自己管理

自己コントロールのためにMature defense mechanismsを強化せよ(その3 防衛機制レベル4)

前回の続きである。今回はレベル4の防衛機制について述べる。

レベル4  Mature defenses(High Adaptive Defences) 成熟した防衛(高度に適応した防衛)
 
 健常な個人に認められる防衛機制である。意識してなされるのがレベル4の防衛機制である。多くは12歳以降から認められる。現実や対人関係や個人的な感情を自我に統合する上で重要である。さらに、レベル3以下の防衛機制を制御する上でも重要である。Vaillantらによれば社会的に名誉を得ている男性の調査では、レベル4の防衛機制が優位であった。この防衛機制は、精神の安定、社会での成功や貢献、豊かな人生、満足のいく人生、幸福の実感、貧困からの脱出、精神だけでなく身体的な健康の保持、精神疾患の予防、精神疾患からの回復、精神疾患や身体疾患の良好な予後を可能にする上で必要不可欠な防衛機制であることがVaillantらによって示されている。このレベル4の防衛機制は、所属している社会階層、学歴、IQからは完全に独立していることもVaillantらの研究結果から示されている。すなわち、誰もが身に付けることができる防衛機制なのである。
 
 なお、意識していかないとこの防衛機制は働かない。強いストレス状況下でこの防衛機制を意識することをやめてしまうと、レベル3以下の防衛機制に低下してしまうことがあると言われている。逆に言えば、このレベル4の防衛機制を常に意識して使っていけば、それだけで自然と強化さて身に付いていくことになる。すなわち、意識しているだけで自己コントロールが十分に身に付くことを可能にしてくれる防衛機制なのである。
 
 社会に貢献していく上でもこの防衛機制が必要となろう。学歴とは関係ないと示されてはいるが、逆に、学歴が高くてもレベル4の防衛機制が身に付いておらず社会貢献ができない未熟な方々も多くいるのかもしれない。国家公務員上級1種に合格した官僚や政治家や金融関係や製薬会社のエリートの方々にこそ、このレベル4の防衛機制が求められる。

Suppression 抑制
 英語をそのまま訳せばRepressionと同じく抑圧や抑制となろうが、正しい日本語訳は我慢忍耐となろう。レベル3のRepressionが無意識の奥に閉じ込めてしまうのに対して、心理学でいう前意識や意識できるレベルの段階に要求や願望を留めておくのがSuppressionである。これができて始めて大人だと言えよう。これをマスターするには自らが自分自身に言い聞かせて訓練していくかない。例えば、おもちゃを買ってもらえずにデパートで泣き叫ぶ子供はSuppressionができないからである。しかし、泣きわめかなくてもRepressionしてしまうと子供の心は歪む。ふん、あんなおもちゃなんかくだらない、もう欲しくないわ。これはまだ未熟なレベル3を中心とした防衛機制である(Repression、Reaction Formation、Rationalizationなど)。欲しいけど今日は我慢する(でも、いつかは買ってもらえるだろう)。これがレベル4のSuppressionである。本人が自分で言い聞かせているからSuppressionができたのである。
 当初はうまくSuppressionができなくても、訓練していけばSuppressionは容易にできるようになる。社会では我慢ができないような堪え性のない人間は評価されない。自己コントロールができないような人間は失格だと思われるからである。Suppressionは自己コントロールにおいて最も基礎となる防衛機制だと言えよう。
 しかし、Suppressionだけでは、他の成熟した防衛機制(昇華、自己洞察、気晴らし、予想など)とセットで用いないとレベル3のRepressionまでレベルが低下してしまう。レベル3まで低下したら、それはもはややせ我慢(RepressionやRationalizationなど)でしかない。「武士は食わねど高楊枝」ということわざは我慢(忍耐)なのか、やせ我慢なのであろうか、どうやら2つの意味があるらしい。まさに、SuppressionとRepressionの関係である。

Altruism  利他主義
 他者の心を満たすためにサービスをすることや、他者を助けることで自己の気持ちを満たす心理機制である。ボランティアなどはこの防衛機制からの行動であろう。利他主義は見返りを要求することはない。見返りを要求するしたり見返りがないと満たされないのは、利他主義ではなく、利己主義であり偽善に過ぎない。親が子へと行う養育はまさに利他主義がないとできない。こんなに一生懸命育ててあげたのになぜあなたは馬鹿なのよと子供を否定するような親は見返りを要求しており未熟な親だと言えよう。怒ることはやむを得ないが、子供の存在価値を否定してはいけない。利他主義の心があれば子供の価値を否定することまではしないだろう。しかし、この防衛機制が十分に働かない未熟な親や教師が、子供の虐待や生徒の体罰といった相手を否定するような行動化(Acting Out)へと走らせるのであろう。逆に、子供時代に虐待を受けると利他主義の獲得が困難になる。大人になって今度は自分が虐待する側に立つ。負の連鎖や負の再生産を呼んでしまう。
 利他主義は寛容の心にもつながる。人のミスや自分への損害を許すには利他主義がないと不可能である。他人のミスや自分への損失を許そうとせず、いつまでも怒り続ける人間はそれだけ未熟なのである。仕事においても利他主義は重要である。医師などの医療関係の仕事は利他主義がないと成り立たない。他の仕事も同様であろう。さらに、夫婦関係、友人関係などの人間関係も同様である。社会や他人に迷惑をかけてはいけないと思うには利他主義がないとできない。迷惑なことや反社会的なことを平気でする人間は利他主義が乏しく、それだけ未熟なのであろう。道徳心や倫理観を養う上でも利他主義は重要である。さらに、他者に親切にしようと思うと利他主義がないとできない。人を思いやる心は利他主義からしか生まれない。社会はまさに利他主義で成り立っているのだと言えよう。特に、無益な争いである戦争を避けるには利他主義が機能しないと不可能である。
 利他主義は日常の臨床場面でも見受けられる行動である。利他主義があるかないかは、患者の病状評価の参考となる。他患の車椅子を押してあげている入院患者の姿はまさにその人に利他主義という成熟した部分があるからである。アルコール依存症や薬物依存では利他主義が働かなくなっているという研究結果がある。依存から抜け出すことへ導くために利他主義を呼び覚ます必要がある。逆に、利他主義がまだ失われていない場合は予後は良くなることも分かっている。
 一方、利他主義は自己犠牲という行動につながることもある。自己犠牲が極端になればレベル3の反動形成(Reaction Formation)やレベル2の受動・攻撃的行動(Ppassive-Aggressive Behavior)に変化することもあろう。自己犠牲は自分の心を満たすことを否定しているため、幸せを感じることはないかもしれない。利他主義はあくまで自分の心も満たされないと意味がない。自分の心が満たされないような自己犠牲という形でしかない利他主義はやめた方が良いだろう。すなわち従属や隷属である。従属や隷属と利他主義を混同してはならない。従属や隷属はもはや自己否定でしかない。宮沢賢治の「雨ニモマケズ」という詩は利他主義を象徴するような心を打たれる清らかな詩ではあるが、自己犠牲を賛美するような内容にもなっており、あのような生き方がはたして自分自身の幸せに結びつくのかは分からない。

Humor ユーモア 
 ユーモアについては説明の必要はないであろう。ユーモアを言えるだけでなく、ユーモアを理解することもできないと成熟した大人とは言えない。冗談が通じないような人は成熟した人ではないと言えよう。研究者の中にはユーモアはmature defenseの中でもimmatureなレベルに近いものと見なす場合もあるが、フロイトは最も高いレベルの防衛機制であると述べている。対人関係の緊張を緩和する上でユーモアほど効果的なものはない。不快感をユーモアで示すことが重要であるとVaillnatは述べている。
 冗談の1つぐらい言えないと成熟した人間とは言えないであろう。親父ギャクはまさに成熟した親父にしか言えないユーモアなのである。下ネタも下品ではあるがユーモアの1つの形であろう。パロディや漫才もユーモアの1つの形である。さらに、心に余裕がないとユーモアは言えないし、逆にユーモアを言うことは心の余裕につながる。境界型パーソナリティ障害においても、冗談が通じる患者と通じない患者では、その後の予後にはかなりの差が生じるように思う。冗談が通じる場合はそれだけまだ心に余裕があるように思え、それが予後にも関係するように思える。これは、他の精神疾患でも同様である。ユーモアのセンスを日頃から意識して磨いておくことも、心の余裕や安定につながのだと言えよう。
 なお、ユーモアも利他主義と同様に一歩間違えると自己否定となる。自己を否定するようなユーモア、すなわちそれは道化である。自己否定をしているような自虐的なユーモアはレベル1の脱価値化(Devaluation)に過ぎない。それは他者を否定するようなユーモアも同様である。自己否定や他者否定を伴わないようなユーモアのセンスを磨いていかねばならない。こういったユーモアは相当成熟した大人でないとできないことが分かるであろう。

