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【格闘技】

佐藤洋太が引退 本紙記者と惜別スパー

2013年6月14日 紙面から

佐藤洋太の右が竹下記者を襲う。竹下記者はこの後の記憶がない=東京・新宿区の協栄ジムで

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 前WBC世界スーパーフライ級王者佐藤洋太(29)=協栄=が13日、東京都内のジムで記者会見し、「ボクシングはやり切った。第2の人生も好きなように生きる」と引退表明した。5月3日に王座から陥落後、去就が注目されていた。来年以降に岩手へ戻り、新たな職に就くという。会見後、本紙竹下陽二記者と1ラウンドの異例のサヨナラスパーリングを行い、現役生活にピリオドを打った。

 佐藤は律義な男だ。会見後、「竹下さん、やりましょう」と誘ってきた。5月3日にタイで王座から陥落し、引退を告げる電話をしてきた時、惜別スパーを提案してきた。社交辞令と思いつつ、カバンに着替えをしのばせてきた私であった。

 スーツから戦闘服に着替えた佐藤がリングに立っている。あの日、電話口で自らの決断を語った佐藤の一言一句が今さらながら思い出された。

 「疲れました。部活の延長でやってたボクシングが、世界王者になったらビジネスになった。ボクには欲がない。だから負けたのかも。でも、やり切りました。金平会長には、責任感で続けるならやめなさいと。あれで気が楽になった。新井トレーナーは泣いてました。充実した10年間だったと。その言葉にグッときました」

 第2の人生は?

 「何かを得たくてボクシングを始めたわけじゃない。楽しそうだから始めた。人生は楽しむべきだと思う。つらくなったら、次に進むべきだ。本能に従った方が幸せになれる。しばらく、子育てとスケボーとバイト。子どもの進級に合わせて、4月に地元の盛岡に帰って、ゼロからのスタート。養子縁組した佐藤のおじちゃんはジムで鍛えるぐらい元気だけど、90歳。介護生活が始まります」…。

 濃密な3分間が終わった。私は足がガクガクだった。数発、遠慮気味のボディーブローを決めた佐藤は「3年後に効いてくる」と笑った。世界王者が番記者と惜別スパーなんて、去り際も型破り。生まれたばかりの三男の名前は「晴矢」。6歳の長男が「“矢印”にすれば、迷子にならない」と漏らしたひと言をヒントにした。「子どもは天才」と佐藤。自分らしさを失わない限り、第2の人生でも“迷子”になることはない。 (竹下陽二)

 

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