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 実例を挙げればキリがない。もうおわかりだろう。「きぼうのいえ」では、それぞれの入居者が、もっとも自分らしい形で過ごしているのである。そのおかげかどうかはわからないが、医師の見立てよりもはるかに長生きする人もいた。

 施設長の山本雅基さんは2002年に、マザー・テレサがインドで開いた「死を待つ人の家」を目指して「きぼうのいえ」を設立した。だが、いつのころからか、「ここは生きるための場所なんです。死を待つ場所ではありません」と言うようになった。

 他人が看取る世界ではなぜ、こうした、ある意味で贅沢な旅立ちが可能なのだろう?

 最大の理由は、入居者とスタッフの関係がいくら濃密になっても、家族ではないから、死にゆく人と看取る人との間に、適度な距離感を保てることだろう。当の患者が死を受け入れているのに家族が受け入れられず、きちんとしたお別れができないまま逝ってしまう。そんなことが、世間にはしばしばある。

 だが、ここではその心配はなかった。家族だったら許せないわがままを笑って許せることもできる。延命につながる医学的な見地よりも、本人の希望(やりたいこと)を優先する場合もある。

 「きぼうのいえ」は、医師や訪問看護師との連係を取っているが、正確には、国が定めるホスピスの基準を満たしていない。東日本大震災のあとは、寄付も減って苦しい運営が続いている。しかし、「死にゆく人々に安息の場を提供する」という19世紀にアイルランドで誕生した近代ホスピスの理念を、これほど実現しているホスピスは、そう多くはないだろう。

 以前ある病院に付属するホスピスを取材したときに、入居者本人に話を聞くのをかなり制限された。「きぼうのいえ」ではそういう制約も一切なかった。外に対しても開かれているのである。

写真キリスト教の礼拝堂で行われた「施餓鬼供養」の法事。出席者にあいさつする「きぼうのいえ」施設長の山本雅基さん(右から2人目)=2007年8月、東京都台東区で、山本壮一郎撮影


 国勢調査によると、日本の一人暮らしのお年寄りは、1995年には約220万人いた。それが2000年には300万人を超え、2010年には約480万人に増えた。

 これからは、「孫子に囲まれて大往生」をできるのは、一部の恵まれた人だけになるかもしれない。そう考えると、東京のドヤ街・山谷にある「きぼうのいえ」が実践している看取りは、決して特殊ではなく、近い将来、全国各地で見られるであろう看取りのあり方を先取りしているように思えてくる。

 少なくとも私は、文庫化も含めて約6年間にわたる取材を通じて、「こういう旅立ち方も悪くないな」と考えるようになった。

 本は不思議な反響を呼んだ。山田洋次監督が読んで、2010年に公開された映画「おとうと」の参考にしてくださったのだ。クライマックスの舞台は、きぼうのいえがモデルになっている。監督自身も「きぼうのいえ」を訪ね、映画には、ごく短い時間だが、入居者たちも出演している。

 今年初めにも、珍しい電話が教育総合センターにかかってきた。「築地本願寺からです」。取り次いだ同僚が言うと、不思議そうな空気が流れた。私も誰からの電話か想像もつかなかった。それは、仏教文化講座への講演依頼だった。担当者が拙著を読んでくれたらしい。

 毎月1回開かれ、2200回を超える講座の今年の年間テーマは「今、伝えたいこと」。私は6月22日に話すことになった。

 「きぼうのいえ」の取り組みが、さざ波のように静かに広まればと思っている。

中村智志 (なかむら・さとし)

1964年、東京都生まれ。上智大学文学部卒。87年に朝日新聞社に入社し、アサヒグラフ編集部、ASAHIパソコン編集部、東京本社社会部、週刊朝日編集部などを経て2011年4月から教育総合センター員。著書に『段ボールハウスで見る夢』(草思社、第20回講談社ノンフィクション賞)、『新宿ホームレスの歌』(聞き書き、朝日新聞社)など。

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