乙武洋匡 学校教育と子どもを語る。~教師時代、自分の信念と個性を貫くことを大事にしました。
なじむことよりも、貫く強さを学びの場.com(以下、学びの場) 乙武さんは2005年から2年間、東京都新宿区教育委員会の非常勤職員として「子どもの生き方パートナー」を務められ、その後07年から3年間、東京都杉並区で小学校教諭をされました。学校現場に入られて、一番に感じたことは何でしたか? 乙武洋匡(以下、乙武) 学校現場とは、それまで思っていた以上に外の声(保護者やマスコミなど)に敏感なのだな、ということでした。 僕は担任として、満開の桜の木の下で学級会を行うなど、かなり独自なことをする教師でしたが、職員室に帰ると、「2組だけ特別なことをしないでください」と言われるのです。理由は、「1組の児童の保護者から、なぜ2組だけが校庭で学級会をするのか、と言われるかもしれないから」というものでした。 学びの場 桜の下で学級会、素敵ですね。乙武さんはそれまでスポーツライターなど別の職種の経験を積まれてから学校現場に入られたので、いろいろチャレンジしてみたいことも多かったのでしょうか。 乙武 そうですね。教師になったばかりの頃は、そうやって何か新しいことをしようとするたびにハードルが待っていたのですが、あるきっかけがあってから吹っ切れました。それは、ある日クラスの男の子が、もみあげの部分に稲妻形の剃り込みを入れてきた時のことです。僕が「どうしたんだ?」と聞くと、彼は「親に入れられちゃった」と恥ずかしそうに言うのです。僕が「カッコいいじゃん」となぐさめると、「じゃあ先生もやってよ」と。しかしその時、僕は笑ってやり過ごすだけでした。でも、数日経って、ハッと気づいたんです。僕はあの時、自分でも気づかないうちに、この男の子ではなく、職員室の方を向いてしまっていたのではないかと。僕自身が剃り込みなんて入れたら、他の先生から何を言われるか、と。子どもの方を向いていれば、自分も翌日剃り込みを入れてきたかもしれない。そしてその子はそれを見て、「あ、先生、僕のつらい気持をわかろうとしてくれたんだ」と安心したかもしれない。でも僕はそれをしなかった。猛烈に反省しました。 そしてこの時から、僕は常に子どもたちの方を向いていようと決心したのです。何かしようとする時に、それは子どもたちにとってよいか悪いかだけを判断基準にしようと。同僚の先生たちとうまくやっていくことも、もちろん大切。でも、学校ではそれが第一になってはいけないと思います。僕は教師生活の中で、「なじむことよりも、自分の信念を貫く強さ」を大事にしました。 |
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68億分の1学びの場 教職に就かれる直前に書かれた著書『だから、僕は学校へ行く!』の中で、学校現場に入ったら、子どもたちに「みんなちがって、みんないい」ということを伝えたい、と書かれていました。実際にはどのようにして伝えられたのですか。 乙武 よく「個性を育てる」といいますが、子どもたちにはすでに個性が備わっていて、それを社会や大人たちがどれだけ認めてあげられるかどうかで、個性は決まると思うのです。学校では、教師である僕がストライクゾーンを広くして、子どもたち一人ひとりの良さを見逃さず、認めてあげたいと考えました。 毎日の授業の中では、たとえば道徳で「“普通”ってなんだろう?」というテーマを子どもたちに考えさせ、彼らが個々のちがいを認め合えるような実践を折り込みました。また、教室には「1/6800000000」と僕が大きく書いた模造紙を貼っていました。この地球上には68億人もの人がいる中で、君たちはたった「1」でしかないけれど、その「1」の代わりを務めることができる人は誰もいない、かけがえのない「1」なんだということを伝えるためです。 担任をした4年生のクラスでは、学年末にクラス文集を作りたいという声があがりました。学級会でタイトルを募ったら、「色えんぴつ」という候補が上がりました。文集のタイトルとしては珍しいと思うのですが、それを提案した子に理由を聞いたら、「色鉛筆は何十色も色がある。僕たちのクラスもいろいろな子がいて、みんなちがうから」と言うのです。満場一致でこのタイトルに決まりました。僕の伝えかったことを、子どもたちは受けとってくれていたんだと思うと、胸がいっぱいになりました。 |
