(cache) 2010年12月号巻頭インタビュー

◆巻頭インタビュー
教員・乙武洋匡氏が貫いた子どもの心に寄り添う教育とは
乙武 洋匡(おとたけ・ひろただ)氏

乙武洋匡氏 <プロフィール>
1976年4月6日生まれ。大学在学中、自身の経験をユーモラスに綴った『五体不満足』(講談社)が、500万部を超す大ベストセラーに。卒業後は『Number』(文藝春秋)連載を皮切りに執筆活動を開始。スポーツライターとして、シドニー五輪やアテネ五輪、またサッカー日韓共催W杯など、数々の大会を現地で取材。特にスポーツ選手の人物を深く掘り下げる眼に定評がある。 2005年4月からは、東京都新宿区教育委員会の非常勤職員「子どもの生き方パートナー」として教育活動をスタートさせる傍ら、明星大学の通信課程に学び、2007年2月に小学校教諭二種免許状を取得。同年4月から2010年3 月まで杉並区立杉並第四小学校教諭として勤務。同年9月に3年間の教員生活を基にした自身初となる小説『だいじょうぶ3組』を発表。現在は、メディアを通して教育現場で得た経験を発信していく活動を柱としている。

 早稲田大学の学生だった乙武洋匡さんが『五体不満足』を出版したのは1998年10月。2007年に教員免許を通信教育で取得し、3年間、杉並区内の公立小学校で教師となって、子どもたちと向き合ってきた。先生に「できないこと」があるからこそ、子どもたちに大きな成長があったという。教師として、そして2児の父親として「子どもの心に寄り添うこと」を大切にしてきた乙武さん。教員生活を通して感じた、学校、教師、家庭など子どもを取り巻く教育環境についてお話を伺った。

親と教師の信頼関係が学校の「杞憂」をなくす鍵

―乙武さんは今年3月、3年間の教員生活を終えられましたが、終わったときはやはり淋しかったですか?

乙武/僕も淋しい気持ちになると予想していたのですが、実際は「ホっとした」というのが正直なところでした。担任を持ったのは2年目からで、三年生・四年生と続けて同じ子どもたちを受け持ったのですが、修了式を終えて、教室でお別れをして送り出したあと、一人になった教室で感じたのは安堵感。自分でも気づかないところで、自分のようなからだの人間が、担任として23人の子どもたちを見守り育て、五年生に送り出すことができるのか不安を感じていたのですね。

―自然体にやっているようで、実は大変な責任感と緊張感があった。

乙武/講演会では多いときには2,000人を前に話しますし、テレビに出演すれば何千万人の人が僕の話を聞くことになります。しかし、責任感という意味では、23人の子どもたちと向き合っていたときの方が重いものがあったと感じています。講演会やテレビは主な対象が大人ですから、僕の話の是非はご自分で判断できます。しかし、子どもは思っていた以上に純粋でまっすぐなんです。僕が白と言えば、本当は黒でも白だと思ってしまうくらいの素直さがある。だから教 師をしていたときは、他のどんな仕事のときよりも自分の言動に重い責任を感じたのだと思います。

―子どもたちは丸ごとぶつかってきますからね。

乙武/はい。特に、教員1年目の冬に1人目の子どもを授かってからは「子どもさんを親御さんからお預かりしている」という意識が強くなりました。親がどんなに子どものことを大切に思っているかを実感して教師の仕事の重さがわかった。

―しかし、最近はモンスター・ペアレンツと言われる親がいると聞きますが。

乙武/本当にありがたいことに、僕のクラスの保護者の皆さんは理解と良識があり、ぶつかったことはなかったですが、同僚の話を聞くと、確かに非常識で理不尽な要求があったりもするようです。でも、僕は親だけが問題だとは思っていません。そんなモンスターを作ってしまう要因は、教師と保護者の間に広がるお互いの「疑心暗鬼」にあると思います。目の前にいる子どもをより良くしたいという思いは同じなのにです。本来は同じ側にいるはずが、メディアの影響もあってか、出会ったときから保護者は教師を信じられず、教師は保護者を難しい相手だと思ってしまう。

