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僕にしては長いものを書こうかと。
少し怖いものにしたいなぁ・・・
あ、亘理さんは今日も病んでます。
コクテンカンギ×カノジョ
挿絵(By みてみん)



僕の街は平和だ。
犯罪がないわけじゃないけれど、それほど大きくない。短編小説の様な話や身近なドラマがどこかで小さく起きている。そうやって皆が普通に暮らしている。そんな街が僕は大好きだ。
でもこの街の朝は憂鬱だ。とりわけ学校へ行く電車なんて乗りたくない。

僕の家から駅まで歩いて15分。
決して遠くないが油断のならない距離だ。タッチの差で何度電車を見送ったか分からない。でも今日は余裕をもって家を出た。特別な理由なんてなかった。たまたま目覚めがよくて、たまたま朝食を早く済ませ、たまたまいつもより一本早い電車を待ってるだけだ。それでも朝の駅は人が多く、座れるベンチがなかったので白線辺りで立ったまま電車を待つ事にした。

「長谷川先輩?」

聞き覚えのある声に振り向いた。

「あ……東雲?」
「あー! やっぱり長谷川先輩だ!」

東雲と同じ学校に通っていたのは僕が中学3年生の時、つまり彼女が中学1年生の間の1年間だけだった。それでも同じバトミントン部では先輩せんぱいとよく懐いてくれてた。
部活を引退してからは、ほとんど会う事はなかったけれど、たまに会う事があれば必ず挨拶を欠かさない彼女の礼儀正しさが、今でも僕達をつないでいた。身長はあの頃のままだったけれど、髪を伸ばした事で何やら色気づいたような気もする。

「高校生活はどうですか?」
「大変だよ……本当に……はは」
(心の底からね)

僕の高校生活は亘理沙織という名の悪魔によって、素晴しいスタートダッシュを切っている。
ようやく少しずつ出来てきた友達にも亘理さんの中身の愚痴なんて言えず、悶々としている。もちろん東雲にもそんな事も言えるわけがなく、この苦笑いが必死のアピールだ。

「あ、先輩はバトミントンまだやってるんですか?」
「いや高校では部活はやってないんだ」
「そうなんですかぁ。あたしなんか……ホラッ!」

そう言って僕の目の前に小さな掌を広げた。よほど練習したのだろう。掌の真ん中に小さなホクロがあるのだが、人差し指とそのホクロの間にマメが出来ている。偏見かもしれないけれど、女の子も頑張るんだな。と感心してしまった。
僕に広げられた掌の奥にいる、東雲は得意気な顔をしていて何やら勝ち誇っているようにも見える。

「すごい練習してるんですよ! そのうち先輩より上手くなってみせますよ」
「うん。楽しみにしてるよ」

東雲のその挑戦的な目を見ていると、いつか本当に僕より上手くなりそうで怖い。

「それじゃ、この電車乗るので! 先輩またね」

そう言って東雲は電車に乗り込むと、僕に笑顔で小さく手を振った。
ついこの間まで僕もその電車に乗っていたのに若い奴は元気がいいな。なんて思ってしまう。

「あれ?」

……ホクロがない。


       おかるとかのじょ


「他の女の匂いがするわね。と聞いているのよ長谷川くん」
「僕はまだ何も聞かれてない」

クラスの違う亘理さんと僕は、学校では昼休みの時間だけ一緒にいる。とは言っても単純に一緒に弁当を食べるだけだ。前の席の椅子を後ろに向けて、一緒の机で向かい合うのだけれど、その椅子に座るのは僕で、元々の僕の席には亘理さんが座る。亘理さん曰く『これは私の椅子。この椅子以外は消えればいい』だそうだ。一緒にいる時間は増えたけれど、実際のところ彼女の事は今でもまるで分からない。亘理さんの冗談は、冗談に聞こえないときがある。いや・・・・・・冗談なんて言ってないのかもしれない。

「心あたりはあるけど、亘理さんが思うようなやましい事はないよ」
「あら。やましさの定義を推し量るのは私の仕事よ? 私が見て、感じて、嫌な感情を抱いた時にそれはすでにやましい事になってるの。自分ひとりの論理を棚に上げてやましい事はしてないとか言わないで欲しいわ。分かったのなら早く恥かしそうに俯きながらワイシャツのボタンを開けて私を喜ばせなさい」
「開けないよ。というか、どうして僕が東雲に会った事を知ってるんだ?」

