・ロス暴動
「1991年3月、スピード違反を犯した黒人男性ロドニー・キング氏を、20人にものぼるロス市警の白人警官が車から引きずり出して、殴る蹴るの暴行を加えた。たまたま近隣住民がビデオカメラで撮影しており、この映像が全米で報道されて、黒人たちの激しい憤りを招いた。
(省略)
ロス暴動でとりわけ大きな被害を受けたのが、コリアタウンであった。韓国人商店の被害総額は、ロス暴動の半分近くにのぼる。
ロス暴動の前年、ロドニー・キング事件の2週間後に、韓国人商店で万引きしようとした黒人の少女を、店主である韓国人女性が射殺するという事件が起こった。事件の背景には治安の悪さと、韓国系住民と黒人との対立、「韓・黒葛藤」があった。マスコミで盛んに報じられ、「韓・黒葛藤」が取り沙汰された。ロス暴動で黒人たちによりコリアタウンが襲撃された原因のひとつに、この事件の影響があると言われている。
しかしながら、ロス暴動の被害の半分近くが、韓国街であったことや、韓国街とリトル東京は隣接しているにも拘わらず下記のように日系は全くと言っていいほど被害に遭わなかったことからも推測できるように、暴動の主原因は、日頃の韓国人による人種差別だろう。
・日系人
パート3・552 :親中親韓 :02/04/05 23:58 ID:s6NohB1I
LA暴動の時、白人と黒人の対立のように報道されていたが、黒人達のターゲットにされたのは、多くの場合、白人ではなくて韓国系の商店だった。黒人の韓国系住民に対する憎悪は凄まじいものがある。韓国街とリトル東京は隣接していたが、黒人達は、日系人達はいい奴だから、appearanceが同じでも絶対に間違うな、俺達のターゲットは韓国系だ、と区別していたから、あれだけの暴動が起きたにも関わらず日系人は全くと言っていいほど被害に遭わなかった。
先日のカンボジアでの人質事件「平手打ち恨み…当初は雇い主の子供狙う カンボジアの人質事件(産経新聞)」も、韓国人の経営者が、雇用していた運転手に対して平手打ちなどをしたことが原因のようである。子供を国際学校に連れて行くのが遅れたことに対して、平手打ちする韓国人。雇用者や他国の人間を見下す差別意識は、残念ながら今も続いているようだ。
さて、ロス暴動で、日系人が狙われなかったのは、誰に対しても差別意識がなく優しく接することができる優しさが日系人にはあったからだろう。このように日本人や日系人が人種差別をしないのは、戦後の教育が良かったというよりも、1919年のパリ講和会議にての日本が行った提案内容(下記)からも推測できる通り、そもそも戦前の先人達もそのような優しい心を有しており、それを知らず知らずのうちに受け継いできたからだ。下記記事は、長文であるが、先人の思想が正しかったこと、いくら思想が正しくても世界からは受け入れられるとは限らないこと、思想が正しければ必ず助けてくれる人たちがいることなど、いろいろ考えさせられる良い話だと思った。お時間があるときにでも是非読んで頂きたい。
・人種平等への旗手 〜米国黒人社会の日本観
Japan On the Globe(132) 国際派日本人養成講座 H12.04.02
■1.われわれ黒人は日本に最大の敬意を払う■
全米1200万の黒人が息を飲んで、会議の成り行きを見守っている。
1919年、パリ講和会議。第一次大戦の惨禍を再び繰り返すことのないよう、国際連盟創設のための議論が進められていた。米国の黒人たちが注目していたのは、国際連盟規約に「人種平等の原則」を入れるという提案を掲げて参加した日本であった。
日本の全権使節団がパリに向かう途中、ニューヨークに立ち寄った時には、「ボストン・ガーディアン」紙の編集長モンロー・トロッターなど、黒人社会の指導者4人が、「世界中のあらゆる人種差別と偏見をなくす」ことに尽力してほしい、と嘆願書を出した。自国のウィルソン大統領が講和会議の議長役をするというのに、それをさしおいて、わざわざ日本の使節団に嘆願したのである。
われわれ(米国の)黒人は講和会議の席上で「人種問題」について激しい議論を戦わせている日本に、最大の敬意を払うものである。