―お互いが心を開くことが大事ですが、それが難しいんですよね。

乙武/3年間やってみて、「学校とは9割が杞憂でできている」と感じましたね。「ああなったら困る。だからやめておこう」という取り越し苦労のようなことがたくさんあります。1年目、五年生の理科の授業で春先にエンドウ豆を植えました。数ヵ月後、豆が実ったので、家庭科室でゆでて食べようと収穫祭を計画したんです。ビールで乾杯とはいきませんが(笑)、皆でお茶で乾杯しようって。そうしたら「学校で、給食以外のものを食べてお腹を壊したらいけない」と言われ中止になりました。

―皆で自然の恵みに感謝をする絶好のチャンスなのに!事故の時の責任を考えるのですね。

乙武/一方的に学校を非難できません。過去に家庭やマスコミからいろいろと言われているから慎重にならざるを得ないのです。しかし、こんな学校の杞教室で授業をする乙武さん憂が子どもたちからいろんな経験をする機会を奪っています。杞憂を取り去るには、僕は親と教員がもっとコミュニケーションをはかって、子どものためにお互いの信頼関係を築くことが必要だと思うのです。

―コミュニケーションによる信頼関係の構築、乙武先生の出番ですね。

乙武/杉並区で教員をする前の2年間、新宿区の教育委員会で、子どもの生き方パートナーという肩書きをもらって、主に小・中学校を回っていました。その時、こんな話を聞きました。ある小学校で、女の子が逆上がりの練習をしていました。腰に手を当ててちょっと持ち上げてあげれば、彼女は逆上がりができる状況でした。普段から信頼関係のある男性教諭がそれをしても問題は起きない。でも、普段からちょっと・・と思われている男性教諭がすると「セクハラだ」 と言われる。同じことをしても、そこまで保護者の対応が変わるというのです。

―普段からの信頼関係がいかに大事かということですね。乙武さんは親御さんにどのような働きかけをしたのですか?

乙武/かつて小渕総理大臣が頻繁に電話をかけることで「ぶっちフォン」と言われていたことがありますが、僕も「おとフォン」ではないですが、毎日のように保護者に電話をかけていました。普通、担任から電話があると「何か悪いことをしたのでは?」と親は思いますよね。

―親はドキッとしますよね。私も経験があります。予想通りでしたが(笑)。

乙武/でも僕は電話で子どものことをほめるんです。「○○ちゃんは今日、苦手な逆上がりを一生懸命練習していたんですよ」とか、「いつも引っ込み思案の○○君が、△△委員に立候補してくれました!」と。結果としては、逆上がりはできなかったり、委員に選ばれないこともありますよね。でもここでは結果は関係ないんです。結果は通知表に書けばいい。でも、通知表には「がんばったけど、できなかったこと」は書けない。だから、そんな子どもたちのがんばりを電話で日々、伝えていこうと思ったんです。

―親が、教師は子どもの結果だけではなく、努力と成長をきちんと評価してくれていることを知る。憎いですね!

乙武/親御さんも最初のうちは信じてくれなくて、「ほめるのは前ふりで、さあ、本題はなんですか?」みたいな感じでしたね。でも続けていたら理解してくれて。そして、いよいよ本当に子どもが何かトラブルに巻き込まれたとき「この先生は普段からこの子のことを見ていてくれている」という信頼関係がある から、素早い対処ができるのです。

―子どもの成長過程を共有することで、教師と親がパートナーになれたのですね。自分から相手に働きかけて関係を築く。乙武さんはご自身に障がいがあったからこそ、そういった関係作りのトレーニングを積んでこられたように思いますが。

乙武/おっしゃるとおり、ほとんどの方は車いすの人を前に戸惑いますから、僕の場合は自分の方から心を開いていくことが不可欠で、それを無意識に繰り返していたのかもしれません。教員もその前のスポーツライターも、人の心に寄り添う仕事です。それができたのは、やはり僕の歩んで来た道が影響している と思います。障がいがあったからこそ、心に寄り添う仕事ができたのかもしれません。

―「心に寄り添う」が乙武さんの生き方のキーワードになっているように感じます。

乙武/僕が教員を目指したのは、2003年に長崎で起きた少年事件がきっかけです。中学一年生の男の子が4歳の子を誘拐して、ビルから落として殺してしまった事件です。その時の彼に対するマスコミのバッシングもすごかったですが、きっと彼も苦しかったのだと思います。なぜ周りの大人は彼のSOSに気づいてやれなかったのか、軌道修正をすることができなかったのか。僕は教員となってから、子どもたちのサインを見落とさないように、心に寄り添うことは丁寧にしてきたと思っています。

教師が「してもらう」存在だから学べることがある

―9月に出版された『だいじょうぶ3組』では、乙武さんと同じ障がいのある主人公・赤尾先生を通して、子どもたちとの関わりが綴られていますが、随所に乙武さんの子どもたちへの愛情ある眼差しと、丁寧な寄り添いを感じました。小説ですが、全て実際にあったお話なのでしょうか?