東雲に会ったのは今朝の事なのに・・・・・・亘理さんの情報は一体どこから入ってるのか。

「そう。東雲というのね。あの女は危険だわ。あの女が長谷川くんに近づくものなら、殺す必要もあるかもしれない」

僕の言葉は宇宙に消えたらしい。

「下の名前で呼び合う関係であれば、今すぐにでも……」

ゆっくり顔を近づけながら声のトーンが下がって行く。

「何バカな事を言ってるんだよ」

ガタンと音を立てて、身を乗り出して机の上に膝を乗せた。

「ちょ……亘理さん……近いよ……」
「こう見えて私はとても臆病なのよ。私と長谷川くんの関係を脅かすものは全力を持って排除するし。その点について何の躊躇いもないわ。例え彼氏の後輩だろうと東雲だろうとためらいなく殺せるわ」

(それは同じ人だろう)

「その気になれば、今すぐにでも使い魔で殺せるのよ」
「朝日に変な事させるなあぁぁぁ」

退屈な授業。何もない日常。くだらない会話。僕はそれが好きだ。
亘理さんとの、やり取りも好きだ。
美幸との喧嘩も好きだ。
朝日の事も……好きだ。
こんな毎日がずっと続けばいいなと思っている。大人になんかなりたくない。
今、教壇に立っている先生もそう思いながら大人になっていったのかもしれない。

「長谷川くん。少し用事があるので明日は学校を休むのだけれど・・・」

亘理さんはそう言いながら僕の椅子に座りなおすと、丁寧にお弁当箱を鞄の中にしまった。それと同時に鞄の中から短い紐でくくられた小さな鈴を取り出した。鈴の音が鳴らないところを見ると中身が入っていないのだろう。鈴の見た目をしたストラップというところか。

「私がいない間に変な虫がついたら困るので、このストラップを私と思ってつけて頂戴」
「へぇ……亘理さん、結構可愛いところもあるんだな」

亘理さんらしい古風なデザインだった。赤と白で縫われた紐は確かにセンスが良い。

「お揃いのストラップは乙女なら誰でも夢見るものよ。悪い虫には気をつけてね」
「……お揃いだったのか」


    おかるとかのじょ


(今日は亘理さんも休みだし参ったな)

時に神は人に試練を与える。それが美幸が寝坊して弁当を持ってこれなかった日に限って、購買部が休みという現実として、僕の前に立ちふさがったのである。

「あれ?何してるの?」
「朝日……」
「何してるの?って聞いてるんだけど」
「今日、美幸が寝坊してお弁当ないんだけど……ほら」

無常にも誰もいない購買部に目を向ける。

「あー。購買部休みの日だもんね」
「で、立ち往生してたわけ。まぁ近くのコンビニでも行って来るよ。事情を説明すれば先生も外出許可してくれるだろ」

はぁとため息をついた僕を見て、朝日がそれを躊躇いがちに口にした。

「ね、ねぇ。私の分けてあげても……いいよ?」


ドアを開けた屋上の空は青く、日差しが眩しいほどに快晴だった。

「何でわざわざ屋上なんだよ」
「だ、だって! 2人でお弁当なんて恥かしいでしょ!」
(恥かしいのは弁当のない僕だ)
「それに、長谷川と2人でお弁当食べたなんて亘理さんにバレたら、怒られちゃうでしょ?」

朝日は完全に亘理さんを警戒しているが無理もない、あんな事やこんな事されたのだ。同じクラスなら別の人でもいいと思うのだが……。
僕は渡された弁当箱を膝の上で広げた。

「うわ!すげぇ美味そう!!!」
「でしょ!」

到底、学生の弁当とは思えない程のクオリティの高さだった。鮮やかな彩りでこんな弁当は見たことがない。こんな物を毎日作ってるなんて朝日の母親を尊敬してしまう。

「あたしの手作りなんだ」
「!?」

朝日と言えば体育会系でこういう事にはうといイメージだったけれど、意外にも家庭的な一面を見せられ驚いた。切れ目の入った卵焼きを左右に振ると、中に何かが入ってるのが見える。学生料理なのに本当に芸が細かい。

