2013年06月12日 22時00分10秒 posted by uruseiblog

奉仕

テーマ:ブログ

【奉仕】


私達は本来奉仕をする事を義務付けられている存在である。


これが宇宙の法則における人間の実態でもありました。


元々私達が視覚で認識しているこの三次元社会は、
創造主が自らの予定の社会を実現するために
創造主が四次元に吹き込んだ残留思念を具現化した社会です。


自らの創造物の高いレベルでの調和を完成する事を目的に
創造主の分身として私達を作り上げたとなれば、
その本来の目的は万物の調和を実行することですし


それが万物に対しての奉仕として実行され
同時に人間以外の万物の管理を予定されているとなれば
私達の本来の役目は”奉仕”だと言うことになります。


天使達の社会ではまずはそれぞれの人間が生活の糧を得るために
全員が必要とする生活のために物資を作ることになりますが、
そのための仕事を皆で実行する事になります。


これは社会全体に対する”奉仕”でありますが
同時にその奉仕は自らも糧をえると言う形で自らにも跳ね返ってきます。


貨幣経済の存在しない彼らの社会では
必要なものを誰もが必要な分だけ手に入れることになります。


一方彼らの社会の中では教育でも、
理解している者が理解を求める者に教えると言う
習慣があるようです。


おそらくは誰もが全ての分野において
強い出ているわけではないでしょうし


得意な分野をお互いに教え合うようなそんな行為を
実践する事になるのだと思います


これも他人への奉仕です。


そして彼らの社会の空間は自然と調和を果たした社会のようで
自然を壊して自らの栄華を誇るような事もありません。


動植物への奉仕と言うことに関しては
具体的な記述は見つかりませんでしたが


いうまでもなく彼らはそれを実行しているはずです。

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そういえばパウロが聖書の中で御霊の賜物として
色んな能力を上げていました。


預言、異言、福音、癒し、


例えばそんな能力を開花した人間は
それをもって創造主の意志を表現して皆に奉仕しなさいと
パウロは言っていたはずです。


それぞれが無理なく得意の分野で
他人への奉仕を実行しないさいという意味だと私は理解しています。


私達の能力や資質は千差万別で誰もが均一ではありません。


その中で自分が強い出たものを持っているのなら
それを持って他人に奉仕する事を求めていたのだと思います。


天使達の社会もそれと同様の事が実践されていると思います。


それが技術や技能であっても、
知識や学問の様なものであってもです。


それらは協力して実行される仕事の分野でも
そしてその場を離れての学習の分野でも生かされているのだと思います。


本来私達の場合もこの社会で同様の事を実践することが
求められているはずです。


しかし均一的な価値観で教育される私達の社会では
ここの人間が特殊な才能や技能や技術を認識する機会もないでしょうし
それを利用する機会もありません。


そのために隠れた能力を埋もれさせる事にもなりかねませんし、
もしもそれを仕事として利用する事があっても
仕事は奉仕ではありえません。


宇宙の法則で求められている奉仕というのは
根底的には無償の奉仕だからです。


それは見返りを期待しないで実践されるものであると言う意味です。


創造主の法則が私達誰もに対して平等に奉仕するように、
罪人でもそうでない人間にも同様に太陽を昇らせて雨を降らせるように、
それは見返りを前提としたものではないと言う事です。


しかし私達の社会には実は奉仕と言う意識は少ないのです。


私達は奉仕をする時には、そこに決まって何らかの効果や
見返りを期待していると思います。


日々の労働は当然賃金という見返りを期待するものですし、
大体が特定企業の利益獲得活動への奉仕であって
それは万物への奉仕ではありえません。


大体が私達は他人に対しての何らかの働きかけであっても、
そこに感謝や好意を求めるかもしれません。


だとすればそこでも私達は純粋な奉仕をしていることにはなりません。


私達は自分達の得にならないことはしないのが
当たり前になっているのです。


そして必要な奉仕であってもお金にならない仕事は
企業として成立する事もありません。


それを公的機関が義務として実行しますが
サービスは行き届かないと言う現実もあります。


私達は目先の得しか考えませんし
そのためにも見返りを求めて奉仕をする習慣ができています。


しかし無償の奉仕も、めぐりめぐって自分へと戻ってくると言うのが
天使達の理解でもあります。


直線的に自分に対しての効果を期待して
他の万物から何か便益を引き出すのではなくて


他の万物に対して奉仕する事で
めぐりめぐって自分がそこから便益を受けることになる。


彼らはそんな自然の理を理解して実行しているわけです。


そんな理解をもって、万物にとって有益な事を実践すれば
私達は創造主の意志を実践することになるのです。


創造主の私達への想いが万物の調和の奉仕者であることであり、
そのための行動をする事が私達にとっての奉仕であれば
私達はそれを実践しなければならない。。。


今のこの社会の中ではこんな話も、奉仕の実践の話も、
「豚に真珠を与えるな、犬に聖なるものを与えるな」
と言うことになりかねませんが


私達はそのような意識を培う事が出来るものならば
この過酷な社会の中で来るべき未来のための学習として
この事を理解する事も大切かもしれません。


現実的な話をすれば、
私達は無自覚の得意分野を持っている可能性があります。


それが特定の技能かも知れませんし知識かもしれません。


それは画一的な教育の元で
埋もれてしまっている可能性もあります。


私達は今は誰もが同じ様に学校の勉強で
その能力を測られることになっているからです。


時にはスポーツに強い出て肉体の能力の高さを見せたり
音楽や芸術の分野で成功して資質の高さを見せる人間はいますが


おそらくは私達の殆どは自らの潜在能力には
気がついていないと思います。


もしも自分の隠された資質に気がついたなら
そして具体的にそれを伸ばす具体的な手法があるならば
今のうちからそれを鍛錬するような努力も良いのではないかと思います。


この社会の中では活用できなかったとしても
それは近い将来に自分の次の生に置いて役立つ可能性が高いからです。


兄弟姉妹と理解者は次なる生には記憶を持っての転生が
控えている可能性が高いと思います。


今現在の体験や知識がそっくりそのまま
宇宙的な記憶として生かされる可能性があると言うことを意識して
今後の人生を過ごしてください。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】


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