日隅さんの命日によせて。(おしどりマコ)
昨年、日隅一雄さんが亡くなった晩に書いたものの転載です。
WEBマガジン、マガジン9での連載「脱ってみる?」第45回「日隅一雄さんへのとりとめのない手紙の件。」より。
http://www.magazine9.jp/oshidori/120613/
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日隅さん、だーいすき!
というメールをいっつも書いてましたね!
あーあ、もう日隅さんの声を電話で聞けないと思うと、不思議。
今、深夜だけど、電話してみちゃおっかな?
案外、「は~い、マコさん、なぁに?」と言ってくださるんじゃない?
でも、今年になってからはずっと、「今、まだ痛み止めがきいてないから、あと1時間後に電話して!」
などなど、いつお電話しても、痛みがキツイとおっしゃってましたね。
今日、日隅さんが危篤のお知らせを聞いてからは、
「がんばってください!」ではなく
「もうこれ以上ひどく痛みませんように!」とずっとずっと祈っていました。
日隅さんだいすき! でも、もう一度お喋りしたかったなー!!
日隅さんを初めて拝見したのは、東京電力の記者会見のインターネットのライブ中継でした。
なんか、ちっさいオジサンがいつも吠えてらっゃるなー、
そして、なっかなか質問のときに東京電力から指名されないし、
質問をしたらしたで、他の記者さんから野次られてるなー、と気になっていました。
で、他の記者さんから
「お前たちだけの記者会見じゃないんだ!」
「そんな質問聞きたくないんだよ!」
と野次られていたとき、腹が立って、
「私たちが聞きたいんですよ!」
と怒鳴り返そうと思って、記者会見に行こうと思ったのが、きっかけの1つ。
そのときは、単に日隅さんの応援をしようと思っていて、
自分が質問しようとは、記事を書こうとは全く思いませんでした。
多勢に無勢で、ちっさいオジサンだし、援護射撃しなくちゃね、と思いきや、
日隅さんは、パワーあふれていて、私が手を挙げていてもなかなか当たらなかったら、
「あなたが指名されなかったら援護射撃するので、どんどん質問してください!」
と声をかけてくださいました。それが日隅さんとお話しした最初の会話です。
日隅さん! 東京電力の記者会見場で、私たちを
「芸人だから」と色眼鏡でご覧にならなかった唯一の方でした。
「僕も弁護士だから、兼業は同じだね!」と、おっしゃってくださいましたね!
そして、東京電力の記者会見が去年の4月25日から統合本部の合同記者会見に変わり、
会見に出席する資格を問われるようになったとき、私たちは入れなくなりました。
(この模様は脱ってみる? 第2回「会見マニア→記者クラブについて考えだす!」
http://www.magazine9.jp/oshidori/110601/ にて!
あー、この回に日隅さんのことも書いてあるなー、いいなー、このときはいつでも会えたんだなー)
このとき、日隅さんも、記者会見に入れなくなって、
それは東京電力との裁判で、対立する側の弁護をされてたから、という理由。
利益が対立する側の人間は記者会見には入れない、とかいう理由だったんだけど、
じゃぁ、身内が東京電力の記者とか、東京電力に広告費もらってる媒体はどうなんだよー、と思いますよね!
私たちも、もちろん入れなくなって、素直に受け入れる予定だったんだけど、
日隅さんが記者会見に入れなくなったので、腹が立って、意地でも入ったろうか!
と思って手を尽くしたんです。(その頃の模様も第2回に書いてますからね。)
そのときに、日隅さんにも相談して、ご自分が編集長をしてらっしゃるNPJ
http://www.news-pj.net/ にも書かせて頂きました。
原発特別取材班にしましょう、とおっしゃってくださって。
そして、日隅さんが統合本部の合同会見に入られ、
それからしばらくして私たちにも合同会見に入る許可がおりたとき、
(この許可うんぬん自体、とんでもなくおかしいことですけど!)
去年の5月末の同じ日に、日隅さんの癌のお話を聞きました。
癌かどうか検査するお話を伺い、そして、結果が、もう、末期、と聞き、
すぐに日隅さんのところに駆けつけて、お話を伺って、
帰りしに泣きながら、新宿を泣きながら帰りました。
私たちなんかより、日隅さんが会見に行ってほしいのになぁ!
日隅さんがもうすぐ亡くなるなんて、おかしいよ!
そう言いながら泣きながら帰りました。
入院したての日隅さんは、たくさん、たくさんお話をしてくださいましたね!
「僕は情報開示するよ、全部情報をオープンにするよ!」とカルテも全部見せてくださいました。
「見てー、もう、カルテに余命とか書いてあるんだよ、余命6ヶ月って書いてあるよー、
ビックリだねー。告知とか普通、悩むんじゃないの?」笑って見せてくださった日隅さん。
でも、それは通常の場合の余命で、
「治療法が合わなかった場合は余命2ヶ月」って書いてあって、鳥肌が立ちました。
え? どうして? 日隅さん、今、お元気なのに?
お腹が痛かったり、下痢だったりであまり食べれない、と伺ったのは少し前でした。
でもいきなり、余命宣告の末期癌なの?
