と関連は 海底に大陸痕跡
5月7日 17時30分
 ブラジルの沖合にある大西洋の海底に、かつて大陸のような大きな陸地があった痕跡が見つかったと、現地調査を行った海洋研究開発機構が発表しました。
 太古の昔、海に沈んだとされる伝説の大陸「アトランティス」との関連が注目されています。
 海洋研究開発機構は先月、ブラジルの研究機関などと共同で、潜水調査船「しんかい6500」を使い、リオデジャネイロから南東におよそ1500キロ沖合の海底にある台地を調べました。
その結果、深さ900メートル余りの海底で岩の崖を発見し、映像を分析したところ、岩は、陸上でしかできない花こう岩だったことが分かったということです。
 また、この崖の周辺からは、海の中ではできない石英と呼ばれる鉱物で出来た砂も大量に見つかったということです。
 海底の台地の幅は、広いところではおよそ1000キロあるため、海洋研究開発機構は、「大陸のような大きな陸地があった痕跡とみられる」としています。
 調査が行われた大西洋には、古代ギリシャの哲学者プラトンが、およそ1万2000年前に海に沈んだと著書に記した伝説の大陸「アトランティス」があったという説があります。
 今回見つかった花こう岩は5000万年ほど前に海に沈んだとみられ、年代的に、ずれはありますが、何らかの関連があるのではないかと注目されています。
現地調査のリーダーで、海洋研究開発機構の北里洋さんは「実際に潜水調査船に乗って、海底で花こう岩を確認できたときはとても驚き、感激した。伝説のアトランティスとは出来た年代が異なるようだが、大西洋に『大陸のかけら』を見つけた、意義のある発見だと思う」と話しています。
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 図に示すようにこの場所には、大陸性の地殻が存在することはすでに分かっています。今回の発見は、世界中様々な場所の海底に、大陸性の地殻があることを証明する一環のようなものですから、早くプレートテクトニクス理論から卒業しなければいけません。イデオロギー論争には関係なく、ベロウソフらの垂直昇降派(fixist)に軍配が上がるのは明らかですから、研究の方向を変えないといけないことを示しています。
 海洋開発機構はブラジル沖で何を目的にして調査を行っているのか知りませんが、アトランティスやムーの存在証拠が見つかる可能性の高い場所で調査をやってほしいと思います。

 
今回の発見はPT理論の破綻を意味しています。
そして論理的な帰結として活断層理論の間違いにも結びつくのです。
原子力規制委員会の地震学者は間違った理論を振り回してはいけません。

  [1830] 井尻先生、湊先生への感想
Date: 2013-05-07 (Tue)
 工学部に籍を置いていたものには、自然現象の探求にイデオロギーが絡むことが今ひとつ理解できないものがあります。湊先生の研究姿勢も公平に見て「立派」なものだと思うのですが、泊氏の言葉にある「「反米親ソ」のイデオロギー的な影響」というものを与えていた地団研の指導者が湊先生であり、井尻先生であります。お二人の思想はどのようなものだったのでしょう。
 そこで、以前に読んだ「井尻正二・湊正雄:地球と生物との対話」を再度拾い読みしてみました。プレート論のところでは、的確な視点での指摘がありますが、政治と経済のあり方では偏向した見方をされているのを感じました。

 井尻先生の言葉ですが、「政治家を動かしているのは、本当は独占資本家と云う経済人だということを見抜く自然科学者は、まだまだ少数派だと思われます。そういう意味で、経済の基本(『資本論』)を勉強するならいいだろうというわけで、『資本論』の勉強会に出かけていったわけです。」とか、「世の中には経済が基本にあるということを、果たして今日の自然科学者たちは本当に見抜いているかどうか、それは非常に疑問だと思います。」と云う言葉があります。
 マルクス経済学が正しいと見ておられた点で、お二人の政治・経済への洞察力は自然現象への洞察力ほどではなかったと言えるでしょう。マルクス経済学は「嫉妬心」の上に構築されており、資本家は労働者を搾取する悪人と見る所に問題があります。「お金持ち」を嫉妬し、引き摺り下ろそうとする心根は社会全体を進歩させることには繋がりません。
 昔の話ですが、テレビが出現したとき、テレビはお金持ちしか購入することができませんでした。そこで、街の電気屋さんの前で、力道山の活躍を観たのを思い出します。お金持ちが高いテレビを購入してくれたからこそ、量産が可能となってみんなが購入できるような安価になったわけです。テレビを買えるようなお金持ちはケシカラン、と云う嫉妬心は貧しい人を裕福に導く道を閉ざしてしまいます。
 いまでも、高学歴で学問を積んだ人であるはずなのに、「フラットな平等社会が理想社会だ。」という社会の発展を無意識的に拒絶する人が居ます。人間社会はある程度「ピラミッド型」だからこそ発展するのであって、「文鎮型」だったら未開社会のように「貧乏の平等」にしかなりません。
 勿論行過ぎたピラミッド型や、ピラミッドの固定化社会は幸福感を生みませんので、どこかに「中道」が存在するのは当然です。  「地団研」を指導されたお二人の先生には「理想家」の面は強く感じますが、政治と経済に関しては「中道」を踏み外されていたように感じます。
 マルクス経済学は破綻しましたが、お二人がシンパシーを抱いておられたソ連圏でも、ベロウソフ教授のように自然現象の探求と云う面では高い洞察力をお持ちだった研究者が居たのは確かだと私は思います。

 最後に、お二人に共通するのは「宗教嫌い」でもあるということです。以下の意見には私は「真逆」の感想を持っております。やはり、自然科学への探究心以外には「リスペクト」できないものを感じます。心の深いところで「嫉妬心」の克服が出来ておられないのを感じます。
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井尻−私は、今までいろいろな科学者を見てきましたが、私は科学者の真価というのは、やれノーベル賞をもらった、学士院賞をもらった、という専門分野の業績だけで判断をしないことにしています。そして、科学者たるもの、その道ですぐれているのは当然のことです。そうではなくて、科学者が自分の専門外のことに発言したとき、その発言によってその人の真価を評価するわけです。
 たとえば、個人の名はあげませんけれども、ある分野でひじょうにすぐれた自然科学者、がいたとします。ところが、その分野をはなれて平和問題になると「世界国家」こそが平和をもたらす、といった発言をするようでは、おのずと「国家」というものの本質は何もわっていないことを暴露するわけですね。
 つぎに、そういう賞をもらうと、やたら宗教問題とか、教育問題、芸術問題にまで口出すことになります。(略 石川啄木、宮沢賢治などを高く評価する風潮への批判が続く)
 したがって、狭い専門分野では何々賞をもらう人であるにもかかわらず、その思考力たるや広く物を見、判断する能力に価しないということになります。
 人間として生まれて、専門のことだけはわかるが、他のことになると全然見当違いになるというのでは、どこか具合が悪いのではないでしょうか。私はそういう人間をあまり評価しません。というより、私はそういう人開か好きじゃないのです。人の真価というものは専門外のことでも、いかに的確な判断をくだせるか、ということで、きまるのではないでしょうか。
−そう思いますね。
井尻−それで、自分の専門分野のことでほめられると、すぐ悟ったような面をして宗教の話をする。あれが一番嫌いです。また、こうした者をかつぎ出すジャーナリズムとて同じです。
−まず、そのノーベル賞というレッテルが貼られたばかりにジャーナリズムにかつぎ出されて、それに乗り出して行って、恥をさらすようなものだ。
井尻−私がつくったアフォリズムに、「人は自分の能力に応じて他人を判断する」というのがあります。それを逆に言うと、私自身を含めて、人間は自分の能力に応じてしか、他人やものごとを判断できないということです。これが啄木を選んだ能力であり、世界国家を 選んだ能力だということです。またそういうことを言う人をかついだジャーナリズムの能力だということですね。まったく寂しい限りですよ。
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 「知」にも発展の段階があります。嫉妬心を克服し、他人の長所を公平に認め、「褒める」姿勢を取れないうちは「知」の第一段階「知的格闘の時代」を超えて第二段階「不動の知の確立」には入れないのです。お二人の「知」はストラグルの段階にあるようです。「地団研」への評価が下がってしまったかもしれませんね。



  [1829] PT論受容に関する地震爆発論学会の見解
Date: 2013-05-06 (Mon)
 地学史勉強会というものがあるそうです。その27回勉強会で、「プレートテクトニクスの拒絶と受容―戦後日本の地球科学史」の著者である泊 次郎氏が話題提供された記録がありました。
 プレートテクトニクス (PT)論が真理であるかのような、そして「固体地球物理学の分野では、地質学分野との交流がほとんどなかったために、戦後の日本の地質学界に見られた「反米親ソ」のイデオロギー的な影響をほとんど受けなかった、ことも関係しているかもしれません。」と云うコメントがありました。
 そもそも、「反米親ソ」のイデオロギー的な影響と云うものを想定すること事態に問題があるように思います。私は、地質学会の研究者、または戦前までの「地震学者」の多くは、「自然の現場」をしっかりと観察しておられたから、「机上の観念」でも仕事ができる「固体地球物理学」の研究者よりも、「空気」に動かされなかったのではないか、という「真逆」の見方をしておりますので、泊氏のコメントを受け入れることができません。まずは勉強会の記録を紹介します。
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第27回 地学史勉強会 記録

日 時:2007年 6月23日(土) 午後2時〜5時
会 場:青学会館 校友会室B
参加者:15名
   (省略) 
2.泊 次郎 氏による話題提供「日本の地球物理学分野でのプレートテクトニクス (PT) の受容」
標記の題名のA3のレジュメ(両面)と「プレートテクトニクス関係年表」 (A3) が配布され、パワーポイントによる資料提示を含めた講演が行なわれました。泊 氏は3月に東京大学に博士学位論文「日本におけるプレートテクトニクスの受容」 (2007年3月、206頁) を提出しており、今回の発表はその一部に基づいたものです。まず @海外での反対論 A欧米での地向斜論とPT B欧米でのPTの受容 C旧ソ連でのPTの受容 D中国でのPTの受容 と比較受容史的に展開され、さらに E日本でのPTの紹介 F地球物理学分野でのPTの受容 G地球物理学分野と地質学分野との受容時期の差 H地球物理学分野で受容がスムースに進んだ要因 と日本の事例が検討されました。
 討論も活発に行われ、日本の大学における地球物理学科(講座)の成り立ち、1970年代初頭の地質学の大学院生の動き、工学部の資源関係学科での扱い、中国の事情、台湾での経過、理論依存かフィールド依存か、地震予知計画との関係、竹内 均 氏の役割と評価、1970年代以降の対応、付加体仮説の登場、等々の話題が続き途切れることがありませんでした。泊 氏には機会があればもう一度お話いただくことをお願いして終了しました。

日本の地球物理学分野でのプレートテクトニクスの受容

元東京大学総合文化研究科博士課程
泊 次郎


 地震や火山、造山運動などの原因を、地球の表面を覆う厚さ100km程度の十数枚のプレートの運動によって説明するプレートテクトニクス(以下、PTと略)は、1960年代後半に確立し、欧米では70年代初めには多くの地質学者、地球物理学者に受け入れられ、地球科学に革命を起こしました。日本でも、(固体)地球物理学分野では欧米と同様の時期に受け入れられましたが、地質学の分野では、PTとそれにもとづいた日本列島論が受け入れるようになったのは、1980年代半ばを過ぎてからでした。日本の地球物理学分野ではなぜ、PTの受容がこのようにスムースに進んだかについて考えてみたいと思います。
 初めに、海外での先行研究をもとに、各国ではPTはいつごろ受容されたのかを紹介しておきます。海外でもPTに対する反対はありましたが、それは主に@地球収縮論(英国のジェフリーズや米国のマイヤーホフ父子ら)A地球膨張論(オーストラリアのケアリーら)B垂直振動テクトニクス(旧ソ連のベロウソフら)の既存の地球論にもとづいたものでした。しかしながら、こうした反対論は大きな広がりは見せませんでした。PTという新たな地球論は、地球上のさまざまな地質現象について、そうした地球論を上回る説明力をもっていたからでしょう。
 もう1つ、海外では日本のような“地向斜造山論”にもとづいた反対はなかったのも特徴です。PTの基礎になった海洋底拡大説を唱えたディーツをはじめ多くの研究者によって、1960年代初めから70年代前半にかけて、海洋底拡大説のもとで地向斜をどのように解釈するかについて数多くの論文が書かれています。地向斜論と海洋底拡大説は対立する関係にはなかったのです。
 1966年に米国のピットマンらによって、地磁気異常の縞模様に関するテープレコーダーモデルが検証されると、米国では海洋底拡大説への支持が急速に広がりました。北米ではPTは1975年までには地球科学の標準的な見解になった、とされています。英国でも同様です。陸上の地質学者は海洋の地質学者や地球物理学者に比べると、PTを受け入れるのに多少時間がかかりましたが、それも2年程度の差に過ぎなかった、ということです。
 旧ソ連ではベロウソフらが反対したために、PTの受け入れが1980年代半ばまで遅れました。しかし、反対が一枚岩的なものであったわけではありません。科学アカデミーの幹部たちはPTを取り入れて、それをソ連独自のものとして発展させることを意図していたようです。中国でも文化大革命があったために、PTが入ってくるのは遅れましたが、PTが紹介されてから受け入れるまでは早かった。中国地質学会は1982年に創立60周年を迎えましたが、会長の黄汲清は記念講演でPTの果たす役割を高く評価しました。
 日本には1967年まで本格的な海洋研究船がなかったこともあって、1960年代初頭には海洋底について本格的に研究する人はほとんどいませんでした。しかし、欧米では海洋底の観測が進み、海洋底に関する知識が飛躍的に増加し、新しい海洋底像が描かれ始めていることについては、少なからぬ研究者が注目していたようです。地震学会の発行する『地震』には1960年にマントル対流に関する研究論文が掲載されていますし、1962年の春季大会では、「海域の地球物理に関するシンポジウム」が開催されています。
 1963年からは日米科学協力が始まり、海洋底拡大説の当否を検証するために、米国と共同で西太平洋域での深海地震探査や地殻熱流量の測定、地磁気異常の縞模様の観測などが行われ、日本列島周辺にみられるさまざまな地質現象を海洋底拡大説を使って説明しようとする研究が、地球物理学分野では盛んになりました。そして1970年代初めには、太平洋沿いに起きる巨大地震の発生のメカニズムを海洋底(プレート)の沈み込みと結び付けて論じることが、一般的になりました。
 日本では固体地球物理学の研究者は多かれ少なかれ、地震の研究にも関係していましたから、地震のメカニズムをうまく説明できるということで、PTは急速に受け入れられた、と考えられます。東京大学の地震学の教授であった浅田敏は1972年に大学生向けの参考書『地震』を出版しましたが、これはPTの考え方を全面的に採用しています。浅田はこの本の「あとがき」で、「PTを知るのが遅れたことを後悔している」と書いています。
 地震学会の毎年春と秋にある大会での講演要旨や『地震』に掲載された論文のうち、プレートや沈み込み、トランスフォーム断層などの「プレート語」を含んだものの数を調べてみますと、1970年代前半からほぼ直線的に増加しています。一方、日本地質学会の学術大会では「プレート語」を含んだ講演が急増するのは1984年ごろからです。『地質学雑誌』『地学雑誌』『地球科学』などの論文も、同様な傾向が見られます。
 このように、日本の地球物理学分野では1970年代前半にPTが受け入れられたことが分かります。科学の国際性という観点からすれば、こうしたことは特異な事態とはいえませんが、地質学分野と比較した場合には、地球物理学分野ではなぜPTの受容がスムースに進んだのかが問題となり得ます。その要因として、@地球物理学分野の研究の多くも、日本列島の地震や火山噴火などの現象の記述に向けられていたが、その中から世界レベルの研究が誕生し、早くから世界を意識して研究が進められていた、A国際地球観測年を契機にして、国際化も早い段階から進んでいた、ことなどがあげられます。
 また、日本の地球物理学は地震学を中核として発展したという事情も関係しています。1960年代半ばには地震の原因は2組の偶力によるという断層地震説が確立しました。ところが、この2組の偶力を発生する力はどこからくるのか、その説明が存在しませんでした。PTはこの力の源について明確な説明を与えたことが大きかった、と思います。
 固体地球物理学の分野では、地質学分野との交流がほとんどなかったために、戦後の日本の地質学界に見られた「反米親ソ」のイデオロギー的な影響をほとんど受けなかった、ことも関係しているかもしれません。
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 以上が記録の紹介です。どこかに書いたと思いますが、地質学分野の研究者がPT理論の受容を拒否してきたのは、「洞察力」が高かったからだと私は評価しています。受容が遅れたのは「空気」に流されない立派なことではないのでしょうか。
 昭和の天才科学者とも言える小川琢治、石本巳四雄の二人の博士の存在が、「自然現象」を忠実に観察する気風を作り、イデオロギー論争とは関係なしに「アメリカ流儀」の研究態度に感染することを避けることができたのだと思っています。イデオロギー論争を持ち込んでジャッジするのは公平な態度とは思えません。

 冒頭にある竹内 均 氏の役割と評価・・・に関してはこの記録に残っておりませんが、私としては聴きたかった内容でもあります。

 泊氏の認識には反論もあることを知っていただきたく、
 ここに、「地震爆発論学会」の見解を述べておきました。


PS
[1384]に紹介した湊正雄先生の存在も忘れてはならにようです。NCGTのChoi氏が次のように語っています。
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「事実を、正確に、総合的に、あるがままに見よ
See facts as they are, precisely and comprehensively

       (赤松 陽[訳])

 上記のタイトルは、私(Choi)が日本の札幌にある北海道大学大学院に在籍していた当時、湊正雄主任教授に教えていただいた金言です。私がくり返し聞いた金言には他にも、“フイールドは地質学の母である”とか“歴史は結局のところ常に公平である”などがあります。

 私が上記のタイトルをここにとりあげた理由は、現在の地質学の体制[establishments]が、(タイトルとは)全く正反対の手法に従っているからです。これはNCGTグループ結成の理由の一つでもありました。この体制は、事実として据えられている単純で、自明の、増大しているデータを受け入れることを欲しません。彼らは、彼らのモデルの趣旨に適合する場合にのみ、そのデータを使い、そうでなければ無視してしまいます。
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 以上が湊先生のお弟子であるChoi氏が現在の地質関連学会に対して発せられる批判です。[1822]に紹介した「つくる」んだよ・・・、業績もデータも、という告白話と符合が一致する「虚業」の姿が見えて来ます。
 「この世の命」は華やかであっても、「歴史の評価」という「あの世の命」は常に公平に検証されるということを湊先生は弟子に教えておられたのでしょう。.


  [1828] 垂直昇降派(fixist)の復権につながるか
Date: 2013-05-06 (Mon)
 四月二十三日のCNN報道に、ガリラヤ湖の湖底に巨大な構造物が沈んでいることが音波探査で判明したというニュースがありました。
 詳細は不明ですが、垂直昇降派(fixist)の復権を予兆させるものではないでしょうか。
 水中考古学が進歩してロボット調査団が深海底を探査できるようになれば、大西洋に眠るピラミッドの発見も可能となるでしょう。そのときにはアトランティスの存在が明確化し、垂直昇降派(fixist)の完全復権が果たされることでしょう。まずはガリラヤ湖の調査に期待したいと思います。記事を紹介します。
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湖底に謎の巨大構造物、数千年前の古代遺跡か イスラエル
2013.04.23 Tue posted at 11:56 JST


 ガリラヤ湖の底に正体不明の巨大構造物が沈んでいるのが見つかった 写真提供=SHMUEL MARCO



(CNN) イスラエルにあるガリラヤ湖の底に、正体不明の巨大構造物が沈んでいるのが見つかった。直径はボーイング747型のジャンボジェット以上。研究チームが建造された年代や目的などについて調べている。

構造物は2003年に音波探査機を使った湖底調査で偶然発見され、研究チームが最近になってその存在を明らかにした。玄武岩を円錐形に積み上げた構造になっており、土台部分は70メートル、高さ10メートル、重さは推定6万トン。英ストーンヘンジの巨石建造物の2倍の大きさがあるという。


 建造された年代の特定は難航しているが、土台部分に2〜3メートルの砂が堆積していることから推計すると、2000〜1万2000年前に建造されたと見られるという。

 潜水調査などを実施して構造物を調べたテルアビブ大学の地球物理学者は、大きさと場所から判断すると、一種の養魚場として建設されたのではないかと指摘する。一方、考古学研究者は、地上に建設されたものが後に湖の底に沈んだという説を有力視する。

 先史時代の遺跡に詳しいハイファ大学の考古学者は、「あまりに巨大な構造物なので、普通のものでないことは確かだ」と解説し、共同墳墓に似ているとも指摘した。ただ、確固とした結論は出せないとしている。

 水中の遺跡は地上の遺跡に比べて分解などが進みにくいため、良好な状態で保存されている可能性も大きいといい、研究チームは資金を集めて詳しい発掘調査を実施したい考えだ。
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 ガリラヤ湖はイエスが活動した時の中心であったところです。イエスはこの構造物を見たのでしょうか、それ以前に沈んだのでしょうか、早く詳細な調査をして欲しいものです。


 
 
 また、BG Daily News
http://bg-daily-news.eu/culture/1502-a-4000-year-old-pyramid-was-found-in-galilee-lake
には、
「A 4000 year old pyramid was found in Galilee lake」
とあって、4000年前のピラミッド建造物だと報じています。科学者は「このピラミッドは湖ができるまえに、地上で建造されたもので、そのあと沈んだものであることを否定できない。」と見ているようです。考古学者は「この地はBeth Yerach(ベス・イエラ)という古代都市の北部域にあたり、BC3世紀にはこの地域最大の居住地の一つだった。」と述べています。

Scientists do not exclude that it was built before the lake exists and there was land.
"If the structure was actually built in this era, this means that it is north of the ancient city of Beth Yerach. It will help us learn something new about him" - says Israeli archaeologist. In the third millennium BC. the city was one of the largest settlements in the region.

