そのうち飽きるだろうと母は思っていたが……。
人はたった一つのことに出会えれば生きていける――そんな詩人の言葉が浮かぶ。少年の日に点った決意を、忘れず、倦まず、一途なまでに歩んできた。それがレーサー村上義弘を形成したものだろう。
1979年4月15日、京都府生まれ。花園高出身。86期。S級1班。'01年デビュー。'07年の共同通信社杯(GII)でビッグ初制覇。ダービーの兄弟ワンツーでGI初優勝を飾った'10年は、SSシリーズ風光るやグランプリを制し、賞金王に輝く。'11年西王座戦優勝。167cm、73kg。
自転車競技部のある京都・花園高校に進み、国体で活躍する。卒業後、日本競輪学校に入学。第73期生。初出走は1994年、19歳の日であった。
息子から競輪選手になるという言葉を耳にした母の清美は、競輪選手? なんのこと? そのうち飽きるだろう……と思っていたのであるが、義弘は毎日の練習をやめない。夜遊びで遅く帰ってきても、なおその時間から練習に出かけていく。
その日を食べること――。母のアタマにいつもあったことだ。朝は新聞配達、昼間はパート、夜間はホテルの皿洗い……という日課を当たり前のこととしてこなしていた。いまも介護の仕事を続けている。
昼間、縫製工場で働いていた時期がある。
職場ではKBS京都のラジオが流れていて、年末、「KEIRINグランプリ」の実況中継を耳にした日がある。
レースで勝った選手はすごい賞金をもらえるんだね――と漠然と思っていた。わが子がそのレースに出、ましてや勝利を得る日がくるなど、まるで思いもしないことだった。
◇ ◇ ◇
小柄ながらもパワフルな先行を貫き、多くのファンを獲得した村上義弘。
弟・博幸も競輪の世界に飛び込んだが、2人には“試練”が待ち受けていた。
その逆境にあっても村上兄弟はグランプリ・レーサーを遮二無二目指した。
すると2010年3月、彼らはダービーで史上初の快挙を達成したのだった――。
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Sports Graphic Number 826
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