それから、毎日病室に伺いました。アホみたいに通いました。
入院初日から、勝負パンツを大量に買い、
お見舞い客の方々にお出しする水菓子を買い、
その頃は毎日合同会見があったので、会見の前に、毎日日隅さんとこに通いました。
あまり通いすぎて、ナースセンターの方々が私を覚えてしまい、身内と勘違いされて、
最終的に、日隅さんがいらっしゃらなくても、病室に入ってましたね!
「日隅さん、売店に行ってるから、部屋で待ってらしたら?」って。
で、病室で片付けしてて、日隅さんが遅いから、隠れておどかしてやれ! って思ったけど、
病人の心臓止めるようなことしちゃダメだな!と思い直したり。
あー、最終的に、時間外の夜の面会でも、オールオッケーになって、会見後の夜もよく伺いましたね!
でも夜の病院が怖くって、日隅さんに送ってもらったり。なんのこっちゃ!
日隅さん、日隅さんは亡くなる間際まで、闘う姿勢をお示しくださって、
本当に、本当に、私の生きる道しるべです。
でも、末期癌を宣告され、入院されてから、
「もう、しばらく、原発のことから離れたい」と、お見舞いの差し入れで頂く原発関連の本を退けられました。
で、がん治療の本をお読みになって。それが本当に切なかった!!
なんで、こんな素晴らしい方が、今、必要な方がとられちゃんだろう!
私たちなんかが会見に行っても仕方がないよ!
毎日そう思ったのだけれど、あまりにいろいろ悔しかったので、
その頃はヤケクソのように、寝ないで勉強して、日隅さんの病室に行って、会見に行っていました。
「NPJのおしどりです」と言いたかったので。
日隅さんの代わりとかじゃなくて、「NPJ」って毎日会見で名乗ってやる! という意地でした。
でも、その頃、日隅さんは少し原発事故のことから離れてらして、
私も病室で全くそのことは話さなくて、いろいろお喋りしてただけだったのに、
ネット上で「おしどりは日隅の手先」「日隅の指示でおしどりが動いている」とか書かれていて、本当に悲しかった!
日隅さんの名前を汚すようで申し訳ないなぁ、全く関係ないのになぁ、と思ったけれど、
お顔の知らない誰かの悪口を気にするより、私は、日隅さんが大好きなので、それだけでいいや、
日隅さんのことだけ考えよ、と気にしないようにしました。
そして、案外、ネットの悪口って全く的外れなんだな、
何も知らないのに勝手に中傷するんだな、ともよく分かりました。
日隅さんと病室で過ごした時間は、私にとって、甘いひとときでした!
ケンパルも家において、日隅さんと二人っきりの時間、いろんなお話を伺いましたね!
日隅さんがどうして新聞記者を辞めたか、日隅さんの大阪時代のお話、弁護士になったきっかけ、
日隅さんの奥さまのお話、日隅さんがベッドを捨てたお話、日隅さんが考えるお笑い論、
海外の、特にヨーロッパのメディアや制度についてなどなど!
いつも、「時間が足りないねー、もっといろいろ教えてあげたいのにねー」と言われるたび、
ギャグで返してましたけど、涙をこらえてたんですぜ!
たくさんの方々が日隅さんのお見舞いに来られ、いろんな方とお話をするたび、考えました。
日隅さんとどう接したら、日隅さんにとって、一番いいんだろう?
そのとき出した答えは
「日隅さんが明日亡くなると思って、今できる限りのことを動いて、
日隅さんが永遠に生きると思って、毎日たくさんのことを教えて頂こう!」でした。
なので、日隅さんには、いつも甘えて、いろいろ教わりました!
えぇ、まぁ、日隅さんを全く病人扱いしてませんでしたよ! スパルタ生徒さ!
けど、日隅さんが、唯一私にお見せになった弱み、それは去年の5月に末期癌を宣告されて、
日隅さんの弟さんが来られたとき。
その晩、弟さんご夫婦が泊まられて、いろいろお話になり、帰られてから、日隅さんは
「やっぱり、血縁の身内に会うと弱るね、自分が死ぬと実感するね、残して死んじゃうんだな、と思い知らされる。」
とおっしゃってました。
でもね、それから、日隅さんは再び、原発事故や社会の問題に立ち向かわれました。
本当に驚きました!
初めは目を背けておられた、お見舞いで頂いた原発関連の本を、手に取られ、
記者会見をインターネットでチェックされるようになり!
「また会見に行かなくちゃ!」とおっしゃったときは頼もしかった!
今まで、体を酷使されてたぶん、体を労わったら、お元気になるんじゃないかしら!?
奇跡よ起これ! と祈っていました。
いったん、顔色も良くなった時期もあったけど、
去年の秋は、もう、会見場で、机につっぷしておられるくらい、お疲れでしたね。
で、年を越し、「余命を超えたよ!」と笑っておられたけど、
いつお電話しても「痛みがひどくて、痛みどめがきく2時間後に電話して」や
「痛みがヒドイから電話できないけど、メールなら読めるからメールして。」ばかりでした。
でも、いつもいつも、ちゃんとお話しをきいてくださって、答えをくださいました。
あらーん私、日隅さんがいらっしゃらなくて、大丈夫かしら? まだまだ日隅さんは心の拠り所ですよ?
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