「すごいな。こんなの作れるんだな」
「すごいでしょ! これはね、牛肉を卵で巻いてみたんだ」

そう言って僕に得意げな笑顔を見せた。

「それから、これはね……」

朝日は星型に切り抜いた人参を指さしながら弁当箱に顔を寄せた。

「う、うん」
「あ……」

弁当箱を覗きこんだ時、ふいに朝日の前髪が僕の頬に触れた。

「……」
「……」
「ちょっと! 近いよ! バカ!!」
「朝日が寄ってきたんだろ!」


   おかるとかのじょ


「ご馳走様。本当に助かったよ」
「いいよ。今日は少し作りすぎちゃってたし」

朝日がこんなに器用だったなんて本当に意外だった。亘理さんもにもこれくらい女らしさがあれば、僕の高校生活も違っていたんだろうか?なんて不毛な事を考えてしまう。
亘理さんが料理……。
大釜でとかげの尻尾とか煮てそうだな。
サヨナラ 僕の <お弁当作ってきたんだけど> な青春。


「あー!いたいた……朝日さーん」
「き、岸本さん……」

屋上のドアを開けて岸本さんが手を振っている。
人当たりが良く、成績も優秀でクラスの人気者だ。高校に入ったばかりで僕はまだ友達が少ないけれど、彼女の周りにはいつも人が集まっていた。何度彼女のようになりたいと思った事か。朝日と岸本さんはいつの間にか仲良くなっていて2人で一緒にいる事が多かった。

「あれれ? 何してたのかな?」
「い、いや……ちょっと」

岸本さんが可愛く口を尖らせながら僕らの方へ歩いてくる。

「委員会さぼってデートとは……やるではないか。んん?」
「えっと……あはは」

口ではああ言ってるけれど全く怒ってるように見えないし、実際怒っていないのだろう。そういう悪意のない態度が彼女の魅力なんだろうなよ思う。

「あ、僕のせいだ。ごめん」
「ごめんなさぁい」
「朝日さんをたぶらかしちゃダメだぞ。長谷川裕也」

そう言って岸本さんは僕の鼻を指先ではじいた時、パチッっと静電気のような音が小さく聞こえたような気がした。

瞬間

頭痛。眩暈。吐き気。
地面が揺れてる気がする。頭痛どころじゃない。全身が割れるような痛みだ。今、自分が立ってるのか、倒れているのか、座っているのか。何も分からない。耳の奥で何かざわざわと鳴っていて、朝日と岸本さんが何か言ってる気がするけれど何も聞こえない。

そして僕の目の前が真っ暗になった。

暗い。

体を引き裂かれたような痛みだけが、僕の感覚を支配している。。
立っているのか。倒れているのか。生きているのか。あるいは死んでいるのか。今、自分の体がどうなっているのかすら分からない。
ずきずきと痛む耳の奥から小さな音が聞こえた。
これは……鈴の音……?

「長谷川?」
(!?)

気づけば体の痛みはなくなっていて、さっきまで僕が居た現実に引き戻された。
僕は自分の高校の屋上にいて、隣には朝日が不思議そうな顔で僕を見つめている。何1つ変った様子もないく、僕だけが奇妙な体験をしたように思える。

「大丈夫?裕也くん顔色悪いよー?」
「っ!?」

僕は僕以外の異変に気づく。
岸本さんの僕を心配そうな見る顔に、びっしりと無数のホクロのような小さな点があったのだ。ホクロのように見えるそれは、ただあるだけではなく小さな虫のように顔を動きまわった。
よく見るとそれは顔だけじゃなく、腕や首や足など肌を露出させた部分にも見える。おそらく岸本さんの服の下もそうなっていて、体中を這いずり回ってるのだろう。

僕は背筋がぞくぞくして全身から汗が噴出した。
(な、何なんだこれ!?)
そんな状態でも岸本さんはさっきと変らず心配そうな顔を僕に向けているし、隣にいる朝日も何も言わないところを見ると、僕にしか見えていないのかもしれない。朝日の顔にはそれが見えず岸本さんにだけ黒い点が今も絶えず動き回っている。