全米黒人新聞協会が発表したコメントである。人種差別に苦しむアメリカ黒人社会は、有色人種でありながら世界の大国の仲間入りした日本を、人種平等への旗手と見なしていた。
[1,p71-76]
しかし、本誌52号[a]で紹介したように、日本の提案は16カ国中、11カ国の賛成票を得たが、議長であった米国大統領ウィルソンの「全会一致でない」という詭弁によって退けられた。ウィルソンは、人種平等を盛り込んだ連盟規約が、米国南部や西部の議員たちの反対で、批准されるはずのない事を知っていたのだ。
アメリカの黒人は、自国の政府の措置に怒り、全米で数万人もの負傷者を出すほどの大規模な暴動が続発した。
■2.茶色い男たちのパンチが白人を打ちのめし続けている■
アメリカの黒人社会が、日本に期待をかけるようになったのは、日露戦争の時であった。白人の大国に、有色人種の小国が独立をかけて、果敢な戦いを挑んでいる、と彼らは見た。
米国黒人として最初の博士号をハーバード大学でとった黒人解放運動の指導者W・E・B・デュボイスは、ヨーロッパによる支配から有色人種を解放してくれる可能性のもっも高い国として、日本を支持した。
日本が勝てば、やがて「アジア人のためのアジア」を声高に叫ぶ日が来るだろう。それは、彼らの母なる大地アフリカに同じような声がこだまする前兆となる、と米国黒人の指導者たちは考えた。黒人紙「インディアナポリス・フリーマン」は次のような社説を掲載した。
東洋のリングで、茶色い男たちのパンチが白人を打ちのめし続けている。事実、ロシアは繰り返し何度も、日本人にこっぴどくやられて、セコンドは今にもタオルを投げ入れようとしている。有色人種がこの試合をものにするのは、もう時間の問題だ。長く続いた白人優位の神話が、ついに今突き崩されようとしている。
日露戦争は、有色人種は白色人種に決して勝てない、というヨーロッパ人による世界侵略の近代史で生まれた神話を事実として否定してみせたのである。[1,p53-66]
■3.黒人と日系移民の「連帯意識と共感的理解」■
1920年代に本格化したアメリカへの日系移民に対して、黒人たちは温かく接した。「フィラデルフィア・トリビューン」紙は、次のように述べた。黒人たちは日本人を心から尊敬している。同じ『抑圧された民族』であるのもかかわらず、「自分たちのために一生懸命努力する」日本人の態度は見習うべきものである、と。
カリフォルニアのオークランドでは、黒人発行の新聞に日系人がよく広告を出した。「ミカド・クリーニング」、「大阪シルク工業」等々。逆に日系人の新聞には、黒人への差別やリンチを非難する記事がたびたび登場した。
ロサンゼルスの日系病院の医師のうち、二人が黒人だったことについて、「カリフォルニア・イーグルス」紙は次のように述べている。
ほとんどの病院が黒人に固く戸を閉ざしている昨今、日系人の病院がどの人種にも、門戸を開放していることは本当に喜ばしい限りである。同じ人種の医者に診てもらうことができる安心を患者は得ることができるのだから。
黒人を差別しない日本人というイメージは、このようなメディアを通じて、またたく間に西海岸に広まった。「連帯意識と共感的理解」、この言葉が両者のつながりを示すのによく用いられた。[1,p82-89]
■4.日本人を救え■
1923年の関東大震災の報に接したある黒人は「シカゴ・ディフェンダー」紙に「アメリカの有色人種、つまりわれわれ黒人こそが、同じ有色人種の日本人を救えるのではないか」と投書し、それを受けて同紙はすぐに日本人救済キャンペーンを始めた。
たしかに我々は貧しい。しかし、今、お金を出さなくていつ出すというのか。
同紙の熱心な呼びかけは、多くの黒人の間に浸透していった。万国黒人地位改善協会は、「同じ有色人種の友人」である天皇に深い同情を表す電報を送り、また日本に多額の寄付を行った。
「シカゴ・ディフェンダー」紙のコラムニスト、A・L・ジャクソンは、長い間白人たちの専売特許だった科学や商業、工業、軍事において、飛躍的な発展を遂げようとしていた日本が、震災で大きな打撃を受けたことにより、黒人もまた精神的な打撃を受けた、と分析した。日本人は「それまでの白人優位の神話を崩した生き証人」だったからだという。[1,p82-86]
