インどイツ物語ドイツ編(20)【パリの花盗人】
95年夏
家族4人でシャンゼリゼ通りを歩き、たどり着いた凱旋門の階段を、優士と舞が数えながらを歩いて上った日は暑かった。274段あった。
翌日のパリは肌寒かった。ホテルをチェックアウトし、荷物をフロントにあずけてぶらぶら歩いた。フランス革命の発端、バスティーユ牢獄のあったバスティーユ広場まで10分もかからない。足を伸ばして、セーヌ川の川中島シテ島の裏町を行くと、ノートルダム寺院に出た。
「せむし男はいないねえ」と舞に言うと、「そんなもの、ほんとにいるわけないじゃん」とばかにされてしまった。すっかり小生意気になっている。
パリ最大のデパート「サマルテーヌ」でカニ用のはさみなど調理器具をショッピングし、気の向くまま歩いて小さな公園まできた。
ベンチに腰を下ろして辺りを見回すと、どこかで見た覚えのある立派な建物がすぐそこにあった。透明のピラミッドもみえる。パリのど真ん中、ルーブル美術館だった。入場者の長い列ができていて、入るにはかなり時間がかかりそうだった。
モナリザはあきらめて、パリ最後の思い出にというのも変だが、ボンにはない「日本式ラーメン屋」へでも行こうか、と再び歩きだした時だった。午後3時ごろのことで、お昼をまだ食べていないぼくたちは空腹だった。
「あ、あれはゼッタイ赤ジゾよ!!」
妻がとつぜん声をあげた。低いフェンスで囲まれた花壇に、赤紫の植物がたくさん植えられている。
「うーん、どうかなあ。シソモドキっていうこともあるからなぁ」
ボンの自宅近くのライン河畔で大葉(青ジゾ)そっくりの植物を見つけ、こりゃいいと手でちぎったら、とげが指先にいっぱい刺さってひどい目にあったことがある。
たかがシソでも、ぼくたちが住んでいたボンで手に入れるのはなかなか大変だった。デュッセルドルフから月に1回やってくる日本食の宅配サービス会社に注文すると、大葉は100枚1パックで35マルク、2,000円以上する。一度だけ取り寄せたが、日本の田舎に行けば庭先や畑の隅で始末にこまるほど生えてくるのに、と食べていてばかばかしくなった。
ある事情通の主婦によると、ケルンの高台にある陶芸教室をやっている家の庭にたくさんそうだが、車で1時間以上かかるところで住所もわからない。
ルーブル美術館の公園にはぱらぱらと人がいて、大の大人が花壇に入り込むのは気がひける。
「ちょっと、あの赤ジソの葉っぱをちぎってきて」
妻が子どもたちに指令を飛ばした。親が何の話をしているかは、今ひとつわかっていないようだったが、「禁断の花園」に入ってもいいといわれることなどめったにない。ふだん言うことをきかないふたりなのに、こんな時は反応がすばやい。先を争うようにフェンスを越え、さっさっと取ってきて得意そうに差し出した。
指でもむと、まちがいなくあのすっきりした独特の香りが漂ってくる。妻は、石鯛を釣り上げたアマチュア釣り師のように得意満面だ。
「よさそうな葉っぱを何枚か持ってきて」
妻は新たな指令を出したが、せっかくなら1株失敬した方がいい。ぼくは辺りをうかがってフェンスをほいと越え、いちばん端の小さ目な株を引き抜いた。
ボンに赴任するとき、もちろん、わが家の鉄則として、さまざまな「ニッポンの味」を家庭菜園用に持ってきた。インド体験にもとづいている。
以下、妻の報告による。バルコニーのプランターで育てたうち、ミョウガは最初の夏に枯れてしまったが、三つ葉は大繁殖し隣の家のバルコニーにまで種が飛んで、ペンペン草のように生えている。日当たりが良すぎるのか微妙な香りは少ないが、茶碗蒸しなどには重宝する。
春菊、二十日大根は失敗、ニラは日本の種はだめだったが、こちらでたまたま見つけた種をまくと芽を出した。ただし、残念ながらあえて料理に使えるほど大きくはなっていない。ごくたまにわが家の食卓に乗るのは、ボンのアジア・ショップで週に1日だけ売っているものか、デュッセルドルフの日本食品店で調達したものだ。
ゴボウだってとつぜん無性に食べたくなるが、俗に「日本人以外にとっては、単なる草の根っこ」とも言われる。これを捕虜に食べさせた旧日本軍将兵は、戦後、捕虜虐待の罪に問われたという。ドイツでは本格的な日本食品店にしかなく、妻が94年の春に買ったとき、1本22マルクした。時価1,400円のゴボウ様で恐れ入った。
例の宅配会社の注文書を見ると、長イモ(約1キロ)が8マルクで500円くらい、栗カボチャ(約1・5キロ)が10マルク、650円ほどだ。
「ドイツのカボチャはきれいなオレンジで一見おいしそうだけど、水っぽくて筋っぽくて煮物にはまったくだめ」と妻は嘆く。パンプキン・パイやスープ用らしい。
ニューデリーにいた時は、プチトマトに二十日大根、大葉、カボチャが庭で大豊作だった。気候はインドよりドイツの方が日本にはるかに近いのに、「アジアの野菜はアジアで」ということなのだろうか。
そういえば、春菊はどちらの国でも「花」として栽培されている。これを野菜として食べようと思うと、宅配でかなりの値が張る。ニューデリーのわが家の庭で、妻が青々とした春菊を収穫していると、「庭師のおじさんがけげんな顔をしていた」という。
ボン・ライン河畔の大公園ラインアウェの花壇にも春菊が咲いていた。「よっぽど摘んで帰ろうかと思ったけど、葉が育ちすぎてたのでやめた」と妻は告白する。
ボンでは未遂に終わったが、パリでは「花盗人」をやってしまった。
「だから花の都って言うのかなあ」
英仏海峡トンネルをくぐって走る開通まもない超特急ユーロスターの車内で、ぼくはつい馬鹿なことを口にした。
パリからロンドンまで、3時間足らずで着く。アパートメント式ホテル、日本でいうウィークリーマンションのような宿に落ちついたのは、夜の10時をすぎていた。
コンビニエンス・ストアで買ったキュウリとレタス、生ハムに刻んだ赤ジソをかけて、盗っ人の一味は舌鼓を打った。後ろめたさが、隠し味になっていた。
〔短期集中連載〕
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