「それじゃ裕也くん、朝日はもらって行くね」

と朝日の手を引く岸本さんの黒い点が、僕を見ているような気がした。

黒い点は何も岸本さんだけではなかった。数に個人差はあるものの、少なくとも校内の人間には黒い点がついていた。僕の隣に座っているクラスメイトにも教壇に立つ先生にもそれが見える。
これは一体何なんだろうか?良くないものなのだろうけれど、他人に移るものなのだとしたら、僕もそうなってしまうのだろうか?そう思うと恐怖がこみ上げてくる。今、僕の顔は普通なのか?

悪い事にこれは校内の人間に限った事ではなかった。
学校から駅への間、電車の中、家までの道のり、全ての人間に起こっていた。できるだけ目を合わさないように、そしてその何かから逃げるように家に辿り着いた。
玄関まで来た時に後ろから声をかけられた。

「おかえり、お兄ちゃんも今帰ったの?」

美幸の声だった。まさかと振り返ったが、何の変りもない美幸の顔がそこにある。
(良かった。美幸は大丈夫だ)

「ああ……ただいま」

美幸の中学の夏服。赤いリボンでとめられた胸元。その奥から小さな黒点が首元へ昇っていた。


     おかるとかのじょ


「おかけになった電話番号は電源が入っていないか……」
(どうしてこんな時に限って繋がらないんだよ)

僕は駅にいた。どうやってここまで来たのかは分からない。
美幸の首についていたのは間違いなく黒点だった。実際、黒点がどんなもので、どんな影響があるのか分からないけれど、それでもじっとしてられなくて僕はここに来てしまったのだろう。
(亘理さんの家に直接行ってしまおうか)
亘理さんの事だから今のこの現状を知らないわけではないとは思う。それに亘理さんなら、この解決法を知っているかもしれない。
亘理さんが家にいるとは限らないけれど、じっとしていても何が分かるわけではないし、解決もできやしない。時刻表を見るに次の電車が来るまで後30分もあり苛立ちだけが募っていく。仕方なく駅の椅子に座り電車を待とうとした時、携帯が鳴った。

(亘理さん!?)

携帯に表示されていたのは朝日の名前だった。
(そういえばこの前、番号交換したんだっけ)
こんな時に。と電話をつなげた。

「よほどハセガワが心配らしいな宿主様は」

間違いなく朝日の声だった。けれど宿主様って……まさか。イヌガミ!?

「ふふ。ワタシだよ。まさかまた出てこれるとは思わなかったよ。以前ハセガワとちょっと遊んだだけで御主人様に手痛いお叱りを受けてしまったからな。思い出すだけで尻尾が縮み上がるよ」

イヌガミは朝日に憑いている亘理さんの使い魔だが、以前亘理さんによって表に出て来れないようにされたはずだった。それが今どうして僕に電話して来ているのだろうか?

「どうしてワタシが? と思っているんじゃないか? ふふ。ワタシは意識だけの存在で体は持ってない。分かるだろう? 故に宿主様とワタシの意識が同調した時それは私のものでもあるだろう」

つまり朝日とイヌガミの感情が重なった時に、朝日と入れ替わる事ができるという事か。

「宿主様は昼間のハセガワの挙動を見逃してはいなかったぞ? だからこそ、ワタシと入れ替わる事ができたのだからな。ああ見えて、なかなか鋭い勘をしているのだな。いや・・・ハセガワだからか。おっと、これ以上は御主人様にお叱りを受けてしまうかな」
「そのお前が僕に何しに電話かけて来たんだ?」
「そう邪険にしないでおくれ、ワタシの想い人。あの羽虫にイラついているのだろう?」

……! 

(知ってる!? イヌガミは黒点の事を知っているのか?)