■5.日本のエチオピア支援■
1936年のイタリアによるエチオピア侵略に対して、アメリカの黒人たちは、アフリカ唯一の黒人独立国を「最後の砦」として支援しようとした。アメリカ政府の消極的な姿勢に比べて、日本が国際連盟以上にエチオピア支援を訴えた事は、アメリカの黒人たちの心を動かした。
「シカゴ・ディフェンダー」紙は、日本の宇垣一成大将が、「イタリアとエチオピアの争いでは、日本は中立になるわけにはいかない」「エチオピアの同胞を助けるためには、いつでも何千という日本人がアフリカに飛んでいくだろう」と明言したことを伝えている。
「ピッツバーグ・クリア」紙は、エチオピアに特派員を送り、エチオピア兵が日本でパイロット訓練を受けたこと、戦闘機の提供まで日本が示唆していたことを特ダネとして報じた。
そして何よりも黒人たちを感激させたのは、エチオピアのハイレ・セラシェ皇帝の甥、アライア・アババ皇太子と日本の皇族・黒田雅子女史の結婚の計画であった。これは実現には至らなかったが、日本がエチオピアとの同盟関係に関心を寄せていた証拠であった。シカゴ・ディフェンダー紙は「海を越えた二人の恋は、ムッソリーニによって引き裂かれた」と報じた。
[1,p96-103]
■6.日本での「忘れがたい経験」■
1936年、黒人運動の指導者デュボイスは、満州に1週間、中国に10日間、日本に2週間滞在して、「ピッツバーグ・クリア」紙に「忘れがたい経験」と題したコラムを連載した。
デュボイスが東京の帝国ホテルで勘定を払っている時に、「いかにも典型的なアメリカ白人女性」が、さも当然であるかのように、彼の前に割り込んだ。
ホテルのフロント係は、女性の方を見向きもせずに、デュボイスへの対応を続けた。勘定がすべて終わると、彼はデュボイスに向かって深々とお辞儀をし、それからやっと、その厚かましいアメリカ女性の方を向いたのだった。フロント係の毅然とした態度は、これまでの白人支配の世界とは違った、新しい世界の幕開けを予感させた。
「母国アメリカではけっして歓迎されることのない」一個人を、日本人は心から歓び、迎え入れてくれた。日本人は、われわれ1200万人のアメリカ黒人が「同じ有色人種であり、同じ苦しみを味わい、同じ運命を背負っている」ことを、心から理解してくれているのだ。[1,p109-118]
さらに、この旅で、デュボイスは日本人と中国人との違いを悟った。上海での出来事だった。デュボイスの目の前で4歳くらいの白人の子どもが、中国人の大人3人に向かって、どくように言った。すると、大人たちはみな、あわてて道をあけた。これはまさにアメリカ南部の光景と同じではないか。
上海、この「世界一大きな国の世界一立派な都市は、なぜか白人の国によって支配され、統治されている。」それに対して、日本は、「有色人種による、有色人種の、有色人種のための国」である。
■7.日本人と戦う理由はない■
日米戦争が始まると、黒人社会の世論は割れた。「人種問題はひとまず置いておいて母国のために戦おう」という意見から、「勝利に貢献して公民権を勝ち取ろう」、さらには「黒人を差別するアメリカのために戦うなんて、馬鹿げている」という意見まで。
デュボイスは、人種戦争という観点から捉え、「アメリカが日本人の権利を認めてさえいれば、戦争は起こらなかったはずだ」とした。
黒人たちは、白人が日本人を「イエロー・バスタード(黄色い嫌な奴)」、「イエロー・モンキー(黄色い猿)」「リトル・イエロー・デビル(小さな黄色い悪魔)」などと蔑称をさかんに使うことに、ますます人種戦争のにおいをかぎつけた。
アメリカは日本兵の残虐行為を理由に、「未開人」という日本人イメージを広めようとやっきになっていた。それに対して、「ピッツバーグ・クリア」紙は、ビスマーク沖での海戦で、アメリカ軍は多数の日本の艦船を沈めた後、波間に漂っていた多くの日本兵をマシンガンで皆殺しにした、本土爆撃ではわざわざ人の多く住んでいる場所を選んで、大人から赤ん坊まで無差別に殺した、さらに「広島と長崎に原爆が落とされた時、何万という人間が一瞬にして殺された。これを残忍と言わずして、何を残忍と言おう」と主張した。
