当ブログは、バカは相手にしないことにしているが、中央官庁の(天下り)官僚が私を名指しで何度も罵倒しているとなると、放置しておくのもどうかと思うので、少し答えておこう。
以前の記事で話題になったhamachanこと濱口桂一郎氏が、いろんな人に「天下り学者」「低学歴」などとバカにされたのを根にもって、ブログで私に繰り返し当り散らしているようだ。私が相手にしないとエスカレートして、今日の記事では、昨日の私の記事のコメント欄の一節をとらえて「無知蒙昧」とまで書いている。どっちが無知蒙昧かは、私のコメントを読んでもらえばわかる。
厚労省がサイテーの役所であることは今や日本の常識だが、その程度の低さは(姥捨て山とはいえ)かなり深刻だ。私の記事では、本文で彼のサイトにリンクを張って「厚労省は、私に噛みついてきた天下り役人にみられるように、臨時工を正社員に『登用』するパターナリズムを政策目標だと思い込んでいる」と批判しているのに、彼はそれには何も反論しない(できない)で、コメント欄の重箱の隅をつついている。
hamachan、パターナリズムってわかる? これ、ほめてるんじゃないよ。日本語では「家父長主義」と訳し、君のように「かわいそうな貧乏人を助けてあげよう」という善意で規制を強化して、結果的には日本経済をだめにすることをいうんだよ。旧労働省は、農水省と並んで、昔から「いらない官庁」の筆頭にあげられてきた。雇用規制の強さと失業率に有意な相関があることは、経済学の常識だ。労使紛争の調停は、裁判所で十分だ。最善の労働政策は、旧労働省を解体することなんだよ。
結果の平等を求めるパターナリズムは、私たちの遺伝子に組み込まれた根深い感情だが、開発経済学の半世紀にわたる失敗が教えるのは、いくら税金をばらまいても、経済全体を豊かにすることなしに貧乏人を救うことはできず、貧乏人が努力することなしに彼らが豊かになることはできないという事実だ。そのために必要なのは、結果の平等ではなく機会均等である。正社員を過剰に保護し、雇用コストを引き上げる日本の労働行政は、フリーターにとって決定的に機会不均等な制度なのだ。わかるかな、hamachan?
追記:この記事が頭に来たのか、hamachanはその後も繰り返し私を罵倒しているようだ。政策研究大学院大学(GRIPS)には、学長の八田達夫氏をはじめ立派な学者も多いが、こういう本籍の省益を研究に持ち込むエセ学者はGRIPSの恥だ。
以前の記事で話題になったhamachanこと濱口桂一郎氏が、いろんな人に「天下り学者」「低学歴」などとバカにされたのを根にもって、ブログで私に繰り返し当り散らしているようだ。私が相手にしないとエスカレートして、今日の記事では、昨日の私の記事のコメント欄の一節をとらえて「無知蒙昧」とまで書いている。どっちが無知蒙昧かは、私のコメントを読んでもらえばわかる。
厚労省がサイテーの役所であることは今や日本の常識だが、その程度の低さは(姥捨て山とはいえ)かなり深刻だ。私の記事では、本文で彼のサイトにリンクを張って「厚労省は、私に噛みついてきた天下り役人にみられるように、臨時工を正社員に『登用』するパターナリズムを政策目標だと思い込んでいる」と批判しているのに、彼はそれには何も反論しない(できない)で、コメント欄の重箱の隅をつついている。
hamachan、パターナリズムってわかる? これ、ほめてるんじゃないよ。日本語では「家父長主義」と訳し、君のように「かわいそうな貧乏人を助けてあげよう」という善意で規制を強化して、結果的には日本経済をだめにすることをいうんだよ。旧労働省は、農水省と並んで、昔から「いらない官庁」の筆頭にあげられてきた。雇用規制の強さと失業率に有意な相関があることは、経済学の常識だ。労使紛争の調停は、裁判所で十分だ。最善の労働政策は、旧労働省を解体することなんだよ。
結果の平等を求めるパターナリズムは、私たちの遺伝子に組み込まれた根深い感情だが、開発経済学の半世紀にわたる失敗が教えるのは、いくら税金をばらまいても、経済全体を豊かにすることなしに貧乏人を救うことはできず、貧乏人が努力することなしに彼らが豊かになることはできないという事実だ。そのために必要なのは、結果の平等ではなく機会均等である。正社員を過剰に保護し、雇用コストを引き上げる日本の労働行政は、フリーターにとって決定的に機会不均等な制度なのだ。わかるかな、hamachan?