Anticipation(Affective rehearsal) 予想や想定(感情を伴ったリハーサル)
 この防衛機制は感情を伴ったリハーサルとも定義される。いずれ訪れるであろう未来の出来事を想定し、それをイメージして、その時にどう対処したりどのような行動をするかを必ず感情を伴った形で頭の中で練習しておくことがこの防衛機制である。そして、単なる予想や想定では意味がなく、感情を伴なった形での予想や想定でないと意味がない。有能なスポーツ選手ほどこの防衛機制を巧みに身に付けている。Affective rehearsalをしておけば本番で心が動揺することはなくなり、未来の出来事はストレスではなくなるだろう。ストレスから自分を守るにはこの防衛機制が必要不可欠である。物事に動じない強い人間ほど人に知られずに日頃からAffective rehearsalをしているのかもしれない。
 さらに、実力を発揮するにはAffective rehearsalが必要不可欠である。それはスポーツの分野だけではない。仕事や対人関係においてもAffective rehearsalは重要な防衛機制である。しかも想定はいろんなパターンを想定しておくことが必要となる。想定は良い未来も悪い未来もどちらも想定しておかねばならない。
 しかし、大事なことは悪い未来や失敗ばかり想定してはならないことである。Affective rehearsalでは成功を強くイメージしてリハーサルに努めることが重要とされている。いろんなパターンを想定しつつ、失敗した場合にも備えつつ、成功をより強くイメージして行動していき、Affective rehearsalを成功にむすびつけていけることが成熟した大人だと言えよう。

Sublimation 昇華
 社会では受け入れがたい欲求、感情、衝動を、社会に受け入れられる建設的な価値のある活動のエネルギーへと積極的に転化させていくことが昇華である。趣味を持つことは昇華に結びつくと言えよう。スポーツで汗を流すことも昇華である。多くの芸術や文芸作品、感動を呼ぶスポーツなどあらゆる創造的な産物はまさに昇華という防衛機制の結実である。
 一方、未成熟な人間の場合は昇華ができず、行動は行動化(Acting Out)へと変化してしまう。昇華はSuppressionとのセットで機能することが重要である。遊びたい気持ちを我慢して勉強することは昇華の練習をしていたことなのかもしれない。子供時代は嫌々勉強させられたけど、今となって思えば、それが昇華という防衛機制に成熟していったのかもしれない。ユーモアとして行動に移すことも昇華の一つの形と見なされることがある。さらにAffective rehearsalにて成功をした自分の姿をイメージすることも昇華の1つの形とみなされる。さらに世の中は矛盾に満ちている。その矛盾を感じたことによる抑えがたい衝動を乗り越えるためにも昇華が重要となる。
 昇華は衝動などを行動エネルギーに転化させることであるが、あくまで社会に受け入れられる行動に転化させねばならないのは言うまでもない。社会に受け入れられない行動での昇華はレベル2の行動化(Acting Out)でしかない。

Asceticism 禁欲(修道、修行)
 禁欲というよりも、むしろ広い意味で自身の欲望を捨ててrenunciationする(断念する、諦める)という意味かと思われる。食欲や性欲などの本能的な要求までをも禁止することではない。Asceticismは欲望などの煩悩を捨てさることであるが、これは常人では困難である。そのためMature defensesには含まれない場合がある。
 しかし、煩悩を捨て去ることも成熟していくためには必要である。見栄を張らない人は虚栄心を捨てて禁欲ができている人であり成熟している人であると言える。見栄を張る人はAsceticismに乏しい未熟な人だと言えよう。
 一方、断念することも必要な場合は世の中では多々ある。失敗した時が特にそうである。人生は成功するばかりではない。むしろ失敗の方が多いかもしれない。受験に失敗して志望校に受かるまで浪人を続けるか、断念して別の学校に進むかは、個人の自由であり、結果的にどちらが良かったかは後になってみないと分からない。しかし、一つだけ言えることは断念することで別の道を選択することは時間の無駄にはならないということである。断念せずにこだわり続ければ時間の無駄になることが多々あろう。時間を無駄にしないのが成熟した大人である。
 さらに、再出発が可能になるには諦めないと不可能である。それは失敗などの不快な現実を受け入れることにもなろうし、後の別の成功の時の大きな喜びにもつながろう。諦めが肝心なこともあるのである。そう簡単に諦めていいのかと言われることもあろうが、諦めが悪く執念深い人間は見苦しく人からは好かれることはないであろう。特に、他者をマイナスの方向へ巻き込むような場合はAsceticismすべきである。他者をマイナスの方向へ巻き込まないのであれば断念する必要はないだろう。志望校に合格するまで浪人を続けることは自由であるが、そのために家族が犠牲になるようでは断念すべきであろう。Asceticism(断念)すべきかどうかは自分だけでなく他者も必ず含めて決める必要がある。
 これは職業の選択などの人生上の選択でも重要なことである。家業を子供に継いで欲しくとも、自分の煩悩を捨て去り子供の意志を尊重して子供の自由な選択に任せるのが成熟した親である。それができない親は未熟な人間である。

Affiliation 友好や同盟関係を結ぶこと
 すなわち、他者に助けや助言などのサポートを求めることを意味する。自己の問題を他者に分かち合ってもらうことでストレスは軽減できることになる。これは意見に耳を傾ける気持ちがないとできない。聞き分けのない子供や未熟な人間ではできない。Affiliationは成熟した防衛機制であることが分かろう。聞く耳を持たない人間は未熟なのである。
 しかし、助言や助けを求めた結果を他者に責任を負わすことはAffiliationとは言えない。責任をなすりつけるようになればもはやレベル1のHelp-rejecting complainingでしかない。

Self-Observation 自己洞察
 これについては詳しい説明は不要であろうか。葛藤やストレスに対処するために自身の感情や思考や行動を回想し不適切だと思われる部分を適切な内容に変えていくことが自己洞察である。子供はこの自己洞察ができない。子供は反省しない。反省は自己洞察でしか得られない。反省ができるのは成熟した人間である。さらに、自己洞察は自分を社会の中でうまく操縦していくためにも必要である。自分という車にブレーキをかけたりアクセルを踏ませたりするには運転手としての自己洞察が必要不可欠である。自己管理の1つである自己の症状をモニタリングをしていくためにも自己洞察は重要である。
 一方、自己洞察ができることは他者の内面を理解することにもつながる。他者の立場を自分に当てはめてみて、それを自己洞察することでしか他者の気持ちを十分に理解することはできない。さらに自分がどのような影響(悪影響や良い影響)を他者に与えたのかを理解するためにも自己洞察が必要である。他者への誤解や偏見をなくし他者の言動や行動を正しく理解し、適切な人間関係を築いていく上でも自己洞察は重要である。共感能力を養う意味でも自己洞察は重要である。
 ここで自己洞察をするにあたり、他のレベル4の防衛機制とのセットで行わない、バランスを保ちながら行うことが大切である。すなわち、利他主義、忍耐、禁欲、自己主張などとのバランスを保つことが重要である。そうでないと価値判断を誤り、せっかくの自己洞察がレベル3以下の防衛機制(合理化、理想化、脱価値化、反動形成など)に低下してしまうことになろう。

Self-Assertion 自己主張、自己表現 
 自己の気持ちや意見や要望を言葉で直接表現し、礼儀正しく敬意を払って他者に伝えることである。攻撃するために、威圧するために、操作することを意図して自己主張することは絶対に避けねばならない。あくまで、自分や他者が目指すゴールや目標に到達することを目的として自己主張がなされねばならない。
 さらに、相手の意見にも耳を傾けながら自己主張をすることも大切である。他者の自己主張と自分の主張とのバランスが保てないような一方的な主張はダメである。レベル2の受動・攻撃のような主張の仕方もやめねばならない。
 当然、他のレベル4の防衛機制(利他主義など)とのセットで行われないとレベル3以下の防衛機制に低下していくことになろう。

Compensation 補償 
 自分の足らない弱い部分から生じる葛藤や不安を補うために、他の部分を強化し鍛えていくことが補償である。男としての自分の気持ちの弱さや劣等感をカバーするために筋トレに励むなど。この防衛機制は正しい解決とは言えないところがあるためレベル3に区分されることもある。しかし、昇華につながるものでもあり、レベル4の防衛機制にも十分になると思われる。美容整形などは他の部分ではなくまさに直接その部分を補償する防衛機制のような行為だと思われるが、レベル4かレベル3のどちらの防衛機制なのであろうか。もし、美容整形することによって他のレベル4の防衛機制の強化につながっていくのであれば、それはレベル4とみなしても良いであろう。