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自分で考えてみよう学びの場 新宿区で「子どもの生き方パートナー」をなさっていた時から、子どもたちの課題についていろいろ考えられていたようですが、教師生活の中では、いまの子どもたちにどのような印象を持たれましたか。 乙武 教師になって驚いたことは、子どもたちが自分で考え、判断する力があまりにも弱いということでした。 たとえば休み時間。何人もの子どもたちが僕のところに来て、「先生、トイレに行ってもいいですか」と聞くのです。この時、僕が「どうぞ」と言えば3文字で終わることですが、そうしませんでした。必ず毎回「今は何の時間?」と聞き返す。そうすると「休み時間」と答えが返ってきます。「じゃあ行っていいかどうか、自分で考えて」と言いました。これを繰り返していたら、徐々に聞きにくる子どもの人数は減りました。それでも半年間ほど聞きに来る子はいましたね。 学びの場 半年も! なぜ子どもたちは自分で考える力が弱いのでしょう。 乙武 それは僕たち大人の責任が大きいと思います。子どものチャレンジに対して、大人は結果だけで判断することが多い。成功すれば、「よく頑張った」。失敗すれば、「何やってるんだ」。たとえ失敗しても、「よく頑張ったね」と声をかけていけば、子どもは今度こそ成功しようと意欲を燃やし、自ら試行錯誤する。ところが、大人は成功した時にしかいい顔をしないから、子どもだって、大人の言うことだけ聞いて行動しよう、となる。ですから僕は、結果だけでなく、過程も大事にしようと心掛けました。頑張った姿勢を評価することで、子どもたちに自分で考え判断し、努力するようになってほしいと思ったからです。 また、僕は放課後、毎日のように保護者に電話を掛けていました。その日、何かを頑張った子の親御さんに「○○君、今日は学校でこんなことを頑張ったんですよ。ぜひ褒めてあげて下さい」と伝えるためです。通知表では結果しか書けませんが、日常では結果が出なくても、子どもたちが一生懸命頑張っていることってありますから。この取り組みは、保護者との信頼関係を築く上でも役立ちました。 学びの場 授業でもそうした実践をされたのですか。 乙武 そうですね。どの教科でも心掛けました。たとえば6年生の社会の授業で聖徳太子の17条の憲法を扱った時、「1条にはこういうことが書いてある。2条では――」と知識としての説明を一通りしたあと、「じゃあみんな、これから自分が聖徳太子になって、この国をよくするために18番目の憲法を作ってみよう」と言いました。 ある女の子は「食べるものが余ったら、みんなに分けてあげよう」という微笑ましいものを書きました。勉強がよくできる男の子は「裕福な豪族からは、より多くの税金をとるようにする」と書きました。一般的な評価軸でいくと、もしかしたら後者の答えのほうが評価は高いかもしれません。でも僕はどちらにも等しく丸を付けました。それは二人とも自分の頭で考えて出した答えだからです。 ただ、この授業でも、18番目の憲法を何も書けなかった子が半分以上いました。大人が答えを押し付けたり、価値観を提示したりということばかりしていると、子どもは自分の頭で考えることをしなくなってしまうのではないでしょうか。 町全体で子育てを学びの場 3年間の任期付きでの教師生活を終えられて、現在は「まちの保育園」の運営に関わられています。小学生よりも小さい子どもたちに軸を移されたのはなぜですか。 乙武 小学校での教師経験の中で、子育てにおける家庭の役割の大きさを感じたことがきっかけです。急に忘れ物が増えたり、授業中のおしゃべりが増えたりと、何か変化があった子というのは、よくよく聞いてみると、家庭の中で問題が起きていることが多々あります。それで、家庭での子育ての何か助けになるようなことができないかと考えていた時、ちょうど友人が「子どもたちを町全体で育てよう」というコンセプトの保育園を作ろうとしていたので、運営に携わることにしたのです。この話がたまたま保育園だっただけで、もしこれが小学校であれば小学校を作ることに関わっていたと思います。 保育園も学校も、セキュリティの問題があり、一般開放というのはなかなか難しい面もあるのですが、僕らは送り迎えにいらした保護者だけでなく、地域の方も利用できるカフェを設け、そこでお互いの交流を進めていこうとしています。できることを実行しながら町全体で子育てを実現させていきたいと考えています。 学びの場 最後に読者へのメッセージをお願いいたします。 乙武 前述の通り、僕は個性を尊重する、「みんなちがって、みんないい」ということを教師生活の中で大事にしてきました。それは子どもたちについてはもちろんですが、先生方一人ひとりにも言えると思っています。僕は教師時代の経験をもとに『だいじょうぶ3組』という小説を書きました。その中に出てくる教師の名前は、主人公の赤尾をはじめ、青柳、茶野など、すべて名前に色を入れました。これには、「まずは教える側の教師自身が、色とりどりの存在であってほしい」という願いが込められています。いろいろな大人がいることで、子どもにも「みんなちがっていいんだ」ということが伝えられると思っています。 |
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インタビュー・文:菅原然子/写真:柳田 隆晴/撮影協力:ホテルメトロポリタン(池袋) ※写真の無断使用を禁じます。 |