 イエスがガリラヤ湖周辺で活動されたことと、古代に都市があったことと、何らかの関連があったのかもしれません。

  [1827] 水平移動派(mobilist)と垂直昇降派(fixist)の論争
Date: 2013-05-05 (Sun)
 自然科学の学問の世界でなぜ冷戦の影響を受けるのか、工学の世界に居た私には良く理解できませんが、現実にはアメリカ等自由主義陣営は水平移動派(mobilist)として、ソ連は垂直昇降派(fixist)として論争が行われ、日本国内でも二派に分かれて反目があったそうです。岩松先生の解説を紹介します。([550]でも紹介しました。)

教育の危機と"地質学の危機"
岩松 暉(『地質と調査』, 2002年第1号小特集 より
http://www005.upp.so-net.ne.jp/fung/miscellany/education.html
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4.戦後日本のアカデミズム地質学

 地質学の世界も教育界と同じような経過をたどっている。戦前は東京帝国大学の教授が全国の地質学界を牛耳っていたという。それに異を唱えて結成されたのが民主主義科学者協会地学団体研究部会(地団研)である。日本地質学会の民主化をめぐってめざましい活躍をした。学問の面でも片や佐川造山運動を唱え、片や本州造山運動を提唱して、厳しく対決した。しかし、所詮地向斜造山論という旧来の土俵の中での党派的争いに過ぎなかった。
 科学パラダイムをめぐっても厳しい対立があった。前者は機械論メタパラダイム、後者は有機体論メタパラダイムの陣営に属していた。とくに岩石学への熱力学導入をめぐって激しい論争が行われた。一方は実験岩石学や同位体年代学の成果を大いに取り入れ、自然を解釈しようとした。他方はこれを物理化学主義として排斥し、地質学は歴史科学であって地質学独自の法則性があると主張した。
 プレートテクトニクスをめぐる論争にも引き継がれた。前者は水平移動派(mobilist)に、後者は垂直昇降派(fixist)に属した。60年代初頭大洋底拡大説が出たとき、中央海嶺で広がり続ければ地球は膨張するしかないと批判された。このとき島弧である日本から本質的な貢献が行われた。すなわち、深発地震面との関係を論じた久野のマグマ成因論、都城の対の変成帯概念、杉村・松田らによる共役横ずれ活断層に注目した東西水平圧縮応力場の提唱などである。それらの成果も踏まえて沈み込み帯の概念が提出され、60年代末にプレートテクトニクスが誕生した。一方後者の陣営は、ソ連のベロウソフが提唱したブロックテクトニクス説を奉じて陥没説を唱え、グリーンタフ造山を論じた。確かに新第三紀中頃は日本海が開き始める時期であり、火山活動も活発だったから、背弧地域は展張テクトニクスの場であった。ベロウソフがロシア卓状地のような安定陸塊での経験を普遍化しようとしたと同様、特殊な時期の特殊な地域での現象を造山運動一般に外挿したことに問題があったと言えよう。
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 松山先生が発見した地磁気逆転発見は、大陸移動説を成立させようとするアメリカ、イギリスの水平移動派には強力な支えとなりました。しかし、ロンドン学派とニューカッスル学派の先陣争いに見られるように、学問的な功績・名誉には「虚」の部分があります。
 現在は水平移動派が勝利したかの感がありますが、海洋底拡大説、大陸移動説、サブダクション説といったものが「虚」であることは明らかにされる時代がそこまで来ています。それでも、松山先生の「実」なる功績は地殻移動説、大陸浮沈説を支える証拠の発見者として、輝きが失われることはないでしょう。
 やがて垂直昇降派が有利になる時代がくるでしょうが、水平移動派は南米とアフリカの分裂を大きく見すぎ、特殊な地域の特殊な現象を、地球全体に普遍化しようとしたことに躓きがあったわけです。

 近い将来、地震爆発理論をベースにした、新時代の地動説(ポールシフトまたは地殻移動論)が認定され、地殻変動の原因がマグマ内部に含まれている水素の爆発であることが常識になる新時代がくるでしょう。アトランティスやムーの証拠が発見されれば、水平移動派(mobilist)と垂直昇降派(fixist)の論争には完全な決着がつけられるようになるでしょう。
 なお、[550]では「石田理論は水平移動派(mobilist)にも、垂直昇降派(fixist)に加勢いたしません。どちらかと言えば垂直昇降派に近いかもしれません。」と書きましたが、現象としては垂直昇降のほうが多く起きており、水平移動は例外的に起きると考えたほうが良いと考えます。垂直昇降派(fixist)は昇降の原動力が不明であったわけですが、これについてはマグマ内部の水の熱力学的化学反応(水素爆発)と推定しているわけです。


注 現在は水平移動派(mobilist)が勝利したと判定されている。
参考 
 岩松 暉先生の「地質学史に見られるパラダイム転換」より、現時点での学会の判定を紹介します。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/fung/miscellany/paradigm.html

 一方、1915年気象学者 A. L. Wegener (1880-1930) がDie Entstehung der Kontinente und Oceaneを著し、パンゲアと呼ばれる超大陸が分裂して現在に至ったとする大陸移動説を唱えた。軽い大陸地殻が重い海洋地殻の上に沈み込んで地向斜を形成するのはアイソスタシー(地殻均衡説)に反すると考えたからである。大西洋両岸の海岸線の類似、南半球の古生代末植物化石の共通性、氷河遺跡の存在などを根拠として挙げたが、大陸が移動する物理的メカニズムが説明できなかったために、荒唐無稽として退けられた。ただ一人、A. Holmes (1890-1965) だけがマントル対流説を提唱して擁護した。Wegener が大陸という移動する船のエンジンを説明できなかったのに対し、Holmesは、大陸はマントル対流という流れに乗るイカダであってエンジン不要だとしたのである。しかし、大陸移動説自体が学界から忘れ去られていたので、ほとんど注目されなかった。
 20世紀半ば地球物理学が急速に発展する。岩石磁気の研究から磁北の位置が地質時代によって異なり、その軌跡を描くと、ヨーロッパ大陸とアメリカ大陸で相似であり、磁北を中心に約35度程度回転するとピタリと一致していることが明らかになった。またその頃、海洋底の研究も進んできた。まず海底地形調査から大洋中央海嶺や割れ目帯が発見された。やがて中央海嶺はP波速度が異常に遅く、高熱流量で重力の負異常が見られることなどからマントルの湧き出し口と見られるようになった。また、地磁気の正逆の縞模様が中央海嶺を軸として対称であることがわかり、テープレコーダーモデルが提唱される (F. Vine & D. H. Mathew, 1963) 。これらを集大成して、R.S. Dietz (1961) やH. H. Hess (1962) が大洋底拡大説を提唱した。その後、J. Tuzo Wilson (1965) のトランスフォーム断層、W.J. Morgan (1967) のプレートの球面幾何学などの研究が続く。最後に、X. Le Pichon (1968) によって地球は6枚のプレートで覆われているとした、全地球テクトニクスとしてのプレートテクトニクスが誕生したのである。
 これに対し、V. V. Beloussovらソ連圏の学者は上下方向の構造運動を重視し、ブロックテクトニクス(垂直昇降説)を唱えた。Beloussovは国際地球観測年IGYを提唱して実行するなど先見の明のある高名な学者であったが、ロシア卓状地のような安定陸塊での調査経験という制約を免れなかったのであろう。安定陸塊における構造運動は差別的昇降運動程度しか見られないからである。このように水平移動派 mobilist と固定派 fixist との間で激しい論争が闘わされた。わが国でも同様であった。どちらかというと地球物理学者はプレートテクトニクス導入に積極的だったのに対し、地質学者は懐疑的で反プレート派が多かったように思われる。
 しかし、1970年代も後半になると完全に決着がつく。以後、このプレート説によって造山運動なども再解釈されるようになり、地球科学全体を主導するパラダイムとなった。現在はポストプレートテクトニクス時代と言われ、プレート運動も包含したプルームテクトニクスが全地球テクトニクスとして提唱されている。

  [1826] 松山基範先生の実の功績
Date: 2013-05-04 (Sat)
 松山基範の名前は、日本よりも西洋社会のほうで広く知られているようです。なぜなら、海洋底拡大説ならびにプレートテクトニクス理論の確立に広く貢献しているからです。しかし、私が偉大な科学者であると思っているのは、信念を貫いた科学者としての態度に惹かれるからです。

 門下生の一人である前中一晃先生が書かれた「地球科学者松山基範の物語」には、「基範の歴史的発見もその当時にはまったく受け入れられなかったという。恩師からは、「君の言うことは、地球の重力が下から上へ向かっていったというようなものだ」と叱責された。」と記されています。
注目されたのは、二十年後に計測器が進歩し、航空機から観測できるようになってからです。A.Coxらが地磁気逆転史を作り、Vine-Matthewsが海上地磁気異常模様の説明に地磁気逆転史を適用し、さらに海洋底拡大説、プレートテクトニクスの成立へと進めたからです。その成立に決定的な役割を果たしたと考えられているからです。
 現在、松山基範が世界の科学界でどのような評価になっているのかを同書から抜粋して紹介します。
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 一九六〇年代に現れたプレートテクトニクス理論は、地震活動を含めて地球表面で観察される種々の地学現象を、たった一つの理論で統一的に説明するものである。
 プレートテクトニクス理論は十九世紀後半のチャールズ・ダーウィンによる生物進化論、二十世紀前半のアルバートーアインシュタインによる相対性理論と並んで、大統合理論の一つと評価されているが、進化論や相対論と違うところは、一人の天才によってなされたものではなく、多くの人々が長い時間をかけて地球の観測を続けた結果得られたものであるという点である。この理論の発展をもたらした重要な研究成果の幾つかは日本の地球科学者松山基範(マツヤマ モトノリ)によってもたらされた。
 二〇〇三年にアメリカのFacts on File, Inc.という出版社から著名な科学者シリーズと銘打たれた九巻の本が出版されている。生物学、化学、コンピュータ科学、地球科学、海洋科学、物理学、天文学、気象学、宇宙工学の九つの分野での古今東西の著名な科学者の評伝を英文にして平均千語程度で紹介したものである。そのうちの一冊『A to Z of Marine Scientists』には、紀元前四世紀のアリストテレスから一九五〇年代生まれの科学者まで十七カ国百四十七名の名前がリストアップされているが、その中に日本人としてただ一人登場する人物が松山基範である。
 イギリスの出版社から発行され、丸善から邦訳刊行もされている『科学者人名事典』(一九九七年三月)には、編著者の言によれば、現代的・国際的な視点からセレクトされたという科学者・技術者二千三百余名の名前が収録されている。日本人では二十名の人物が採り上げられているが、その中で杉田玄白、野口英世、湯川秀樹といった錚々たる面々と並んで、地球科学者としてただ一人採り上げられているのがやはり松山基範である。
 地球の磁場がその極性を何回も変化させたという松山基範の予見(一九二九)は、アメリカ地質調査所のアラン・コックスによって顕彰され(一九六四)、コックスが提唱した地磁気極性変化の年代尺上で、Matuyama Reversed Epoch(松山逆磁極期)としてしっかりとその名前を残している。これはアルフレッド・ウェゲナーによる大陸移勧説に端を発し、海洋底の生まれ変わりを論じた海洋底更新(拡大)説、そしてプレートテクトニクス理論と地球のダイナミクスを説く現在の科学理論の発展につながる重大なものと位置づけられている。松山基範の名はこれによって地球科学の広範な分野で国際的に記憶に残されるべき重要なものとなった。
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 以上がその記述です。
 ニュートンによれば「科学者とは海辺の貝殻を見て海底の模様を詮索しているようなもの」という言葉がありますが、やがて詮索が進行し、プレートテクトニクスも進化論も、相対性理論も、過去の話となっていくでしょう。でも、周囲の冷ややかな視線の中、勇気を持って詮索し続けた松山先生の科学者としての姿勢は、空気に流されっぱなしの現今の科学者の見習うべき態度だと私は思うのであります。
 最近の科学的詮索では、海洋底の地質が陸上とあまり変わらないことが分かってきています。サブダクション(潜り込み)は存在しない、と公言する科学者も出ています。(「サブダクションへの反証」)プレートテクトニクス理論は空気(当時の偉い人が言い出して、皆が一旦信じたうわさみたいなもの)として存在しているのみで、もはや実体がないことを多くの人が知っています。
 しかし、空気を吸っていないと生活が出来ないために、已む無く空気を吸っている人もいます。でも、近未来に歴史の検証は確実に行われるでしょう。そのときに「あの世の命」、つまり「後世の評価」がどうなるのかは「今の生き方」に掛かっているわけです。
 松山先生は正直に勇気を持って信じるところを生ききった方であり、評価が下がることは無いと思いますが、プレート論の確立に役立ったとは思っておられないのではないでしょうか。
 何年後かの世界の科学書には松山基範のほかに、石本巳四雄、小川琢治、高木聖といった名前が載っているだろうと、私は思います。ダーウイン、ウェゲナー、マシューズなどの名前は色あせているのではないでしょうか。
 佐藤一斎の言志四録には、
「功名に虚実有り。実功は則ち是れ人事なり。」
とあります。
 戦後の日本社会には、虚実を見分ける力の弱い、空気に流されるだけの学者が多くなったのではないでしょうか。後世「しのぎの学者」と呼ばれないようにして欲しいと思います。
「功名に虚実・・・」について、徳増省允氏の解説を紹介しておきます。
「功績をあげた名声を高めるに偽物と本物がある。本物の実のある功績とは、まさにそれが世における人としての仕事である。誠実な仕事を通して功績を積めばおのずから本物の名声はついて来るもので、自然にまかせればよい、ただ功績や名声を求めて行動する結果得るものは、偽物にほかならないことを知るべきである。」]

  [1825] ブーゲー異常とフリーエア異常の原因
Date: 2013-05-03 (Fri)
 地球科学者「松山基範」の物語という本(書籍名は「日も行く末ぞ久しき」文芸社)を読んでいて、氏が潜水艦に乗り込んで、東北沿岸の重力異常を観測し、日本海溝の海溝軸より西側(岸より)に異常地帯があることを発見されたことを知りました。氏は始めて岩石の残留磁気に逆転現象があることを発見された偉大な科学者ですが、その発見現場となった玄武洞を訪ねたとき(2007年2月)の動画を紹介します。


 さて、松山先生が発見されたフリーエア異常は海洋部分の重力異常の研究ですが、陸上部分の異常はブーゲー(bouguer)補正の必要があります。石田理論として考えているブーゲー異常の原因は花崗岩の存在であるとしてすでに[1785]重力異常が証明する大陸化機構で解説しましたが、フリーエア異常(フリーエア補正した後でも見られる重力の異常のこと)原因はどんなことが考えられるのか、を述べてみます。


 左の図は日本列島におけるブーゲー異常ですが、マイナス(地下に軽い物質があるということ意味する)になる原因は石田理論では、この範囲の地下深部に厚い花崗岩の層があることを意味しています。
 東北地方に負のブーゲー異常が存在しない理由は、伊豆小笠原方面まで続く火山帯が存在するために、花崗岩を形成するために必要なゆっくりとした冷却が進行しないためではないかと推定します。 
 右図はフリーエア異常ですが、日本海溝の海溝軸より西側、および南海トラフの北側にマイナス異常が顕著に見られます。
 この原因は、「65」で紹介した紀伊半島の鬼ガ城に露出している気泡を含んだまま固化した岩石がヒントを与えてくれるように思います。
 海洋底の地殻は薄いですから、石田理論で考えると浅い場所でもマントル物質が融解して存在しています。融解物質内での地震、つまり水素爆発によってマントル物質内に気泡が内包されます。この部分が固化すれば密度が低い岩石が形成されることは容易に推定できます。これがフリーエア異常が起きている原因であるというのが石田理論の推定です。
 松山先生は次のように書いておられます。

「航海中は二回の荒天にも遭遇したが、遂に首尾よく日本海溝上の重力測定を実行することが出来た。艦内において常に簡単なる計算概況を知ることを努めて来たが、その結果によると、日本海溝の上において重力が著しく小さく、約百ミリガル程度の負偏倚が存在することが認められるのである。最深所こそ重力不足の位置たるべきであると考えられるが、われわれの得た結果は日本海溝の西側傾斜面において質量不足があり、地殻内部の力の不均衡が存在することを想像せしめる。これを三陸および北海道方面に津波を起す海底地震の震源が同じくこの傾斜面にあることと併せ考ふれば、いささか酬いるところの成果を得た如く感ずるのである。」

 先生は地殻内部の力の不均衡が地震を起こしているのではないか、という推定をされているふしがありますが、力の不均衡で地震は起こらないと考えます。そうではなく、地震爆発が昔から多いから、気泡を含んだまま固化した岩石が存在していることを示しているというのが石田理論の帰結であります。そう考えると、南海トラフよりも、三陸沖のほうが重力異常が強く(異常値のコンターラインから分ります)、地震の常襲地帯であると言えるのではないでしょうか。右図からは鬼ガ城はフリーエア異常の範囲内にあることが分かります。私はこのカルメ菓子のような構造こそが地震の化石であると以前から考えていました。断層も地震の化石といえますが、[1805]シュードタキライトが地震の化石であるとは思えないのです。

熊野市鬼ガ城の裏山で見つけたカルメ焼き(菓子)状態の岩石構造                昭和時代に育った人には懐かしいカルメ焼き


カルメ焼きの作り方はここ



  [1824] マスコミ報道関係者にお願い
Date: 2013-05-01 (Wed)
 4月28日の産経新聞に「立川断層帯の誤発表、なぜ」という記事があり、専門家の間でも活断層を判定する明確なラインが無いことが報じられています。そして過去の判定が否定された例があることも報じられています。

 このように専門家によって判定が異なるような問題を、絶大なる権限を持つ原子力規制委員会の一部委員の判断に任せて良いとは思われません。少なくとも記事にあるように国民的な合意を得る必要があります。
 そして国民の皆様には活断層に関する「種明かし」も知っていただき、後世のために正しい判断をして欲しいと思います。そのためには、まずマスコミ関係者が異なる見解があることを国民に報道する義務があると思います。石油や石炭に関しても化石燃料ではないことは隕石の研究から判明しているのにもかかわらず、「一度誰かが名前を付けたら、みんな信じ込んでしまったと言う訳です。」とゴールド博士が述べています。やがて化石燃料と云う概念も消えるでしょうが、地震の原因説に関しても、いろんな見解があることを報道するのがマスコミの貴い使命のはずです。

活断層理論は間違っていること、地震と断層の関係は因果関係が逆であることを、
マスコミは報道してください。お願いします。


一度誰かが活断層という名前をつけたら、みんな信じ込んでしまった、と云うだけなのです。




  [1823] 活断層理論の種明かし
Date: 2013-04-30 (Tue)
 石本巳四雄博士が断層地震説への批判をされていたことはすでに[1474]で紹介しました。博士は証明方法に疑問があると次のように述べています。

 「即ち先づ震源に断層の成生を仮定し、初動分布が其の仮定に馳背しないと云ふ理由から、地震の原因が其れであると決定する。此れは結論たるべき主張が已に前提の中に含まれて居る事から、論理上からすれば正常な証明とはならない。即ち若し地震波の放射が断層成生に非ずと仮定しても、初動分布が説明される場合に到着するならば、以上の主張は直ちに頓挫する事となるからである。」

 この問題提起を参考にして島崎教授の執筆された「活断層とはなにか」(東京大学出版会)の第一章を吟味してみます。
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2 地震とは何か(執筆者:島崎邦彦)
 地震の正体

 地震とは、震源域で何かが起こり、その結果地震の波が発生し、その波が地下を伝わり、私たちの足元まで達して、大地を揺すり、建物等を揺らす現象である。(略)
 震源域で地震の波を出すもの、鯰の正体がわかったのは、わずか三〇年ほど前に過ぎない。それまでの数十年間、さまざまな論争があり、一時は震源=ブラックボックス論さえあった。震源域で何が起こっているかはわからないので、とりあえずブラックボックス(中身がわからないもの)として棚上げにし、そこから出た地震波のその後を論じようというものである。論争の決着をもたらしたのは、丸山卓男(数年前に束大地震研究所を定年退官)の論文であった。まだ大学院生の時の業績である。
 地震の震源域では、ある面(断層面と呼ぶ)を境として地塊がずれ、そのずれる運動によって地震の波が発生する。このずれる速さは、毎秒数十センチメートル程度である。その結果、この断層面を境にして地層や岩体が食い違う、すなわち断層ができる。このため、断層をつくるこのようなずれの運動のことを、断層運動と呼ぶ。もちろん、すでに断層がある場合には、断層のずれがさらに大きくなる。断層運動が地震の波をつくりだすのだから、これが鯰の正体だといってよい。
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 以上の島崎先生の解説では「地震とは、震源で何かが起こり、その結果地震の波が発生」することが地震現象である、としていますから、何かとは「水素爆発」でも良いわけです。しかし、後半では「ある面(断層面)を堺として地塊がズレ、そのずれる運動によって地震が発生する。」と断定しています。明らかに断層を最初から仮定して論を進めています。水素爆発で断層が発生すると考えても一向に構わないのですから、断層運動が「地震の正体」であると決着したというのは間違っています。ある面(断層面)を導入する時点で、すでに証明方法が正当性を持たないわけです。
 同じような怪しげな考察が地球物理関連には多くあります。
プレートは中央海嶺で生まれることになっていますが、最初の子供(プレートの最先端)の前には何が存在しているのか、その子供はどんな力が作用して海溝を目指して進行するのか、説明がありません。また、潜り込んだプレートの自重によって引っ張られるという能動的移動論または、テーブルクロスずり落ち論は、まさに前提となるシチュエーションの中に結論が含まれています。石本先生がそれは証明にはならないと批判されるでしょう。
 地震波の走時表に関しても、地球の内部構造をマントルは固体であり「玉ねぎ構造」をしていると仮定して決定した理論走時と、観測による実測走時とが一致するから、理論が証明されたというような論理展開がなされていますが、これも同じことです。マントルが固体でないことは深発地震と、浅発地震の地震波形を比較すれば明らかですし、理論走時がなければ、実測走時の認定ができないという点でも矛盾が存在します。したがって、