IdentificationとIntrojection 同定と取り込み
 他者の性格特徴や価値観や行動などの良いところを客観的に認識し(Identification)、自分自身にもあるように思うこと(Introjection)。この2つはセットとして機能するとmatureなものになる。すなわち、相手の良い部分を見習い自分にも取り入れていくのが成熟した大人の防衛機制である。自身の欠点を補い、自己の人格を成熟に導いてくれることになる。良心や道徳心や倫理観の形成にもつながる。TV番組でヒーローが悪者をやっつける番組を子供が見ることも同定と取り込みという観点からは意味がある。TVは有害だと決めつけてヒーローものの子供番組を子供には一切見せない親がいるが、これは適切だとは言えないであろう。 
 さらに、逆にもまた真なりか。他者の悪い部分同定して、それを良い方向に転換して自分の中に取り入れていくことは、反面教師としての機能を有し、自己の成熟につながることであろう。
 なお、自他の区別がつかなってしまったり、大人が意識せずに何でも取り込んでいまい自分もそうだと信じこんでいまうとレベル2の防衛機制にまで低下してしまうことがある。

Distraction 気晴らし、気分転換
 これを成熟した防衛機制に含める学者もいる。人間である以上は時々ガス抜きをしないとダメなのである。あくまで社会で許容されうる行動でないと気晴らしとは言えない。旅行やドライブや映画鑑賞などのレクレーション活動は良い気晴らしとなろう。なお、時々することが気晴らしであり、他のことまで犠牲にし無視して毎日するようではもはや気晴らしとは言えまい。それはもはや依存である。

以上がこれまでにレベル4の成熟した防衛機制として定義・同定された防衛機制である。

レベル4の防衛機制は、精神という超高度なソフトウェアーのメインルーチンとして機能し、レベル4の防衛機制を強化していけばサブルーチンに過ぎないレベル3以下の防衛機制を制御することができる。レベル4の防衛機制は成熟した精神プログラムのコアとなる制御プログラムだと言えよう。そして、メインルーチンなるが故に、単独ではなく、同時に他のメインルーチンであるレベル4同士が相互に機能し合うことが大切なことだと言えよう。


最後に、漢詩を一つ紹介して終わりとしたい。


杜牧【題烏江亭】 より

勝敗兵家事不期
包羞忍恥是男兒
江東子弟多才俊
捲土重來未可知。

勝敗は兵家(へいか)も事(こと)期せず、羞(はじ)を包み恥を忍(しの)ぶは是(こ)れ男児、江東の子弟(してい)才俊(さいしゅん)多し、土を巻き重ねて来たらば未(いま)だ知る可(べ)からず。

(現代語訳)
戦いに勝つか負けるかは、兵法家であっても予想することはできない。戦いに負けてしまったときには、恥を堪え忍んでこそ、真の男児というものだ。(項羽は劉邦に敗れ、烏江亭で自害してしまったが、もし根拠地の江東に帰っていたならばどうだっただろうか。)江東の若者には優れた者が多いのだから、土を巻き上げて再起を図ったならば、勢力を盛り返して再び天下を争うことができたかも知れないのに。

この詩の中には、
恥を忍び耐えること(Suppression)、
負けた時の予想もしておくこと(Anticipation)、
江東の若者を大切に扱う、すなわち、他者の幸せを大切にすること(Altruism)、
自己を見つめ直して勝ちたいという欲望をいったん断念して再起を図ること(Asceticism、Self-Observation)、
過去の他者の行動から学び自分に取り入れていくこと(IdentificationとIntrojection)、
再起した姿を予想し敗北感から抜け出すこと(Affective rehearsal)、
といった、まさに成熟したレベル4の防衛機制が凝縮して表現されており、すばらしい漢詩である。

包羞忍恥是男児。これこそがまさしく成熟した真の大人の男の姿である。

 
(今回は以下のVillantの論文と著書などを参考にして書いております)
「 Ego Mechanisms of Defense: A Guide for Clinicians and Researchers」 1st Edition
by George E. Vaillant, American Psychiatric Association.(20年前に6000円で購入しました。汗;)
http://www.massgeneral.org/psychiatry/assets/published_papers/Vaillant-2000-AmerPsych.pdf


包羞忍恥是男児

自己コントロールのためにMature defense mechanismsを強化せよ(その2 防衛機制レベル1~3)

(前回の続きである)

防衛機制のレベル

防衛機制は、自分の心を様々なもの(ストレス、対人関係、人生上の出来事、など)に対処し心を防衛し心を維持するために働く心理過程である。それは無意識になされる場合もあるし、意識してなされる場合もある。

防衛機制が働く目的は、自我の深層から意識に侵入してくる不安や葛藤や不快な感情や記憶に対処し、それらの影響を少しでも排除し、意識や意志や行動の自由が保てるように自己を守るためであるが、防衛機制に自己の自立性が支配されてしまうと、外部(現実の中)で活動している自身が制約を受けてしまい、日常生活における行動や言動や思考や感情に支障をきたすことになる。それを称して神経症とかっては呼んでいたのだが、今はではDSMによって、双極性スペクラム障害、不安スペクラム障害、強迫スペクトラム障害といった病名に変わり、心理的なものが原因ではなく、脳内の神経伝達物質の異常であると定義しようというのが定着してしまった。

神経症が脳内の神経伝達物質の異常であれば、脳内の神経伝達物質に直接作用する薬物療法だけで改善するはずである。しかし、実際はそううまくはいかない。それは薬物療法は心理メカニズムを間接的に麻痺させているだけに過ぎず、心理メカニズムへの直接的な対処がなされていないからである。根本的な解決は心理メカニズムの直接的な修正によらねばならない。

例えれるならば、パソコンのソフトの不具合に例えてみよう。そのソフトの不具合に対処しようとして、ハードウェア(=脳内神経伝達物質)のみで対処していても不具合はいつまでも修正されず、ソフトウェアのプログラム自体をデバッグ(=心理療法)してプログラムを修正しないといけないことと同じである。心理というソフトウェアの不具合は防衛機制をデバッグ(心理療法)しなければならないのだ。

コンピュータープログラムの修正は自分でできる。しかし、C言語などのプログラム言語とサブルーチンやプロシージャーといったその成り立ちを知っていないとデバッグという作業はできない。プログラムの流れを決めるサブルーチンに相当するのが防衛機制なのである。自分自身で自分自身の不具合をデバッグするためにも、防衛機制を理解して知っておかねばならないのである。

防衛機制は、Vaillantによる成熟度に沿ったレベル分類にでは以下のようなレベル(階層)に区別される。防衛機制の分類は、Vaillantの他にも、Meissnerによる分類、Perryによる分類、DSM-4による分類、フロイトによる分類など多くの分類方法があるが、今回はVaillantによる成熟度に沿ったレベル分類を採用する。なお、レベル4以外の防衛機制については今回の主なテーマではないため詳しい解説は避ける。詳細については他を参照して頂きたい。

レベル4の防衛機制を意識して優位にしていくことで、レベル3以下の防衛機制は意識しなくとも自然に使われなくなるか優位ではなくなり、心の真の安定と成熟が得られるというのがVaillantらの考えである。
(日本のウィキペデイアでは防衛機制は成熟度に沿ったレベルごとには区分されていない)


レベル1  Psychotic Defenses (Narcissistic Defenses、Primitive Defenses)精神病的防衛(自己愛的、原始的防衛)

 最も原始的な防衛機制であり、発達早期(5歳以前)に優勢な防衛機制である。成人にもDenialは癌などの疾患に関連した通常の防衛機制として認められる場合がある。レベル1の防衛機制はパラノイア、境界型パーソナリティ障害、自己愛パーソナリティ障害などの症状形成に関連する。レベル3の神経症的な防衛機制との対比で精神病的と呼ばれる。境界型パーソナリティ障害の精神病理を説明する上でProjectionやSplittingの概念は重要である。レベル1は無意識のままで処理される。レベル1の防衛機制は通常の精神療法や心理療法では修正困難であり強力な介入が必要となるが、薬物療法や環境調整や人格が成熟していくことによって修正される。

