日本がまだ貧しかったころ、生活に必要なものを得るために行われたのが、「生活型」犯罪です。しかし、社会の発展と共に生活型の犯罪は減少し、「遊び型」犯罪が増加していきました。スリルを求めての万引きや、犯罪を楽しむようなタイプです。「面白そうだから」という理由だけで、死に至るまで暴力をふるってしまうこともあります。 さらに、現代の高度情報化社会を背景に実体験不足のまま成長した青少年達の中には、「ゲーム感覚」でいのちを扱ってしまう人たちもいます。 まるで推理小説のアイデアを練るように殺人計画をたてます。ただし逃亡計画がきわめてお粗末なことも多いのすが。 彼らは重大な犯罪を犯しながら、罪悪感に乏しく現実感がありません。 当事者意識も低いのです。いのちを持った人間を、まるで物のように扱っています。 殺人ではなくネット集団自殺の例でも、インターネット上で知り合った7人の男女が集団自殺したケースなでは、「7人の集団自殺が成功したら(過去最高の人数だから)すごいね」といった発言記録が残されています。まるで、何かのプロジェクトの準備を楽しみ、達成感を味わおうとしているようなゲーム感覚です。 生活型、遊び型と変化してきた犯罪が、今や「自己確認型」と呼ぶべき犯罪に変化してきたと、犯罪精神医学者の影山任佐氏は語っています。 自己確認型の犯罪とは、自己の存在感、支配力、顕示欲を満たすための犯罪です。 現代の子どもたちは、あふれるほどの物質的豊かさの中、満たされない思いを持って苦しんでいます。 彼らは、自分自身の希薄な存在感「空虚な自己」を抱えているのです。 「空虚な自己」と同時に「幼児的万能感」を持つ青少年たちも多くいます。 彼らは、下積みや努力が苦手です。 実は本当に自信があるわけではなく、隠された強い不安と劣等感があるからこそ、子供じみた思い上がりから卒業できないのです。 彼らは、歪んだ自己愛の持ち主だとも言るでしょう。 自分を愛すること自体はもちろん大切なことですが、彼らの歪んだ自己愛は、他者を見下しさげすむことで成り立っています。 このような肥大した自己愛を持つ少年たちは、傷つくことを極端に恐れています。 傷つけられ、自己愛が脅かされるとき、彼らは周囲も自分自身も驚くほどの怒りと攻撃心を爆発させてしまします。 いわゆる「キレた」状態で刃物を振り回すこともあります。 キレた心理状態で犯罪計画を練ることもあります。 傷ついた青少年たちは、柔軟に物事を考え一歩ずつ問題解決を図ることができず、「一発大逆転」をねらってしまうのです。 秋葉原で発生した大量殺人事件の青少年(年齢ではなく実態)は、高校で挫折し、親にも見放されたと思い込み、周囲の人間を見返すために、トラックを殺人道具に使い大量殺人を実行しました。 事件は長時間にわたり報道され、非情に目立つことができるという、劇場型の犯罪でです。 マスコミを意識し、ネット上に犯行計画を(声明文)を残すような犯罪も、まるで観客を意識しているような「劇場型の犯罪」です。 日常的な生活で自己愛が満たされなくなった彼らは、犯罪を通してスポットライトを浴びようとします。 彼らにとって、凶悪犯罪はかっこよいものであり、過去に大きく報道された犯罪者は、目標であり、ライバルです。 モンスターアダルトチルドレンの登場です。 |
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