追記:この記事が頭に来たのか、hamachanはその後も繰り返し私を罵倒しているようだ。政策研究大学院大学(GRIPS)には、学長の八田達夫氏をはじめ立派な学者も多いが、こういう本籍の省益を研究に持ち込むエセ学者はGRIPSの恥だ。
コメント一覧
池田信夫ブログの醍醐味
センソーキター(^∀^)
お相手するんですか。いいですよ。相手は閑を持て余しているでしょうが、池田さんの時間もったいないよ。
フリーターの敵どころか
彼等はフリーターの敵どころか、日本を崩壊させる国民の敵です。あれだけ天下りで日本を食い物にして犯罪者と呼ばれないのは、ひとえに犯罪者が立法しているのと、日本人がお上信仰から抜け切れないからです。
日本システムはWin3.1未満の酷いシステムです、今居る犯罪者をどうにかして、一刻も早く設計&実装しなおす必要があります。
サバイバルのためのパターナリズム
彼や労組の言う「君も仲間にしてあげる」は明らかにパターナリズムです。
しかし、それを指摘するだけでは彼らを変えることはできませんね。絶望的です。彼らが生存(組織の防衛)しようとする力を上回る、解体への圧力を加えなくてはならない。
社保庁へのバッシングはメディアスクラムの様相を呈していますが、結局は公的組織の解体にあの段階が必要なのかもしれないと思います。
そもそも「正社員への登用」という政策目標は無責任を公言しているようなものです。フリーターの労働環境は改善不能と公言しているのです。もとより、厚労省が良くしてくれると思っているフリーターはいませんが。何故これがスキャンダルにならないのか。
裁判所ならなんとかしてくれる(自分の雇用条件は明らかに違法だ)という期待を抱くフリーターは少なくありませんが、要するにここでは裁判所に頼りたいのであり、必要なのは役人ではなく弁護士だということもわかってる。コストが見合わない。普通の弁護士は明らかにオーバースペックで、ここでも規制緩和が必要になると思います。
すみません、すべて池田先生が過去の記事に書かれていることですが、現場の実感としても書かずにはいられなかったのです。
請負扱いで報酬の支払いが6ヶ月も先になるイベントコンパニオンや、移動・宿泊とまるまる2日間拘束されて16時間分の時給しか支給されない日雇い派遣が都内の駅前なんかにも一杯いる。霞ヶ関のすぐ近くにだっている。警察が同じような不作為を続けていたらどうなるでしょうか。期待されないのが普通の省庁なんて今すぐ無くなるべきだ。
ニーチェ
大学生の頃に「ツァラツストラ」を読んで、何が書いてあるのかさっぱり分からなかったのですけど、「天を拝むのをやめて大地を信じろ!」という部分が頭に残りました。この部分、「財政を拝むのをやめて市場を信じろ!」と訳してもいいかもしれないですねw
濱口桂一郎さんのブログ、ちょっと拝見しました。濱口桂一郎さんもニーチェを読んだほうがいい。ニーチェ的には、官僚が「弱者」で、フリータこそが「強者」です。ツァラツストラは、かく語りきw
三流官庁
私が学生のころには、東大経済学部では公務員と銀行の両方から内定をとる学生が多く、その場合、役所に行くのは御三家(大蔵・通産・自治)と経企庁ぐらいで、それ以下の場合には銀行に行ってましたね。
ただ私の友人に、通産省の面接に遅刻して労働省に行ったのがいました。法学部から労働省に行くというのは、民間から内定の取れなかった学生ぐらいでしょう。まぁ彼の文章を読むと、さもありなんですね。
役所的人間
役所関係の人間で思うことは常識が足りないということです。その常識とは社会常識じゃなくて世間一般の感覚のことです。小さい頃から末は東大とちやほやされていた人間が立派な地位につくと権利とばかりに人の生き血を抜くような政策をして自己保身にたけた人間になるということです。
社会政策
hamachanの話には「社会政策」とか「ソーシャル」という言葉がよく出てきます。彼の発想は、日本の労働行政の伝統である社会政策の典型です。これは大河内一男に代表される、社会主義的パターナリズムです。
しかし実際には、昭和初期に疲弊した農村を救おうとした社会政策が、北一輝のような超国家主義を生み出し、それが「皇道派」青年将校のイデオロギーとなって彼らの暴走をもたらし、あの戦争に突入していったわけです。北の著書を読むと、それが戦後日本の(岸信介に代表される)国家社会主義体制の見取り図になっていることに驚きます。
だからこういうパターナリズムは、昔から(左右の)全体主義と紙一重です。ボルシェヴィキもナチも、貧乏人のルサンチマンと知識人のパターナリズムを利用して権力をとったのです。
丸山眞男
戦後民主主義的パターナリズムの元祖が、まさに赤木君が「ひっぱたきたい」丸山です。この意味で、彼のタイトルは偶然、問題の本質を言い当てている。