Denial 否認 
 受け入れ難い現実を無かったものとする。いろいろな妄想に関連する。死別反応や末期癌などでも認められることがある。特に薬物依存(アルコール依存症での否認は有名)では否認という防衛機制が強く働いている。否認には現実を否認するだけでなく、自己責任、自己が受けた衝撃、自分が意識していること、否認していることすら否認する場合がある。
Distortion 歪曲 
 現実を都合のいいように歪めて解釈する。幻覚や誇大妄想などと関連する。
Projection(Delusional Projection、Primitive Projection) 投影(妄想的投影、原始的投影)
 受け入れ難い自分の衝動や感情を、他者も同じくそうなのだと知覚する。例えば、自分が嫌いな相手は自分のことも嫌いだと思っていると認識すること。妄想や幻覚と関連する。投影法の心理テスト(ロールシャッハテストなど)で評価するのが良い。
Splitting 分裂 
 自分に対する良いイメージ・悪いイメージを別個のものとして隔離し遮断し蓋をすること。悪いイメージの方はしばしば他者に投影される。
Conversion 転換
 心理的な葛藤を身体に転化させていまう。転換性障害(ヒステリー)によく見られる。どこも異常がないのに立てなくなったり(失立)、見えなくなったり(ヒステリー盲)、喋れなくなったり(失声)、など様々な身体の重度の機能障害として表現される。
Primitive Idealization 原始的理想化
  理想化Idealizationとしてレベル2に扱われることもある。自己と対象が「分裂」している状態で、分裂させた一方を過度に誇大視して「理想化」すること。分裂されたもう一方は「脱価値化」して対処される。「原始的理想化」は、対象の悪い部分を一切認識しないようにしてしまう。
Devaluation 脱価値化
 期待が満たされない対象を理想化せずに直ちに価値のないものとして過小評価すること。他者だけでなく自己においてもなされることがある。
Compartmentalization 分割
 レベル2の解離がさらに原始化したもの。分割された自己は別々の個人として行動する。多重人格障害などに関連する。
Help-rejecting complaining 援助を拒否しながらの訴え
 他者への敵意を隠しならが他者へ助けてほしいと訴え続けること。そして他者からの助けは拒否してしまう。人生における問題が契機になってこの防衛機制が出現することがある。医師はこの防衛機制を持ちながら受診する患者に気を付けねばならない。
Manic defence 躁的防衛
 抑うつポジションにいることは苦痛、不安・抑うつ感、無力さ・後悔に打ちひしがれることになり、抑うつポジションから抜け出し自分を守るための心理機制。不安や抑うつ感などの不快な感情を意識しなくても済むすために、自分は万能であり、相手や出来事をなどといった対象は支配できると思い込んだり、逆に、その対象は価値がないのだと脱価値化をする。現実への否認や回避が伴い躁的防衛が働く場合、有害な結果をもたらすことになる。


レベル2  Immature Defenses  未熟な防衛

 3~15歳の未成年では通常の防衛機制である。未成熟な場合に優位な防衛機制である。成人でもしばしばこの防衛機制が用いられる。不快な現実によって引き起こされる苦痛や不安を軽減する働きがある。これらの防衛機制が現実の中の人間関係や社会と衝突すると深刻な問題を引き起こすことがある。この防衛機制は本人に意識されないことも意識されることもある。この防衛機制は対人関係の変化によって改善することがあるが、その修正には長期間の精神療法や心理療法が必要となる。

Projection(Projective identification) 投影(投影的同一化)
 レベル2に含まれることもある。偏見や嫉妬などに関連する。
Fantasy(Schizoid Fantasy) 空想(統合失調症的空想)
 幻想にふけることで現実の苦痛などから遠ざかる。
Hypochondriasis 心気症
 他者に向けるべきマイナスの感情を自己の健康状態に向けてしまい、自己の健康状態を健康ではない(病気だ)と認識すること。責任や嫌なことを回避する場合にも働く。
Ppassive-Aggressive Behavior 受動・攻撃行動
 これを簡単に説明することは困難である。表面的な受容と攻撃(敵意・不満・反発)がいつもセットになっているような心理機制である。相手への攻撃は直接表現されることはない。この防衛機制はある種の状況下では一見したら適応的に作用することもあるが、根本的な対処としては適切な防衛機制であるとは言えない(虐待や家庭内暴力の被害者など)。他責的傾向や責任転嫁、問題解決・仕事の処理の先延ばしに関係する。親から暴言を浴びせられながら育つと大人になってからこの防衛機制が優位な防衛機制として残ってしまうことがある。受動攻撃性パーソナリティ障害を参考のこと。
Acting Out 行動化 
 無意識の中に抑圧された衝動や願望や葛藤を無意識のままで(社会的な価値判断をすることなく)、社会や相手には受け入れ難い問題行動として表現すること。リストカットや大量服薬、万引きなどの犯罪行為などで表現される。癇癪や子供の大人への反抗なども行動化である。
Dissociation 解離
 解決困難な現実から遠ざかることで自我を守るために、その時のいろんな感情や思考や体験が自我に統合されなくすること。自我が分離したような心理状態となる。そのため、何を考えたか、何を感じたか、何を行動したかといった記憶がなくなる。正常でもあるが(ぼんやりしていたり、など)、病的な場合の解離として解離性障害(ヒステリー)に典型的である。多重人格障害にも関連する。
Blocking 遮断
 感情を意識にあがらないように遮断すること。レベル3においてはInhibitoinとなる。
Introjecion 取り入れ
 他者や対象(現実)と自己を区別せずに他者や対象の特性を自己の内面に取り入れてしまうこと。もはや他者と自分との区別は破壊される。うつ病で認められることがある。集団ヒステリーや感応精神病もこの防衛機制が働いているのだろう。しかし、この防衛機制は適切に機能すればレベル4に区分されることもある。
Idealization 理想化
 無意識のうちに他者が実際に有する以上の価値や資質を有すると認識すること。オウム真理教などの新興宗教に騙されてしまうこともIdealizationであろうか。洗脳までいくと、もはやレベル1の原始的理想化(Primitive Idealization)の状態であろう。
Regression(レベル1に区分されることもある) 退行
 受容し難い脅威や恐怖に晒された時に人格水準が子供のレベルまで低下してしまうこと。退行の多くは無意識になされるが、意識しながら退行がなれることもある。


レベル3  Neurotic Defenses  神経症的防衛

 ストレスへの対処として成人でもよく認められる防衛機制である。神経症では優位な防衛機制となる。レベル3の防衛機制は精神療法や心理療法によく反応して修正される。

Repression 抑圧
 不快な体験(失敗など)、記憶、感情、思考などを無意識の奥に封じ込めてしまうこと。通常は忘れ去られてしまい他者から指摘されてもなかなか思い出せない。レベル3で代表的な防衛機制である。多くの神経症で認められる。
Displacement 置き換え
 要求や感情や思考を本来とは別の対象に向けること。日本語ならば八つ当たりや筋違いということになろうか。強迫神経症の症状にも関連する。
Reaction Formation 反動形成
 外部や内部のストレスに対処するために受け入れ難い衝動や感情や思考などを無意識に閉じ込め、正反対のものに変換されて表現されること。嫌っている相手に笑顔で接するなど。
Intellectualization 知性化
 不快な感情を伴う経験を回避するために思考と感情を分離し、自身の思考を他の知的な言葉などで誤魔化してしまうこと。例えば、劣等感を抱いているために、会話や文章でやたらと難しい言葉やカタカナ言葉をたくさん使い相手を圧倒しようとすることが知性化である。Rationalizationに伴ってこの防衛機制が用いられることもある。
Controlling 操作 
 不安や葛藤を最小化するために過剰に出来事や対象や環境を管理しようとしたり調整しようとすること。何でも仕切りたがる人がいるが、この防衛機制のなせる技かも。
Externalization 外在化、外部化
 自分の内部の心的世界で起こっていることを、外界でも起こっているものと認識すること。自己の衝動、願望、葛藤、感情、思考などが外界に投影されることを指す。レベル1のProjectionよりも一般的な意味で使用される。
Inhibitoin 阻害・禁止
 不安や葛藤や受け入れ難い失敗を避けるために、あえてゴールや目標への意欲を無意識に抑えてしまい、他の形態を受け入れること。Aim Inhibitoin(目標阻害)とも言われる。例えば、プロ野球選手を目標にしていたが、達成できない時の葛藤を回避するために自覚することなく高校野球のコーチになる方を選んでしまう。うまく機能すれば妥協になるのであろうが、臆病なため自己の可能性の芽を自分で摘み取っていることになる。
Isolation 分離
 感情と行動を切り離してしまうこと。例えば、汚物は汚いと思うがIsolationすることで糞便を何とも思わずにオムツを処理する。老人介護などの3Kのような仕事をする上では正常な機能として働くだろう。さらに、意味のない行為だと自分で意識していても分離が働くとその行為を止めることができなくなることがある。これは強迫神経症の強迫行動に関連する。殺人や犯罪を犯かす時などにも見られることがある。
Rationalization 合理化
 満たされない要求や受け入れがたい現実や自身が取った行動(多くは失敗やミス)を歪め形での解釈を加えて理論化して考えて自分を納得させること。日本語ならば屁理屈をこねて言い訳をするということになろうか。
Sexualization 性愛化、性別化
 自己の価値はいろいろなものに由来するのだが、自分の価値を保つために性的で性別的な特徴ばかりを強調すること。別の性を強調することも含まれれば、男なのに女装したり、女のような話し方や態度を売りものにしている芸能人などもこのSexualizationと言えよう。
Withdrawal 離脱、逃避
 自分自身の存在を不快な現実から遠ざけてしまうこと。自宅で引きこもるニートやヒステリーの疾病利得や新型うつ病の職場からの離脱はこの防衛機制が働いているのだろうか。
Somatization 身体化
 不安や葛藤や衝動を意識せずに身体症状として表現すること。身体症状が重度となればレベル1のConversionに変化していくのであろう。
Undoing 打消し
 相手に対して受容し難い行動や思考や感情を表現した後で、不安や罪悪感を感じ、それらをなかったことしたり補うために、全く逆の行動に出たり逆の言葉を発すること。「ごめなさい」と謝ればそれは正常なUndoingである。しかし、謝罪ではない形で行われると、自分の罪悪感や不安な気持ちは打ち消せれるが、相手にとっては矛盾した行為となる。無意識になされることが多く、相手に矛盾したことをしていることに気付かないことがある。強迫神経症などに関連する。
Dissociation 解離
 自分の取った行動の責任を回避し忘れてしまうために、この防衛機制がレベル3として行われることがある。国会答弁の「記憶にございません」がまさしくこの防衛機制となろう(国会答弁はもっと病的なレベル1の否認かもしれないが)。
 なお、レベル4のCompensation、レベル1のSplittingはレベル3として働くことがある。


