第547話「価値あるもの!!」
「…お前が人柱力ではない!?
どういう事だ?」(四代目風影)
「今アンタ達を操ってる輩共に
守鶴を抜き取られオレは一度死んだ
だがチヨ様と友の力でオレはこうして蘇った」(我愛羅)
「…あのチヨバアがそんな事を!?
それに…友だと!?
お前に友ができたというのか!?」(四代目風影)
「おいおいどんだけ寂しいガキだったんだよアイツは?
友達くらいできて当然の歳だろう」(二代目水影)
「父さま
アナタに六度殺されかけ…
その度にアナタを恐れ恨んできた…
だが今はもうアナタを恨んでいない…
アナタのやろうとした事も理解できる…」(我愛羅)
我愛羅と砂の絶対防御の関係性から我愛羅と母・加瑠羅の繋がりに関しましては過去に書き記した考察がありまして、ナル×ジャンの「我愛羅論」はそこで語り尽くしておりますれば、是非とも「カンクロウは何故、”我愛羅に護衛は要らない”と言ったのか?」(疑問の考察)をご一読して頂きたいと思います。冒頭に添えた待画が稚拙で(消去しちゃおうと思ったくらい)申し訳ないですが、五影会談に向けて出発する我愛羅のお付きのカンクロウが垣間見せた心のざらつきに我愛羅を包み込むような母の愛情を感じてなりませんでした。ま…我愛羅は第一部でナルトに完膚なきまでに叩きのめされ真っ当になっております。その頃は大蛇丸の手に拠って亡き者とされた四代目風影には知る由もありませぬが…。
「………」(四代目風影)
「オレも風影となった今
里を守るために里への脅威を排除するのも…
長の役目だ」(我愛羅)
「……!!
風影に…なった…お前が…?」(四代目風影)
「それだけではない…
今や忍連合軍戦闘大連隊連隊長じゃぜ!
この若さで影を名乗っておるが
他の影も皆一目置いとる」(オオノキ)
「やはりそうか…
各里のあらゆるチャクラ系が感じられて
おかしいとは思ったが…
忍同士連合を組んでいるとはな」(二代目土影・無)
なので我愛羅の自立っぷりが俄に受け容れ難い四風の気持ちも解ります。ですが、穢土転生なんて外道な忍術でかりそめの生を与えられた四風であろうとも、その魂の理解力が生前「影」を名乗った者のそれであるならば、我愛羅の威風堂々を一見すれば全てを了とするでしょうから、四の五の語らずとも明々白々でありましょうから、ナル×ジャンとしてもあまり野暮な解説は抜きにしようと思いまする。我愛羅の風影就任に豆鉄砲の四風に追い討ちをかけるのがオオノキの我愛羅擁護でありまして、多少波風も立ちましたが結局、”暁”に塗れて失った忍道を我愛羅によって取り戻したオオノキなれば我愛羅の凛とした言葉の重さや強さを無視できないのです。それはオオノキがしっかりした人間だという証明でもあります。
オオノキが柄にも無い事を言うもんだから今度は二土の無(ムウ)が針ガッツリに釣られます。この話っぷりからして無の感知能力の高さが際立ちます。また我愛羅の砂の接触型の感知でやっとこさ姿を現した描写から自らのチャクラを完璧にコントロールする能力があるように思います。これまでこれに似た能力は香燐が提示してまして、それに水月がかなり興味津々…つーか認識が絶大だったのはきっと今後の展開に関わって来るんじゃないかと期待(…って完璧忘れ去られた伏線になる可能性もあり)があって、何たって現存既出の「元渦潮隠れのうずまき一族末裔」の筆頭である香燐の動向には注目が必要です。ならば香燐(=仙人の肉体)に輪廻眼装備で外道魔像シンクロのコマの可能性だってありますんで…。
「眉無しにゃカリスマってもんが
面に出ちまうんだよこれがよ!」(二代目水影)
「ならそのチョビヒゲもか?水影」(二代目土影)
「おい
お前ら殺るならこの包帯ヤローから先にやれ!
ものすごい応援してやるぞ!」(二代目水影)
そんな気配を察してか、妙に動きが良いのが二代目水影で、流石はやぐらとメイちゃんの先達と思えます(笑)。そもそも穢土転生で召還直後から、そのファッションセンスからただ者ではないのは皆さんも気付いてた筈です。大勢の中の突出した存在を「白眉」(はくび)というもんですが、その眉がない自慢で自己主張するあたり、やはりただ者じゃないし、我愛羅が眉ないのに気付かせてくれた功績(そんな事も知らんかったんかーい!!だから砂漠の我愛羅の待画があんなにヘタクソなんだぞー!!)は果てしなく、限りなくデカイです。ちなみにめっちゃ余談ですが、無様の包帯って、これしてないと存在が分からない「透明人間」みたいなオチなんじゃないかなーと、僕は予想してます…が、角都オチだったら勘弁してね(笑)。
ま…そんな二水に癒されながら四風の回想に入ります。しっかし夜叉丸の一件(我愛羅の何度目かの暗殺事件)が父・四風の差し金だったのは驚きました罠。しかし、夜叉丸の我愛羅に対する煽りが、100%任務だったのか、それとも姉・加瑠羅の死に対する愛憎の成せる業だったのかを考える事は凄く重要で、『NARUTO -ナルト-』の深い所まで感じるには必須であります。何故ならその感知能力(能力=努力でもいいですけど)こそは四風・我愛羅パパの心の内を感じるショートカットであるからです。何で六度も我が子をその手にかけようとしたのか?それが風影の立場のみが成させた非道だったのか?そこんところが解らないと四風の本心には到達できません。そして、それを我愛羅がどう感じてるのか?興味が絶えませぬ。
「母の事を語り精神的に追いつめるんだ
それでも暴走がなければ我愛羅の処理は見送る」(四代目風影)
「姉の…!