乙武/内容の8から9割は実際に起きたエピソードをモチーフにしています。サクラの木の下で学級委員会を開いたり、運動会で坊主になったり。本当に突拍子もない活動をしていましたね(笑)。実際、職員室で怒られましたし、同僚の中には首を傾げる人もいました。

運動会の100メートル走の全レースでこのクラスが一番を独占できたら赤尾先生が坊主になる、という約束をしたお話。赤尾先生は子どもたちの努力と成果を称え、教室で頭を剃った。

―乙武さんは、教師の中での問題児だった。

乙武/小説にも書きましたが、赤尾は始業式で初めて会った子どもたちを前に「先生にはできないことがたくさんあります。だから先生が困っていると思ったら手伝ってください」と言っていますが、これは僕が実際にした挨拶と全く同じです。その時、同僚の先生から、「教師は、何でもできて何でも知っているという全知全能のポーズをとることが当たり前。あなたのように弱みを見せて、助けを求めることには違和感がある」と言われました。

―確かに、自分から弱みを見せる先生は少ないですよね。

乙武/そのとき、僕と他の先生との決定的な違いは、「できないことが沢山あることだ」と気がつきました。でもこれはマイナスなことばかりではありませんでした。例えば、僕は牛乳のフタを開けることができません。はじめのうちは介助員が開けていましたが、数週間すると子どもたちが自然にやってくれるよ うになって。そしてクラスの子に助けが必要なことが起きると、さっと手を差し伸べるようになったのです。教師が「してあげる」だけの存在ではなく、「してもらう」存在だから、子どもたちが学べることがある。僕はそれを大事にしながら担任をしてきました。他の先生方にも、全知全能じゃない教育方法もあることを提示できたかなと思います。

―今の教育はインプットばかりで、子どもがアウトプットをする機会がないように感じます。アウトプットをしてはじめて自分自身を認められて、自己肯定感も得られると思うのです。登山のエピソードも、まさにそうかと思いますが。

遠足の登山に車イスの赤尾先生が引率するか否か職員の間で話し合いが続く中、子どもたちが赤尾先生と一緒に行きたいと署名をし、独自の計画書を添えて校長先生に直訴したお話。

乙武/この話には2つのエピソードがもとになっています。1年目で担任を受け持っていなかったとき、あるクラスの子どもたちが、移動教室を引率する担任以外の一人に僕を指名したんです。子どもたちは校長室にまで押しかけて直談判してくれて。でも結果としては僕の引率は実現しませんでした。今回、ノンフィクションではなく小説にしたのは、このように着地点を変えたところがあるからです。現実だけを並べてしまうと、理想ではない着地点になってしまう。僕は、何かメッセージを伝えたいときは楽しい物語で伝えたいなと思っています。「子どもたちが署名しました。でも行けませんでした。」では救われないでしょ。マイナスの結論を示して「皆さん、考えてください」という手法もありますが、僕のやり方ではない。だから結末をアレンジしました。もう1つのエピソードは、僕が担任を持ったとき、遠足の山登りについて子どもたちが開いた学級会で、いつも一番手のかかる子が「本当にまじめに登るから、先生と行きたい」と 言ってくれたことです。

―この本を読んで、子どもの力って本当にすごいと率直に感じました。

地域の大人と一緒に子どもを育む保育園を作りたい

―しかし、今、元気な子どもが減っているのでは?という不安もあります。問題点はどこにあると思われますか?

