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証言/焦点 3.11大震災
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焦点/災害遺構、撤去か保存か/揺れる被災地

大型バスが乗り上げたままの公民館=4日、石巻市雄勝町

鉄骨の骨組みだけが残った宮城県南三陸町の防災対策庁舎=16日

陸地に打ち上げられたままの大型漁船=16日、気仙沼市のJR鹿折唐桑駅周辺

 東日本大震災で被災した建物などの保存を目指す動きが、宮城県内の津波被災地などで相次いでいる。震災の記憶を風化させない目的だが、無残な姿は多くの被災者に被害の記憶を生々しくよみがえらせる。災害の教訓を伝える歴史的遺構か、被災者を苦しめ続ける残像か。被災地の思いは複雑に揺れている。
(若林雅人、吉田尚史)

◎つらすぎる記憶/風化防止に必要

 東日本大震災の被災地で現在、保存が検討されている主な建造物などは表の通り。
 検討が始まった経緯は、外部からの提案と地元の意向に大きく分かれる。宮城県女川町は大学教授ら研究者からの提案がきっかけとなり、気仙沼市や千葉県浦安市は自治体側からの発案だった。
 女川町は町当局が積極的な姿勢を見せ、6月上旬から町のホームページなどで、倒壊した建物の保存資金に充てる募金を呼び掛けている。
 これに対し、石巻市は慎重な構えだ。外部の研究者らが5月、津波で大型観光バスが屋上に乗り上げたままになっている雄勝公民館の保存を提案したが、現時点で目立った進展はない。
 市雄勝総合支所は「住民にとって、働く場や新たな町づくりが目下の関心事。保存は住民生活に直接関わりなく、差し迫った問題ではない」と指摘。その上で「被災者の心の傷に関わるため、行政側から残す、残さないとは言いにくい」と打ち明ける。
 被災者の心情には、どの自治体も神経を使っている。岩手県大槌町では津波で2階建て民宿の屋上に乗り上げた釜石市の観光船の保存が一時検討されたが、4月下旬に解体・撤去された。
 町と市の担当者は「住民の間に『嫌な記憶が残る』と保存に異論もあった」と説明する。
 災害遺構の保存には、一定の必要性や重要性が認められている。
 政府の東日本大震災復興構想会議は6月下旬にまとめた提言で「モニュメントなどで震災の記録を残し、教訓を国内外に発信する」ことを原則の第一に掲げた。岩手県の復興基本計画案でも「防災文化の醸成と継承」を目的とする「災害遺構の保存」が明記された。
 過去の大災害でも、被災の痕跡を保存している例は少なくない。
 阪神大震災(1995年)では、大きく崩れた岸壁や地表に露出した断層面などをそのまま保存し、メモリアルパークとして整備。雲仙普賢岳噴火(91年)の土石流で埋もれた家屋や、火砕流で全焼した小学校の校舎も被災当時の姿で公開されている。
 震災を後世に伝えるために、保存が有力な方策の一つであることは間違いない。だが、保存の在り方については、専門家でも意見が分かれる。
 岩井圭司兵庫教育大教授(精神医学)は「つらい記憶は、多くの人がそれを共有することで癒やされる。被災の象徴を消失させれば、犠牲者を忘れることのできない遺族だけが記憶を抱え、精神的に孤立させてしまう」と、保存の意義を強調する。
 一方、精神科医の野田正彰関西学院大教授は「震災の恐ろしさだけを残すのは、人工的にフラッシュバック(のきっかけ)を作るようなもの。震災後に人がどう立ち向かい、どう生き抜いたかを芸術的な要素も取り入れて表現する保存を望みたい」と話している。