なお、Perryは以下のように機能別に防衛機制を分類している。この分類も分かり易い分類である。
Action Defences 行動防衛
 Acting Out, Passive-aggression, Hypochondriasis(Help-rejecting complaining)
Major Image-Distorting Defences メジャーなイメージ歪曲防衛
 Splitting, Projective identification, Autistic fantasy
Disavowal Defences 拒否防衛
 Denial(neurotic denial), Projection, Rationalization
Narcissistic or Mainor Image-Distorting Defences 自己愛的またはマイナーなイメージ歪曲防衛
 Devaluation, Omnipotence, Idealization
Other Neurotic Defences 他の神経症的防衛
 Repression, Dissociation, Reaction formation, Displacement
Obsessional Defences 強迫防衛
 Isolation, Intellectualization, Undoing
High Adaptive-Level Defences 高度に適応したレベルの防衛(=レベル4のmature defences)
 Affilation, Altruism, Anticipation(affective rehearsal), Humor, Self-assertion, Self-observation, Sublimation, Suppression

なお、防衛機制を評価する質問紙法による心理テストDefense Style Questionnaire(BondらのDSQ-40, DSQ-81,など)があるが、これは、まだ日本では臨床場面ではほとんど使用されておらず、精神科の臨床場面において防衛機制が評価されることは殆どないのが実情であろう。
(VaillantらはHaanのQ-sort of ego processes statementを改良したものを使用している)

今回はレベル1~レベル3までを簡単に解説したが、レベル1を除き、レベル2やレベル3の防衛機制は薬物療法では修正されない。これらの修正は精神療法や心理療法が必要である。

 一方、これらよりも高次に位置し、サブルーチンであるレベル1~3までの防衛機制を統括するメインルーチンとして機能するのがレベル4の成熟した防衛機制Mature defenses(High Adaptive defences)である。レベル1~3によって苦しめられている個人をデバッグ(修正)し不具合からの解放に導いてくれるのがレベル4の防衛機制なのである。レベル4の成熟した防衛機制を身に付けることができるかどうかが、高度なソフトウエアの集合体である精神という超高次元なプログラムを完成させていく重要な鍵となろう。

(次回に続く)

defece Level 1-3

自己コントロールのためにMature defense mechanismsを強化せよ(その1 神経症という病名をなくした弊害)

DSMが主流となる前は、精神疾患を理解する上で神経症(ノイローゼ)という疾患は最も重要な疾患概念であった。かなり前の話になってしまうが、1990年頃までは外来患者の半数近くは神経症圏内の診断名であったように思う。しかし、アメリカ精神医学のDSMによって神経症という疾患概念は否定され、解離性障害、身体表現性障害、不安障害などの○○障害という病名に解体されてしまい、神経症という病名自体が消えてしまった。なぜアメリカの精神医学が神経症を否定したのかは定かではないが、○○障害という病名にすることで、脳内の神経伝達物質の異常であるという意味を暗に含ませるためだったのかもしれない。そして、神経症という病名が消えてしまったことで、精神科の治療は薬物療法へと大きくシフトしていったように思う。

神経症という概念を消し去った償いであろうか、DSM-3からは防衛機制(defence mechanisms)を第2軸で評価するようになった。しかし、実際の臨床場面で2軸において防衛機制が評価されることは稀であり、今では防衛機制は話題にも登らない。精神医学の中心は、1軸の精神疾患の病名とその診断基準を満たす症状、そして、薬物療法ばかりが話題になっている。心理的なことは殆ど話題にはならない。診断基準がDSMにシフトしてしまった弊害によって、心理的な対応が等閑になっていっているように思えるのであった。

しかし、30年前の精神医学のテキストブックからいろんなことを学んだ精神科医ならば、もし患者が神経症やパーソナリティ障害であるのならば、神経症やパーソナリティ障害の治療は薬物療法は根本的な治療にはならず、心理療法が必要不可欠であると理解していたはずである。神経症やパーソナリティ障害においては、薬物療法も必要にはなろうが、薬物療法はあくまで一時しのぎ的な対症療法に過ぎないという考えが当たり前であった。神経症においては根本的な治療は心理療法であるべきである。しかし今では、かっては神経症やパーソナリティ障害と診断されていたであろうと思われるケースでも、○○障害といった疾患名で診断され、その治療は薬物療法が中心になってしまっている。心因性・性格因性疾患とみなされていた神経症圏内の疾患が、双極性障害や統合失調症といった内因性疾患と同じように扱われているのである。しかし、病名が変わったからといって、治療法までも変えていいのであろうか。心因性・性格因性疾患に心理療法が施されずに、薬物療法しか施されないような対応が、心因性・性格因性疾患の複雑化や遷延化や難治例への移行を招いてしまっているように思えるのであった。
 
そのよい例が境界型パーソナリティ障害である。最近は、紹介されてくる境界型パーソナリティ障害のケースは、1番目に双極性障害(または気分感情障害)、2番目に境界型パーソナリティ障害と書かれているケースが多く、時代の移り変わりを感じる。アメリカでも同様な現象が起きており、双極性障害という診断名は日本以上に増えているようだ。しかしそれは、従来ならば境界型パーソナリティ障害などの他の疾患として診断されていたケースが、双極性障害(双極性スペクトラム障害)と診断されているに過ぎないのだという指摘がある。


30年前ならば、以下の精神疾患の病名(ICD-10のF44、F45以外)は神経症圏内(パーソナリティ障害を含む)と診断されていたことであろう。

特定不能な双極性障害
気分(感情)障害の一部の患者
新型うつ病(双極2型を含む)
遷延性うつ病の一部の患者
適応障害
不安障害
社会不安障害
全般性不安障害
強迫性障害
摂食障害の一部の患者

このようなケースでは、治療の原則は、心理療法>薬物療法で然るべきである。薬物療法>心理療法では真の意味での疾患の克服は成されない。逆にマイナスな結果を招いてしまうことにもなるだろう。