丸山の思想的出発点は『日本政治思想史研究』を読めばわかるように、ヘーゲルです。法秩序と私的倫理の癒合した「アジア的後進性」として日本社会をみる発想は、死ぬまで抜けなかった。そして丸山の「知識人が大衆を指導する」というエリート主義は、彼の教え子である霞ヶ関の官僚たちに今も引き継がれているのです。
坂野潤治氏の『昭和史の決定的瞬間』にも、日中戦争直前期の社会大衆党は、軍拡と同時に社会の底辺を救う社会政策を結びつけた「広義国防」論を掲げ、陸軍と共同歩調をとっていたことが書いてあり、読んだときは驚きました。反軍演説で有名な斉藤隆夫は、社会政策には冷淡であったので、左右二極のうちの左側からは、財界の代弁者のような悪いイメージだったそうです。
少し前の記事のリバタリアン・蔵さんじゃありませんが、「国がきちんと」というパターナリスティックな発想の危うさに、われわれ庶民ももう少し敏感にならなければならないといけないと思います。
敵っていうか
官僚って癌細胞やん。
まともに相手したら安目売ることになるで。
フリーターの敵
天下り役人のすべて
役人の一部
マスコミのすべて
自治労など労組すべて
弱者の味方左派すべて
(社民党含む)
財界の一部
これじゃあ革命が必要ですね。
赤木氏が戦争を言うのも納得。
おっしゃわれる通り、結果の平等よりも、重要なのは機会均等です。
結果の平等のみを唱える人は、学歴のお陰でそれなりの地位を得た人で、遠くを見て近くを見ない人であると言えるでしょう。
企業の中での仕事を想像してみて下さい。「何で、アイツは、俺より仕事が出来ないのに偉いんだ?」「何で、あの人、私より仕事出来ないのに、お給料いいの?」なんて、思うのは当然のことで、この感覚を感じない人は、いないんじゃないでしょうか?この感覚を感じる以上、結果の平等を唱えるのには無理があり、矛盾があります(日常生活の中にも、同様の感覚は、感じられるでしょう)。
実際、hamachanの様な方々も、同様の感覚を感じる訳で、おかしな話です(感じないなら自分より能力がないと思う人と、同等の給料で仕事してもらいたい)。
民主党所属の東京どこかの区議会委員の方は、以前、ニートの方からの電話で、相手がニートだと分かると見下した感じで、嘲笑ったそうです。その人は、ニート等の問題を解決することを公約としていたにも関わらずです。
hamachanもこの議員と同じで、所詮、エリートの戯言です。
大事なのは、機会の均等を前提とした政策で、仕事の結果によって報酬を与えることです。
(企業内の競争によって出てくる弊害は、別問題として対応すべきです。)
戦争を起こすのではなく
赤木氏は本質を突いているけども、例えで戦争を出すところが間違っていると思います。戦争以前の問題で、就職氷河期の我々は既に殺されているのです。
ですから既に終戦となっており、いまさら戦争を望むのは遅いと思うのです。
ですから我々就職氷河期世代がすることは、何も搾取させず何も消費しない事です。そうすれば、おのずと搾取しか能が無い【見えない多い敵】が滅んでいくでしょう。ただし、無能の壁を張っている有能な敵はこれではどうしようもないので、日々切磋琢磨しながら、非生産非消費による戦いを続ける必要があるでしょう。
無駄
バカの壁という言葉が一時期流行しました。本件においてどちらがバカかは明らかです。hamachan殿と池田殿には壁が存在しますので、これ以上の争いはやめてください。池田殿の労力を面白い方向に使ってください。お願いします。毎日楽しみに読んでおります。
まったくもって正論というべきでしょう。
昔の借金で今の世代が苦しんでいる
前にTVで60代とおぼしき男性が「国が昔に比べてお金を出さなくて大変だ」というの事を言っていて心底腹が立ったことを思い出しました。
「お前らの世代で浪費して借金しまくったから今こんなに財政が苦しいんだろうが、人事みたいに言うな!」
hamachanらに限らず、日本は上に行くほどカスになる。
日本では主任クラスが一番優秀。
課長以上は使えない人ばかり。
yuujiさんへ
>民主党所属の東京どこかの区議会委員の方は、以前、ニートの方からの電話で、相手がニートだと分かると見下した感じで、嘲笑ったそうです。その人は、ニート等の問題を解決することを公約としていたにも関わらずです。
私はこの議員と面会して話したことがあります。この電話がネットのニュースになる前です。彼は区議ではありません。都議です。
彼は東大出だが自称苦学生(金がなかったのは本当のようでした)で、選挙は党の後援に頼ったのではなく徹底したドブ板戦術によって勝ったのだと言っていました。彼と私の会話は選挙についてのものに限られたので、ニート云々の政策については聞いていません。ですので私の話も印象の範囲を出ないのですが、私には彼がパターナリズムを語ることはできないと思う。単に余裕がないからです。