「驚いているのか? 分かり易い。ハセガワは可愛いな。ふふ。ワタシと御主人様の記憶は同じものだ。だから私の見たもの聞いたものは御主人様にも伝わる。それと同じで、御主人様の記憶も私にある。ハセガワが見たものはコクテンカンギという悪い虫で漢字で書くと黒点勘気という。つまり勘に触る悪い虫だ。発祥がいつなのか分からないが、平安時代の何とかっていう僧が名づけたとされている」
「それが憑いたらどうなるんだ?」

そのコクテンカンギが憑いてるのは美幸だけじゃない。岸本さんや他のクラスメイトや他の大勢の人もコクテンカンギが憑いているのだ。その内容によってはとんでもない事になりかねない。

「人間というものは、便利な生き物で怒りや憎しみは時間と共に風化していくだろう? だがコクテンカンギに憑かれたものは、それを忘れる事なく増長させられてしまうのだよ。日々、負の感情が増大して行き苛立ちが募る。そうなると人はどうなると思う?」
「……」
「狂ってしまうのさ。単純にね。そうなった時の行動は千差万別で、自殺してみたり人を殺してみたり、物を壊したり喋らなくなったりする。それがコクテンカンギというやつだ。何もこいつは今出てきたばかりではない。いつもそこら中を這い回っているよ、力を失っているだけでね」

冗談ではない。美幸に自殺や人殺しなんてさせやしない。

「コクテンカンギは自分じゃ何もできない羽虫だ。けれどもし、たまたま憑いた人間が悪意に満ちた感情を抱いた時それは力を得て発症する。その時そいつは願ったに違いない。みんな死ねばいい。ってね」

もしイヌガミの言っている事が本当ならばコクテンカンギは誰の身にも起こりうる現象だと思った。コクテンカンギを発症させた人もまた、被害者なのではないだろうか。
誰かに何かに怒りや憎しみを抱かず生きていくなんて人には不可能だ。それでも僕は黙っているわけにはいかない。美幸もコクテンカンギに憑かれているし、僕自身いつそうなるか分からない。

「どうすれば治るんだ?」
「コクテンカンギを活性化させた本人を何とかすればいい。そいつは今この瞬間にも、呪いを広め続けている。殺してもいいし、そいつの憎しみを断ち切ってやればいいだけだ。だが、それも難しいかもしれないな。御主人様も頑張ってるみたいだが、何しろコクテンカンギは名前を呼び直接手で触れる事で、その悪意を人に感染させる事ができる。つまり発信源が分からないのだ」

この街に何人憎しみを抱いている人がいるだろう。その中から特定する事なんて到底できやしない。おそらくコクテンカンギがたくさん憑いてる人か、もしくはもっと特別な・・・?

(ダメだ。分からない)

こんなもの考えたところで答えなんて出やしない。

「気持ちが顔に出るとはこの事だなハセガワ。どんなに上手に隠してもコクテンカンギは心の悪意に憑くものだ」
「……何を言ってるんだ?」

まさか……嘘……だろ?
だってあんなに普通にしていたのに?

「ハセガワが考えている事を当てて見せよう。学校への電車は何時だっけ?だ」
「……ありがとう。イヌガミ」
「なに、感謝するなら宿主様にするんだな」

僕は電話を切って、学校へ向かう電車に乗った。
今ならまで間に合うはず、委員長を務める彼女はまだ学校に残ってるはずだ。


(ありがとう。イヌガミ……か)

ベットの上で携帯を放り投げ天井を仰いだ。

(ふふ。ふふふ。うふふふふ……)ぱたぱた
(お、おっとイカン。尻尾をパタパタさせると後で宿主に怒られる)

尻尾を丸めて、枕を抱き寄せ顔を埋めた。

(やっと普通に話せたなハセガワよ)
(ワタシは落ち着いていられただろうか)
(変に思われなかっただろうか?)

……。

(ありがとう。だって……!)

……ハッ……ハッハッ……ぱたぱた

(ダメだ。この犬のような息遣いはハセガワは嫌いだ)

……はぁはぁ。

(こ、こんな感じか?)