 「結論たるべき主張が已に前提の中に含まれて居る事から、論理上からすれば正常な証明とはならない。」

という結論になります。
 結論を導きたいがために仮定の中に細工をするのでは真の科学的態度とは言えないというのが石本先生の考えであり、至極尤もな話であります。
 そうしたあいまいな論法でつくられた「活断層理論」で国家が衰退への道を歩まされるのではたまったものではありません。

地震学は一旦石本理論まで後戻りして再出発してください。
活断層理論をベースにする原子力規制委員会の議論を止めてください。



  [1822] 力学無視の奇抜な考え方が生まれる理由
Date: 2013-04-23 (Tue)
 4月22日のモーニングバードという番組で、数か月以内に東北沖をアウターライズ地震が襲う可能性があると東海大学地震予知研究センター長の長尾年恭氏が示されたそうです。   
 アウターライズ地震に関してはすでに[1718]怪しげな新聞報道(3)[1761]空理空論、支離滅裂の地震学などで紹介しましたが、地震爆発論の見解ではそのような地震は存在しません。力学的にはナンセンスな空理空論です。
 現代地震学にはそのほかにも、アスペリティーとか、スロースリップ、サイレント地震、ダイナミックオーバーシュートなどなど、力学無視の奇妙な概念が作り出されています。それにたいして非見識として注意する長老もいないようです。
 こうした自由な発言?が石本先生のご健在の頃には松田先生のコメント([1468]安芸先生の思い出)にあるように、長老の忠告があって止められていたのかもしれません。しかし、最近は長老の発言に威厳がなくなったことも確かなようです。原子力規制委員会でのやり取りを見ていてそのように感じました。訂正,この話は[1470]の安芸先生の功績は何だろう、の中にある笠原慶一先生の思いでの間違いでした。
 自由な発言は結構ですが、なぜ力学的な基礎を踏み外すような意見まで許されてしまうのか不思議に思っていました。最近気づいたのは、直近の長老の一人であった竹内均先生の天才論にそのきっかけがあったのかなという視点です。
 先生は「独創人間になる法」という書物の中(このセミナー[185]、[186]では超有名科学者として名前は伏せてありますが紹介しています)で、次のように語っています。(p.9)
最初の仮説が奇抜であればあるほど、それが実証された場合には、自然科学に、より大きな進歩をもたらす。そういう仮説を提案した人こそが、自然科学における天才である。
という内容です。戦前の文部省推薦図書になった石本巳四雄先生の「科学への道」に収録されている「天才論」とは内容的に大きな違いがあるように感じますが・・・。
この発言に勇気を得た若手研究者たちが「おれも将来天才になるのだ」として、奇抜なアイディアを発言しているのかもしれません。そうした空気を感じさせるコメントが、[1388]データを作る地球科学?にもあります。自然科学の若手研究者であった方が、この世的に成功している先輩から、業績もデータも作るんだとアドバイスを受けたときの衝撃が忘れられないというものです。抜粋して紹介します。

 「「つくる」んだよ・・・、業績もデータも。 そういうアドバイスをうけたときの衝撃は、今でも、忘れません。 単年度雇用のくりかえし、予算に関する会議出張のくりかえし、業績アピールを目的とするシンポジウム開催、ニュースレター発行、ホームページの作成、学生の卒論指導、外国人のお手伝い、などなど・・・・ いまの若手研究者は、こういう仕事の合間に実験をやって、自分で業績をださないといけません。
どうやったらそんな・・・・ そんなときに成功している人からアドバイスをうけたのです。
論文の目的は「かんがえかたを出版すること」であって再現性のあるデータを出さねばならないのは、医薬品とか安全管理とか企業の仕事。ゆうめいな教授の多くが、先に論文を書いてしまって、穴埋めを学生にやらせて教授になってきた。
(だから)「かんがえかた」を提示する、それを目的にしなさい・・・と。国外でもそれはポスドクの間で一般化されている考え方なんだ・・・と。
けっきょくポジションをつかまえるのは才能ではなくてテクニックだということがわかり人生がかわりました。」

 以上が告白の内容です。地震学も含めて地球科学の研究分野にはこういう空気、つまり「奇抜な考え方」でもよいから「考え方」を提示して、将来に天才扱いされるかもしれない可能性にかけなさい・・・・というような空気が全体にあるのかもしれません。・・・だとしたら、その代償は大きなものになるでしょう。 

 竹内先生とツゾー・ウイルソン教授との対話をライブラリー52大陸移動を唱える大家の豹変に紹介してありますが、いかにも軽い感じで「新しい考え方」が生まれる雰囲気を感じます。お二人が歴史の検証にどこまで耐えられるのかは注目されるところだと思います。

因みに石本先生の天才論の一節を紹介します。(全文がこちらに紹介されていました。)
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天才論    石本巳四雄
 自然研究者の中には特に天才を要望するのであって、天才が出でて初めて研究が進捗し、天才が出でざれば停頓するのである。天才は出づる事が甚だ稀れであり、天才は叉薄幸である。恐らく其の時代においては理解出来ない議論を吐く故でもあらうが、時の経過と共に尊敬されるのである。天才は正に科学史を綴る人である。凡庸は単に科学を持続けるに役立ち、科学を横に漲らせる事は出来ても前進させることは出来ない。天才は果して其の出現を期待し得べきものであらうか、叉天才は栴檀の二葉より香ばしと云ふが如く、幼少よりして聡明なるものであらうか、筆者の思索は低迷する。
 天才は先天的要素を如実に備へるものであるとも云ふ。天才は生れ乍らにして凡庸とは全く異った頭脳を保ち、苦する事なくして常人を凌駕して意表に出でるとも云ふ。叉天才は絶えざる労作の結果、其の位置を克ち得るものとも云ふ。  結局は努力の結晶により、他人より優れたる効果を挙げるものであると云ふ。仏國科学者ブッフオン Buffonnは
  天才は辛抱強いと云ふ一つの優れて大なる才能に外ならぬ。
  
と叫んで天才は後天的要素を充分備えたものであると云ふ。此の論を是とするにしても辛抱強く研究し得ると云ふ才能も一種の天才であるかも知れない。しかし乍ら、現在自然研究に携る人の中にも単に辛抱強く、一つの事にのみ携つて研究に没頭して居る人でも、天才とは考へられぬ人が居るのである。天才の才能中には一種の見通しの如きものが必要で、よし一つの事物を研究しても、此れを辛抱強く遣り遂げる場合には、必ず大なる結果が齎らされると云ふ自信が出来なければならぬのである。叉遂に此の自信ある見通しがあればこそ、熱意も生じ、辛抱強く働く事が出来るのである。兎に角、外観からすれば全く努力の結晶の如き態度も、本人は行き着く迄の手段としか考へて居ないとも云へるのである。筆者は此の見通しの出来るものを天才の要素として考へ度いのである。
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 以上天才論の冒頭の一節を紹介しました。東海地震は2005年までには確実に起きると云うのが、地震学者の意見でした。しかし、東海地震はそれから8年過ぎても発生せず、予想もしなかったときに東北に起きてしまいました。地震学者は後始末を付けていません。そして又今、東海、東南海、南海の三連動地震を謳っています。自信ある見通しがあってのことでしょうか、学会の「シノギ策」なのでしょうか。何とかしないと、信頼性がどんどん失われていきます。まずは、東海地震警告の後始末を付けて頂きたいと思います。

  [1821] 原子力規制委員会委員長代理を更迭せよ
Date: 2013-04-20 (Sat)
原子力規制委員会の島崎邦彦委員長代理の科学的・工学的知識に疑問を抱いております。東電側は「断層は固まり(固結)、動いていない」と主張しています。だから、活断層ではないという主張のようですが、そもそも活断層という概念そのものに誤謬があります。東電側の主張が100%正しいとは言えないのも事実です。しかしもっとひどいのは、島崎委員長代理の「固結しないとひずみがたまらず、(断層の)進行を止めることにはならない。」という発言の奥にある科学的知識の欠如に関してです。


 前半部の「固結しないとひずみがたまらず」の意味は東電側の「固結している」という主張をあざ笑うかのように、固結は反論にならない、「固結しているからこそ歪がたまるんだよ。」と、一蹴したつもりでいるわけです。後半部の「(断層の)進行を止めることにはならない。」の意味は「固結しているから断層は動かない」という東電の主張を、「固結は意味をなさない。固結しているからこそ歪がたまって危険なんだよ、地震学を勉強しなさい。」と一蹴したつもりでいるわけです。

 活断層は将来動く可能性があるから危険である、と主張してみたり、動かないことが「歪がたまる」危険性があるのだよ、と主張してみたり、島崎氏は悩乱しています。材料力学の基礎である破壊現象の知識を保有しておられません。地震学者全てが同じ意見だとしたら、地震学を抜本的に改革しなければなりません。
 このような力学的知識の欠如した地震学者に、国家の重要な政策の推進是非の判定を任せることは危険であります。


間違えているのは島崎氏だ!
島崎氏には専門家としての資格なしと認定せざるを得ない。
よって更迭せよ!


歪(strain)の勉強
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http://www.jma-net.go.jp/nagoya/hp/bousai/earth/toukai_yoti.html より

○歪(ひずみ)
 物体に外力を加えると形や体積が変化します。これを変形または歪といいます。
 歪の定義は

  (変形後の”大きさ”)−(変形前の”大きさ”)
         (変形前の”大きさ”)

であり、式中の”大きさ”には「長さ」か「面積」か「体積」が入り、上式の値はそれぞれ長さの歪(線形歪)、面積歪、体積歪と呼ばれます。歪はこのように定義されていますので無次元量となり、単位は無く(ただし、歪を表す量であることを明確にするため、STRAIN(ストレイン)という単位を付けて呼ぶこともあります)、対象としている領域や物体の大きさと無関係に使うことができます。地殻を造っている一般的な岩石は10-4歪むと破壊するといわれています。これがどの程度の大きさかを具体的に見てみると、その岩石で作った1mの棒は0.1o だけ伸び縮みするだけで折れてしまうことになります。したがって地殻変動を観測する場合には、これよりもはるかに小さい量を観測することになります。地殻変動の日常的な変化は10-8程度のものです。
注) 1立方メ−トルの体積が0.9999999立方メートル(長さでは10qの距離が1o変化)に縮んだ場合、歪量は−0.0000001/1すなわち−1×10-7となります(10-7は10のマイナス7乗と読み、1000万分の1のこと)。
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(注):記事を書いている人も、歪の解放が地震現象であるはずがない、ことを理解しておられません。
岩盤はカリントウのようにポキッと折れてしまう性質のものですが、工学部で力学を専攻している方でも”巨大なカリントウ”をつくると、玉はがねの様な性質になる・・・と夢想する方があるのです。([88]参照)
 断層地震説ありき、で凝り固まっている方には何を言っても完全弾性体のように反発されてしまいます。しかし、間違っていることは事実なんです。巨大になっても鋼のようにはならないんです。

  [1820] 地震と火山活動は同じ爆発現象である
Date: 2013-04-18 (Thu)
 17日に三宅島近海で起きた地震は、体に感じるものだけでも、4時間半の間に11回だったそうです。この地震が火山活動と関連するのかどうか、様々な報道がなされています。気象庁は「火山活動との関係は薄い」とみていますが、火山噴火予知連絡会の副会長の石原和弘京都大学名誉教授は「現時点では火山活動との関連は分からない。」と述べています。また、東京大学の笠原順三名誉教授は「この地震は火山のマグマの活動による可能性が非常に高い」と語っています。笠原先生のコメントが正解だとは思います。
 地震爆発論から言えば、火山活動と地震活動というのは、同じ現象です。地下深部で起きる爆発が地震であり、浅い場所で起きれば火山活動と呼んでいるだけです。爆発が極端に浅くなれば、噴火現象になるわけです。この認識はフンボルトが持っていたものですが、彼は火山の噴火は大地震の安全弁であるという認識をも持っていたようです。日本では小川博士や石本博士らも同じ認識でありました。([1374]参照)
 この認識が戦後急転回したのは、「私は洗脳されて帰ってきました。地震は断層です。」と発表された安芸敬一先生であったことを[1468]の松田時彦先生のコメントとして既に紹介しました。

 それまでは笠原慶一先生の「地震の科学」にも石本博士の「押し円錐理論」が紹介されていましたが、後年に書かれた“近代地震学入門“というサブタイトルのある「地震の力学」では、石本博士らの研究はすっかり一掃され、名前さえ載っていません。([1470]安芸先生の功績は何だろう参照)。近代地震学というものは、安芸先生の難解な書物のせいもあって応用数学的な色彩が強くなっています。現象を科学的な眼で観察し探求するという科学本来の面白みを放棄して、「断層論ありき」で始まっています。断層理論で説明できない現象(気温上昇、発光現象などの言い伝えなど)はすべて「オーパーツ」扱いされてしまうものですから、謎を解明する喜びという自然科学の面白みを無くす原因となっています。
 今回の三宅島近海地震の報道でも、笠原順三先生のコメントが震源の深さにこだわり、論旨が明確に伝わっていない(下記の参考を参照)のは、火山性地震とは10kmより浅い場所の地震と気象庁が定義しているからです。震源の深さが20km(今回のM6.2地震)では、火山性地震ではないというような、意味のない定義があるからです。深さ20kmで起きるのは断層が原因で、10kmで起きるのは火山活動であるというような話はナンセンスであります。
 はやく、本来の自然探求の面白みを復活させないと、日本の社会から優秀な科学者を誕生させる土壌を失ってしまいます。登山の鉄則にもあるように、道を間違えたと気付いたなら、間違えた地点まで戻る勇気を持っていただきたいと思っています。

参考:笠原順三先生の解説
フジテレビ系(FNN) 4月17日(水)19時2分配信
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00244295.html
17日、体に感じる地震が相次いでいる東京・三宅島で午後5時57分、震度5強の地震が観測されました。
地震と火山との関係について、東京大学の笠原順三名誉教授の解説です。

(午後3時までに11回の体に感じる地震が相次ぎ、そして震度5強の地震が発生したが?)
この震源は、三宅島の西、すぐ近くにありまして、海底地形上は、海山みたいなのがあるんです。
その場所は、海山があるということは、海底噴火した場所というふうに思われて、深さも、たぶん10kmくらいの深さだと思うんですけど。
気象庁は20kmと言っていますが、もう少し浅いんじゃないかと。
それで、2000年の三宅島の噴火の時に、三宅島で噴火が起きて、そして、そのあと、地震の震源は、ずっと三宅島の西から新島までつながったんです。
その時の深さは5kmくらいですけど、今よりも数値は浅いんですが、その動きは地下におけるマグマの動き、そういうふうに思われます。
今回の地震が起きた場所も、深さはちょっと深いんですが、マグマの動きに関係した地震だと考えられます。

(地震が、だんだん大きくなってきているが?)
三宅島の状態を少し見たんですけれども、すぐには噴火までは至らないんですが、ただ状態としては、三宅島で起きている地震が非常に浅いとか、火山性の特徴である、割とゆっくり揺れるような動きがあるので、今回の地震がマグマの動きに関係があるとすれば、三宅島付近のマグマっていうのは、非常にやわらかくて動きやすいんです。
そういうものが地下に割れ目を作って、広がると三宅島につながる可能性があるので、場所的にも非常に三宅島に近いので、三宅島に十分な警戒は必要じゃないでしょうか。
最終更新:4月17日(水)19時2分
 

  [1819] ウンモ星人の言うとおりなのか
Date: 2013-04-15 (Mon)
 淡路島の地震について、政府の地震調査委員会は「未知の活断層」が存在する可能性を指摘したということです。いつまでそのような無知な発言が許されるのでしょうか、そしてマスコミは許すのでしょうか。
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http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20130415-00000006-jnn-soci
淡路島地震 「未知の活断層」の可能性
TBS系(JNN) 4月15日(月)5時35分配信

 兵庫県・淡路島を震源とする最大震度6弱の地震が起きたことを受け、政府の地震調査委員会は14日、臨時の会合を開き、震源について「未知の活断層」が存在する可能性を指摘しました。

 14日に行われた政府の地震調査委員会の臨時会合で、本蔵委員長は今回の地震の震源について、既存の活断層と位置が離れていることから、今までに知られていない活断層が地震を引き起こした可能性を指摘しました。


 また、阪神大震災の余震である可能性については、何らかの関係があるとの意見で一致したことを明らかにしました。

 一方、発生が懸念されている南海トラフ巨大地震との関連については、「今回の地震だけで切迫度を議論するのは難しい」としつつ、懸念されている地域ではこの規模の地震は起こりうると注意を呼びかけました。(14日19:13)
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 大きな地震が起きるたびに、「未知の活断層が動いた」という話が出てきます。なぜ「断層は大きな地震の結果できる傷である」ということに気づかないのでしょうか。自然科学の学者なら自然現象の原因を探求するのが役目です。原因と結果とを取り違えるような研究者は本末転倒学者です。因果関係を正しく見つめてください。研究者も、研究費を配分する役人も、成果を吟味するべき立場のマスコミも、怠慢極まりない姿勢が続いています。「探究心ゼロ」といっていいでしょう。
 憤慨しながら、ネットを見ていたら面白い「科学者のシノギ論」を見つけました。シノギとは「暴力団の収入も含めて、生活の糧」のことですね。科学者も「ただのシノギ」に過ぎないと喝破されています。
 シノギがへたくそだったというある方のブログから読者とのやり取りを紹介します。星野先生の「反プレートテクトニクス論」に関しての感想記事からはじまっています。
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http://borealoarctos.blogspot.jp/2010/08/blog-post_08.html
2010年8月8日
反プレートテクトニクス論
 ブログ主
「星野先生の新刊案内が届きました。星野通平さんには、わたしがまだ学生のとき、湊正雄教授の部屋でお目にかかったことがあります。もちろん、わたしのことなど覚えていないでしょうけど。
 当時もじいさんだったから、いまは相当な歳かとおもいますが、元気いっぱいのようですね。
 「まえがき」が紹介されています。
「私が本書で主張したかったことは、プレート説一辺倒の地球科学の世界に、若い人たちがおのおのの仮説をもって、もっと自由闊達に討論をまきおこしてもらいたいことである。そして、科学の世界だけでなく、政治・経済・教育など、あらゆる分野にはびこっている、閉塞感あふれた世の中の風潮を、少しでも打ち破ってもらいたい、というねがいを、本書にこめたつもりである。」

 これは無理だと思います。
 皆が口をそろえて「おなじこと」をいうことを「パラダイム」といいます。ちがうことをいうのは、先行する「パラダイム」に矛盾が蓄積し、その「パラダイム」ではどうしようもなくなってきたときに、やっと始まるとなっています。
 数十年前に「地向斜造山論」から「プレートテクトニクス」というパラダイム変換が起きました。これは、「地質学」から「地球科学」へというパラダイム変換でもあったらしい。
 前者はともかく、後者のパラダイム変換は、近代地質学が成立したといわれているのが1800年代の初めですから、170年はかかっているわけです。ここしばらく、これに匹敵するパラダイム変換は起きそうにない。
 しかも、現代の科学者が求めているのは、「地球の真実」などではなく、学会における自分の立場。しばらくの間、「プレートテクトニクス」と「地球科学」というパラダイムに安住できるわけです。(略)

 わたしは、「パラダイム論」にも「パラダイム論」が適用されるだろうと思っています。しかし、それが当分のあいだ、くずれないであろうことは、「プレートテクトニクス論」の本は市販ルートにのりますが、「反プレートテクトニクス論」の本は、市販ルートにのらないことからもわかります(もちろん、地質学雑誌にものらない)。

 勝ち馬にのること自体は、決して恥ではないとはおもいますが、大多数が「勝ち馬にのっている」以上、自由闊達な議論など、起きるはずがない(そもそも、パラダイムがちがうのだから、議論自体が成立しない)。(略)
 
 2012年3月14日
夏羽 さんのコメント...
初めまして。今ハプグッド教授の’The pass of the Pole'を読み終わったところです。ここではプレートテクトニクス理論、いわゆる大陸漂流説(continental drift)及び氷河期という概念が矛盾していることを様々な例をあげて説明しています。アインシュタインをはじめ、大陸漂流説に反対していた科学者、地質学者は少なくなかったようです。星野先生、石田先生といった、年をめされても、時代の波にのまれず、真実を追究していく若い精神をもたれた方がいらっしゃるのは嬉しい限りです。もちろん、かく言う私もプレート説はまったく論理的ではないと思っております。
長くなって申し訳がありませんが、何故大陸漂流説という考え方が生まれたのかについて、ハプグッド教授が説明しておりますように、様々な理由のつけがたい地殻異変があったかと思われます。大陸漂流説は原因を究明するうえで生まれた、ひとつの仮説とみることができるでしょう。この説が正しい、正しくないにかかわらず、こういう考えがもたらされた背景があったという事実からまた一歩真実の探求がなされればいいのではないかと思います。科学にしろ、地質学にしろ、これが絶対と信じるのは危険だし、そこで進歩がとまってしまうのではないかということです。それよりも、論理がつくりだされた理由、状況を研究した上で、常識にとらわれない、世界の流れに乗せられない、自分自身の判断をくだすことは科学の進歩にとって何より重要なことではないかと思います。