軍隊の中でさえ差別に苦しめられていた黒人兵たちにとって、白人のために、同じ有色人種である日本人と戦わなければならない理由は見いだせなかった。ある黒人部隊の白人指揮官は、隊の95%は戦う気力がまったくない、と判断を下した。黒人兵の間では、やりきれない気持ちがこんなジョークを生んだ。
墓石にはこう刻んでくれ。白人を守ろうと、黄色人種と戦って命を落とした黒人、ここに眠ると。[1,p120-140]
■8.日系人強制収容を黙って見過ごすのか?■
大戦中、日系移民は、米国の市民権を持っている人々までも、強制収容所に入れられた。米国の黒人は大きな衝撃を受けた。
第一に、日系アメリカ人だけが収容され、ドイツ系もイタリア系も収容されなかったのは、あきらかに人種偏見のせいではないか、という点。第二に、アメリカの市民権を持っている日系人さえもが強制収容されるなら、黒人にも同じ事が起こる可能性がある、という点であった。
11万5千人もの人々(日系人)が、一度にアメリカ人としての自由を奪われるのを、われわれ黒人は黙って見過ごすというのか。
ロサンゼルス・トリビューン紙のコラムニストが全米黒人向上協会に呼びかけ、協会の代表はそれを受けて、次のような決議文を提出した。
われわれは人種や肌の色によって差別され、アメリカ人としての当然の権利を侵害されることには断固として反対していかねばならない。
戦後、黒人社会は、収容所から解放されて戻ってきた日系人を歓迎し、温かく迎えた。彼らは、日系人のために仕事を探したり、教会に招いたりしてくれた。[1,p140-152]
■9.歴史上、日本人が持ち得たもっとも、親しい友人■
[1]の著者、レジナルド・カーニー博士(黒人史専攻)は次のように我々日本人に呼びかけている。
歴史上、日本人が持ち得たもっとも親しい友人、それがアメリカ黒人だった。・・・この本を読んでいただければ、日本の政治家や知識人たちが黒人を差別する発言を繰り返したときに、なぜ黒人があれほどまでに怒り悲しんだかを、心から理解してもらえるはずである。
かつて、黒人から同じ有色人種として敬われていた日本人。そんな日本人が、今ふたたび、その尊厳と親愛の念を取り戻せることを、私は心から祈って止まない。おごりのない、謙虚な日本人−それが私の願いである。[1,p26]
■リンク■
a. JOG(053) 人種平等への戦い
虐待をこうむっている有色人種のなかでただ一国だけが発言に耳を傾けさせるに十分な実力を持っている。すなわち日本である。
b. JOG(054) 無言の誇り
12万人の日系人が収容所に入れられた。その3分の2は、アメリカの市民権を持っていた。
■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
1. ★★★「20世紀の日本人 アメリカ黒人の日本人観 1900-1945」、レジナルド・カーニー、五月書房、H7.8
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・(H17/7/03)人種差別国家韓国とそれと無縁の日本
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こういう事を、日本人自身が知らされていないのが
ものすごく寂しいですね・・・・・・
ドンピシャな例です。
日本とアフリカのつながりと国際連盟。
大変勉強になりました。
今回のサミットは、アフリカの貧困撲滅とか。
貧困の大本は、はっきりしているようですね。
貧困からの脱出のチャンスが国際連盟当時の
日本の提案にあったわけですが、
米国大統領がそのチャンスをつぶした歴史を今回のサミットで欧米人に知らせることができたらと思ってしまいます。
他の方もそうだったのかと思い、なぜか笑えました。泣き笑いというやつです。
ケニアに住んでいたことありますが、第二次大戦でアメリカと戦ったこと悪く言うものは居りません。むしろ共感を感じているようです。アフリカでも日本人は尊敬されているのです。
もっとご先祖たちの行動に誇りを持つべきですね。
学校で教えてもらいたいです。こういう話を!