さらに、境界型パーソナリティ障害などの神経症圏内のケースで入院依頼とまでになるケースは、最近では多剤大量処方(polypharmacy)で紹介されてくる場合が多くなっている。診断名は当然、1番目が双極性障害や気分感情障害となっている。その処方の内容は、例えば、非定型抗精神病薬+抗うつ剤(SSRIやNaSSA。2種以上の場合も多い)+抗てんかん薬+マイナートランキライザー+リチウム+眠剤+漢方薬のような処方である。双極性障害への薬剤と、うつ病への薬剤と、神経症への薬剤と、不定愁訴への薬剤などが同時にそのまま上乗せされて処方されているのであった。それだけ患者の訴えが多彩であり、状態が不安定であり、紹介してきた医師はこれまで相当苦慮していたのであろう。多剤大量処方に関しては紹介してきた医師を責めることはできない。患者はいわゆるdifficult patientなのである。しかし、このような状況になれば、多くの薬剤によって脳内の神経伝達システムが現在どのような状況に置かれているかは全く不明である。薬剤が多過ぎて、脳内神経伝達システムが機能不全に陥っており、そのことが逆に病状が安定しない原因になっているということも考えられうるのである。polypharmacy(多剤併用)による心因性疾患の内因性疾患化とでも呼ぶべきであろうか。

(アメリカにおける向精神薬のpolypharmacyの実態調査結果とpolypharmacyへの警告。この論文に対するコメントでは、薬物療法を補う補完療法として心理療法が重要であるという意見が別の医師によって提示されている)

以下は、私が勤務している病院に入院依頼で紹介されきたケースの実際の処方である。

[ケース1] ○歳 女性 
診断名 1 非定型精神病 2 境界型人格障害 
主訴: 不眠、倦怠感、意欲低下、自殺念慮(大量服薬とリストカットの既往)
デパケンR(100)6T 3×ndE
エビリファイ(6)2T 2×朝夕
ソラナックス(0.4)6T 3×ndE
サインバルタ(20)2C 2×朝夕
リボトリール(0.5)2T 2×朝夕
コントミン(50)1T 1×vdS
セロクエル(100)3T 1×vdS
ロヒプノール(2)1T、レボトミン(5)2T 1×vdS
麻子仁丸料6.0g 3×
防風通聖散7.5g 3×
ワイパックス(1)1T 1×イライラ時(毎日3回は内服)
マイスリー(5)2T 1×不眠時(毎日内服)
非定型抗精神病薬2種、抗躁薬(デパケン)、抗うつ剤、抗不安薬2種、漢方薬2種、その他という処方である。

[ケース2] ○歳 女性 
診断名 1 抑うつ状態 2 適応障害 3 摂食障害
主訴: 不眠、抑うつ、不安、拒食・過食の繰り返し、自殺念慮(大量服薬の既往)
サインバルタ(20)2C 1×朝
デジレル(25)4T 1×vdS
リフレックス(15)3T 1×vdS
アモバン(10)1T、デパス(1)1T 1×vdS
アモバン(10)1T 1×不眠時(毎晩内服。アモバン20mgを内服していることになる。)
抗うつ剤が3種併用されている。寝る前に10錠内服しているのだが、患者はそれでも眠れないと訴えて調子が悪すぎるとばかり言うために入院依頼となった。しかし、入院後はナースの観察ではちゃんと眠っていた。さらに、内科、産婦人科、整形外科などからも以下の処方がされていた。他科からもデパスや漢方薬が出ており、あちこちで良くならないと訴えていたようである。なお、甲状腺機能低下症の既往はない。
デパス(1)3T 3×ndE
ロキソニン3T 3×ndE 
リリカ6C 2×朝夕
女性ホルモン剤 2種
甲状腺ホルモン剤(チラージンS)
漢方薬2種
胃薬 、など
 
流れ流れて場末の病院へ入院するにふさわしいような多剤大量処方ではないか。最終漂流地である場末のP科病院にようこそおいで下さいました。まさに場末の病院の役割はdifficult patientへの対応に尽きます。この病院から社会復帰を目指して再出発して頂きます。
こういったケースは入院時に減薬してもいいかの同意を取って入院中に可能な限り減薬していきシンプルな処方にしていくのだが、その後は心理療法を主体とするような対応をしていくことになる。しかし、減薬が完了する前に脱落(退院)してしまう場合も多い。多くの薬剤をちゃんぽんした複雑な薬理作用による思考麻痺や感覚遮断のような状態でないともはや自己の心理を維持できなくなっているように思える。ある種の薬物依存になっていると言えよう。複合薬物依存と呼ぶべきであろうか。1種類の薬剤に対する依存が狭義の意味での薬物依存なのだが、同時に何種類もの薬物を飲み、ちゃんぽんした複雑な薬理作用を求め続けるような薬物依存になっていると思えるのであった。まさにこのような薬理作用は多剤大量処方でしか得られない薬理作用である。

そして、薬物依存のようになってしまった背景には、治療を受けた始めた時からその患者自身が依存的であり、自分は努力しなくても薬を内服するだけで良くなると甘く考えていた可能性がある。患者自身が薬物に最初から依存していたのである。厳しく言い替えれば、自己コントロールを放棄していたのだと言えよう。自分の心理を自己コントロールしてこなかった結末が今の状況を作っているように思える。神経症は薬物治療だけでは絶対に良くならない。神経症においては自分で自分をコントロールし、自分自身の力で良くしていかねばならないのである。


こういったケースは入院中の言動を観察すると、昔ならば神経症と診断されていたケースである。神経症と診断されなくなったことも多剤大量処方を生む原因の1つに思えるのであった。DSMが神経症という病名を消し去った罪は大きい。

最近、多剤大量処方を断薬するだけで精神疾患は改善する、すなわち、薬物が悪化させているだけであり、断薬するだけで精神疾患は良くなるといった宣伝をしている精神科の開業医が出てきている。これには私も驚いた。医師限定の掲示板にはその危険性を指摘する意見で溢れている。心因性疾患である神経症ならば薬をゼロにしても良いだろうが、内因性疾患である統合失調症や躁うつ病(30年前の概念の躁うつ病)での断薬は危険である。悪化や再発のリスクが回避できなくなる。内因性疾患ではシンプルな処方への減薬までしかできない。しかし、疾患に関係なく断薬すべしというのである。しかも、断薬する条件が、そのクリニックを開設した医師が書いた本を何冊か読んでから受診に来いというのだから、開いた口が塞がらない(単に本を売るためだけかと思える)。このクリニックではpolypharmacyとなっている患者の本来の病名や病状をどう区別しているのであろうか。(なお、polypharmacyをいったんリセットするような目的で断薬し薬物を再調整すべしという論文も確かにある。断薬することにもそれなりの意味はある。これについては別の機会に触れてみたい。)

しかも、断薬した後はいったいどのような対応やアドバイスをしているのかも疑問である。完全な断薬にまで至るのは神経症圏内の場合だけであろう。そして、神経症で重要なことは心理への対応である。断薬後には心理への対応が絶対に必要となるのである。しかし、その医師は断薬した後の心理への対応には全く関心がないのか、その必要性も理解できていないのか、断薬後に心理療法(カウンセリングや認知行動療法)をクリニックで継続して行うといったことはホームページには一切書かれてはいない。断薬が完了したらクリニックは卒業と考えてくださいと書かれてある。断薬するだけで終わりなのであった。断薬が主な任務である薬物依存病棟やアルコール病棟などでは、断薬後の心理への対応をいかに重視しているかを知らないようだ。さらに、精神科では患者様との長い付き合いを大切にすることが重要なのだが、それすら否定してしまっている。こういったクリニックは非常に無責任なクリニックのように思わざるを得ない。

(;゚Д゚)

神経症の心理療法としては、かってはフロイトが創設した精神分析療法が中心であり、精神分析療法は標準型と簡易型に区分されていた。しかし、精神分析療法の手技のマスターはハードルが高く、一部の精神科医しか精神分析医として認定されなかったため、結果的に廃れてしまったようである。以前は、お抱えの精神分析医を持っていることが社会的ステータスの高さのシンボルになっていた時代もあった程である。それが今では完全に廃れてしまい、薬物療法が精神科の治療の中心となってしまった。心理療法は何とか生き残り、精神分析療法から認知行動療法にシフトしたようではあるが、認知行動療法も精神分析療法と同じくらい回数と時間がかかる手法であり、これ以上普及していくかは疑問である。

ちなみに、厚生労働省が示した「うつ病の認知療法・認知行動療法、治療者用マニュアル」は↓のURLに掲載されている。日本ではこの厚生労働省が示したやり方で認知行動療法をやっていかないと保険請求ができない。当然医師が実施しなければならない。しかし、あまりにも手間がかかる手法である。1人に30分以上の時間が必要となろう。1日に40名以上を診ないといけないような患者数が多い精神科や心療内科クリニックではまず不可能であろう。