 ブログ主
 ご意見、まったくその通りだとおもいます。
それが「科学」ではないかと思うものですが、現実の科学者(とくに日本の)にとっては、科学者であることは「ただのシノギ」にすぎないのではないかと疑ってしまいます。
http://borealoarctos.blogspot.jp/2010/08/blog-post_20.html
反プレートテクトニクス論、読後
 ブログ主
 星野通平「反プレートテクトニクス論」(イー・ジー・サービス出版部)が到着したので、読んでいました。
 プレートテクトニクスに対する疑問の集大成というところ。どの主張にも違和感を感じないのが、逆にふしぎ。
で、読んでいて、気分が高揚してきたかというと、どんどん沈んできました。
 なぜなら、この本に対する反応は、「たぶん、ない」だろうから。

 理由はたくさんありますが、第一に、PT論者にとっては“プレートテクトニクスは観測された事実”であるから、今さら、土俵を下げて相手をしても「得るものがない」からですね。
 だから、無視される。

 第二に、実際には、PTが「パラダイム」でなければ困る人は(その他のテクトニクスでなければ困る人たちにしても)、ホントはごく少数だと思われること。
 地質学会に、いったい何人の会員がいるかは知らないですが、圧倒的多数が、(個々の)論文レベルでも(個人の)研究テーマレベルでも、別に「どっちでもかまわない」人たちでしょう。地向斜造山論がパラダイムのときは、地向斜造山論で解釈し、PT論がパラダイムのときはPT論で解釈するだけ。
 したがって、自分に向かっていわれているとは、だれも思わない。よって反論も肯定もしない。

 悲しい。

2013年1月18日
 夏羽 さんのコメント...
 歴史的、宗教的、政治的、営利的、様々な事情が各時代にあると思いますが、現在、プレートテクトニクス論が世を制しているさまには、たてまえぬきに、あきれかえっております。また、一般市民のほとんどがこのことに対して疑問を抱かないというのも不思議です。ハプグッド先生の本にはダーウィンともう一人(誰だったかな・・)がポールシフトという考えを禁止したため、現在の気候に合わない植物、動物の痕跡を説明するため、大陸移動説、氷河期という仮定が持ち出されたと書いてありました。

プレート説、氷河期、マグネティック ポールシフト論、速度の概念(地球の自転、公転、太陽の自転、公転等の速度を地球上の計算で事実として教えていること) など、ちょっと論理的に考えれば、それがおかしいとわかると思うのですが(間違っているという証拠もないんですけど)、専門家を含めほとんどの人がだまされる、これはもしかしたら、ウンモ星人が言っていたように人間の能力に欠陥があるせいなのかもしれないと、思われてきたりもします。ウンモ星人、トンデモで申し訳ありません、これを書いたのが宇宙人かどうかは別にして、彼らが書く、メタフィジック、進化論はなかなか面白いんですよ。
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 以上、思考能力が健全な方がおられることが分かってうれしかったです。ブログ主は「シノギ」がへたくそだったようですが、「シノギ」に苦労しなくても科学者がやれると思って、年金生活に入ったのに、それを騙した奴等がいるのです。

 年金を積み立てて、老後は「シノギ」の苦労を避けて自由に生きよう、と考えていた真の科学者達を騙して、いつの間にか賦課方式というものに切り替え、「年金は世代間の助け合いです」などとごまかしたのは、政治家、役人、見てみぬふりをしたマスコミなんです。
 やがて働く世代の若者一人が一人の老人を背負うことになる・・・などという脅しで長老を虐める社会などにした覚えはないのです。シノギから自由になった長老がこの社会を建設するんだ・・・と思って生きてきたのです。それを訴えて選挙に出ても1.7%の得票しか得られないのです・・・やっぱりウンモ星人の指摘どおりに、日本人の能力に欠陥があるのでしょうか・・・。

こんなにマトモなことを街頭で演説しているのに、得票率は1.7%でした。
ウンモ星ならば当選したのでしょうか?

PS.
私はウンモ星人の情報を持っておりませんので、
「速度の概念(地球の自転、公転、太陽の自転、公転等の速度を地球上の計算で事実として教えていること) など、ちょっと論理的に考えれば、それがおかしいとわかると思うのです。」
と云う部分に関しては内容を把握しておりません。


  [1818] 淡路島の地震報道に見る矛盾
Date: 2013-04-14 (Sun)
 昨日13日に起きた淡路島の地震でも、地震が爆発現象であることを示す証言が新聞報道にあります。
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http://news.goo.ne.jp/article/jiji/nation/jiji-130413X090.html
 「ゴー」と地鳴り=18年前の阪神大震災よぎる―震度6弱の淡路市など
淡路市危機管理課の男性職員(40)は揺れ出す前に「ゴー」という地鳴りがしていることに気付いた。
 震度5強を観測した同県南あわじ市内の病院で当直勤務中、仮眠していた男性職員(42)は「ドン」という衝撃で飛び起きた。
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 お二人の体験談は地震が歪の開放で起きるという通説を否定しています。歪と云う概念が意味を持っているのは弾性体が持つフックの法則(p=kx p:応力 x:歪 k:弾性係数)が成立している範囲での話です。

岩盤のようなガラスに近い物質では金属・鋼材とちがって、10х(-4)乗という微小な歪でフックの法則が成立しなくなります。つまり、岩盤やガラスはポキッと折れてしまいます。材質が持つ降伏点を超えるからです。鋼鉄の場合はこの降伏点を超えても折れることはないですが、歪と応力の間にはp=kxの直線関係はなくなります。もはや応力pが生じる前の原点、歪ゼロ状態には戻らなくなります。このときの歪は永久歪であって、弾性反発は期待できません。いってみれば、死んだ歪で、生きた歪ではありません。
 地震現象が歪の開放で起きるのならば、それはフックの法則が成立している(生きた歪が存在している)間の現象ということですが、そのときに地鳴りや、衝撃音が起きることはありません。ポキット折れるのが地震現象と云う解釈なら、歪エネルギーの開放説とは矛盾します。どちらにせよ、地鳴り現象、衝撃的体感は爆発現象が起きたことを意味しています。
 然るに、地震学者はいつまでも「歪の蓄積」にこだわっています。毎日新聞では次のような報道がありました。
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http://mainichi.jp/select/news/20130413k0000e040200000c.html
淡路島地震:「南海トラフ」との関連指摘も
毎日新聞 2013年04月13日 
 13日午前5時33分ごろ発生した、兵庫県淡路島付近を震源とする強い地震で、気象庁は阪神大震災の余震との見方に否定的だが、大震災のひずみが淡路島にまだたまっていると見る識者もいる。一方、過去の南海トラフ巨大地震の前にこうした内陸地震が頻発したことが知られており、同様の地震が続くとの指摘もある。

 東海、東南海など、今後の発生が見込まれる南海トラフ巨大地震は、太平洋の海側のプレート(岩板)が日本列島を乗せた陸側のプレートに潜り込んで起きるとされる。今回の地震は、その潜り込みの圧力によって引き起こされた可能性があるという。同様のケースが、約70年前にも起きている。

 入倉孝次郎・京都大名誉教授(強震動地震学)は「1944年の東南海地震(M7.9)と2年後の南海地震(M8.0)の前に近畿地方で内陸地震が頻発した。今後、南海トラフ巨大地震が起こると予測される中、今回のような地震が再び起こる可能性がある」と指摘する。

 これについて、気象庁地震津波監視課の長谷川洋平課長は13日の記者会見で「さまざまな学説はあるが、前兆的な発生とは今のところ考えていない」と述べた。

 一方、阪神大震災後に地震活動を分析した東北大の遠田晋次教授(地震地質学)は今回の地震について「広い意味で大震災の余震。18年前だから関係ないということはなく、その時のひずみがずっと淡路島にあった」と分析。「大震災前の状態に戻るには二十数年かかると予測され、まだ警戒が必要だ」と強調する。【飯田和樹、渡辺諒、斎藤広子、岡田英】
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以上が毎日新聞の報道です。
上で解説した弾性体に関する力学の基礎知識から言って「18年前の歪が残っている」などということはありえない話です。各研究者の解説する内容にも統一したコンセンサスというものがありません。勝手なことを思いつきでおしゃべりになっているようにしか思えません。この程度の認識で活断層理論を振り回されてはたまったものではありません。
はやく、まともな議論ができるようになっていただきたいと思います。

PS:産経新聞には岡田義光氏の談話も載っていました。

「防災科学技術研究所の岡田義光理事長(地震学)は「直接的な余震ではなく、別々の断層がひずみを解放したのだろう。M6級の地震は日本ではそれほど珍しくないが、今回は震源が浅かったため大きな揺れが生じた」と指摘した。」

歪を開放して地震が起きるという話に、他の地震学者から一切の異論が出ないということは如何なることでしょうか。地震学者は皆さん力学音痴なのでしょうか、心配になってしまいます。

  [1817] テーブルマウンテンとギョーの形成メカニズム考
Date: 2013-04-09 (Tue)
南アフリカやギアナ高地のテーブルマウンテンがどのようにして形成されたと考えられているのかをネットから拾ってみました。様々な意見があるようです。

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南ア・テーブルマウンテン
http://www.geocities.jp/nirekaoru/s-africa11-futatabi-table-mountain.html
テーブルマウンテンの頂上は非常に硬い珪質砂岩で出来ている。珪質岩の円礫も含まれている。先カンブリア時代の河川堆積物だという。

http://blog.goo.ne.jp/shodo_february/e/572fe47f0535b482ac90699f931130ad
岩質はテーブルマウンテン・サンドストーンと呼ばれる珪質砂岩の一種で、固い部分だけが残ったものだそうです

http://www.geo.tsukuba.ac.jp/gansekiHP/topic.html
地質学的にも大変面白い山です。山体上部を構成する岩石は、下部古生界・Table Mountain層のアルコース砂岩で、層理面はほぼ水平です。山体下部には上部原生界のTigerberg層が露出していると地質図にありますが、確認できませんでした。山腹付近には5.3〜6.1億年の年代を示す優白色花崗岩(Cape Granite Suite)が露出しています。

http://www.icon.co.za/~jsj/sa21.htm
南アフリカで、最も有名なあの山は、どうして頂上が(ちょうじょう)あのように平(たい)らなのでしょう。 
 テ−ブルマウンテンがあるケ−プ地方は、およそ6億5千万年前、地下深くからマグマが上昇してきて、地表に出ないまま、ゆっくりと冷えて固まりました。この岩石はケ−プカコウ岩と呼ばれ、現在でも Sea Point に行くと見ることができます。
 その後、この地域の地層はいったん持ち上がり、風雨や海水による浸食を受けました。数千万年が経つと、地表は広くケ−プカコウ岩が現れていましたが、今度はその地層が次第に沈み始め、全て海の中に沈んでしまいました。浅い海で今度は小石や砂がたまり、地層をつくり始めました。やがて、また持ち上がり、地上に現れて、再び浸食を(しんしょく)受けることになりました。
 現在テ−ブルマウンテンの上部に見られる白っぽい岩石は、海底で堆積した、珪岩と呼ばれる砂岩の一種で主にできています。この岩石は浸食に強く、これによって、現在のテ−ブルのような平らな形が出来上がりました。 

ギアナ高地
http://www.nishida-s.com/main/categ2/42-patagonia-guiana-2/
 ギアナ高地がどのようにして出来たのか、地球科学の専門家でない私には分らない。学者によると、ギアナ高地を形成している岩石は主に先カンブリア紀(20億年前)に生成された花崗岩である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%82%A2%E3%83%8A%E9%AB%98%E5%9C%B0
ギアナ高地を形成している岩石は、主に20億年から14億年前の先カンブリア時代に堆積した砂岩や珪岩からなり、擬似カルストを呈し、巨大な縦穴の存在が知られている。
http://tabidachi.ana.co.jp/note/2273
南米ベネズエラ南部のギアナ高地は、数億年前、海が隆起して出来たところです。雨や川の浸食で軟弱な土壌は削り取られ、数多くのテーブル・マウンテン(現地語で「テプイ」)が険しい姿で荒野に散在しています。
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以上がネットから拾った情報です。河川堆積物が隆起したものなのか、火山砕屑岩として堆積したものなのか、いろんな話があります。花崗岩であるという話もありますが、地層が形成されているのを見れば、堆積してできたものであることは間違いないと思います。
 氷河の下にできた氷底湖内部における火山砕屑物が沈殿・堆積したと考えるのが一番妥当のような気がします。氷底火山が何回もの噴火を繰り返して、堆積層の山を形成したのだと推定できます。メカニズムを図解してみました。


火山活動が活発になると、洪水が起きることは良く知られています。氷河湖決壊と云う現象の実態が私にはよく分りませんでしたが、氷底湖が破壊されて洪水が起きるということが今回良く理解できました。
2010年のエイヤフィヤトラヨークトルの噴火で、航空機が飛行できなくなりましたが、火山の噴火では、噴火物が水に接すると粒子が細かくなって、空中に浮遊するため飛行機のエンジンをいためてしまうようです。氷底湖内部での噴火でも、細かい粒子が堆積して岩石の層状構造(地層)をつくるのでしょう。
次の動画はカナリア諸島エル・イエロ島沿岸で起きている海底火山による海水の濁りを撮ったものです。こうした現象が氷底湖で繰り返し起きてできたのが、テーブルマウンテンやテプイだと考えます。現在の姿は、地殻移動によって温暖な地域に移ったために、氷床が融解して姿を現したのです。大陸が沈降して海没すれば、[1813]で述べたguyotとして海底にあることになります。

PS.
以上解説したように、石田理論では、ギョーが波蝕によって切頭されたとする通説とは違うメカニズムを考えています。
通説による[ギヨーの形成]

比高1000m以上の孤立した円錐形の山は海山(seamount)と呼ばれ、特に頂部が平坦のものをギヨーと呼んでいる。数多くの調査と採泥の結果から、ほとんど火山であることが分かってきており、ギヨーの平頂面から玄武岩の円礫や浅海性の化石などが採取されたことから、波蝕によって平坦化されたことが判明した。
ギヨーは中生代白亜紀から第三紀中新世までの間のさまざまな時期における波蝕によって切頭され、その後、さまざまな原因によって現在の深さにまで沈降したものと考えられている。
赤道付近に存在する多数の環礁は、ギヨーの深さに玄武岩の基盤を持ち、海面に達する厚さの珊瑚石灰岩をかぶっている。ここではこの沈下過程に珊瑚が上方に生育して環礁にまで発展したのであり、生育しなかったり止まったりしたところではギヨーとなったのである。

  [1816] プレートという岩盤に歪が蓄積されることは力学的にありえない
Date: 2013-04-09 (Tue)
産経新聞に「巨大地震の謎に迫る」という記事がありました。謎に包まれた巨大地震の実像に迫る多角的な取り組みが続いている、と紹介されていますが、内容はまったく陳腐なもので、研究者側にも報道するマスコミ側にも進歩がありません。

プレートがくっついて滑らかに沈み込めない固着域では地殻に歪が蓄積して大地震が起きる」とありますが、そもそも、二枚のプレート間で一部は固着していて、それ以外はズルズル自由に滑るというよう状況は力学的にはナンセンスです。固着域という発想自体が「お遊び」であると思います。
論文を書く目的は「考え方を出版すること」であって再現性のあるデータを求められるのは、医薬品とか安全管理とか企業の仕事である、だから「業績もデータも「つくる」んだよ、というアドバイスを受けて衝撃を受けたという告白を以前どこかで紹介したと思います。( 地震学スレ304)工学の世界ではすぐに結果が出るからごまかしてもバレてしまいますが、地球内部の話は簡単には検証できず、真贋がはっきりとしません。地震学の分野には思いつきの「作り話」でもなんとなく仲間の仕事として批判することなく受容してしまう空気があるのではないでしょうか。あるいは、確信がないから否定できないのかもしれません。しかし永久に「作り話」が破綻しないということはありえません。修正が遅れれば遅れるだけ進歩が遅れ、大衆の「被害」は大きくなることを忘れてはなりません。「考え方」さえ提示すれば論文になるというような安易な姿勢で研究を続けていたのなら、研究者の存在そのものが脅かされる「厳しい時代」が来るでしょう。
M9のような巨大地震はプレートが若い場所で起きると考えられてきた。若いプレーとはまだ熱くて軽いので沈みにくく、陸側に固着しやすいとされたからだ。」とありますが、チリと日本付近の海洋底が「浮くか、沈むか」というほどの大きな密度差ができるような温度差があるはずがありません。国引き物語り的な「単なる思いつき話」に過ぎません。
 かつての「宮城県沖地震で解消し切れなかった歪が数百年かけて蓄積され、繰り越し分の累計が限界に達すると断層が大きく滑る。」とありますが、単なる「考え方」であり、プレートという「岩盤」に歪が蓄積されることは「力学的にありえない」という工学者の知見が優勢になったなら、地震学者の信頼は急速に失われるでしょう。
M9地震を想定していなかった反省からか、3千キロの断層によるM10地震の可能性まで拡張しようとされていますが、アトランティスやムーのように大陸規模で沈降する可能性だって、否定はできないのですから、M10を想定しても想定外になる可能性は避けられません。そのような規模を把握して、大衆に恐怖感を植え付けても大衆は迷惑するだけです。
「全容解明には数十年かかる」とありますが、
断層地震説を信奉する限りは永久に全容の解明は不可能です。


  [1815] 海底の岩塩層が教える地球史(2)
Date: 2013-04-05 (Fri)
 厚さ2000mの岩塩層がブラジルとアンゴラの沿岸海底の下にあることには驚きます。また、厚さは十分の一ほどですが、陸上でも観光地として有名な岩塩坑があります。ポーランドのヴィエリチカ岩塩坑は、古くからの観光名所で、岩塩を彫刻した様々な立像、シャンデリアなど人気を呼んでいるそうです。 興味深いのは、その岩塩層にも、普通の堆積岩に見られるような褶曲があることです。

褶曲ができるのは、地層構造を持つ堆積岩(水成岩の場合も、火山砕屑岩の場合もある)が、[1812]で示したように、一旦海底下に沈降し、熱作用を受けて半熔解状態にあるときにできるものだと思います。その後、浮上して完全に固化しますが、固化した陸上では褶曲はできません。褶曲させる原動力は地震(水素爆発)による衝撃的な力だと私は思っています。ですから、固形地盤では断層ができてしまい、褶曲地形になることは無理です。プレート論では大陸同士の衝突によって圧力を受けた地層が、たわむことによって褶曲ができると解説しています。
 地層が「たわむ」時には、元には戻りませんから、応力と結びついた「ひずみ」つまり「生きた歪」はありません。この場合、歪は全て永久歪、「死んだ歪」になるのです。褶曲のでき方を説明するプレート論の考え方は、長期的には「生きた歪」は解消して蓄積されないということと同じです。つまり、長期的に蓄積される「生きた歪」は存在しないのです。「死んだ歪」など怖くはないのです。
 プレート論には矛盾がいっぱいです。「活きている」という活断層が幽霊であることが理解できるでしょう。
写真はユタ州プロボ峡谷の褶曲ですが、解説文(「知られざる地球」NGS)にはさらにこの地層を形成する堆積物は、「もぐってゆくプレートから切り離され、新しい陸地になって大陸にくっついた。」と付加体理論を使って説明しています。

何度も述べますが、プレート論ではプレートは自重が重くなって重力によって沈むことになっています。自分の重みで沈んで行くプレートなるものが、どうして背中に載せた地層を削って鉋屑を造るような力があるのでしょうか。まともに考えればおかしいことが分かるはずです。
 さて、岩塩でも褶曲するという事実は、少なくとも一回は、海底の海水の溜り場→浮上→岩塩層形成→海底に沈降→半溶解状態で褶曲→浮上、というプロセスを経て観光客の前に姿を現しているはずです。ましてや、2000mもの岩塩層を形成するのには、多数回の浮沈を繰り返してきたと考えるのが妥当な話でしょう。この3億年の間に一度も浮沈した地殻はない、海洋地殻は海洋のまま、大陸地殻は大陸のまま([1549])、というのは非科学的な話です。日本では四万十帯が、アメリカではユタ州などの東北部一体が付加体であるという説明になっていますが、これも「空想的な御伽噺」ではないでしょうか。

  [1814] 海底の岩塩層が教える地球史(1)
Date: 2013-04-03 (Wed)
 Guyotの形成を検討する過程で考え方を修正しなければいけないような様々な新しい知見([1781]のギアナ高地テプイの形成原因が火山活動である可能性など。ただし、ウィキペディアでは先カンブリア時代に堆積した砂岩や珪岩となっている。)が得られました。地球の表面はプレートテクトニクスが教えるような単純なものではないことは明瞭に分かります。GoogleMapを見ても世界中の海底に河川が流れていた痕跡などが見られます。どうして海洋底は何万年経っても海洋のまま、大陸は大陸のまま、という認識([1549])に矛盾があることをプレート論者が感じないのか不思議です。[1811]で述べた「飯の種を無くすのが怖い」ということが原因なのでしょうか。
 ところでもう一つ以前から不思議に思っていることが、海底の地層に岩塩があることです。地中海の底には海水の10倍の濃度にもなる塩湖があることは[1250]で紹介しましたし、大陸上には岩塩の生成場所が世界中至る所にあること(かつて海底にあったという証拠)は[1784」で紹介しました。
つぎに紹介するのは、海底下1000mの地盤のその下に2000mもの厚さで岩塩層が存在するという件です。驚くことに、その更に下に石油が眠っているということです。石油が化石燃料であるという常識も吹き飛んでしまいます。その場所はブラジルの近海と、アフリカ大陸西岸沖のアンゴラ北部近海です。ここは両大陸が繋がっていた頃には同じ地域だったところです。まずは、石油が見つかって大喜びのブラジルの空気を伝えるニューズウィークジャパンの報道を抜粋して紹介します。