私も感動で目頭が熱くなりました。
私達のご先祖達は素晴らしい日本人だったのですね。
ぜひ若い世代に伝えたいエピソードです。
ほんといい話をありがとうございました。^^
ここに飛んできました!!
今さっき黒人差別のローザとゆう人の映画を見て
少し興味を持ったので記事全て読ませていただきました。結構前の記事なので迷惑かと思いましたが、記事を読んで涙が出てきたのでコメント書かせて頂ました。
私は、白人に対しても、黒人に対しても少し偏見があったのかもしれません。この記事を読んだりほかの記事を読んだりする中でいかに自分の考えが浅はかであったのか思い知らされました。日本に関してまだ知らない事が多すぎます。まだ17歳だしこれからもっと勉強して行こうと思います。この記事はそのきっかけになりました。ありがとうございますm(。。)m
コメントありがとうございました。
新しい記事、古い記事関係なく気軽にコメント頂ければと思います。今後とも宜しくお願いします。
私は、最近やっと太平洋戦争のことについて調べ始めたのですが、調べるほどに、アジア各地で日本兵が残虐行為をした、とされてきたことを疑わしいと感じるようになりました。
私たちの祖父や曾祖父は、果たしてそんな行為をできるような人柄だったでしょうか?少なくとも私の記憶の中の祖父は、将棋が大好きで、気が優しくて、細やかで、いつも笑顔を絶やしたことのない無口な人でした。他のお宅でも多少の差はあれど、そうした優しい方々の方が多かったのではないかと考えます。
死人に口なし、という無情な言葉がありますが、あの戦争に赴いた人があまり残っておられないのを良いことに、実際とはかけ離れたことが喧伝されているのではないかと、私には思えてなりません。
なので、この記事には共感で胸が熱くなりました・・・。
こんさん、素晴らしい記事をお届けくださり本当にありがとうございました。
これからの記事も楽しみにしております。
どうぞ息の長い活動をしていって下さいね、応援しておりますので。
日本人はもともと差別をせず、
他者に寛容で慈悲深い民族性です。
にもかかわらず日本ではマスコミが
二言目には「日本は差別をしている」と
騒ぎ立てます。
しかしその実態は人権を食い物にする
「差別利権」にほかなりません。
日本人の人の良さに漬け込んで、すき放題
やられているのです。
いまだに黒人差別が消えないアメリカや、
世界中で他者を侮蔑する朝鮮、中国の人間が
日本に来て「日本は差別がひどい」と騒ぎ、
人のいい日本人は自戒と反省に勤しむ、という
状態です。
そして戦前にこんなにも残虐だった、と言いふらされ、少しでも反論すると「戦争美化」・・・。
このままでは日本人の心はだめになってしまいます。
第二次世界大戦前に、すでに黄色人種だけでなく黒人の差別撲滅まで訴えていたとは感動しました。この日本のどこが残虐だというのでしょうか。アジアでも日本人が残酷なことをしたというのは中国朝鮮だけで、東南アジアやインドは感謝までしてくれています。
そろそろわれわれは、戦前の日本の再評価をし、失われた心を取り戻すべきだと思います。
すばらしい記事をありがとうございました。
自分が子供の頃に聞かせて欲しかったのは,
こういう話なんですよね。
けれど、実際には自虐的な話事ばかりで。
これからも、子供たちに伝えていけるような、
先人たちの話を楽しみにしております。
今まで海外の日系人コミュニティーもきっと韓国人コミュニティーと大差は無いんだろうなと勝手に思っていましたが、それは完全な誤りでした。
上辺だけの友好親善ではなく本当の助け合いをしていきたいものですね。でも、とりあえず反日さんとの関係は放っておいて(cooldownのため)、別の方向に目を向けるほうがよさげだと思ってしまいます...ご先祖様に怒られそうですけど。
