所沢の山車
開設 2003.10.31 |
所沢の山車は現在13基あります。中には明治初期に造られた年代物もあります。
山車の上にのせられる盛留(もりどめ)は元町本町が加藤清正、元町東町が日本武尊、
寿町が神武天皇、御幸町が漢羽と周蒼があります。
現在は電線が邪魔になり載せられることがありません。
現在、市の文化財として指定されたいるのは、元町本町、御幸町、有楽町の3台だけです。
御幸町の山車と盛留 盛留は三国志の「漢羽」と・「周蒼」
町 名 | 各町の山車 | 制 作 |
費 用 |
制作者 | 盛留 | 特徴 | ||||
元 町 本 町 |
推明 定治 六 年 |
六 百 円 |
甲 田 了 作 |
加 藤 清 正 |
総欅造りの釘を使わない組み立て式で特別な細工がある山車は所沢一の大きさです。 右柱に下り龍、 左柱に上り龍、 欄間に5頭の龍など多数の彫物があります。 |
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元 町 東 |
昭 和 三 年 |
三 千 円 |
青 山 伊 助 |
日 本 武 尊 |
自慢は毛彫り細工の上り龍と下り龍です。 曳網を付け替えるだけで前後が変わる「迫り上げ舞台」(回り舞台)が特徴です。 所沢市文化財 |
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寿 町 |
昭 和 二 三 年 |
一 〇 万 円 |
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神 武 天 皇 |
旧山車は1847年作の文化財級のものです。 現在の山車は昭和23年12月に新調されました。 バッテリーを積んでおり夜の曳き回しで 提灯に灯を入れる時に便利です。 |
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御 幸 町 |
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明 治 六 年 |
三 五 〇 円 |
原 船 月 |
漢 羽 ・ 周 蒼 |
江戸の人形師・三代目原舟月の彫り物が自慢。 勾欄周囲の様々な姿態の龍は見事です。 盛留は三国志の「漢羽」と「周蒼」。 山車・盛留は昭和44年に市文化財に指定されました。 |
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宮 本 町 |
昭 和 初 期 |
不 明 |
青 山 与 助 |
青山与助(元町東の山車を造った伊介の弟)が明治以前からあった部品を使って制作しました。 川越の職人曰く「車輪は川越にもない古さ」。 鉦は天保年間作。 |
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日 吉 町 ・ 東 町 |
昭 和 三 〇 年 |
二 〇 万 円 |
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約百年前の旧山車の台座を生かし昭和30年に大改造されました。。 北有楽町の浅見氏が描いた天井の龍の絵は見事です。 |
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金 山 町 |
昭 和 五 五 年 |
二 二 〇 〇 万 円 |
本 橋 吉 蔵 |
町内の宮大工が制作。 旧山車の彫物を使用。 総桧造、欅格天井。 側面の破風は唐様式で、龍の彫物は見事です。 屋根飾りの鬼板は火を吐く須佐之男命です。 |
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旭 町 |
昭 和 三 年 |
不 明 |
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日吉町から分離後、 昭和3年に町の棟梁に依頼し新調しました。 彫物はありませんが60年余り曳いた愛着のある山車だけに「まずは彫物・飾り物で風格を」との声も あります。 |
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星 の 宮 |
昭 和 五 七 年 |
一 五 〇 〇 万 円 |
本 橋 吉 蔵 |
市制30周年の時、住吉の屋台を借りたのが きっかけで山車制作の機運が盛り上がり 4m道路を引き回せる「360度回転する」 自慢の山車を制作しました。 |
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西 所 沢 |
平 成 一 二 年 八 月 |
三 五 〇 〇 万 円 |
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戦後、心のよりどころを求めて囃子連を結成。 旧山車は「親睦の象徴」として昭和23年制作 新山車は平成10年総会で決議、丸2年かけて完成した。 |
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有 楽 町 |
明 治 初 期 |
千 円 |
後 藤 徳 蔵 |
砂川村(立川市)から16代深井伝右衛門が買い取り町内に寄付されました。 左右柱に上り龍と下り龍、 破風には竜宮の彫刻があり豪華な山車です。 所沢市指定文化財。 |
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新 井 町 |
推明 定治 一 六 年 |
不 明 |
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雨乞いのために曳き手がアマガエルの扮装をして曳き回した所 夕立がきたといわれ「雨乞いだし」の異名があります。 名人甲田了作の彫物は見事です。 |