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http://www.newsweekjapan.jp/stories/business/2010/10/post-1756.php
超深海油田に挑むブラジルの夢と危うさ
2010年10月28日(木)17時42分  エリック・ジャーマン
07年に大西洋のブラジル沖で大規模な海底油田が発見された際、同国のルイス・イナシオ・ルラ・ダシルバ大統領は神の采配だと言った。それだけではない。「その神はブラジル人だ」とか、石油資源はブラジルの「未来へのパスポートだ」などと大はしゃぎ。
 その未来への扉が今まさに開こうとしている。ブラジルの国営石油会社ペトロブラスがいよいよ、トゥピ油田で石油の商用生産を開始するからだ。トゥピ油田はブラジル沖にある埋蔵量数十億バレルと言われる油田の1つだ。
 海岸線から300キロ以上、水深数千メートルのところにあるこれらの油田は、過去数十年間で発見された中では最大規模のものだと言われている。うまく利用すれば、ブラジルに富をもたらしこの国を世界トップクラスの産油国に押し上げる可能性を秘めている。
  ブラジルが開発を急いでいる海底の石油資源は、2000メートルもの厚さの岩塩層の下に眠っている。陸地に最も近い油田でもリオデジャネイロの海岸から南東に300キロも離れており、海の深さは1500メートルを超える。
 正確な埋蔵量は誰にも分からないが、試験掘削の結果からブラジル政府は数百億バレルを見込んでいる。「予測通りにうまく行けば、ブラジルの(石油)生産量は35年までに今の2倍以上になる」と、米エネルギー省エネルギー情報局のジョナサン・コーガンは言う。
世界5大産油国入りも夢じゃない
  現在のところ、採掘されているのは比較的浅い場所にある油田だ。だが07年に発見された油田の多くは水面下7000メートルあたりに位置している。
 ここから石油を掘り出すには、さまざまな高度な技術が求められるだろう。海流や凍りそうな水温や猛烈な水圧、そして泥や砂、石や岩塩と戦って掘り進まなければ石油にはたどり着けない。
 3000メートルもの厚さの岩や堆積物の層を砕いた後に待っているのは1500メートルほどの厚さの岩塩の層だ。これを掘るのは非常に困難だとテキサス大学の教授(石油工学)でペトロブラスの顧問を務めるカルロス・トーレスベルディンは指摘する。「この岩塩層の固さは花崗岩並みになる
 それでもその困難は、メキシコ湾の海底油田掘削と同じくらいだと彼は言う。同じテキサス大学石油・地球システム工学部のタッド・パツェク教授が懸念しているのはまさにこうした考え方だ。メキシコ湾の原油流出事故の原因について米連邦議会で証言したこともあるパツェクによれば、超深海油田の構造は石油会社が認める以上に複雑化し制御困難になっているという。(後省略)
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 以上がブラジルのニュースの抜粋です。期待はアンゴラでも同じようです。
 両国の現場は図から判るようにかつて大陸が地続きだった頃には同じ地域だった場所です。

どちらの鉱区でも2000mという厚さの岩塩層があり、その下部に石油が眠っているそうです。

2000mの岩塩を作るのには数万mの海水位が必要になりますので、日本海溝やマリアナ海溝のような深海底が一回大陸として浮上したとしても、そして天日で干し上げられたとしても生成できるものではありません。
 つまり、地殻というのは相当の回数海底に沈んだり、陸上に浮き上がったりというプロセスを繰り返しているはずであるということです。
 多分プレート論者は、それはパンゲアが誕生する3億年より前に起きた事象であって、この3億年の間は、プレート論が成立しているのだ、と強弁されるのでしょう。しかし、3億年以前に起きていたことが、最近の3億年間には起きていないなどということは非科学的な主張です。
 海洋底が教えてくれる不思議さを素直に受け取って、地球史を考える必要があります。どうか、プレート説を脱ぎ捨てていただきたいと願います。石油の生成に関しても、化石燃料ではないことをゴールド博士が主張しています。認められることなく博士は亡くなられましたが、[1811]で述べた「あの世の命」を永遠に得られるのではないかと思っています。

  [1813] ギョー(guyot)の形成について(3)
Date: 2013-04-02 (Tue)
 地学雜誌(第 673〜674 号)にguyotのことを「溺れ島」と云う表現で紹介する記事がありましたので、紹介します。guyotの名付け親であるプリンストン大学のハリー・ハモンド・ヘスの論文を紹介する記事です。ヘスは自分が発見し、名付け親となったguyotが深海にある理由を説明するために、プレート論の言いだしっぺになったのでしょうか。そうだとすれば、人類に随分回り道を強いてしまったように私には思われます。

Harry Hammond Hess(1906-1969)

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太平洋の中の溺れ島
太平洋の測深に関するデータが蓄積されるに從つて、太平洋の中には海面下数百乃至1.000尋の所に頂上を持つ溺れ島が沢山あることがわかつて来た。それに関しPrinceton大学のH. H. Hessは最近までのデータを綜合し、かつそれに基いて太平洋の地史に関する新しい解釈を述べているから、その大意を紹介する(Drewned Ancient Islands of the Pacific Basin, Smithsonian Institution1948)
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 これらの溺れ島は特徴のある形態を示し、全体として火山を想像させる楕円錐状を呈するが、頂上は平坦な面で切られている。頂上平坦面の大いさは小さなもので径2哩位、大きなものでは径35哩に達する。平坦面の周囲は外側に向つて2° 位傾斜した狭い緑を経て急に20° 以上の急傾斜になつている。また平坦面の上には全く堆積物を見ない。
 この特異な溺れ島に対してHessは"Guyots"、と命名している。(19世紀の地理学者Arnold Guyot.にちなむ。)
 今までにわかつたguyotの分布は、北緯20°前後で東経145° から西経165° の間と、北緯10°〜15°、東経160°〜170°の区域に特に多い。またすべて安山岩線の外側にある。
 Marshall群島のatolls(環礁)はこのguyotの上に造碓珊瑚が生長してできたものである。原子爆彈の試験の行われたBikini Atollでは地震探査とボーリングで詳しい調査が行われたがguyotの上の珊瑚礁の発達が非対称的であるため土台のguyotはその影響で傾動していることがわかつた。
 guyotの分布している区域は太平洋の中でも地質時代を通じて安定な剛塊であつたことは、地質的に認められている所である。またその区域内中にはハワイのような火山活動が見られるが、現世に限らず、古い地質時代にも同じような火山活動があったに違いない。それらの火山活動が休止してからはどうなったであろうか。恐らく侵蝕作用によつて海面近くまで平坦化され、やがて海蝕台として水面下に没したであろう。
 さて海底に軟泥が堆積して行くと、guyotにとつてはそれだけ海面が上昇して行くことになり、カンブリヤ紀の始から今までには種々の点から500尋位海底が上つたと解釈される。guyotの頂上は一番浅いもので500尋附近にあるから、guyotは一般に先カンブリヤ時代に太平洋にあつた火山島の名残りと考えられる。カンブリヤ紀以後には石灰質を沈澱する生物が現われ、殊にオルドス紀以後は造礁珊瑚の発育によって、guyotの平坦面の上には海面の上昇に應じた石灰岩の堆積が現世まで続いたと考えられる。從つてカンブリヤ紀以後のguyotはすべてAtollの下にその土台となって居り、石灰岩の重量のため元よりも幾分沈降していると考えられる。(片出信夫)
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 以上が「溺れ島」と命名されたguyotに関するヘスの論文を紹介する記事です。Guyotの分布は[1807]でも図示してありますが、太平洋に多く、大西洋やインド洋には見られないようです。この地域がかつて極地域であった可能性はあるのでしょうか。
[1217]には、各地殻上のブロックから採取された岩石の残留磁気の情報を使って推定した極の移動曲線を紹介しました。

極の移動は、斉一的ではなく激変的ですからUFO型またはバッタの移動型のようになるはずです。したがって曲線で結ぶこと自体が意味を成しませんが、この曲線上のどこかに極があったことを意味しています。また、採取ブロックごとに移動曲線が違っていますが、これは当然のことだと思います。
 なぜなら、岩石の残留磁気からその当時の極を推定するには、残留磁気の方位角と伏角を調べて決めるからです。各ブロックごとに違った形式で岩石の母体地盤そのものが、水平方向にも垂直方向にも「ねじれた運動」をする可能性があるわけですから、正確な極点を求めるのは不可能のはずです。 
 ですから、かつて大西洋が閉じていたが、大陸移動によって大西洋が開いたと結論付けたニューカッスル学派の研究成果は評価できないと私は思っているのです。(参照:[1215][1312]など)
 さて、そうは言うものの、この移動曲線を見ると、guyotが見つかっている太平洋の北側に昔の極が存在した可能性があり、インド洋、大西洋には存在した可能性がないことが見えてくるのではないでしょうか。太平洋の北部域に極(北極)があった時代に広大な氷床・氷河が発達し、その下で噴火した火山によって今のguyotができたと考えられます。
 とすれば、一方の極(南極)は地球の反対側にあるはずです。その位置は地球儀を見ると、現在の南大西洋に相当します。アフリカ大陸と南アメリカ大陸とは、繋がっていた可能性が高いですから、[1807]のPS部分で述べた推定、すなわちアフリカ南部や、南アメリカのギアナ高地などは、当時の南極氷床下で誕生した可能性が見えてきます。赤道直下のナミビアの砂漠で氷河の痕跡が見つかったことから、地球全体が凍結していたという御伽噺のような理論(全地球凍結論)がありますが、こうしたトンデモ理論を創作しなくても済む事を、アインシュタインは察知してハプグッド教授の[地殻滑動論]を支持したのだと思います。
 因みに、次の写真はケープタウンのテーブルマウンテンとギアナ高地のテプイの遠景ですが、見事な卓状をしています。





下の二枚は太平洋にあるguyotの音響調査による形状ですが、太平洋が浮上することがあれば、上の写真と同じような偉容を見せてくれるでしょう。海底にあるのか、陸上にあるのかという違いがあっても同じプロセスで出来上がった山のような気がします。



マリアナ海溝に存在するいくつかのギョー(guyot)の形状
http://ccom.unh.edu/theme/law-sea/mariana-trench-pacific-ocean/mariana-obliques



PS
ヘスがプレート論を信じていたのかどうか、学会の潮流を見ていただけなのかは、不明です。星野先生の解説ではヘス自身が「空想的なお伽話」と見ていたようにも思われます。以下のような記述があります。
「ヘスは、第二次大戦のとき、米国海軍に招集されて輸送艦に乗っていた。その時、艦の音響測深器の記録から、西太平洋のギュヨーを発見した。ギュヨーとは、海底に分布する、富士山を中腹で胴切ったような、平頂の火山である。ヘスは、特異な形のこれらの山に、自分の教室の創設者の名をとって、ギュヨーと命名した。かれは、太古の時代に火山島が波に削られて平らにされ、その後海底に沈んだものがギュヨーである、と発表した。このように着想に富むヘスは、ヒーゼンの話をきいて考えた。大洋底を二分する海底山脈は、地球の中から溶岩が湧き上がったもので、溶岩は頂上で二つに割れ、それぞれ反対方向に移動して、新しい海底をつくっていく、と。
 ヘスがこのように考えたのは、もう一人のHのつく地質学者、A・ホームズの研究が土台になっている。ホームズは、放射性元素による熱で、地球内部の物質は溶かされ、対流を行っている、と発表していた。ヘスは、ホームズの考えをとりいれて、湧き出した溶岩の板(プレート)は、内部の対流にのって運ばれていく、と考えた。     しかし、ヘスは、これを空想的なお伽話といっていた。この年(1962)、ヘスは米国地質学会会長に選出された。かれはこの着想が、当時の学会の風潮にそぐわないことを知っていた。しかし、ヘスの考えは、英国ケンブリッジ大学の地磁気研究者の成果と組み合わされて、地球物理学者の間に急速にひろがっていった。1967年の米国地球物理学連合会の総会のとき、プレート論は、従来の地球科学の学説に全面的にとって代わっていた。

  [1812] 海洋地殻の形成を考える
Date: 2013-04-01 (Mon)
[1598]でも紹介しましたが、ロシアの研究者たちが東太平洋で詳細な海底調査を行っています。その調査結果からは海底の地殻が、一枚のプレートとして移動しているような証拠は何もありません。大陸の地殻と何ら変わりのない様相を示していることがわかります。
プレート論に拘っておられる方の認識を変ていただくために、もう少し詳しく海洋底地殻の実態を紹介します。タイトルは「太平洋、Clarion-Clipperton断裂地域の海洋底基盤からの岩石」というもので、ClarionとClippertonという二つの断裂帯の間にある中央海丘付近で、海底をトローリング、または、ドレッジして採取した採取岩について検討を加えています。
要点を抜粋して紹介します。
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最近まで、 世界の海洋底の基盤岩は構造的にも物質的にも均質であるという概念が優先されてきた。 地球の海洋地殻上部すなわち海洋地殻第2 層を構成しているいろいろな年代の玄武岩質基盤は、 岩石学的に均質であり、 中央海嶺玄武岩からなると信じられてきた。(海洋底拡大説による認識)
ここでは、 海洋底表面での採取岩の起源に関する3 つの仮定のもとに議論する。
第1の仮定は、採取岩がその地域起源であるとするものである: 角張った破片物質、 とくに新鮮なかけらは、 海底における基盤岩の沖積物質である。
地下深くにある基盤岩が断層帯に沿って隆起し、地塁や正断層崖に露出した。 円礫物質は礫岩由来の沖積物質である。 礫岩沖積物質は、 基盤岩の岩石露頭と同様、 海洋底に露出するものである。 この露出は、隆起した地塁では断層帯内、音響基盤の突出、および正断層崖にみられる。

第2の仮定(第2と第3はプレート論者の認識)は、トローリングで採集されたすべての採取岩は氷山によって太平洋の赤道地帯まで運ばれてきたもので、相互に無関係な物質である、 とするものである。Mendocino 断層北側の北東太平洋の海山上での柱状コアにおいて、 岩石と典型的な氷山堆積物が識別され、研究された。第四紀のある時期に、カルフォルニア海流とともに移動してきた氷山が熱帯地方まで到達達したと仮定されている。現在、 北半球における氷山による岩石物質の分布限界は、 氷山の分布を最も南に想定しても、 それは北緯30° までと信じられている。更新世の最大気温低下期には古気候帯の境界が実際に赤道方向へ移動し、 海洋表面温度が全般に3°C 低下したとしても赤道地帯における海洋堆積物の生成に氷山の影響を想定することは不可能であろう。 もし、 Clarion-Clipperton海域から採集された採取岩の少なくとも一部が氷山による超遠距離運搬の付随的な氷山起源物質であることが今後の研究で証明されることがあれば、 そのときには、熱帯における鮮新世〜更新世の氷山分布の古地理学境界は著しく南寄りに訂正されなければならない。
第3の仮定は、流木の根や海棲動物による岩石物質の運搬である。 しかしながら、 この仮定には根拠がない。
結 論
1.組成から見て、 クラリオン- クリッパートン断裂海域の中央部でドレッジされた採取岩中の角礫状岩石片は、 おそらく時代の異なるコンプレックス(複合岩)先カンブリア紀(?) 花崗岩- 変成岩コンプレックス白亜紀地向斜火山岩- 珪質岩- 堆積岩コンプレックス先始新世海洋玄武岩コンプレックス、 および玄武岩- 安山岩- 流紋岩コンプレックス)に対応する岩石学的関連グループにまとめられる。
2.全般的に、採取岩中の礫のほうがやや広い組成範囲をもつものの、採取岩中の礫の組成は角礫状岩石片のものに類似する。
3.従来の概念では世界海洋の基盤岩はかなり単純な地質構造と考えられているが、採取岩組成の研究は、 第3海洋層( 玄武岩の下位層) が異質な成因をもつ構造で構成されていることを示す。 第2海洋層の玄武岩の年代よりも古期の岩石コンプレックスによって形成された海洋地殻の複雑な地質構造発達史は、太平洋のこの海域の複雑な地史を反映していて、 全体的に北米西部の地史に類似する。
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以上ポイントだけを抜粋しましたが、太平洋中央海丘付近の海底には、基盤岩が露出していたり、断層崖があったり、沖積物質の丸みを持つ礫があったり、大陸上の岩石構成と変わらない様子が見て取れます。
つまり、[1778]と[1781]で示したように、大陸は巨大海洋火山の噴火、地震の連発によって海底が浮上して誕生します。したがって大陸の地殻には[1778]、[1781]で解説したように大陸独特の花崗岩が生成されます。一方地震の爆発方向が水平の場合には大陸が沈降し、海没することもあります(ムーやアトランティス、レムリアなど)。

海洋化の過程では、様々な岩石で構成される可能性があります。大陸上で浸食作用が激しかった場所では、花崗岩が基盤岩になるところもあるでしょう([1811]で示したように)。河川型浸食でできた礫岩もあるでしょう。陸上由来の火成岩もあるでしょう、何度もの隆起・沈降過程でできる変成岩・複合岩もあるでしょう。このように、様々の複雑なプロセスを経て地殻というものは出来上がっていると考えられます。沈降した花崗岩も海洋底と云う熱放出の少ない高熱下では溶融し、再度固化するときには玄武岩になると思われます。
大陸は花崗岩の存在が特徴的であること、海洋にはそれが少ないことは確かですが、それを除けば、海洋地殻と大陸地殻の違いは厚さが薄いこと、固化する前の堆積物があること、などを除いてほとんど差がないという認識が石田理論の見解であります。海洋底の地殻が薄いのは熱の放出が少ないことが原因です。大陸の上、しかも高山になるほど、空冷式の冷却が働いて冷却が進むのです。[1781]とこの解説とで、大陸地殻と海洋地殻に関する現時点での石田理論の見解を述べてみました。

  [1811] 人生で一番大切なものは何か
Date: 2013-04-01 (Mon)
 プレート論が完全に破綻していることを示す証拠があることはすでに[1386]で述べました。大西洋にも太平洋にも、そしてインド洋にも海底には大陸性の岩石が見つかっているのです。また、海嶺から新しいプレートが誕生していることになっていますが、海嶺付近に古期岩石があったり、海嶺から離れた場所に新しい岩石があったり、プレート論の矛盾は膨大な資料が証明しているようです。
次の図は大陸性の地殻が見つかっている場所を示したものですが、どの海洋にもかつて大陸として存在していた場所があることを示しています。

かつて、太平洋にはムー大陸があり、大西洋にはアトランティスがあり、インド洋にはレムリア大陸があったという「太陽の法」に説かれている記述を裏付けるような客観的証拠なのですが、プレート論者は見向きもしません。不思議なことですが頑なに自論のなかに閉じこもっています。
プレート論に代る新しい地球観を見出そうとしているNCGTのChoi氏は [1385]で紹介したように、プレート論を捨てられないのは研究者が「研究資金を失う、職を失う、地位を失う」恐れがあって、現在の生活を守るために沈黙を守っているのだ、という意味のことを次のように語っています。

『私たちのニュースレターをeメールで送っていることもしばしばです。しかし、彼らの多くは、反応しようとしません。彼らは、私たちとの科学的討論につきあうことよりも、むしろ沈黙を守っていたいのです。おそらく、もし彼らが本気で非プレートモデルを採用するとなれば、彼らの研究の蓄積(研究資金)が枯渇してしまうであろうことを恐れるか、あるいは彼らの仕事や彼らの将来が心配になってしまうため、彼らは(プレート説に)代わるべき案を考えたり、知りたがろうとは決してしません。

これは世界的な現象で日本も同じことです。社会的な権威の頂点に立つ東大地震研究所教授の知見が役に立たなくなっているどころか、社会の発展を妨害している現実があるのにもかかわらず、学者の中からも、マスコミの中からも改革の声があがってきません。保身の術と云う硬い殻を脱ごうとする人がどこにもいません。
 思うに、これは『人生で一番大切なものは「この世の命」である』という戦後社会に誕生した思想なのかもしれません。自分の信念のために職を失い、地位を失い、飯の種を失うような行為は「この世の命」を捨てる自殺行為である、よって、保身の術ほど大切なものはない、だって一番大切なものを守ることになるんだから、ということでしょう。
しかし、現実には「あの世の命」というものがあることを知らなければならないでしょう。それは、この世の命が終わった後からの評価・名声といってもいいのかもしれません。歴史の評価・審判というものです。彼らはそんなもののために「この世の命」を捨てられるか、と思っているのでしょう。石田理論への罵声が少なくなっては来ていますが、たくさんの罵詈雑言を聞いてきました。その発信者にも「あの世の命」があることを知って置いていただきたいと思います。そんなものは「旅先での恥」と同じで「掻き捨て」だよ・・・で済めばいいのですが、「自責の念」というものがこの世だけでのものならいいのですが、あの世がなければいいのですが、何年後かにやがてわかることでしょう。