そして、日本の医療行政も心理への対応には消極的である。臨床心理士は正式な国家資格ではない。20年も前から国家資格化が求められていたのだが未だに実現していない。臨床心理士の正式な国家資格化と、臨床心理士が行う認知行動療法の医療保険での請求が可能になることが望まれる。精神科医は認知行動療法の理論を理解していても忙しくて認知行動療法を行うような時間の余裕がないのだ。今のままでは認知行動療法が普及することはないだろう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%A8%E5%BA%8A%E5%BF%83%E7%90%86%E5%A3%AB 

では、認知行動療法や精神分析分析療法が受けれない場合はどうすればいいのだろうか。そう、自分でやっていくしかない。自己コントロールを行うのである。

我々精神科医は、患者の異常な部分ばかりに眼が行きがちである。健常な部分には殆ど関心が向かない。しかし、病的な部分の一方では健常な部分も患者には多く残っているのである。もし、その健常な部分にもっと働きかけていければ、薬物ばかりに頼ることなく病状の改善がなされ、より早くより確実に回復していくのではなかろうか。その一つが健常な防衛機制に働きかけていく方法である。この方法は自己コントロールの一つである。

Vaillantらが唱えた健常な成熟した防衛機制mature defence mechanismsを強化していくというやり方は、残念ながら日本ではあまり知られてはおらず、普及はしていないようだ(30年以上も前から提唱されてはいたのだが)。


認知行動療法が認知の歪みという異常な部分にターゲットを絞って対応していくのに対し、健常な防衛機制を強化するという方法は健常な部分にターゲットを絞ってアプローチしていくポジティブな方法(positive psychology)だと言えよう。(なお、positive psychologyとしては、他にも、マズローの自己実現理論、フランクルのロゴ・セラピー、マーティン・セリグマンのセルフ・ヘルプ自助、PERMA、 MAPPプログラムなどがあるが今回は省略する。)

今回は、心理療法の基礎となる概念の一つである防衛機制、特に、社会で適応し十分に機能していく上で重要となるMature Defence Mechanisum(成熟した防衛機制)について触れ、それを自分自身で強化していくことの大切さについて述べてみたいと思う。認知行動療法を受けなくても、防衛機制を患者自身が理解し、自分自身の防衛機制を意識して成熟した防衛機制に変えていけば、自分自身の力で自分自身の心理状態を安定した状態にコントロールし、薬物に頼らずに済むようになり(最低限度の薬物療法は必要であろうが)、社会人として十分に機能していける可能性があると私は思うからである。(私は30年ほど前の研修医の頃にVaillantの論文に出会い、この考え方を臨床に取り入れてきたが、必ず効果はあるように思える。)

防衛機制はフロイトの神経症理論から発展した心の理論の重要なメカニズムであり、精神分析療法においては防衛機制は深層心理を理解してコントロールするための重要な鍵となる。しかし、他者である精神科医が行う精神分析療法では、プライバシーが暴かれ恥ずかしい思いをすることが多々ある。これからはMature defense mechanismsを自分で強化していくといった自己コントロール法も普及していってほしいと願う。自己コントロールならばプライバシーが他者に暴かれることはなく恥ずかしい思いをすることもない。心理療法は他者である医師や臨床心理士が施すものだけではなく、自分で行う心理療法もあって良いはずである。

(以下、次回に続く。)


GEVaillant

双極性障害の予後は自己管理で決まる

双極性障害の予後を決めるのは薬物療法だけではない。自己管理をいかにしていくかが重要なのだという論文があったので紹介する。自己管理は双極性障害だけでなく他の精神疾患や2型糖尿病などの生活習慣病にも重要なことであろう。(なお、疾患とは関係なく、有能なビジネスマンほど皆、様々なツールを用いて自己管理をしているようです。)

我々、精神科医は薬物を処方するだけではダメだと思います。どのような生活をしていくべきかを患者様に提示できなければならないのは言うまでもありません。しかし、いざ、具体的にアドバイスをしようとなると、根拠となるようなエビデンスや論文を知らないため、常識的なことを言ってごまかしてお茶を濁しているのであった。これではいけない。もっと勉強せねば(汗;)。

双極性障害の人々へ何が役に立つのか?双極性障害の達人からの助言
「What works for people with bipolar disorder? Tips from the experts」
http://video.med.ubc.ca/videos/osot/faculty/ms/What_Works_for_People_with_Bipolar_Disorder.pdf

双極性障害BDの社会的に機能していくマネージネントの方法はあまり研究されていないらしい。そこで、この論文の著者らは、より良き自己管理を研究することにした。自己管理が大切だとは言われているが、具体的にはどうしたらいいのかということが曖昧なままになっている。そこで双極性障害の症状ではなくて、いろんな機能を評価するスケールであるMSIF(Multidimensional Scale of Independent Functioning)を用いて双極性障害をうまくコントロールしている人のやり方を評価していくことにした。製薬会社の提示するデータはYMRSやHAM-Dといった症状の変化しか提示しない。しかし、もっと大事なことがあるのだ。それは社会でちゃんと機能しているかということなんだ。いくら症状が良くなっても、社会で機能せずに孤立して苦しんでいるのでは意味がないではないか。これからの治験ではMSIFの変化も調べて我々に提示してフィードバックしてほしいと言いたい。

MSIFは点数が低いほど高く機能していることになる。MSIFが3点未満をhigh functioningとした。そこで高く機能していると思われる双極性障害の患者を調べた(32名。双極1型25名、2型7名。女20名、男12名。平均年齢41.1歳)。その結果、BDの健康(wellness)を維持する戦略となる因子としては、(1)睡眠、休息、運動、食事 (2)モニターをし続けること (3)プランを制定すること (4)内省して瞑想すること (5)双極性障害を理解して双極性障害の他者を教育できるようになれること (6)他者と繋がっていることが浮かび上がってきた。(1)~(6)を実践していけばBDという疾患を克服できるようになり未来に希望が持てるはずだと著者は力説している。

以前はBDの自己管理についてはラッセル博士とブラウン博士の論文くらいしかなかった。
Russell, S.J., Browne, J.L., 2005. 「Staying well with bipolar disorder.」 Australian and New Zealand Journal of Psychiatry 39 (3), 187-193.

その論文に述べられていたことは、(1)診断を受け入れること (2)心を満たすこと (3)BPについての教育を受けること (4)症状を悪化させるトリガーを同定し認識すること (5)睡眠とストレスのマネージネント (6)ライフスタイルを変えていくこと (7)治療 (8)サポート制度の利用 (9)より良くやっていくためのプランの発展、があげられていた。

さらに、近年、Miklowitz博士らは、6つの因子を同定した。
Miklowitz, D.J., 2008 「Adjunctive Psychotherapy for Bipolar Disorder: State of the Evidence.」 American Journal of Psychiatry 165 (11), 1408-1419
(1) 投薬へのアドヒアランス (2)疾患への知識を得る (3)規則的な睡眠と覚醒のサイクル (4)機能不全となるような態度をやめる (5)家族とのコニュニケーション (6)早い段階での症状悪化の認識である。
(注: 指示されたことに忠実に従うということより、患者が主体となって、『自分自身の医療に自分で責任を持って治療法を守る』という考え方がアドヒランスである。患者自身が病態を理解し、治療の必要性を感じて、積極的に取り組むのがアドヒアランスである。医師の指示に従うだけでなく、医師任せにしないで、自分でも疾患をコントロールしていこうと積極的に取り組むことが大事なんだ。 http://cyberkidsclinic.blog51.fc2.com/blog-entry-225.html。)

疾患を克服して社会的に機能した希望に満ちた日々を送らないと意味がない。そのような社会的に十分に機能した日々を送っているBDの患者様の具体的な生活内容は、以下の通りだった。

(1)睡眠、休息、運動、食事 
睡眠は皆、規則的でした。合計8~9時間も睡眠しています。夜更かしはしません。数人は昼寝を習慣にしているとのことでした。しかし、昼寝とかじゃなくて覚醒しながらの休息が大事だと強調した患者もいます。横になったり、TVを見ながら休息を取っているとのことです。運動は軽めの運動を規則的にするのが良いでしょう。太極拳、ヨガ、エクササイズ、ウォーキング、スノーボード、水泳とかやってます。ダンス教室に通ったり、ヨガの教室にも通ってます。ダウンタウンでホワイトカラーとして働いているとフィットネスクラブにも通いやすいですね。海岸をウォーキングするのが一番の治療ですわと言った年配の患者様もいました。若い患者はアウトドアスポーツを計画して行ってます。若いBDの患者様は、マウンティンバイクをやってます。週に5日、1回2時間。これをやっていると本当に僕の助けになるんだとか。