大変興味深く拝見させて頂きました。
このブログを運営されるのは大変なご苦労があるかと存知ます。
色々な意味でありがとうございます。
一言お礼まで・・・
後、ポーランドと日本との関係について話させてください。
二十世紀初頭のロシア革命のなかで、シベリアに抑留されていたポーランドの活動家の子供の救助を列強各国に要請した中で、日本は即決で彼らの救助を決定し、保護して、無事に祖国ポーランドへ帰したそうです。そして、その子供のなかには、後にナチスドイツに対するレジスタンス活動を行った人がいて、ナチスに追われたときに、日本の外交官が、彼をかくまった。そういう話があります。
日本は、やっぱりナチスの国とは一線を画するものだったと私は思います。
白人至上主義構造の世界史のなかで、それを撃ち破ろうとしたアジアの小国、日本が英雄的な扱いを受けたなんていう話は探せばまだ他にもあるかもしれませんね。
私も他の方々と同じ、何箇所も涙しながら最後まで読ませて頂きました。
自虐史ばかり教えられてきた中、最近はネット探せばこのように誇れる歴史もちゃんと目にすることができ、嬉しい限りです。
正しくないものにはきちんとNOと言い、真の公平さと謙虚さを忘れない国、そんな国の一員でありたいと思っています。
先人達が築いてくれた信頼や、日本古来の精神を忘れないように、少なくとも私はそう心がけて行きたいとあらためて思わせてくれた記事でした。
数週間前にここを携帯で見まして、ブログで紹介させていただきました。
サヨク教育で育ち、30歳までほんと無知で恥ずかしい限りですが、日本の為に、出来る事をしていきたいと思います。
こうした事実は日本だけでなく、アメリカの黒人にも知らせる必要があるでしょう。
中曽根などが差別発言をした背景には、戦後日本人が黒人に悪い感情を抱いたというものがあります。またその理由は、駐留軍の黒人兵が米国内での鬱憤を日本人に対して晴らし、日本人女性が多く強姦されたりしたからです。(これも若い人は知っておくべきです)
残念ながらこうした事情によって白人の手のひらで、日本人と黒人が憎み合わされているわけで、大変口惜しく思います。
このような話を日本人だけでなく、黒人にも聞かせることによりはじめて、お互いの歴史を踏まえて自分の現状だけから軽率な判断をしないで冷静にしかしやさしさをもって接しあうことができるのではないでしょうか。
京浜急行に乗っていると、肩を怒らせて日本人を突き飛ばしていく黒人兵を良く見ますが、本当に悲しくなりますね。またこうした風景を見て、日本人も憎しみを募らせていくわけですが、こうした悪循環は掲示の文書を読み聞かせたりすることにより、断たねばいけません。
この記述を読んで日本は、日本人はすばらしいと思えない人は、言えない人は・・・大切な日本の国から帰ってくれたらいいも思いました。
涙で画面が見えない。
これからもがんばってください。
日本人は民度が高く世界に誇れる民族だと思うが、残念ながら人種差別と無縁だとはいいがたいと思う。
当方横田基地付近に住んでおり、多くの黒人と接しています。
日本人が人種差別に関してタチが悪いと思うことは、表面的には黒人に対して友好的であるのに、いざ就職、結婚という人生で最も重要な節目になると差別の障壁が多すぎることだと思う。聞くとバイトの採用ですら全然決まらないという。黒人と結婚したことによって親族と絶縁状態になった人を何人も知っている。その子供たちは、その黒い肌、縮毛、特徴的な唇、体臭から壮絶なイジメを受け傷ついている子が多いようだ。
白人との結婚では余りそういう話を聞かないだけに、やはり何処かで意識しているのだと思う。