  [1810] マスコミは異なる意見を報道する責任がある
Date: 2013-03-30 (Sat)
産経新聞の本日の「主張」を紹介します。

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活断層を誤認 原発調査は大丈夫なのか
2013.3.30 03:42 [主張]
 開いた口が塞がらない。耳を疑う失態だ。
 東京大学地震研究所の教授らによる活断層調査での誤りである。
 東京都内の工場跡地の地中に打ち込まれていたコンクリート製の杭(くい)を、首都直下地震につながる立川断層の破砕帯と見誤ったのだ。
 偶然が重なったとはいえ、「失敗学」の好事例となりそうな初歩的、かつ重大なミスである。調査現場を見学した部外者の指摘がなければ、とんでもない間違いが大手を振ってまかり通り続けるところだった。
 教授は、原子力規制委員会で原子力発電所の活断層を調査する有識者の一人である。
 今回の誤りは教授自身によって訂正されたが、この事例は、原発での活断層調査の進め方や解釈に関して、規制委が教訓とすべき多くの事柄が存在していることを教えている。
第1は、先入観の怖さである。教授は「見たいものが見えてしまった」と告白している。他の研究者も他山の石とすべき言葉だ。
 掘削調査地点には、活断層の破砕帯が存在するはずだという思い込みが、コンクリートの杭の断面の並びを、横ずれ断層の証拠の石と見せてしまった。
第2の教訓は、仲間内だけの調査には、思いがけない陥穽(かんせい)が口を開けて待っているということである。何人もの専門家が現場を観察しているにもかかわらず、見抜けなかった。活断層調査を舞台にした「集団催眠」といえる。
第3は、異なる立場の意見を許容することの大切さだ。土木工事の視点があれば今回のミスは最初から避けて通れたはずである。
 以上の教訓を、規制委による原発の活断層調査に照らしてみるとどうだろう。尊重しなければならない教訓を3つとも踏み外した危うい姿が浮かび上がる。
 規制委は、現在の調査の在り方を改めるべきだ。メンバーの有識者には変動地形学者への偏りがある。過去に原発調査に関わった専門家を加えることも必要だ。民間調査団の設置も有効だろう。
 「活断層狩り」の愚からも目覚めなければならない。可能性が否定できない断層には、施設の耐震性の強化で対応するという健全な発想が望まれる。活断層の判定に100%の確実性はあり得ない。今回の失態を天の啓示として謙虚に受け止めてもらいたい。
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 以上が産経紙の「主張」ですが、充分に説得力のあるものであり、調査のあり方を変えていただきたいと私も思います。
しかし、「活断層調査への疑問」に関しては、このセミナーで何度も取り上げており、5年前にもこの
セミナー「1505」で述べております。朝日新聞に投書したが掲載拒否されたことも紹介しました。
私が各地で講演会開催するときには、地方紙にも、全国紙にも挨拶に伺っております。地震学が間違っていること、活断層調査は意味がないこと、CCSは危険であること、などなどの内容を講演するので、取材をお願いしますとお願いに上がっております。地方紙でも全国紙でも担当者は快く話を聴いてくださる場合が多いのですが、全国紙の場合には記事になったことがありません。その理由が分らないのですが、「異なる立場の意見を許容することの大切さ」を大事にしていただきたいと思います。
 記者としての判断ができなければ、判断は読者にお任せし、まずは
異なる意見を報道する寛容さをマスコミは持って欲しいし、
少数意見でも報道する責任があることを認識して頂きたい
と思います。

  [1809] 佐藤教授の心の底にあるもの
Date: 2013-03-29 (Fri)
東大地震研究所の佐藤教授は「断層を見つけたいという強い思いがバイアスになって『見たいものが見えてしまった』ということだ」と述べています。


純粋に学術的な調査ならば、「見つけたい」という強い思いも許されるのでしょうが、今は地震学者の判断が国家の政策を左右するという重要な責任ある立場にあることを忘れてはいけないと思います。佐藤教授は東通原発の診断にも加わっていましたが、このような「心的傾向」を持っている教授をメンバーに入れておくことは問題があると私は考えます。「見つけたい」という思いの底にあるものは「原発を作らせない」という思いに繋がっているからです。こんな騒ぎになっても、まだ「見えているのはコンクリートの破片であったが、地下深部には断層があると考えられる。」と述べています。そのように考える根拠を何も示していません。学術的な面からもっと冷静に国民に納得できる解説のできる学者を選ぶべきであります。
 ここへきて矛盾が噴出しているのは、地震学関係の象牙の塔(といっても模造品ですが)的な体質です。東大をトップにして、旧帝大関係者にしか研究費が回らないらしい研究体制を変えて、自由闊達な雰囲気を作らないと地震学の発展はありません。しかも、急がないと国家を衰退に導いてしまう恐れがあるのです。何度も言ってきましたが、
プレート論を脱皮し、活断層理論の愚かさに気がついていただきたいと思います。


  [1808] 地震学者の実力がバレた
Date: 2013-03-28 (Thu)
 立川断層の認定を間違えたことを見学者の指摘で気がついた、というお粗末な東大教授の会見があり、今日は驚かされました。
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コンクリ柱を「断層」と発表、東大地震研が謝罪 立川断層調査で「石と思い込んだ」 
2013.3.28 09:57

 東京大地震研究所の佐藤比呂志教授(構造地質学)(謝罪会見の写真はお気の毒ですので省略します。)は28日、東京都立川市などで行った活断層「立川断層」の掘削調査で、地下に埋め込まれたコンクリート製とみられる柱状の人工構造物を断層活動で動いた石と思い込み、「活断層を確認した」と誤って発表していたことを明らかにした。
 この場所にあった工場の基礎工事で打ち込まれたコンクリート製のくいの可能性もある。会見した佐藤氏は「断層があると予想した位置にあり、断層と思い込んでしまった。大変申し訳ない」と拙速な判断だったことを認め、謝罪した。
 地震研は2月に現場を公開。見学者から「人工物ではないか」との指摘を受け、再調査で誤りが判明した。ただ、立川断層の存在そのものは否定されず、さらに深い地下に潜んでいる可能性があるという。
 立川断層は「立川断層帯」の一部で首都直下地震を起こす可能性が指摘されている。
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 写真の現場を見てこれが活断層だと認定する「認識」に驚きを感じます。見学者からの通報で再度深く掘ってみて気がついたということです。
 読売新聞の報道記事には、「一種の催眠術にかかっていた」「バイアス(先入観)があったと思う」と答えたという報道もありました。「資質がないので辞めろというなら職を辞したいと思うが、引き受けた限り、研究者として責任は全うしたい」とも述べたとも報じています。
また毎日新聞の報道では「佐藤教授は「天然の地層を判断する知識はあるが、土木工事の経験はなく、上から人工物を挿入した可能性は考えなかった」と話した。」とあります。しかし、土木工事の経験がなくとも、写真の状況を見て断層(段違い)がないことは素人でも判断できます。
 今回の事件が示していることは、特に東大の地震研究者には「断層は悪性のコレラ菌のようなものだ、市民のために絶対に見逃してはならん。」というような正義の味方的な勘違いに基づく先入観があるのではないかと疑いたくなります。コンクリートの破片が並んでいるのを断層と見間違えたということですが、活断層という見方そのものが、何でもない善玉菌をコレラ菌のように勘違いしている偏見があるのです。正直言って資質はないと思われますから、職を辞することがご本人のためにも、国家のためにも、これ以上ダメージを広げないという観点で最善の策かと思います。

PS:写真「頭を下げる東大地震研の佐藤教授」を見て驚きました。頭は下げていますが、両手を後ろで組み上半身を前傾させているだけで、謝罪の雰囲気は出ていません。東大教授ってのはこんな資質なんですかねぇ・・・。東大地震研紛争以来人格の養成など忘れられ、人間性も劣化したのでしょうか。

  [1807] ギョー(guyot)の形成について(2)
Date: 2013-03-28 (Thu)
ギョーの形成メカニズムに関して疑問に思うのは、海面上の火山が波浪の作用で侵食されて平らになるという件です。ギョーは大きなものになるとシルバニアギョーのように長径が20kmを超えるような大きなものがあります。

そのような広大な範囲をブルドーザーで地ならしするように、波浪が工事できるわけがありません。波は海浜で砕けてしまうので、島の中央まで侵食することなどできません。環礁などでは沖合いの珊瑚礁で波浪が砕け、大波は渚まで進入しないことは周知の事柄です。波が島の頭を平らに浸食して、平頂海山を造るというのはナンセンスな話です。
また、ギョーを発見したのはヘスであり、命名したのも彼ですが、彼は大洋底拡大説をとなえプレート説の生みの親となりました。そして、プレート説によってギョーが深海へと沈水した理由を次のように説明したと、星野先生は「反プレーとテクトニクス論」の中で紹介しています。
「ギョーは、中央海嶺の火山島としてはじまり、そこで頂上は平らにされ、プレートにのって移動しながら、しだいに沈んでいった、というのである。わが国の研究者の中にも、ギョーの沈水は、プレートの冷却に伴う海底の沈降というモデルが、もっとも合理的である、と主張しているものがいる。しかし、ギョーの頂上水深は、中央海嶺から離れるにつれて、しだいに深くなっているわけではない。ギョーの頂上水深は、たとえ小地域の中でもばらばらである。」

上の図はヘスの解説を図解したものですが、納得できるものではありません。星野先生も反プレート論者ですから、ヘスの説明を否定しておられるのですが、なぜギョーが深海に存在するのかについては、ギョーができた白亜紀には海面が今よりも4000mも低い場所にあったと述べておられます。しかし、海面が4000mも上昇する理由を発見することは困難です。石田理論ではムーやアトランティスが沈下したことから考えて、陸上でできた氷底火山であるギョーが地軸移動(地殻滑動)と巨大地震によって海没したというのが真相であると思っています。

沈水海山の分布(Menard 1964)より石田が加工


ギョーは赤色でマークした太平洋に多く存在していますが、この辺りにかつて極地が存在し、氷河または氷床が発達していたのではないかと推定します。
 アインシュタインがハプグッド教授の「地殻滑動論」を支持し、賛辞として送った言葉を[1559]で次のように紹介しました。

「初めてハプグッド氏からの手紙を読んだとき、私は強い衝撃を感じたことも事実である。ハプグッド氏の考え方は今までにはなかった新しいもので非常に簡潔でわかりやすく、・・・・さらに実証性が高まれば・・・地球の地表の歴史に関する、他のどんな説よりも重要な説となるであろう。」

博士が賛辞を送ったのも、氷河期の謎、古代文明の謎など、「地球の地表の歴史」を解き明かす重要な説となることを認識していたからであろうと思います。地球の姿勢は不動である(現代の天動説みたいなもの)とか、マントルは固体であって、大陸が海没したり海底が隆起して大陸になるなんてことはナンセンスなトンデモ理論であると大学で教えています。そういう固定観念に縛られて、教育を行っている限りは地球科学の進歩発展は望めない、と云うことをアインシュタインは忠告していたのではないでしょうか。
 少なくとも若い世代の大学生諸氏には、もっと自由闊達な発想で研究して頂きたいものです。

PS
[1086]および[1542]で検討したハワイ・ワイメア渓谷のあるカウアイ島の成因もこの氷底火山であると考えると、謎は解けるように思います。氷底火山として陸上で形成されたのなら、カウアイ島の構成岩は火山砕屑岩であって、グランドキャニオンの成因と違うという「とりまき」氏の指摘も分りますし、地層のような水平な構造も納得ができます。
 もしかすると、ギニア高地や南アフリカ・ケープタウンなどにあるテーブルマウンテンも氷底火山として誕生したのでしょうか。全球凍結と云う事象はないと思っていますが、かつては南米も南アも極地入りしていた時代があるのかもしれません。どなたかヒントになるコメントをお聞かせください。

  [1806] ギョー(guyot)の形成について(1)
Date: 2013-03-27 (Wed)
 私は以前からギョー(guyot 平頂海山)の形成に関する説明に疑問を感じていました。定説では、海底火山の中腹が波浪による侵食で削り取られたもので、その後で珊瑚が成育できないほどの冷たい深水域まで沈降したのであるということになっています。沈降したことは確かでしょうが、波で削られたとか、プレート論を使っての説明などに疑問を抱いています。

 私の考えではこうした平頂火山はかつて極地域の氷底火山(氷床火山)として誕生し、地軸変動で温帯域に移動して氷床が融解したもの(紹介するアザス高地やアイスランドのもの)、または移動後に地殻変動で深海に沈降したもの(問題にするギョー)ではないかと思っています。疑問点を述べる前に氷底火山とは如何なるものかを紹介します。
紹介するのは、火星の地質研究に役立つということで地球上の氷底火山を調査された小松吾郎氏のものです。
 シベリアのアザス高地はかつて広く氷に覆われていたそうで、その時代に氷床の下部で誕生したというプリオゼルニイ山を踏査された報告(惑星地質ニュースVol.20 No.4 Dec.2008)から抜粋して紹介します。
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マグマと氷が出会うとき―アザス高地への遠征調査―
小松吾郎 
 今回は2005 年夏にロシア科学アカデミー・シベリア支部と共同で遠征調査を行ったアザス高地の火山群(研究地域の中心位置は北緯52°25′、東経98°25′、次図の中央黒丸)について紹介する。 

 アザス高地はシベリア南部、ロシア連邦内のトゥバ共和国東部に位置する海抜2000m以上にも達する火山台地であるが、その詳細はほとんど知られていない。この台地を含むサヤン山系は第四紀に広く氷に覆われていた時期が何度もあったとされている。
また玄武岩質の火山活動が断続的におきた。
 このような状況は古代の火星でも十分にありうる。火星は、玄武岩などの火山岩が広く地表に存在し、過去には低緯度地帯まで氷が覆っていた可能性をもつ惑星である。よってマグマと氷の相互作用が研究対象の一つとなっている。私がアザス高地を調査するのはこのためであるが、氷と火山活動相互作用はアイスランド、カナダ、アラスカ、南極でも知られており、研究も進んでいる。(略)
  道中、急峻な山岳地帯、広大な湿原、激流渦巻く河川など行く手に障害が次々に現れ、嵐や蚊の大群にも襲われることしばしであったが、その甲斐あって目の前に出現した火山群はそのテーブルのような形態でもって驚かせてくれた(図2)。

図2 アザス高地にある氷底火山の一つ、プリオゼルニィ山。
現在氷床は消失しており、また歴史時代に火成活動は記録されていない。


火山と言えば一般的に円錐形あるいはカルデラという感覚を持っている私にとって、とても奇妙である。氷床(氷河の中でも面的に大きいものをここでは便宜的にそう呼ぶ)のような厚い氷の下でマグマが噴出すると、その周囲の氷が溶け、溶岩が急激に冷やされるためハイアロクラスタイト(hyaloclastite)と呼ばれる破砕されたガラス質の火山岩が生成される。枕状溶岩の破片が入っていることもある。ハイアロクラスタイトは氷床内の融水湖の中で堆積するが、マグマの噴出が続くと成長した山体が氷床の頂上に達する。続く山体成長では、溶岩が玄武岩質の場合には粘性が低いので、傾斜のゆるいほとんど平坦な山体をつくる。
 こうして最終的に頂上が平たく側面が急斜面のテーブルのような形の火山が形成されるが、これらは火山学ではトゥヤ(tuya)と呼ばれる(トゥヤも含めた氷の下でマグマが噴出してできる火山一般の総称は氷底火山である)。(略)
 面白いことにアザス高地にはハイアロクラスタイトと関連がないスコリア丘も存在している。これは氷の分布が小さくなったか、あるいは完全に消滅した時期にも火成活動があったことを示す。
したがって火山の形成年代がわかれば、アザス高地が氷に覆われていた時期の推定ができるのだ。年代測定の精度にやや問題があるのだが、最後にアザス高地が広範囲に連続した氷で覆われていたのは5万年以前ではないかと考えられている。
 このようにしてシベリアにはマグマと氷が相互作用してできる火山地形が存在し、その研究は火星の似たような地形の理解に大きな寄与をすると考えられている。(略)(国際惑星科学研究大大学院、ペスカーラ、イタリア)
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以上が小松氏の報告抜粋です。文中にもあるように氷底火山はアイスランド、カナダ、アラスカ、南極でもたくさん見られるそうです。
 次の写真は音響測深によるギョーの形状ですが、かなり明瞭に平坦な形状が捉えられています。

ギョーの音響測深記録(Hess,1946)

深海底では陸上のような浸食作用がないから、形状が保持されているのではないかと考えられます。
 要するにギョーとは海底に移動した氷底火山であるということす。定説への疑問については次回に述べます。
PS:
氷底火山(卓状火山)のできかたを解説する図面が小山真人先生のサイト「ヨーロッパ火山紀行」に載っていましたので紹介します。

卓状火山のできかた

  [1805] シュードタキライトは地震の化石ではない
Date: 2013-03-23 (Sat)
地球全史(岩波書店)という写真集にシュードタキライトの写真が載っていました。以前このセミナー[65]でも述べましたが、私はシュードタキライトというものが「地震の化石」であるとは考えておりません。私の主張する地震の化石は[65]に載せてあるものです。まずは地球全史の写真を紹介します。

写真Gシュードタキライト@(フレデフォート衝突構造)……南アフリカ
フレデフォート衝突構造は、約20億年前の衝突でできた世界最古のクレーターの名残り。
もともとは直径300kmの世界最大のクレーターだったと推定される。
巨大すぎるために衛星画像のほうがわかりやすいい。
衝突のターゲットになったのは30億年以上前の花岡岩で、衝突後の侵食によって地表は約4km削られ、地下深部の構造が見えている。
写真はシュードタキライトと呼ばれる溶離岩石。



写真HシュードタキライトA(フレデフォート衝突構造)……南アフリカ
巨大クレーターに特徴的なのがシュードタキライト。
シュードタキライトはターゲットとなった岩石(ここでは花崗岩)同士の摩擦によって溶けて固まった岩石である。
この写真はシュードタキライトの断面を見たもの、写真Gは同じシュードタキライトを上から見たもの。幅1mで長さ数十mにも達している。




ところで、シュードタキライトについて日本大百科全書(小学館)には次のような解説が載っています。
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シュードタキライトpseudotachylite、pseudotachylyte
断層に沿って急激なずれ(運動)が生じると、摩擦熱が発生して岩石の一部が溶融し、周辺の岩石中に脈として入り込む。これが冷却・固結したものをシュードタキライトという。タキライトという玄武岩質ガラスに似ていたことから、シュードpseudo(偽の)タキライトtachyliteの名前がつけられた。シュードタキライトの化学組成は、基本的に周辺の岩石の組成と同じである。このような急激な断層運動が生じる場合は地震が発生することが分かっているので、シュードタキライトは別名「地震の化石」とよばれている。1980年代以降、日本でも領家帯(りょうけたい)などでその存在が明らかにされ、愛媛県八幡浜(やわたはま)市大島で発見されたシュードタキライトは、2004年(平成16)に国の天然記念物に指定された。
[ 執筆者:村田明広 ]
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以上がその解説です。紹介した写真の説明でもシュードタキライトとは巨大隕石が衝突し、クレーターができたときに摩擦熱で熔解してできたものと説明しています。しかし地表にある花崗岩が地震とか、隕石の衝突などによって発生する摩擦熱で熔解するとは思えません。水が存在しない場合の岩石の熔解はそんなに簡単なことではないはずです。
写真の中の黒い部分の岩石が固化した状況と、礫として存在している白い花崗岩の固化した状況とは年代だけでなく、形成環境がまったく違うと思います。礫の部分は[1781]で解説したように、結合水を多量に含んだ環境下でゆっくりと冷却してできた花崗岩です。その花崗岩が一度地上に露出して浸食を受け、河川を流下し、磨耗作用を受けて丸くなっていることが見て取れます。一方、黒い部分は玄武岩質ガラスに似ているということですから、結合水がない環境下で冷却したことを示しています。つまり、一度地上に露出した花崗岩が侵食・流下・堆積という経過をたどった後に、大陸が海没し、海底地殻が薄くなるという環境下でマグマが礫の周囲に貫入したのではないかと考えられます。玄武岩と花崗岩とは結晶化しているのか、そうでないかの違いしかないようです。(参考:[867]
 地殻はプレート説が主張するような水平運動よりも、はるかに垂直運動のほうが激しいはずです。それはグランドキャニオンが証拠があるだけでも、3回の浮沈を繰り返していることからも明らかです。
地球誕生後には、想像する以上に激しく地殻は浮沈を繰り返しているはずです。その間に多くの複合岩体、貫入岩体、変成岩などを作り出していると考えるのが妥当ではないでしょうか。シュードタキライトという一種の複合岩体もそうした地殻の上下運動に伴って発生した岩体であろうと思われます。
一部の地震学者がコンピューターを使用するようになって、(計算方法の簡便化のためでしょうか)地球の内部構造を固体であるとし、しかも玉ねぎ型構造をしていると、押し付けてしまったために、その他の地震学者のみならず、地質学者までもが地殻は溶融マグマの上に浮かんでいるという当たり前の真実が見えなくなってしまったように思います。コンピューターが導入される以前には、原始地球はマグマオーシャンであったこと、そしてその表面だけが薄皮のように固化して地殻ができたということを、地球人は素直に正しく理解していました。コンピューター万能主義のような学者が増えたことが、地球の正しい理解を混乱させていると私は思っています。そこから早く脱出しなければなりません。

PS:
ウィキペディアには
「今から約20億2300万年前(古原生代)に直径10から12kmの小惑星が速度約20km/sで衝突し、フレデフォート・ドームが生成されたと考えられている。衝突時のエネルギーはTNT火薬に換算して87Tt(テラトン、広島型原爆が約15kt、即ち58億倍) にのぼる。この時の衝突で地殻はえぐられ、地下25kmまで到達したと考えられている。この時の衝突熱でマントルが溶融して多量のマグマが発生し、大量の岩石が蒸発し、急激に冷却したことを示す地質が確認されている。また衝突による地殻の溶解と攪拌により金鉱床が形成された。」
とあります。
20億年の間には、アフリカ大陸そのものが何度か浮沈を繰り返したと考えられます。25億年前に形成されたという南アフリカ・クルマンの地層がそれを物語っています。とすれば、小惑星が衝突したときは、この地が海底から再浮上した直後で地殻が薄くなっていた時かもしれません。シュードタキライトが小惑星の衝突でできた可能性があるとすれば、衝突によって薄い地殻が破れ、その空隙にマグマが侵入したという可能性があるのかもしれません。