こう言っては失礼ですが東大を出て議員秘書・地方議員と政治畑の経験しかない人間がエリートというのはナンセンスです。こんな経歴なら私の通う3流私立大の先輩にも少なくない。落ちこぼれといってもよいかもしれない。
彼は自分の努力と成果を誇張するタイプの人間で、彼の基準からいけば努力も成果も足りないニートを軽んずる発言をするというのが考えられます。そして確かに、こういう人でもニート対策としてパターナリズムの結果として全体主義的な傾向を帯びた政策を提案するかもしれません。
しかし、彼自身議席にしがみ付くフリーターのようなもので天下り役人や労組幹部のようなおせっかい度は遙かに低いように感じます。
本音が出るだけ健全といったレベルですけど。
政治家が腐ってるのは
周知じゃないですか。
大阪にも社会党から部落解放同盟の組織内候補
として立候補しておきながら、社会党が消滅寸
前になると、あろうことか政治思想的に対極の
自民党清和会に「転向」している衆議院議員が
いますぜ(笑)。
地元でそいつのポスター見かけますが、どのツラ
下げて「改革を止めるな」だと。虚偽をやめて
欲しいですね。
Re: yuujiさんへ
なるほど、私のコメントに対する訂正と補足ありがとうございました。
私にとってのエリートの意味は、他人に対しての思いやりが無いくせに、思いやりのある振りをする偽善者たちです。そして、往々にして学歴がある人です。
私基準ですみません。
補足
誤解している人もいるようだけど、hamachanの議論は論理的に破綻しているだけでなく、事実関係においても近代の労働史の常識もわきまえていないナンセンスなものです。それについては、18日の記事のコメント欄で多くの人が指摘しているので、そっちを読んでください。
現在の官僚行政をパターナリズムというのは誉めすぎでしょう。
存在することを至上命題とした機関なわけですから、寄生虫主義(パラサイティズム)というべきです。
長期雇用の終わり
明治以降の労働史をみればわかるように、近代初期には農村を離れて出てきた自由労働者だった職工が、戦間期以降、「従業員」として長期雇用されるようになったのは、垂直統合型の機械制大工業による工程の「補完性」が原因です。それは一般に信じられているほど昔からあったものではなく、多数派になったのは1960年代以降の高度成長期です。
したがって、こうした工程の補完性が「モジュール化」によってなくなると、垂直統合の必要もなくなり、長期雇用のコストがそのメリットを上回るようになります。それがまさにIT産業でグローバルに起こっている現象です。
理論的な詳細や歴史的な経緯を知りたい方は、私の『情報通信革命と日本企業』を読んでください。
役所にとって最優先される価値観は「整合性」であり、「合理性」ではありません。hamachanなる役人も厚労省(労働省)内部における独善的な公理系の中では正しい存在なのでしょう。
整合性の重要性を全否定するものではありませんが、どこかで誰かがリスクと責任を取って整合性を超えて合理性のために動かねばならないと思います。
現代におけるキャリアの役割とは、そういう場面で腹を切ることなのかもしれません。
旧労働省の公理系
私の同期にも(滑り止めで)旧労働省に入った友人がいるので、彼らの「公理系」はよくわかります。他の官庁が自民党を基盤にしているのに対して、彼らは労組(旧社会党)を利益団体としてもつ、唯一の官庁です。そのため、厚労省でも絶対に主流にはなれないが、天下り先は結構ある。
他方、労組の側も、社民党なんて政治的には何の力もない政党より、厚労省のほうをずっと大事にします。若いときから「連合総研」などに給料丸抱えで出向させたりして、組織ぐるみの賄賂を送っているわけです。もちろん退職後は、キャリアには必ず労組系の団体への天下りが約束されています。しかも新聞は、こういう天下りはあまりたたかない。
こういう環境では、彼らの発想が労組と一体化するのは自然です。だから、私がいくらその論理の破産や事実誤認を指摘しても、「明治時代は戦前じゃない」といったナンセンスな話しかできない。おそらく彼は、彼の所属する組織の存在価値がなくなっていることを自覚しているのだと思います。しかしブログでそんなことを認めたら、二度と本省に帰れない。だから、コメントできないのです。
相手にしないほうが
彼は大学院でマルクスの資本論を読ませているらしいですよ。かわいそうな学生たち。信じられません。
そんな人を相手に議論しても仕方ないですよ。無視したほうがいいと思います。
人気があって正しいことを言っている人に相手にしてもらえるだけで嬉しいんですよ。
本当ですか?