はっ
(そうだ!)
がばっ
(こんな事をしてる場合じゃない! ワタシも早く学校へ行かねば!)
だっ
(ぐほぉ)
ばたり
(ぐぬぬ……邪魔をするか御主人様よ)
(ハセガワの危機なのだぞ!?)
(ええい! 御主人様は虫退治しておればいいのだ!)
じたじた
(せっかく犯人の事も宿主の記憶の中に隠してたのにじゃまするなぁー)
(この放課後デートのためにね。ふふ。)
(待っていろハセガワ!今ワタシも……)

ぐさり

(わぉーん)


  おかるとかのじょ


部活などでまだ学生達が校舎に残っている。彼女もまた委員会で残っているだろう。
(確か体育委員だったはず)
体育委員ならば第3会議室で、春の球技大会に向けて協議してるはずだ。その中で彼女を呼び出すのは少し恥かしいけれど、今はそんな事を言ってる場合じゃない。僕はドアをノックした。
「岸本さん……いますか?」

校舎の中から吹奏楽部の演奏する音が聞こえる。僕の立っている屋上から下を覗くとグラウンドが見えていて、そこにはサッカー部と野球部の走る姿がある。

「どうしたの裕也君?急ぎの用事?」

何も変らない、いつもの岸本さんだ。

「はっ! まさか愛の告白!? ダメだよ。両手以上に花は持てないんだよ?」

その軽いノリも、その明るい笑顔も、いつもの岸本さんだ。何も変りはしない。
どうして岸本さんなんだ。誰より明るくて、友達もたくさんいて、僕は何度岸本さんのようになりたいと思ったか分からない。その岸本さんがどうしてコクテンカンギを発症させてしまったのか?僕の目から見て、到底悩みなんてないように思える。
それにコクテンカンギは人の怒りや憎しみを増長させるものだ。どうして、顔中に張り付いたコクテンカンギに蝕まれてなお、いつものように振舞える?

「き、岸本さん。最近元気ないなぁと思って」
「何を言ってるの? 全然普通だよ用事ってまさかそれ!?」

不思議そうに笑う岸本さんは、呆れたような素振りを見せて手を横に振った。

「うちは大丈夫だから!それじゃ委員会戻るね」
「僕はっ……分かってるっ……から!」

思ったより大きな声が出てしまった。
全然言いたい事が言えず出てきた言葉がこれだった。当然そのはず、岸本さんが辛い思いをしたのは分かるが何が起こったのかは分からない。これほど歯がゆい事があるだろうか?力になりたいなんて、カッコイイ事を言うつもりなんてない。けれど、どうにかして彼女の状況を変えないとコクテンカンギの負の連鎖は終わらない。

「僕は何も出来ないかもしれないけれど、何かあったんだろ?」
「……どうして、そう思うの? 誰かに何か聞いた?」

僕が本気で聞いてる事に気づいた岸本さんは、少し間を置いて怪訝そうな顔つきになった。僕は返事に困った。コクテンカンギの事を話したところで信じてもらえるわけがない。それでも僕は上手い言い方なんて思いつかない。ありのままを言うしかない。

「顔を見れば分かるよ。そうやって普通にしているけれど、本当は辛い気持ちで一杯じゃないのか?僕はそれをどうにかしたい。そのために……」

「どうして!!!!」

僕の言葉の途中で、叫ぶような岸本さんの声がそれを遮った。
項垂れるように僕から目を背け、ぶつぶつを何かを呟やきだした。それはあまりにも小さくて聞き取りにくかったが、徐々に大きくなっていく。
岸本さんの顔に張り付いたコクテンカンギが目まぐるしく動き出す。ぞくぞくと背中に寒気が走った。

「どうして? バレたくないから隠すのに、それを暴こうとするの? 興味本位? 誰かの秘密を知っていい気になるの? それは楽しいの? 快感? 誰にだって悩みはあるじゃない。そんなの、うちだけじゃないでしょう? 言えない事には言えないなりの理由があるでしょ? どうして分からないの? バカなの? 死ぬの?」
「き、岸本さん?」

ざわざわとコクテンカンギが鳴り出す。耳の奥に響くような重い音だった。
(な、なんだこれ……)
ふいに顔を上げた岸本さんのその顔は真黒になっていた。そこに開かれた目と口だけが黒い紙に貼りつけたように乗っかっているようだった。
ぶるぶると小さく首を振りながら僕をまくし立てる。

