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2011年1月21日 (金曜日)

奇跡のりんごの意義 -奇跡でないドイツの無農薬栽培-

 私は平成10年以来京都市に住みリンゴ園を見る機会は殆どなかった。ところが岩木山麓のリンゴ園で木村秋則氏が無農薬、無肥料栽培を成功させたことが、「奇跡のりんご」として大変な評判になり、テレビで見る機会も多くドラマにまでなった。
 
 昨年四月には京都市内で講演会があったので私は聞きに行った。
青森県のりんご生産者の殆どの人は木村氏のやったことは一般のリンゴ園の経営に取り入れられるものではないと考えていると思うし、私も同じ見解である。しかし、「奇跡のりんご」について書かれたものの中には、りんごの無肥料・無農薬栽培は世界で始めての快挙であるという意味の説明を見ることがある。これは明らかに間違いなので、青森県のりんご生産者の皆様に、いわば教養の一端として知っておいていただきたくて、私自身が得た情報についてお話しすることにした。

 ◇奇跡でないドイツの無農薬栽培

 私は1977年にドイツ南部のボーデン湖のほとりで、無農薬で加工用のりんごが栽培されていることに驚かされた。
しかし、考えて見ればドイツでは昔から家庭の庭で、無農薬のりんごが作られていた。同様に経済栽培でも農薬は使われていなかった。
いずれの場合もそれぞれの地域で昔から作られてきた品種であった。しあし、第二次世界大戦後、急速にヨーロッパの地域間の競争が激しくなり、米国系のりんごに置き換わっていった。現在では国際的に人気のある少数の品種に絞られてしまった。その結果、病害虫に対する抵抗性は弱くなり、生産者は無農薬で商品価値のある果実を作ることができなくなった。といっても日本のように多くの農薬をかける必要はないのである。 
 ドイツに限らず、ヨーロッパではりんごの無農薬栽培は「奇跡」ではない。
日本では日本古来の果樹である柿の樹が、昔から農家や民家の庭先で農薬などかけずに毎年果実を成らせてきた。植物が長年にわたってなじんだ環境では、植物と各種虫類、微生物の間にともに生きていくための関係ができているのである。
りんごは新しい土地に入ったとき、実生樹として自由に交雑を重ねれば、その土地の環境に合った樹が出てくる可能性が大きい。 
 ヨーロッパから北米へ移民とともにりんごが持ち込まれて以来、二百年の実生交雑時代が続き、その結果大品種群が誕生した。
現在世界のりんご生産国では米国系の品種が大部分を占める。日本のりんご産地の気候は、北海道以外では欧米、ニュジーランドなど多くのりんご産地に比べて夏が高温、多雨で病気、害虫の発生が多い。つまり、無農薬栽培に挑戦するには世界一大変な条件なのである。

◇「奇跡のりんご」園は研究者の宝庫

 弘前大学の杉山修一教授は、木村園の殆どの葉が病気(おもに黒星病)に感染するが、病斑は拡大せずに一定の範囲に抑えられていると述べている。これを呼んで私は「りんご樹は完全に生態系の一員になったのだな」と思った。
この状態に達するまでに十年の苦難の年月があったのである。誰もが想像しなかった無合成農薬栽培(病害防除には酢をかけ害虫は見つけ次第ひねりつぶすなど大変な手間をかけている)を実現させたこと、それもあくまで生態系の変化に任せた点が木村氏の優れた点だと思う。
日本のリンゴ園はいろいろな問題を含みながら合成農薬で守り固められてきた。今後生態系との関係を考慮に入れながら防除体系を作り直す必要がある。
 結局私の結論は、木村園はりんご栽培の研究に大きく貢献する可能性があるということである。病害虫防除を含めて広い範囲の研究者がおおいに利用させてもらってほしい。生産者の皆さんも教養の一端として木村園を見学することをお奨めする。個々にいくと対応が大変なので、大見学団を組織して行くのがよいと思う。

                弘前大学名誉教授 菊池卓郎 平成23年1月1日 りんごニュース

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