本当にそれでいいのですか?」(夜叉丸)
「…………
「あいつが母・加瑠羅の事を心から
敬愛しているのは知っている…
だからこそそれを取り上げても
暴走を押さえられるぐらいでなければ
人柱力として務まらぬ!」(四代目風影)
回想の中で生まれ落ちた未熟児の我愛羅を見つめる加瑠羅の視線と死線。そこで逆立つ四風・我愛羅パパの心の対比が非常に鮮明であります。ココ…解りますか?この愛憎。心のベクトル。今にも息絶えそうな加瑠羅は我愛羅だけを見ています。対して未熟児の我愛羅にガックリと肩を落とす四風は加瑠羅の事ばかり…。きっと四風は加瑠羅を凄く愛してたんだと思います。またチヨ様の命と引き換えに蘇生した我愛羅に驚きまくった四風には我愛羅の生体兵器としての出産に鬼のチヨ様が関わってました感が1000%です(笑)。つまり母体・加瑠羅に一尾・守鶴を憑依させた張本人はチヨ様で、四風には断れない立場役割=影があった訳です。ま…要するに四風は加瑠羅が好きで好きで堪らんかった人なんだと思います。
「やはりダメか…
我愛羅は失敗作だった…」(四代目風影)
だから、我愛羅の出産と引き換えに逝ってしまった加瑠羅に、四風はデフォルトで我愛羅を恨むベクトルを与えてしまったんじゃないでしょうか。ぶっちゃけ、我愛羅が加瑠羅を殺したんだと四風は無意識に傾倒していったと、僕は考えています。だから、あらゆる手段で暴走させられた我愛羅を「失敗作」と短絡できちゃうんです。自分の子なのにモノみたいに…。それはデフォで我愛羅が憎かったからだと思います。四風は父である前に加瑠羅の男だった訳です。だから、四風たる立場役割が在るにも関わらず感情が先行しているのです。しっかし、そんな親が何処の世界に居るよ…。それを「砂の悪しき風習」なんて逃げ口上で済ましちゃならんと思うんです。その為の穢土転生ならやはり「意味」があると四風は言うのです。
(…加瑠羅お前が…
まだこの子の中に……)(四代目風影)
我愛羅の砂の絶対防御に強烈に反応する四風ですが、同じようなざらつきを見せた子がカンクロウの他にもう一人居りましたっけ(笑)。ま…やはりナル×ジャンの「我愛羅論」は件の「カンクロウは何故、”我愛羅に護衛は要らない”と言ったのか?」(疑問の考察)で語られてますんで、しつこいようですがそっちでご賞味ください。そんで、加瑠羅の砂が加瑠羅を象(かたど)るのは砂の絶対防御が加瑠羅の遺志に呼応してると、僕は感じてまして、それが四風に対する愁訴と申しますか、早く気付けよ!!のメッセージなんだと思っております。ましてや四風の砂金の攻撃を一蹴するのが三行半に近い決定的なダメ出しであり、これで萎えない男なんて男じゃない。悋気から解放され四風が「父の気持ち」に素直に戻れたのはそのお陰です。
「親ってのはただ…
子供を信じてやればいい
たったそれだけ…
そこに価値がある…」(四代目風影)
「…………」(我愛羅)
「そういう事だよな加瑠羅よ…
どうやらオレに……
ものの価値を見る才能はなかったようだな」(四代目風影)
「…………
………どういう事だ…?」(我愛羅)
「砂がいつ何時でもお前を守る…
それは守鶴の力ではなく…
お前の母加瑠羅の力だ」(四代目風影)
「…なんて小さい子…
どんな事があっても私が守っていくからね…
…我愛羅」(加瑠羅)
「お前は母に愛されていた」(四代目風影)
我愛羅はめっちゃオトナだから「そんなの知ってた」なんて言わないと思うんですが、まさか、砂の絶対防御を未だに守鶴の力だと誤認してたなんてオチだったら、そりゃもう一子相伝(笑)。このダメ親にしてこの子ありみたいな…DQN遺伝子の法則みたいになって嫌なので、我愛羅は既に気付いてた事にしてもらいたいッス。少年少女には是非とも感じて貰いたいのは「親の愛」であります。『NARUTO -ナルト-』では隠れ里というコミュニティを通して、子育ての社会化なんて壮大な教育論を示してるんだけど、その根底には親が子供を無条件で認める心構えがあるんです。僕はこれまでそれを「おくるみ」アイデンティティ)や「家族」(愛について…)で散々書いて来ました。これだけは解って欲しかったから!!
伝えたかったから!!
人がこの世に存在するのに条件とか理由なんて必要ないんです。命は等しくその存在を許容された存在なのです。何ができるとか。どんだけ優秀だとか。どんなに金を持ってるとか、稼げるとか…そんなの下らないと思うんです。確かにお金があれば幸せになる可能性は高いです。しかし、金があっても必ずしも幸せになれない現実を僕は腐るほど見て来ました。人の優秀さとか社会での立場とか技能とか資格が人を幸せにする訳じゃなくて、人を幸せにするのは人なんだと、僕は気付きました。人を幸せにするのは人の力だけですよ。人間力ですよ。だから加瑠羅の砂は四風を押さえ込んだように見えて実は抱き締めてるじゃない…(←ココ!!絶対本誌を見てみてください!!)。
それが「愛」という人間力の正体なのだよ。
だから……どうか…どうか……忘れないで!!
愛されない存在など無い事を。
そもそも…「価値あるもの!!」なんてタイトルがオカシイ…。
「そんなの知ってた」
少年少女にはそんな風に毒づいて欲しいのよ。