写真23  25億年前
ストロマイトと縞状鉄鉱層……南アフリカ・クルマン
 手前はクルマンの縞状鉄鉱層。ここでの地層はほぼ水平で、遠景の丘はストロマトライトからなる。
手前の丘も麓はストロマトライトからなるが、トゲだらけの濯木をかきわけて登るとストロマトライトから縞状鉄鉱層へと 移り変わっていく様子をたどることができる。
数百mを登るだけで数千万年を旅したことになる。



  [1804] 黄金伝説と地震大国の科学的関係
Date: 2013-03-21 (Thu)
 拙著「地震の謎を解く」の中で、鉱床ができる理由を次のように述べました。
鉱床ができる理由          〔良い鉱床は火山の西側にある〕
 超臨界状態にある熱水(超臨界水)には大量の物質が溶け込みますが、そうした熱水が、地震による地殻の隆起によって地表に近づき冷却されると、金属などを析出し、鉱床、鉱脈を形成するのです。海水にはほとんどの物質が溶け込んでいますから、海水が落下して頻繁に地震をおこすような場所には、豊かな鉱床ができるのでしょう。良好な鉱床はかつての火山の西側にあることが多いと聞いたことがあります。」
 金が形成されるのは火山活動と関係があるとは思っていましたが、地震活動そのものと関係があるという研究を初めて知りました。黄金伝説のもとは地震大国にあったようです。
オーストラリア研究チームの発表を紹介します。
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これが自然の錬金術?地震の揺れにより「ほぼ瞬時に」金鉱脈形成されることが確認される(オーストラリア研究)
2013年03月19日

 地震発生中に固体の金が「ほぼ瞬時に」地殻中に堆積する可能性があるとする研究論文が、17日の英科学誌ネイチャージオサイエンスに掲載されたそうだ。
 オーストラリアの研究チームによると、地殻中の液体で満たされた空洞が地震の振動で裂け、急激な圧力低下が起きると、金が形成されるという。この圧力低下によって液体は急激に膨張・蒸発し、液体中に溶解していた金粒子は「ほぼ瞬時に凝固・沈殿」するという。地震が繰り返し発生すれば、結果として採掘採算レベルの金鉱床が蓄積・形成される可能性があるという。

 世界の既存の金の大部分は、30億年程前の造山運動が活発だった地質年代に形成された石英鉱脈中から産出されるという。この鉱脈は地震発生中に形成されたが、圧力変動の大きさや、どのように金の鉱化を促進するのかはこれまで不明だった。

 研究チームは今回の研究で、数値モデルを使用して、地震中に液体で満たされた断層空洞で発生する圧力降下のシミュレーションを行った。これにより研究チームは、世界の金資源に関する長年の疑問、金がほぼ溶解した状態から採掘可能な固体の状態にどのようにして凝縮されるのか、に答えを出した。

 ちなみに、100トンの金鉱脈鉱床が形成されるのに、10万年ほどかかるという。
 ということはもしかして、地震の多い日本では、新たな金鉱脈が続々と形成されつつあるってことか?採掘できるのはかなり先のことになりそうだけど。一周回ってジパング!ってやつなのかも。
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 以上が報道の内容です。
「地殻中の液体で満たされた空洞が地震の振動で裂け、急激な圧力低下が起きると、金が形成されるという。この圧力低下によって液体は急激に膨張・蒸発し、液体中に溶解していた金粒子は「ほぼ瞬時に凝固・沈殿」するという。」
とありますが、金粒子の凝固・沈殿につながるのが、「地震の振動で空洞が裂けること」なのか、「水素ガスの爆縮(Implosion)そのもの」によるものなのか、どちらも可能性があるように思えます。どちらにせよ、金が熔けこんでいる海水が存在し、地震が繰り返し起きている場所には析出した金が蓄積されている金鉱脈が形成されている可能性があるのでしょう。将来伊豆諸島や小笠原諸島などの海底が浮上してくれば、有力な金鉱脈も発見されるのではないでしょうか。
 因みに日本では鹿児島の菱刈金山のほかにも、下北半島恐山小笠原の海底大金山などに、金鉱脈があることが分かっているようです。
PS:
WEIREDの記事
地震で「一瞬のうちに」金鉱床が形成か
『Nature Geoscience』に掲載された論文によると、この現象は断層ジョグという場所で生じる。断層ジョグとは、地震の主断層線をつなぐ裂け目(岩石にできた洞穴)のことだ。この洞穴は液体で満たされており、圧力は約290メガパスカルにもなる(比較すると、海面気圧は0.1メガパスカルだ)。
 地震が起きると、ジョグの洞穴が広がり、急速かつ大幅な圧力の低下が生じる。すると洞穴内にある液体が、ほぼ瞬時に気化する。その結果、過飽和溶液中に残されたシリカおよび金などの微量元素が結晶化して、小さな金鉱脈を形成するという。
 「ひとつの断層系につき、年間に数千〜数十万回の小さな地震が発生する(可能性がある)」と、オーストラリア、クイーンズランド大学の地震学者であるディオン・ウェザリーは『Nature』の記事で述べている。「数十万年の間には、非常に多量の金が沈殿することもありうる。ちりが積もって山となるのだ」。
 この研究は、経済的に価値のある金鉱脈のありかを探ることにつながるだけではない。ウェザリー氏らの研究では、系内の流体圧がどれだけ速やかに正常に戻るかということにも注目している。このデータは、地震発生後に地面がどのように動くのかをモデリングするうえでも役立つ可能性がある。」
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前述のコメントでは、急速かつ大幅に圧力が低下する原因が「地震の振動で空洞が裂けること」にあるのか、「水素ガスの爆縮(Implosion)そのもの」にあるのか、どちらも可能性があるように思えます・・・と延べましたが、地震の原因がImplosionとExplosionとが同時に起きることであるという認識があれば、オーストラリアの研究者もImplosionが原因で金が析出すると認定されるではないでしょうか。地震の発生原因説として断層説が広く認定されているために、圧力低下の原因を「地震の振動で空洞が裂けること」と考えておられるように思えます。

  [1803] プレート論の常識を捨てよう
Date: 2013-03-20 (Wed)
中央防災会議の作業部会による被害想定では、西日本一帯で新幹線や高速道路が不通となり、沿岸では港湾や空港の津波被害も予想されるとしています。

記事の図中にある震度の大きな地域というのは、今後30年以内に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率とほぼ同じ地域です。しかし、近年の大きな地震は、この地震確率が小さかった地域で発生していることからも推定できるように、作業部会が想定している地域ではない場所で大きな地震が起きる可能性が高いとみていいのではないでしょうか。
この地震確率という概念の基礎にあるのは、プレート理論です。「フィリピン海プレートが西日本の地下へ一定の速度で潜り込んでいる」という固定観念に縛られていることを意味しています。
ウィキペディアから拝借した次の図は、日本の主な地震の震央を示したものですが、死者が出た大きな地震(青色)は西日本では日本海側のほうに多いことが分かります。

プレート理論に縛られていることが、想定外の出来事が起きる真の原因であることをそろそろ気付いてもいいのではないでしょうか。
日本列島は熔融マグマの上に浮かんでいるような状態です。そのマグマの熱によって発生する水素ガスの爆発が地震ですから、日本中どこにでも地震は起きるわけです。教科書にまで載っているプレート論という常識を捨てないと、地震学の新しい発展は望めそうにありません。

  [1802] 科学的な真相追及が先決
Date: 2013-03-19 (Tue)
 中央防災会議の作業部会が、南海トラフで起きると考えられている地震の被害想定を公表しました。経済被害は220兆円で、国家予算の2倍以上、直接的な被害は東日本大震災の10倍に及ぶということです。

 この被害予測をもとに防災対策の抜本的な強化を求めた、とありますが、この公表が如何ほどの効果をあげることになるのか不安です。どこの自治体もお手上げでしょうし、完璧な対策などどの自治体もできないはずです。対策ができないことから来る不安のほうが大きな影響を与えないかと心配です。新聞記事にある「南海トラフの巨大地震」の解説欄には、「歴史上起きたことはなく、発生頻度は極めて低い。想定外の巨大地震が起きた東日本大震災の教訓を踏まえ、防災対策のため想定された。」とあります。発生することは極めて低い地震であるのに、その対策を抜本的に強化する必要があるのでしょうか。
 こうした被害予測にどのような意味があるのか私にはよく理解できません。東日本大震災が想定外の大きな被害を起こしたことから、二度と想定外とは言わないですむように「大き目の被害」を設定したのでしょうが、学者さんや中央官僚たちの自己保身の空気を感じてしまいます。「被害予測は出していましたよ、対策を練らなかったのは地方行政にありますよ、私たちには責任はありません。」という責任逃れなんではないでしょうか。
 私は、何事にも中道があると思っています。被害予測は大きすぎても、小さすぎても、いけないと思いますが、結果的に社会がバランスよく発展できるように設定すべきであろうと考えます。白鳳地震では高知湾で広大な地域が海没しましたし、別府湾では瓜生島が海没しています。熱海湾もそうですし、各地に海底に没したケースがあるので、今回の被害予測であっても今後想定外の事態が起きる可能性はあります。かといって、そのような事態を想定しても意味はありません。
 その時代ごとに、最も効率的な発展が期待できるような規模に抑えておかなければ、過剰対応になってしまいます。過剰な対策を執るために適正な発展が阻害されてしまう危険性もあります。適正な対策がどの辺りにあるのかは、議論の余地がありますが、少なくとも学者が責任逃れのために、大き目の数値を公表するという姿勢であってはなりません。
 それよりも、今回の災害でも、被害を大きくした本当の原因がこのセミナーで解説してきたように、いわき市沖でのCCSが引き起こした津波([1721]で紹介した南からの津波)である可能性もあるのです。津波発生のメカニズムにも、定説となっている「断層のずれ」ではなくて、[1658]で述べたように複数個所での水素爆発が起こったからであるという可能性もあるのです。そうした科学的な原因追求を真剣に検討することのほうが、先決であると私は思っています。少なくとも地震学者は科学的な真相の追及に全力を注がなければなりません。
 

  [1801] 原子力規制委員会の委員を交替させよ
Date: 2013-03-17 (Sun)
 産経新聞が電力事業者に対して行ったアンケートの結果が報じられています。原発を再稼動させて、経営を安定させたいのは事業者として当然の話ですが、規制委員会の新安全基準が示されないために、発電ができない状態が続き、不満があるようです。再稼動したくても、「審査に必要な手続きなど、不明な点が多い」とも報じられています。民主党政権が仕掛けた罠に掛かって動けない巨象のようにも見えます。弱体化する日本を見て、ほくそ笑んでいるのがアジア地域の植民地化を狙う隣国の新政権でしょう。

この調査では、活断層調査に関しても「科学的見地からの疑問点に問題提起をしたが、審議の中で十分な答えがなかった。重要な点で事実と異なっていたり、裏付けとなる十分な事実やデータが示されていない」という原電側の不満も報じられています。
 科学的という点では事業者側が考えている通説地震論に基づく活断層の認識にも間違いがあるのですが、百歩譲って、通説が正しいとしても、議論が乱暴で、不誠実な態度を規制委員会の委員たちが執っていることが推察できます。委員会のメンバーは民主党の政治姿勢を正義であると勘違いしておられるのではないでしょうか。政権交替したのですから、委員も交替していただきたいと思います。少なくとも。島崎氏に代わって地震爆発論学会から委員を選任していただければ、この国難から国家を救うことができると確信しています。

  [1800] 日本原電の危機を救え
Date: 2013-03-16 (Sat)
日本原子力発電(原電)が保有する三基の原発が、一基は廃炉の可能性があり、二基も再稼動の見通しが立っていません。総てが停止中で発電ができず、資金繰りが悪化、各電力会社が協力するという報道がありました。

原子力規制委員会の先生方は、将来活断層理論の間違いが判明したときに、どのように言い訳するのでしょうか。「しらなかった」というだけでは済まされない大きな責任があることを理解してほしいと思います。ネットでは従業員1376人とありますが、関連する人はもっと多いはずです。職員の生活を困窮に追いやることを直視してほしいと思います。
日本原電の社長宛には「活断層理論の矛盾を抉る学習会開催のお願い」というメールを送りましたが、開催する旨の回答は今のところ届いておりません。
関係者で学習会を開催したい方がありましたら、講師料無料で講師を務めますのでご連絡ください。
以下は原電社長宛に送ったのメールの一節です。
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現在、地震学者たちが信奉している活断層理論は間違っています。基礎にあるプレートテクトニクス理論も間違っています。どちらも先の大戦後にアメリカから導入されたものですが、日本には石本博士や、小川博士らが提唱した「マグマ貫入理論」というユニークな理論がありました。当時はマグマを貫入させる原因が分らなかっただけです。地震爆発論とは、その力がマグマの熱で分離した水素の爆発現象であると見抜いたものです。
つまり、地震爆発論学会の主張する地震発生理論によれば活断層なるものは「幻影」に過ぎません。活断層は地震の結果現れるものです。活断層と云う概念は原因と結果を取り違えています。実在しない幻影におびえて、騒いでいる愚かな姿でしかありません。
これまでにも、日本各地(岡山、長岡、静岡、いわき、仙台、東京)で講演会を開催してまいりましたが、御社でも地震爆発理論の学習会を開催して頂き、可能ならば活断層理論の矛盾を地域の皆様に周知して頂きたいと考えております。講師料は不要ですので、会場の設定、参加者への周知方をお願いしたいと存じます。
活断層理論の矛盾を解き明かすことは、今の日本国が直面するもっとも重要な課題です。



  [1799] 原子力規制委員会の不誠実な姿勢
Date: 2013-03-13 (Wed)
敦賀原発を有する日本原子力発電(株)(原電)が、原子力規制委員会の審議のあり方について、「公平・公正さを欠くものであると言わざるをえず、原子力規制委員会に対しては、その運用を改めて頂くよう、強く要請いたします。」という抗議コメントを出しています。
http://www.japc.co.jp/news/press/2012/pdf/250311.pdf
原子力規制委員会は、左翼系学者の集まりなのでしょうか、基本姿勢が廃炉路線であり、理性的な対応ができていないように感じられます。福井新聞(下記の参考蘭)、産経新聞([1798]で紹介)等のマスコミ報道では具体的にどのような偏向があるのか、よく分りませんでしたが、当事者の反論を聞くと、いかに横暴な姿勢を執っているのかがわかります。原電が主張する審議方法の問題点を紹介します。
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1. 審議の進め方に関する問題点
(1) 客観的な事実やデータによる立証を無視する姿勢

当社は、評価会合において、
@ D−1破砕帯の年代判定に関連し、上載地層下部での「美浜テフラの検出」により、約12〜13 万年前以降は活動していないことを立証しました。また、
A D−1破砕帯周辺データ(変位センス)の追加により、G断層とD−1破砕帯とが連続していることを立証しました。さらに、
B K断層(せん断面)につき、変位センスの相異及び走向の屈曲の観察により、K断層とD−1破砕帯等は関連がないことを立証しました。
このように、当社は、客観的事実とデータに基づき、重要な評価結果を説明しました。それに対し、評価会合では特段の異論は出されませんでした。それにも拘わらず、それらを真正面から取り上げようとしない姿勢は、およそ科学的かつ合理的な評価とは言えず、公正な態度とは言えないと考えます。
(2) 評価書案の結論に至る論拠及びその裏付けを説明しようとしない姿勢
当社は、昨年12 月10 日の第1 回評価会合での結論付けに対し、12 月11 日付「公開質問状」により様々な疑問を提起して以来、本年1 月22 日付「当社の考え方」及び2 月5 日付「当社の見解」により、評価会合における立論や評価書案の論拠等に対し意見を申し述べてきました。しかしながら、標記会合においては、それらの疑問や意見に答えることなく、また当社が求めてきた評価書案の論拠の合理的説明やそれを裏づける根拠は何ら示されませんでした。これでは原子力規制委員会が原則としておられる「科学的議論」や「客観的データに裏付けられた判断」とはおよそ程遠いものであり、公正な判断とは言えないと考えます。
(3) 評価書案により直接的不利益を被る可能性のある当社に、反論の機会を与えようとしない姿勢
上記のとおり、当社は再三に亘り評価会合の立論及び評価書案の論拠に対し疑問を提起し、また客観的な事実・データに基づき意見を申し上げました。それにも拘らず、標記会合においては、出席していた当社が退席した後に評価書案の審議が行われ、当社には反論する機会が与えられませんでした。これでは、原子力規制委員会が常々表明しておられる「事業者の意見はよく聴く、議論をしたい」という方針に反しているものであり、公平・公正な審議とは言えないと考えます。
2. 評価書案の論拠に関する問題点
評価書案で「D−1破砕帯は、安全側の判断として、耐震設計上考慮する活断層である可能性が高く、また至近距離にある浦底断層と同時に活動し、直上の重要な施設に影響を与えるおそれがある」とする論拠については、客観的な事実・データに照らして見ると極めて疑問が多く、問題があると考えます。
(1)「K断層のずれは、基盤及び上位の地層に及び、後期更新世以降の活動を否定できない」について
評価会合は、当社が客観的データに基づき約12〜13 万年以前と立証した地層について、その根拠(火山灰が側方へ連続的に分布し、かつ上下の地層の年代と逆転していないこと)を十分吟味することなく、火山灰の産出量が少ないことのみを以って、約12〜13 万年以前とする当社の主張を否定した上でK断層を活断層であると判断しています。しかしながら、評価会合においてはK断層が後期更新世以降に活動したことの立証は何らなされておらず、「否定できない」との指摘は、科学的観点から見て適切ではないと考えます。
(2)「K断層は、断層の形状(走向傾斜)の類似性、及びその位置から、D−1破砕帯と一連の構造である可能性が高い」について
評価会合は、K断層につき、南北方向、西傾斜でD−1破砕帯と類似しているとしています。しかしながら、標記会合において当社が示した直接の観察結果から、K断層はトレンチ内で屈曲し、走向が変化していることから、K断層は2号機原子炉建屋の方向に向かっていないことが示唆されました。また、当社は従前から、K断層は逆断層センスであり、他方、D−1破砕帯及び2 号機原子炉建屋近くの破砕帯は、評価会合が指摘する作成方法に基づく薄片観察の結果も含め、いずれも正断層センスであることから、この両者の変位センスの違いにより、両者の間に関連はないことも明らかにしています。
一方、評価会合は、K断層が2 号機原子炉建屋の方向に向かっていると主張していますが、それを裏付ける根拠は何ら示しておらず、その「可能性が高い」との指摘は、科学的観点から見て適切ではないと考えます。
(3)「K断層は、浦底断層と極めて近接することから、浦底断層と同時に活動し、直上の重要な施設に影響を与えるおそれがある」について
K断層は、上記(1)及び(2)に示したとおり、D−1破砕帯とは関連のないものであり、また耐震設計上考慮する活断層ではないことから、K断層が2号機原子炉建屋などの安全上重要な施設に影響を与えることはありません。
なお、浦底断層自体の活動の可能性によるD−1破砕帯の2 号機原子炉建屋への影響については、既に数値解析により、影響を与える可能性がないことを確認しています。
なお、当社は、先の標記会合で出された指摘も踏まえ、引き続き調査を継続しているところであり、原子力規制委員会に対しては、こうした調査結果も踏まえ、改めて議論を行う機会を与えられるよう、強く要請いたします。
以上
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以上が原電側の要請内容です。学者たちの議論がいかに、理性的でないのか、そしてマスコミが作り出した空気に流されているだけの不誠実なものであるのか、が良く分ります。活断層に関してご自分でも納得できていないのでしょう。だから、自信を持って企業側に反論できないわけです。
地震の正体が何も分っていないのに、専門家ぶって学者の権威をふりかざしているだけのようです。
参考:断層の配置

http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/npp_restart/40888.html
参考:福井新聞の報道
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敦賀原発2号[活断層]は確定的 廃炉の可能性大、専門家異論出ず
(2013年3月9日午前7時10分)
. 日本原電敦賀原発(福井県敦賀市)の敷地内破砕帯(断層)を調べた原子力規制委員会の調査団は8日、「2号機直下に活断層がある可能性が高い」とした報告書案について、現地調査に参加していない専門家から意見を聞いた。大きな異論は出ず、調査団は近く開く評価会合で報告書をまとめる予定となり、「活断層」の評価は確定的となった。
 原電は「提出したデータが考慮されていない」などと反発し、断層の追加調査を続行する構えだが、報告書を受けて規制委が活断層との評価を覆すことは考えにくく、原電が2号機の廃炉を迫られる可能性はより高まった。
 8日の会合には、座長を務める日本地質学会の石渡明会長(東北大教授)と、敦賀原発を担当しない調査団メンバーの計7人が参加。学術論文を専門家同士が相互評価する「ピアレビュー(査読)」にならい、科学的な妥当性を点検した。
 会合では、断層のつながり方の解釈や、用語の使い方、報告書の構成に対し意見が出たが、結論の方向性を否定する意見は出なかった。専門家からは、どういう状況に基づき安全側に判断したのかを報告書に明記すべきだとの指摘も出た。
 報告書案は、2号機直下の「D―1破砕帯」と浦底断層が重なる付近で見つかった「K断層」が、13万〜12万年前以降に活動した可能性が否定できないと指摘。この断層の傾斜や位置からD―1とつながっているとみられ、安全側の判断としてD―1は活断層だとしている。