◎災害遺構の保存/遺族複雑、賛否交錯

<気持ちの整理に時間/宮城・南三陸>
 東日本大震災の発生から4カ月となった今月11日、宮城県南三陸町の町防災対策庁舎前で、腕組みをした男性が、骨組みだけの庁舎を見上げていた。町職員だった息子は庁舎の屋上で津波にのまれ、命を落とした。
 町では、この庁舎を保存しようという話が持ち上がっている。
 「なぜ近くの高台に逃げられなかったのか。この建物を見るたびに悔しく、腹立たしくなる」。男性は庁舎を見つめたまま、強い口調で続けた。「遺族が1人でも反対するなら、建物を残すべきではない」
 屋上に避難した職員ら約30人のうち、助かったのはわずか10人。庁舎は町の被害の象徴となり、町内外から多くの人が慰霊や献花に訪れる。県外ナンバーの車や、庁舎をバックに記念撮影する光景も目立つ。
 地元では保存の是非をめぐり、賛否の声が交錯している。町役場内ですら一枚岩ではない。
 自身も庁舎屋上に避難し、かろうじて生き延びた佐藤仁町長は「大災害の教訓として、後世にモニュメントとして残しておいてはどうかと思う」と、保存に前向きな姿勢を示している。
 一方、町震災復興推進課は「犠牲者が出なかった施設ならば保存に理解も得られるだろうが、遺族はまだ気持ちの整理が付いていないと思う」と話し、微妙な温度差を見せる。
 6月末、津波で被災した宮城県内の建造物の保存を目指している宮城大の調査チームが防災対策庁舎を訪れた。
 「町の復興計画でメモリアル施設として位置づけてほしい」。庁舎の現況を確認後、保存を求めた調査チームのメンバーらに、立ち会った町の担当者は「建物そのものを残すというより、防災拠点となる残し方を考えてほしい」と切り返した。
 町には、庁舎の周辺一帯を公園化する構想がある。担当者が望んだ「防災拠点」とは、阪神大震災の教訓を後世に残すため、国内外の防災・減災研究機関や博物館などが設置された「人と防災未来センター」(神戸市)のような施設だ。
 「保存に賛否両論があるのは知っている」。宮城大調査チーム代表の三橋勇事業構想学部教授はこう述べた上で「保存を通じ、後世に津波の記憶を伝える意味は大きい。それを理解してほしい」と強調する。
 町震災復興推進課は「最後に決めるのは町民だ」と言い切る。町は復興基本計画策定に住民の声を反映させる「町民会議」の次回会合(22日)で、庁舎の保存も議題とする方針だ。

<行政、前向きに検討/宮城・女川気仙沼>
 コンクリート製の基礎が根元から折れた交番、土台ごと横倒しになった4階建てのビル…。宮城県女川町内には津波で倒壊し、今も解体されていない建物が点在する。
 町の復興計画策定委員会(会長・鈴木浩福島大名誉教授)は6月、「津波による鉄筋ビルの倒壊は世界的にも珍しい」として、保存の方針を決めた。町は「メモリアル施設保存事業」と銘打ち、実現のための寄付をホームページなどで呼び掛けている。
 保存が検討されているのは倒壊した交番と2棟のビル。浸水した町営住宅なども候補として浮かんでいる。民間の施設もあるため、最終的な保存数は未定だ。
 町復興推進室は「津波への認識が甘く、多くの犠牲者を生んだ『失敗』を将来に伝えていかなければならない。そのためには奇麗な街づくりだけでは足りない。原爆ドームのように、恐ろしさをストレートに伝えるものが必要だ」と強調する。
 町は被災建造物に慰霊碑や広場などを併設した公園化を検討している。「財源的に町単独では無理」(復興推進室)なため、国や県の支援を要請する考えだ。
 気仙沼市のJR鹿折唐桑駅近く。がれきの中、津波で海岸から約600メートル流された大型漁船が陸地に打ち上げられたままになっている。
 菅原茂市長は6月、漁船を保存し、一帯を復興記念公園にする考えを表明。船主も理解を示し、予定していた船の解体を1〜2年、先送りした。
 市長の強い意向で保存に向けた検討が始まった格好だが、市水産課は「地区住民や地権者に説明し、同意を得てからの話だ」と語る。
 保存に対し、住民の間には「あの船に自宅をなぎ倒された」と複雑な感情も渦巻く。多数の漁船が陸に打ち上げられた津波被害を示す象徴として、価値を認める意見もあるという。


2011年07月21日木曜日

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