それが本当だとすると、彼の「資本論は参考になる」云々の話も理解できる。現在の経済史のレベルでは、マルクスの事実認識は致命的に間違っていたことがわかってるんだけど。
そもそも工場がそんなに悲惨なところだったら、労働者は農村に帰ればいい。彼らがenclosureで村を追い出されたという「原始的蓄積」も神話で、実際には農業革命で農業生産性は上がっていたので、雇用も増えていたのです。
これでは社会政策どころか、講座派マルクス主義ですね。「ソーシャル」が好きなところをみると、もしかして社民党員(もしくは支持者)じゃなかろうか。たしかに、こんなゾンビを相手にしてもしょうがないですね。
大事なものは
確かに機会均等は大前提である。まず、これがなければならない。
でも、結果の平等というのも(労働内容や条件に比例?の報酬の形で)必要だろう。
これがやった分だけ自分が得をするという原動力になる。
そして、忘れられている大事な物がある。
「約束が守られる事」の形での「信頼」が存在する事である。
これが無ければ結果が出るまでに時間がかかる物に対して疑心暗鬼になり失敗します。
裏切られた時のリスクを考えると保険として他の事にも力を注ぐ必要があり、全力投球できません。
今の日本の若者が無気力に見えるのも幸せな未来が見えない国の政策に状況というのが引き起こしているという一面があるでしょう
はじめまして
リンク先より飛んで参りました。
管理人様が批判されておられる相手もそうですが、
僕はむしろ、「労働者の味方を気取った連中」こそが問題かと思います。
政治の観点からみれば、自民党はともかく民主党や社民党や共産党といった野党が、フリーターやニートといった人達の事を真剣に考えているとは思いません。
なぜなら、彼らは所詮「選挙の票にならない」ですから。
野党の支持母体である大手労働団体が、自分達の権益を彼らに分け与えるとは思えませんし。
如何でしょうか・・・・?
最弱者
努力しても、特にグローバル経済はギャンブル型で
なければ見返りが少ないです。
けれどもギャンブル型は99.9%は失敗します。
今の日本の金融制度では、それは家族や友人ごと
破滅することを意味しています。
ギャンブルを拒否して普通にこつこつ働くだけでは、
特に非正規未熟練労働ではずっと貧しいままです。
さて、失敗者、弱者が「餓死しない」ためには
どうすればいいのでしょう。
別に平等は求めていません。
求めるのは餓死がないこと…最低限の衣食住、
あと子供はちゃんと教育を受けられ、老いれば
家族に恵まれなくとも介護される、それだけです。
求めるのは餓死がないこと…最低限の衣食住、
あと子供はちゃんと教育を受けられ、老いれば
家族に恵まれなくとも介護される、それだけです。
濱口桂一郎のブロゴスフィアにおける現時点での代表作「池田信夫氏の○○○」も、いま読み返してみると「本当にそうか?」と突っ込みたくなる部分が多い。池田信夫からみれば「日本ブログ界のマルキ・ド・サド」濱口桂一郎にだけはこんなこと言われたくないだろうし。
この「池田信夫氏の○○○」がはじめてリリースされた頃はまだ耳目を集めたかもしれないが、すでに濱口桂一郎自身が池田信夫に粘着してサディスティックな攻撃を繰り返す姿をさらけだし、ネット見物人全員をドン引きさせてしまった後となっては、ご本人が思っているほど影響力のあるものではなくなってしまった感がある。
俺は「濱口桂一郎は病気だ」と思う。平日の午前中に「EU労働法政策雑記帳」コメント欄の返事を2000字書いている事実が精神のある種の奇形性を物語っている。サディスティックな性的嗜好を持っているから、自分より劣っている、と狂信的に彼が信じ込んでいる、池田信夫を執拗に攻撃して、濱口桂一郎は性的な興奮を得ている。(文中敬称略)
http://blog.livedoor.jp/striver2009/archives/518234.html