 この会合に先だって開かれた評価会合で原電は、D―1とつながるのは活動性が認められない別の「G断層」であるなどとして、D―1の活動性を否定。K断層は過去に活動を繰り返しているが時期が古く、考慮する必要はないとした。
 これに対し調査団は、原電の主張は根拠となるデータが不十分で、活断層の可能性が高いとする従来の見解を変える必要はないと判断した。
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このような姿勢の委員会が絶大なる権限を持っていることは恐ろしいことです。ろくな議論もせず(できず)、非民主的な方法で国家の方針を決定していく姿の先には、独裁国家の誕生のようなものが見える気がします。民主党政権が作った組織を廃止するか、少なくとも委員会構成を見直していただきたいと、要請します。

  [1798] 言い訳しても歴史の検証は緩まない
Date: 2013-03-09 (Sat)
 原子力規制委員会の専門家調査団は関係学会から推薦を受けた別の専門家を集め、8日検討会を開いたそうです。
その会合は「調査団のメンバーが偏っている」との批判があるので、中立的観点から、座長を島崎氏から、日本地質学会石渡会長に代えて開催したそうです。その結果出されたコメントが産経新聞によって以下のように報道されています。結論は「本質的な誤りもなく、論理的に無理もない」という判断のようです。私は「本質的に誤りがある」という真逆の判断を下します。

これによって、敦賀2号機は廃炉を迫られる見込みであると報じられています。東通原発でも同じような会合が開催されますが、こうやってどんどん原発が廃炉に追いやられようとしており、大変心配しています。
さて、専門家といわれる学者たちの作業は「歴史の検証」に堪えられる仕事になるのでしょうか。私は堪えられるものではなく、後悔されることになると確信しています。
 地震学会、活断層学会、地質学会、土木学会などなど、関連する学会はありますが、地震爆発論学会以外の総ての学会がプレートテクトニクスを真理と考え、地震は断層が動くことであると考えて、教科書にも載せているわけですから、今の流れは如何ともし難いものがあります。
 しかし、ネット上には地震爆発論の情報もたくさんありますし、原発関連では隣国の工作活動を示唆する石平氏らの論文もあります。情報収集の努力さえすれば、判断を変えることも可能であるのです。
今は、マスコミ情報以外にも、たくさんの情報が得られる時代です。努力して知ろうとすれば、知ることができる時代であるのに、「当時は知らなかった。」と言い訳をしても、歴史の検証が緩むことはないでしょう。
学者の発言は国家のあり方に重大な影響を与えるものですから、
細心の注意を払っていただきたいと思います。
後世で名を汚さぬように。

これはマスコミ人も同じです。



  [1797] 地震予知討論どちらも偏見である
Date: 2013-03-08 (Fri)
本日の産経新聞「金曜討論」に地震予知に関して平原氏とゲラー氏の二つのオピニオンが載っていました。

平原氏はあきらめないで地震予知を目指すべきだという意見、ゲラー氏は決定的な予兆現象など存在しないから、地震予知という幻想を捨てろ、という意見を述べています。
どちらも、地震発生の正しいメカニズムに関して無知であるゆえに、議論がかみ合わないでいます。
平原氏は日本の地震学者の多くが執っている立場かと思います。「年間9センチくらいプレートが沈み込み、・・・」という固定観念に拘束されておられます。地震発生のメカニズムが正しく把握されていないのですから、予兆現象があっても気がつかないでしょう。あきらめないでやろうとする態度は立派ですが、根本的な地震観を変えないと、従来どおりの研究費の浪費という非難を浴びてしまうでしょう。
一方のゲラー氏も、地震のメカニズムを把握しないまま、一方的に地震予知不可能論を叫んでおられます。北大の森谷先生([1564]参照)や元電気通信大の早川先生([1698]参照)らの予知手法が成果を上げていることを評価してもいいのではないでしょうか。
どちらのオピニオンにも賛同しかねるものがありますが、古い地震観のもとにできている地震予知(測地的予知手法)では予知できる可能性はないでしょう。かといって予知を捨てろという意見も暴論です。
何度も述べておりますが、昭和初期に日本で考え出されていたマグマ貫入理論をベースにした「地震爆発論」を基礎として、科学的な根拠に基づいた地震予知を発展させるべきであります。
アメリカ人のゲラー氏がなぜ執拗に日本の地震予知を捨てさせようとしているのか、アメリカはロシアとともに地震兵器を所有している国家であるとうわさされています。先の大戦でも原爆投下と地震兵器(津波兵器)と選択肢があったという話も流れています。アメリカの本音をはぐらかすために日本に送られたのか・・・などという勘ぐりを払拭するためにも、地震学者の本来の使命である地震予知に挑戦していただきたいと思います。今のままではグァテマラ地震で村民の命を救ったマヤの酋長にも劣っていると認定されてしまいましょう。


  [1796] 葛西敬之氏の主張を支持
Date: 2013-03-08 (Fri)
[1673][1734]でも紹介しましたが、JR東海会長の葛西敬之氏の主張は正論であり、以前から支持してきました。


葛西氏のような国家的視点に立って、勇気ある発言を繰り返しておられる方々こそが日本には必要であると思っています。

「一部メディアが原発の恐ろしさだけを強調し、偏った議論を展開した。そこに大衆迎合した政治家が情緒的な恐怖を「国民の声」だと主張した。「大和魂と竹やりで米国に勝つ」とした大東亜戦争前の議論と酷似している。再び国を滅ぼしかねない。」
「必要なのは、平時の前例踏襲的なリーダーシップではなく、時代の転換期にふさわしいリーダーシップだ。米国とともに自由主義・民主主義の安定的な環太平洋地域統合体を作っていくことが全ての基本。」
との主張は正論です。二度と民主党政権の誕生を煽った一部のマスコミに騙されてはいけません。

  [1795] 地震学者よ目を覚ませ
Date: 2013-03-08 (Fri)
3月5日の産経新聞に活断層評価を40万年以降までと拡大されるという記事がありました。

記事の中に、「学問上の活断層の定義」とありますが、この学問が間違っているのです。地震の原因をマグマの貫入現象と考えていた昭和初期の石本博士や小川博士なら、言下に「そんなバカな話はない」と述べたことでしょう。断層が動くことが地震という発想は戦後社会にアメリカから入ってきた考え方ですが、間違っています。根尾谷断層は地震のあとからズルズルと滑ったことが観察されているのです。断層が動くことが地震ではありません。断層は地震の結果現れた傷痕です。

「地層への力のかかり方」とありますが、それが40万年前から現在まで同一であるとは如何なることでしょうか。プレートが毎年数ミリづつ潜り込んでいるから、歪が蓄積されるという話とは矛盾しているではないですか。歪が蓄積されるのなら、力のかかり方も当然増大しているはずです。だから、限界が来て地震が発生するというのが主張ではないのですか、矛盾がありますよ。40万年もの長期間にわたって同じ力のかかり方であったものがどうして急にずれるのですか、その原因は何なのでしょうか、矛盾がいっぱいの理論であることになぜ気付かないのでしょうか。

また、「不明確のままでは(議論が)こじれる」にいたっては、学者の発言として呆れてしまいます。こじれないために40万年にする、というのでは科学的態度とは言えません。左翼思想に染まった学者ではないのなら、学者仲間に左翼的な人が多いために、こびているのでしょうが、学者の信念というものは感じられません。
 もっとも、間違った学説では確信を持つことができないのかもしれません。それならばはっきりと「私には分かりません。委員の任は果たせません。」と言うべきでしょう。

このような無責任な学者たちによって柏崎刈羽原発、泊原発などが廃炉に追い込まれたなら、日本は衰退の道を歩むことになってしまいます。一番喜んでいるのはどこかの隣国であることが、左翼学者にはわからないのでしょうか。

  [1794] 原子力規制委員会・島崎委員長代理の論理矛盾
Date: 2013-03-07 (Thu)
 3月5日の産経新聞に、原発敷地内の防潮堤に関しても直下に活断層がないかを調査確認する方針を固めた、という報道がありました。

記事中に、島崎氏の説明として「活断層があれば、防潮堤の下の地盤がずれてしまう。せっかく造っても壊れてしまっては安全性が守れない。」とあります。

しかし、「防潮堤の下の地盤がずれてしまって破壊される」というのは、震源が陸域にある地震の場合の話です。でも陸域の地震では津波が発生することはありません。したがって、後半部の「せっかく造っても壊れてしまっては安全性が守れない」というのは原発施設の安全性のことではなく、防潮堤の安全性としか読み取れません。津波が起きない地震で防潮堤が壊れても、原発施設が安全ならば問題はないではないですか。
防潮堤の安全が守れないから、原発施設も造ってはならない、というのは世界一安全な基準のようにも聞こえますが、誰が考えても論理に矛盾があり、本末転倒しています。
 防潮堤の安全性まで言い出すのは、「何が何でも原発は作らせない。」という左翼学者の姿勢を感じてしまいます。
それにしても、原子力規制委員会の先生方はこんな論理矛盾にもお気付きでないのでしょうか。
再度述べます。
活断層理論というものは、原因(地震)と結果(断層)を取り違えた本末転倒理論です。
どうか国家を転倒させないでください。

  [1793] 水星の水から地球を考える
Date: 2013-02-24 (Sun)
 水星にも大量の水があることが明らかになったという報道が昨年ありました。しかし、この水は水星表面の暗い部分を構成する有機化合物と一緒に、彗星や小惑星から水星に運ばれたものであると考えられているようです。2008年の記事とともに紹介します。
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生きた惑星、水星
【2008年7月10日 MESSENGER Web Site】
NASAの水星探査機メッセンジャー(MESSENGER)の観測によれば、水星の地表形成には火山活動が大きな役割を果たしていたようだ。さらに、巨大な金属核が生み出す磁場が、水星の内部構造、表面、そして宇宙空間との間におよぼす複雑な相互作用の一端が見えてきた。
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カロリス盆地とその周辺。成分の違いをわかりやすくするために色は強調されている。
盆地の周縁部などに見られるオレンジ色の明るい部分は、火山口ではないかと目されている。(提供:NASA/APL)


1975年にNASAの水星探査機マリナー10号が初めて詳細に撮影した水星の表面は、われわれの月と似通っていた。無数のクレーターが散らばる中に、何かで埋められたような「平原」が存在するのだ。例えば、水星最大のクレーターでである「カロリス盆地」。月の海と同様に、何らかの原因で内部がなめらかになっている。

月の場合は、巨大な衝突で噴出した物質が穴を埋めたとされている。これに対して、水星では火山活動があったのではないかと考える研究者もいたが、噴火の証拠がなく議論に決着はつかなかった。

2004年に打ち上げられたメッセンジャーは、今年1月に軌道修正を主目的とした最初の水星スイングバイを行った。その際に取得したデータは、すでにマリナー10号のものを補ってあまりあるほどだ。どうやら、水星の表面では確かに火山が噴火していたらしい。

メッセンジャーの高解像度画像から、カロリス盆地の内部に溶岩流の跡や噴出口と見られる地形が次々と見つかっている。また、カロリス盆地の地表が周囲とは異なる岩石で覆われていることもわかった。興味深いのは、鉄分の含有量が少ないことだ。ほかの惑星なら、火山性の鉱物には鉄分が豊富に含まれている。

水星のマントルには本当に鉄がないのか、それとも今回の観測方法では検出できない形態で潜んでいるのかは、2011年の周回軌道投入後に解明されるだろう、と米・アリゾナ州立大学のMark S. Robinson氏は考えている。氏によれば、それは水星の形成史にも関わる重要なテーマだ。

最深部まで注目すれば、水星の大半は鉄でできている。ほかの岩石惑星には見られない巨大な金属核が存在し、ゆっくりと冷える過程で磁場を生み出しているらしい。今回のスイングバイ中の観測で、水星内部が今も活発に磁場を作り出していることが確認された。主任研究員でワシントン・カーネギー協会のSean Solomon氏によれば、こうした活動も水星形成初期の天体衝突に起源があり、表面の地形と磁場を合わせて考察することに意義がある。

ひじょうに希薄な水星大気も、今回のスイングバイで初めて観測された。そこでは粒子がイオン化していて、水星の磁場や太陽風などから影響を受けて複雑なふるまいを見せているようだ。

一連の観測をまとめるとすれば、水星は決して死んだ惑星ではないということだ。巨大金属核が中心に作り上げる複雑なシステムは、2011年に始まる観測の本番を待ち構えている。
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水星に大量の水の氷
【2012年11月30日 NASA (1)/(2)】
太陽にもっとも近い惑星である水星に、水の氷が存在することが明らかになった。常に陰となっている低温の場所に見つかった氷は、太陽系における水の運搬の歴史を物語る。
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「メッセンジャー」による北極付近の画像にレーダー検出の結果(黄色)を重ねたもの。
クレーターと一致しているだけでなく、比較的低緯度のクレーターでは南側に集中しているのもわかる。
(提供:NASA/Johns Hopkins University Applied Physics Laboratory/Carnegie Institution
of Washington/National Astronomy and Ionosphere Center, Arecibo Observatory)


太陽にもっとも近いため、温度が高すぎて水の氷など存在しないように思われる水星でも、極域のクレーター内部に水の氷がある可能性は以前から指摘されていた。自転軸の傾きがほぼゼロに近いので、クレーターの内部には1年を通して日が射さないところもあり、温度の条件は整う。月の水も多くはこうした永久影で見つかっている。

1991年、プエルトリコにあるアレシボ天文台のレーダー観測から極付近に点在する明るい領域が見つかり、それが1970年代にNASAの水星探査機「マリナー10号」がとらえたクレーターの位置と一致していたことで、氷の存在の可能性はさらに高まった。

マリナーの探査は水星の全地表の半分以下しかカバーしていなかったが、「メッセンジャー」による昨年から今年はじめにかけての探査で、レーダーで見つかった南北両極の明るい部分が、全て実際に陰となっている部分であることが確認された。氷の総量は「ワシントンD.C.と同じ大きさに広げると厚さが3kmほどになる量」(発表者の一人、David Lawrenceさん)という。ワシントンD.C.を東京の都心部に置き換えてもほぼ変わりはない。

こうした明るい部分はすべて、氷が安定して存在できる温度であると予測されていた領域で、氷が地表にむきだしになっている。少し温度が高すぎると考えられる場所の表面には光を反射しにくいひじょうに暗い物質があり、メッセンジャーによる水素の測定から、熱を通さない厚さ10〜20cmの表層の下に氷が埋まっていると考えられる。

一連の発表者の一人David Paigeさん(カリフォルニア大学)によれば、この暗い物質は彗星や小惑星が運んできた有機化合物と見られる。こうした物質と一緒に、太陽系内部の惑星に水がもたらされたと考えられている。
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以上、2008年と2012年の二つの記事を紹介しました。
2008年の記事には、月の場合は、巨大な衝突で噴出した物質が穴を埋めたとされている。これに対して、水星では火山活動があったのではないかと考える研究者もいたが、噴火の証拠がなく議論に決着はつかなかった。・・・しかし、水星の表面では確かに火山が噴火していたらしい。ことが判明した。
とあります。私は月も水星も、ともに、火山活動によって内部の溶融マントル物質(マグマ)が噴出して平坦な地域を形成したのではないかと思っています。月の表側には溶岩の噴出が多く、裏側には少ない理由などを[1587]に説明してありますが、水星でも同じようなメカニズムで溶岩の噴出があったものと考えられます。
さて、2012年の記事には明るい部分はすべて、氷が安定して存在できる温度であると予測されていた領域で、氷が地表にむきだしになっている。少し温度が高すぎると考えられる場所の表面には光を反射しにくいひじょうに暗い物質があり、メッセンジャーによる水素の測定から、熱を通さない厚さ10〜20cmの表層の下に氷が埋まっていると考えられる。そして、この暗い物質は彗星や小惑星が運んできた有機化合物と見られる。こうした物質と一緒に、太陽系内部の惑星に水がもたらされたと考えられている。
とあります。
水星上の有機化合物(炭素を含む物質)と水は水星自身の生産したものではないという考えが主流のようですが、私は、どちらも水星が生産した物質ではないかと考えています。その根拠ですが、まず水に関しては、太陽から誕生したときのマグマオーシャンの中に、水素と酸素が存在したこと、つまり解離状態で水が存在したであろうと考えるからです。惑星が誕生した直後のマグマオーシャンの内部には結合状態と、解離状態との二つの状態で水が含有されていたと考えています。
次に、有機化合物の件ですが、トーマス・ゴールド博士の有名な書籍(「未知なる地底高熱生物圏」生命起源説をぬりかえる)で解説しているように、惑星には有機化合物を生成する機能を持っている(過去に持っていた)のではないかと考えています。
定説では化石燃料と定義されて、石油も石炭も植物や動物の死骸から誕生したとされていますが、ゴールド博士はそれを否定しています。現実にゴールド博士の指導の下に、新しい油田がロシアでは見つかっています。シェールオイルとかガスとかが頁岩という岩石中から採掘できるのも、化石燃料と呼称されているものの誕生に関する定説が間違っていることを教えています。New Office63で紹介しましたゴールド博士の「天然ガス、石油は自然に生じ、有限の化石燃料ではないと言う著名な科学者」というタイトルのラジオトークでは、生物の存在が考えられないような天体に炭素化合物があり、その破片、つまり隕石の中に炭素化合物が発見されていることを天文学者が証明していると説明しています。
博士の次の言葉

石油が全て化石からできているという古い理論は非常に根強いもので、天文学者が他の天体に関するほぼ完璧な証拠(炭化化合物の存在)を提示しても、それらはただ無視されます。特に、これらを「化石燃料」と呼称する石油地質学者にです。一度誰かが名前を付けたら、みんな信じ込んでしまったと言う訳です。

このコメントに深く思いを致さなければいけないと思います。プレートテクトニクスも「一度誰かが名前を付けたら、みんな信じ込んでしまったと言う訳です」の範疇に入る拘束なのでしょう。
科学の世界でも早く常識の破壊を断行しなければ、「脱皮しない蛇は死ぬ」のと同じように、多くの遺骸が転がることになるでしょう、天動説論者の遺骸が転がったようにです。

  [1792] 火星の表面から地球を考える
Date: 2013-02-22 (Fri)
 火星にはかつて18℃の水が存在していたことを報じる記事がありました。抜粋して紹介します。
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火星はかつて18℃の水が存在していた?
【2011年10月19日 カリフォルニア工科大学】
 火星隕石に含まれる鉱物の分析により、この鉱物が形成されたのは約40億年前の18℃前後の水の中であるらしいことがわかった。火星の過去の表面近くの温度環境が復元できたのはこれが初めてのことだ。
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ALH84001。ALH84001全体では1.9kgの隕石として見つかっている。(提供:NASA)・・・・・・・ ALH84001に含まれる炭酸塩(中央付近にあるオレンジ色の鉱物)。(提供:NASA)

探査機が撮影した火星の地形の画像を見ると、デルタ地帯や川の跡のような、かつて水が流れたように見える場所が多く見つかっている。また隕石の分析によって、水が存在することで形成されたと思われる鉱物も複数見つかっており、火星には過去に大量の水が存在していたと思われている

しかし現在の火星には大気がほとんどなく、気温も摂氏マイナス63度と非常に低い。液体の水が表面を流れていたということは、昔は今より温暖な気候だったはずだ。だが、火星表層における過去の温度環境を直接的に示す証拠のようなものはこれまで見つかっていなかった。

この環境を調べるため、ALH84001という南極で見つかった隕石に含まれる炭酸塩(注1)について研究が行われた。ALH84001はかつて生命の痕跡が疑われた隕石でもあり、およそ40億年前に形成されたことがわかっている。

炭酸塩は、主に水がある環境でよくできる鉱物だが、ALH84001に含まれる炭酸塩の起源についてあまり詳しいことはよくわかっておらず、炭酸塩を多く含むマグマから形成された、地表付近の水のある環境下で形成された、などいくつかの説があった。そこで今回「同位体温度計」と呼ばれる手法を用いることで、炭酸塩が形成された環境を復元することに成功した。(略)
その結果、この炭酸塩は18±4℃という環境下で形成されたことがわかった。炭酸塩が18℃という環境で形成されるのは水の中であるのが一般的であるため、およそ40億年前に18℃程度の水が存在し、そこでこの炭酸塩が形成されたようだ。

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以上が記事の抜粋です。かつては現在の地球と同じような環境が存在していた可能性があることを示しています。また、火星の表面に河川の痕跡、侵食の痕跡など、地球表面と同じような痕跡があることは多くの画像として報告されています。

火星の表面の残された海溝?の痕・・・・火星表面の山地から水が流れた痕、浸食痕らしき地形(ガリー峡谷)

火星は地球よりも小さい星ですから、生命体としての星の一生も地球より短いのでしょう。やがて地球も一生を終えるとこのような形状を残すことでしょう。
しかし、この形状から、火星にはかって海があったから、プレートテクトニクスがあったと結論付けることはできません。今はプレートテクトニクスが機能していないが、昔はあったという人がいますが、地球の海洋底の厚さが薄いことに幻惑されています。今地球表面の海水を取り払えば、空冷式の冷却で短期間で冷却が進行し、殻は厚くなるでしょう。地殻の厚み(Thickness)はプレートテクトニクスとは何の関係もありません。

プレートテクトニクスはアイソスタシーの破綻、
大陸移動説の破綻(一部地域を除く)など数々の証拠からすでに破綻しています。
早くプレートテクトニクスという妄想から脱出して欲しいものです。


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