「どうして、うちの親は離婚するの? どうして結婚したの? どうして親権を譲り合うの? 離婚するくらいなら、結婚なんてしないでよ! 困るくらいなら生まないでよ! あなたにも決める権利があるなんて聞きたくない! どっちにも行けるわけないでしょ! うちは邪魔なんでしょ?そうなんでしょ!?」

段々と声が大きくなってくる。いや、声だけじゃない。
(……影?)
岸本さんの作る影が徐々に広がり、校舎の屋上の床を黒く染めていく。

「邪魔ならいなくなればいいんでしょ。そうなんでしょ? 裕也くんもそう思うよねぇ? だから、うちはいなくなろうと思ったよ。とっても痛かったよ。でも死ねなかった。そんなうちを父親はぶったの」

やがて床全体が黒に染まり、ざわざわとコクテンカンギの鳴き声が聞こえ出す。
(こいつ……増えてる?)

「やめてくれ! これ以上呪いを広めるなよ!」

一瞬、岸本さんの目と口が閉じられ顔が全て黒に染まった。
この校舎の屋上には僕と岸本さんしかいないが、校内やグラウンドには学生達がいるはず。だがその気配もなくなっていた。さっきまで響いていた吹奏楽部の演奏も今は聞こえない。
ただ目の前にはコクテンカンギに食い尽くされた、真黒な少女がいるだけだ。

ぱっと目を開いた岸本さんは叫んだ。

「どうして裕也くんもうちを怒るの!? うちはいらないんだよ!? 死ぬしかないでしょ!? それがダメなら、うち以外が死ぬしかないでしょ!? みんないなくなればっいぃぃんだっ!!」

ざわざわと鳴き声を上げながら、コクテンカンギが僕の足を登って来て、その感情が流れ込んでくる。妬み。嫉妬。苦しみ。怒り。憎悪。嫌悪。ありとあらゆる負の感情が一気に押し寄せて来る。

「うちは離婚なんてして欲しくない! 生まれたときからうちは家族はだったのに、どうして家族の事を親だけできめちゃうの!? うちは家族じゃないの!? 離婚しても死ぬわけじゃないなんて言わないで! 死ななくても死ぬほど辛い事だってあるでしょ!? 父さんは辛くないの!? 母さんは平気の!? どうしてうちの気持ちが分からないの!?」
「き、岸本さん……」

これは憎しみ。これは悲しみ。これは苦しみ。それらが心の中で渦を巻いている。
僕の体がコクテンカンギに飲み込まれていく。ゆっくりと、でも確実に。
岸本さんはその黒い手でコクテンカンギに飲まれる僕を抱きしめた。

「これが皆に隠してた気持ち。友達にも。先生にも。親にも。誰にも見せない本音」

そして、耳元で囁く。

「一緒に行こう。ね?」

岸本さんの視線の先には、屋上のフェンスがあった。

「岸本さん……」
「大丈夫。何も怖くないから。ね?」

このままでは僕まで、コクテンカンギに飲み込まれてしまう。体にまとわり憑くそれは、僕の首にまで達しているのだ。さらに、気づけば僕は岸本さんにフェンスに押し付けられた形になっていて、そのフェンスにもコクテンカンギが広がっている。
校内へ続くドアも、落下を防ぐフェンスも、空もだ。まるでこの空間だけが世界から切り離されたように、すべてが闇に覆われ屋上の景色が黒に染まっていく。

「岸本さん、やめてくれ……」

微かに動く口を必死に動かしたが、僕の言葉に全く意を介さず、ゆっくりフェンスに僕を押し付ける。
すり抜ける。という言い方は正しいだろうか? いや違う。消えていたのだ。
そこにフェンスがあったはずなのに、消えている。それだけじゃない、何もなくなっているのだ。
僕が立っているここは、ただの黒い大きな箱の上になっていた。

「さぁ。裕也くん……」

岸本さんの声が耳に入った時、僕は何も見えなくなっていた。
おそらくコクテンカンギが体全身を覆ったのだろう。岸本さんが僕をゆっくり動かす気配がするけれど、今の自分がどこにいるのかも分からない。更に思考能力も奪われ、何も考えられなくなっていく。
ただ、忘れていたはずの嫌な記憶や悲しい思い出がぐるぐると頭の中を駆け巡る。しかもそれは僕の記憶だけじゃない、知らない他人の記憶もまるで自分がそうであったかのように、心の中に渦巻く。