乙武/子どもたちが持っている力を活かしきれていない、開ききれていないのだと思います。その要因は家庭と発達障がいだと僕は考えています。教師が家庭を挙げるのは何か皮肉な感じもしますが、学校がいくらがんばっても、家庭が落ち着いていないと子どもは意欲的になれません。安心できる居心地の良い家庭がないと子どもは力が発揮できない。また、10年前にはあまり聞かれなかった発達障がいの児童がどのクラスにも1、2人はいます。それにも関わらず、担任も周りの大人もその障がいについて知識がなく、彼らに対して適切に対応できていない現状があります。よりよく伸ばしてあげられる環境を整えてあげられていないのです。

―発達障がいのある子どもも、環境を変えることで力を発揮できると?

乙武/ただ、環境を誰に合わせて整えるのか、難しさがあります。例えば、情報が入りすぎると気が散ってしまう子がいて、その子は黒板の周りの掲示物を外さないと集中できないんです。しかし、それでは他の子には不便です。誰に合わせるべきか、皆違うので難しいところなのでが、現場の教師は選択を迫られます。それぞれに違う特性を持つ子どもたちに、どのような学びの環境を提供するのか、大きな問題だと思います。

―なるほど、現場が抱える悩ましい課題ですね。1つ目に挙げられた家庭の大切さにつながりますが、子どもが愛情を感じて育つことがとても大事だと思います。乙武さんの原点もご両親ですよね。

乙武/はい。子どもが育っていくときに大切なのは自己肯定感です。『五体不満足』の中で、多くの読者の方が印象に残った話としてあげるのが、母が僕と初めて対面したときに「まあ、かわいい」と言ったことです。教師として父として、子どもに対するとき一番意識するのは自己肯定感を育むこと。本のタイトルにもしましたが「大丈夫だよ」と伝えることですね。

―やはり、乙武さんだから伝えられることがあると思います。ご家庭ではどんなお父さんですか?

乙武/上の子は3歳ですが、僕が鬚剃りをするのを手伝ってくれます。電動鬚剃りを戸棚から出して顔に当ててくれます。そうしたら、僕が顔を動かすのです。

―へー! 自然に家庭の中で、お父さんのために役に立っているというのは、子ども心にうれしいのでしょうね。

乙武/そうですね。子どもはおもしろいですね。手伝ってもらいながら楽しんでいます。

―そういう乙武さんですから、我が子も教え子も、彼らの力や可能性を引き出して大切にしておられるのでしょう。でもきつい時もあるのでは?

乙武/体力的にはしんどかったりするときもありますが、やはり使命感で突き動かされていると思います。20歳くらいのときから、なぜ自分には手足がないのか、その意味を考えてきました。他の人にはできない、自分だからできることがあると思います。

―乙武さんはある意味選ばれた人で、乙武さんにしかできないことがあると思います。今後はどのような活動を?

乙武/トータルで現場を5年間経験しましたから、乙武洋匡のフィルターを通した教育について、著書や講演で伝えていきたいと思います。また、先程お話しした発達障がいのことももっと深めていきたいですね。そして、友人と一緒に保育園を作りたいと思っています。いつになるかはわかりませんが(笑)。

―保育園ですか!乙武さんの描く理想の保育園とは?

乙武/育児ノイローゼ、産後うつなどは、家庭が密室になって起きる大きな問題だと思うのです。かつては地域社会が機能していて、お節介なおばちゃんやおじちゃんがいて救われていたことがあったと思います。先生や親だけが子どもの教育に関わるのではなく、子どもがいろんな大人を見て育つことが大事。その関わりの中で子どもたちは、「みんな違っていいし、いろんな育ち方があっていい」と感じることができるのです。そんな地域社会と共存する保育園。保育士と子どもたちだけでなく、街の人がどんどん関われる保育園を作りたいですね。

―いろいろな大人たちの関わりが大事ですね。 乙武洋匡さんと高橋陽子親がもしかして「はずれ」だとしても、それで人生全て「はずれ」であってはいけないですから。

乙武/本当にその通りです。家庭は一番大事です。でも、何らかの理由で親に愛されない子がいたとしても、他の大人から「あなたは大事な存在なんだよ」ということをきちっと伝えることが大事だと思うのです。そんな愛情を受けられないのはあまりに理不尽です。子どもはみんな愛情を感じて育ってほしい。そんなことができる保育園にしたいです。

―ぜひ実現させてください! お子さんたちにも助けられながら、「乙ちゃんの大活躍」を期待しています。ありがとうございました。

  聞き手/
公益社団法人日本フィランソロピー協会
理事長 高橋陽子