MSIFが良い患者は皆、食事や栄養には気を使ってます。規則的にヘルシーなものを食事しています。ビタミン剤のサプリメントも飲んでます。サプリメントの中でも、ω3脂肪酸、葉酸、メラトニンは神経保護作用があると言われています。特にω3脂肪酸は重要でしょう。食事をコントロールすることがバランス感覚を培い、BDという疾患もコントロールできているんだという自信に導いてくれます。食事のコントロールが気分のコントロールに結びつきます。食べ過ぎていたら、逆に、食べてなかったら、BDを克服して良くやれているとは実感が持てないようです。食事は大事な自己管理なんです。カフェインや砂糖を取りすぎたら気分が変わるとすぐに自覚できるようにまでなっている患者様もおられます。当然アルコールも控えないとねいけません。できれば禁酒がベストでしょう。飲料水の飲みすぎもダメですね。マリファナや脱法ハーブなんて絶対にダメです。

(注:なお、食事と関係していることで、リチウムを内服中の塩分摂取があります。リチウム内服中は、低Na血症には注意しましょう。低Naだとリチウムの濃度がいっきに上がることがあります。これは危険です。リチウム内服中は塩分を控えめにはしない方がいいかと思います。逆に塩分を取り過ぎるとリチウムの濃度は上がりません。リチウムの濃度が上がり過ぎない方が精神科医としては安心はできるのですが、濃度が低いのも再発のリスクなどが心配になります。良い濃度に保つことは意外と難しいんですよ。これまでの印象では0.6~0.8の間が理想でしょうか。まあ、デパケンやラミクタールも併用している時は0.4でもいいかなと思うこともあります。血中濃度を一定に保つためにも、規則正しい食事が大切ですね。)

(2)モニターをし続けること
気分や活動性の変化を自分で注意してモニターしていくことは、強いモチベーションを持つことになり、wellnessは自分の責任なんだと理解できることになります。危険なサインは自分で気が付かないと意味がないんだと分かります。自身の状態をモニターしていくことはいつも突然起こる変化への用心なんだよ。記録し続けていくことで心も満たされるんだと言った患者様もいます。モニターすることが過労も避けてくれます。もし、過労ぎみだと分かれば、約束はキャンセルしたっていいのです。睡眠をモニターして、もし、必要ならば睡眠剤を使ってもいいのです。モニターに変化があれば早めに医師に相談するのがいいでしょう。

配偶者やパートナーがしてくれるモニターも役に立ちます。躁やうつへの変化の警告のサインにいち早く気づいてくれるのは配偶者かもしれません。奥様と一緒に来る患者様って、さすがに安定しています。夫婦仲を保つ意味でも重要です。モニターしてくれるって、それだけ愛されているんですよ。うっとうしいと思ったらあきまへん。奥様が、この人、最近ちょっと・・・と言い始めたら医師は奥様の話に耳を傾けるべきでしょう。再発の兆候に気づいたのかもしれません。

最近は、ネットに書き込む人も増えてますね。ブログでモニターしたことを書き込んでいく。BDの患者様同士がネットでつながり情報を提供し合い支え合うことにもなるでしょう。

なお、他の論文で、うつ症状の防止が社会機能を維持していく上で大切だという論文がありました。この↓の論文には、アストラ・ゼネカ(→セロクエル)やグラクソ・スミス・クライン(→ラミクタール。うつ病相の予防にはラミクタールが良いのだと国内でも治験中。)の資金提供を受けているドクターも入ってますが(汗;)。初回の躁病相の6ヶ月後のMSIFの変化を調べたところ、躁病相が寛解に達していないということ以外にも、6ヶ月後におけるうつ症状の程度がMSIFのスコアに相関していたとのことです。うつ症状が社会機能の回復を阻害してしまうようです。自己の症状をモニターしていく上で、うつに入っていないかを自分でモニターすることも重要でしょう。なお、この↓の論文では、薬物治療、入院したかどうか、躁病相の長さ、躁病相における精神病様症状の有無、不安の有無、自殺企図の有無に関しては、躁病相6か月後の社会機能との相関はなかったようです。入院しない方がいいに決まっていますが、入院したからといって社会的な機能は落ちませんからご安心を。

(3)プランを設定すること
プランにもいろいろあるようでして、日課表のようなスケジュール管理としてのプランから、再発した時の緊急時のプランなどがあります。特に再発しかけた時に自分を援助してくれる人物をリストアップして連絡先をプランの中に明記しておきましょう。プランは何かの際の迷った時の意思決定に役立ちます。このプランの設定で有名なものとしてWellness Recovery Action Plan (WRAP)というものがあります。↓にHPなどのURLを提示しておきましたのでご参照ください。緊急時のプランはお守りみたいなものさ。しっかり自己管理しているから、一度も使ったことがないよ。と言った患者様がいたとのことです。近い将来、スマートフォンのアプリにWRAPのアプリが登場するかもしれません。
(WRAPのHP。)

(4)内省して瞑想すること 
太極拳やヨガ、そして瞑想は気分の安定につながります。日本人ならば座禅でしょうか。日記やブログを書くこともいいです。モニターの役割にもなります。日記を書くことが内省につながります。落ちこんだ時に、日記を書き、それを読み直してみると、これ以上悪いことは起きるまいと思うことができて、マイナス思考から抜け出し、解決策が見い出せるのですと述べた患者様もいます。マイナス思考から抜け出すこと。これは認知行動療法が目指すゴールでもあります。絵を描くこともいいでしょう。なお、瞑想は神経保護作用があり、さらに、神経新生を促し、加齢による脳容積の減少を防ぐだけでなく、灰白質の密度や容積を増やす効果があるという論文もあります(これについては、別の機会に触れてみたいと思います。)。なお、瞑想の仕方については専門の本を読んでください。

この瞑想に関連してマインドフルネスmindfulnessという心理的な事象も精神を安定に導く手段として注目されてきています。マインドフルネスはワーキングメモリの容量を改善するとも言われています。マインドフルネスは瞑想だけでなく、呼吸、音楽を聴いたり、家を掃除したり、着替えをするなども瞑想以外の行動も含まれます。呼吸と言えば以前に流行した自律訓練法を思い出します。自律訓練法は今ではすたれてしまいましたが、マインドフルネスの一つとして受け継がれたようです。マインドフルネスの自身の思考や感情を価値判断せずにあるがままに受け入れるということは、森田療法にも通じるものがあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%82%B9%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E7%99%82%E6%B3%95

(5)双極性障害を理解して他者に情報提供できるようになれること 
本、新聞、インターネットなどで勉強してBDへの知識を得て理解を深めてください。BDに関する体験談を読むことも自助に役立つの1つの手段となります。体験談を読むことで様々なBDへの対処法があるのだと分かります。最近はネットのブログでBDの体験談を綴る患者様も増えています。そういったものに目を通すのもいいでしょう。BDのグループ活動に参加するのも良いでしょう。ミーティングへの参加も役に立ちます。いろんな体験を分かち合えます。こういった場で他のBDの方へ自分が理解したことや新しく得た知識をどんどん情報提供していってください。さらに自分が学んだことを家族や友人と分かち合ってください。あなたがより健常でいるためにいろいろとサポートしてくれる良き理解者となってくれることでしょう。

(6)他者と繋がっていること
自己管理は家族や友人や社会と繋がっていないと機能しません。友人達と会い、自分が今どうしているかコーヒーを飲みながら話したことは私にとって病相から回復する上で重要なことだったと述べた患者様もいました。特にいろんなサポートグループと繋がっておくことは重要でしょう。医療スタッフとの繋がりが重要なことは当然ですが、ボランティア活動に参加することによる地域社会との繋がりは大切です。孤立感や孤独感に陥らないためにも地域社会との繋がりは重要です。孤立感や孤独感を抱えていればうつへと向かってしまうでしょう。ボランティア活動で他者を助けることで自分も助けられることになり生活のバランスが保たれると述べた患者様もいます。日本では自治会や町内会といったところとの繋がりも大切でしょうか。都会ではそういった地域と繋がりを保つような古き良きシステムは形骸化してしまいましたが。
(おわり)

(1)~(6)までの項目は常識で考えてもそうだなと分かるようなことばかりではありますが、それらを意識して実践している患者様は少ないかもしれません。医師も患者も薬にばかり頼っていないか、もう一度見つめ直す必要があるかもしれません。自己管理は薬物療法以上に予後を左右するかもしれません。それに、瞑想やヨガなどは医療機関では指導することも治療に取り入れることも不可能です。自分で、瞑想の本を読んだり、ヨガの先生に教えてもらうことをお勧めします。

最後に、きついことを言わせてもらいますが、自己管理で一番大切なことは三日坊主で終わらないことかと思います(汗;)


自己管理



 
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