裏切りや後悔。嫉妬に羨望。そして絶望。
それは醜い世界だった。でもこれが僕達の生きる世界なんだと。

(こんな腐った世界に生きる意味なんてないよな)

そう思った時、耳の奥でざわざわと音がした。その中に小さな音が混ざっている。
前にも聞いた事のある音、これは……。

鈴の音


その音と共に弾けるようにコクテンカンギが僕の体から離れていく。
僕を抱いていた岸本さんからも同じように離れて行き、岸本さん本来の顔が出てきた。驚いた顔をしていたが、すぐに手で顔を隠そうとした。僕はその手を掴んで真直ぐ岸本さんと向き合った。

「言えない秘密は誰にでもあるよ。岸本さんの事だって僕は知らなかった。今聞かされて初めて知った」
「離して……!」

僕の手を振りほどこうと身をよじるが、離さない。

「でもさっき言った岸本さん自身の気持ちを、秘密にする必要なんてないんだ!」
「やめてよっ!」
「全部! 話してやれよ! 全部聞いてやれよ! 岸本の気持ちを親が知らないように、親だってお前の気持ちを知らないんだ! その結果がハッピーエンドかどうかは分からない。けど・・・・」

岸本さんは怯えたように顔を背けた。

「それが家族だろう!?」

岸本さんはっとした顔をした。その背景からコクテンカンギが消えていく。

まるで水面に波紋が伝わるように、僕達の足元から屋上の床のコンクリートの色が広がって、やがて空も街並みもかつての姿に変っていった。コクテンカンギのざわざわという鳴き声が聞こえるけれど、それも次第に小さくなって消えた。全てが元に戻ろうとした時、ふいに意識が遠のいた。
薄れゆく意識の中で、一瞬だけだったけれど岸本さんの泣き顔が見えた気がした。


(……体が痛い)
気づくと僕は仰向けになって夕焼けの空を見上げていた。
体を起こして辺りを確認する、いつも通りの屋上だ。グラウンドの野球部達は、バット等を片付けているし、吹奏楽部は今まさに下校しているのが見える。フェンスも普通にあって手をかけるとキシキシと音がした。

「裕也くん」

声をかけられて振り向いた。
そこには、いつも通りの岸本さんがいてコクテンカンギはどこにも見当たらない。

「話し合ってみるね。一人で悩んでも仕方ないから。例え納得できないものであっても、ちゃんとうちの気持ちを聞いてもらって、父さんや母さんの気持ちも聞いて、受け止めてみようと思う」
「うん……その……偉そうにごめん……」

岸本さんは、いいよ。と言って僕の隣に座り、僕の肩に頭を預けた。

「また嫌な事があったら、こうしてくれる?」
「僕の肩でよかったら。いつでも」

岸本さんのそれは諦めだったのかもしれない。
そんな事は根本的な解決になっていない。いや解決なんて出来ないのだと思う。それは岸本さんも分かっている、それでも僕達はどこかで気持ちのやり場を見つけなければいけない。そうやって少しずつ大人になっていくのだろうと思った。
(その気持ちのやり場が僕の肩なら、安いもんだ)
ゆっくりと日が落ちる空を僕達は見上げた。

「裕也くんは……」
「ん?」

「両手以上に花を持てる人?」
にこりと岸本さんが微笑んだ。
黒点勘気は僕の創作物です。中身なんてものはありません。
ただ、「目は口ほどに物を言う」という言葉があるくらいに感情は少なからず顔に出るものだと思います。それは現代社会では必ずしも良いものとは限りませが、人間として当たり前の現象だとも思います。
そういう部分を霊的な現象にしようと思ったのがコクテンカンギになりました。
実はこれ、執筆当初は「黒点歓気」として、そういう顔や口にはさせない不快なものを消化するものにしようと思っていました。
……が、やめました。皆、資格を逃したり、受験に失敗したり、就職に悩んだり、恋愛に悩んで現実を生きて行きます。そうやって少しずつ大人になるものだと思うのです。

長谷川くん、日本には花束という言葉があってだな・・・・・・


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