新生・厨川中(校舎落成式典・祝賀会)
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苦難を経て、母校厨川中学校新校舎が完成し、9月29日に落成式典・祝賀会が開催された。
私なりに、若干の経過報告を改めて致します。
1 計画に至るまで
①平成21年図らずも母校のPTA会長に就任。その前に盛岡市の耐震診断の第一次結果が公表され、懸念を抱いた中でPTA会長に予定外に就任したことから、最大の課題として調査を開始。
②第二次診断結果については、どう推計しても厳しいものが出る、と認識。
宮城県沖大地震の発生確率も気象庁から公表されていたことから、要望を地域と一体で行うことにして、要望書を提出した。(当時、次の宮城県沖地震が発生する確率は2009年(平成21年)1月1日から10年以内に、70%程度、20年以内には90%程度以上、30年以内には99%とされていた)
③リーマンショックによる政府の景気対策予算が校舎改築予算の裏付けになる、と判断した。
(政府の経済危機対策等で示された「地域活性化・公共投資臨時交付金」及び「地域活性化・経済危機対策臨時交付金」などの諸施策と制度は、厨川中学校の耐震化等を進める千載一遇の機会であると存じます。・要望書抜粋)
④第二次診断結果はIs値最低が0.077
一桁も低い数値となり、全面改築の計画が決定された。
2 設計開始
諸般の事情で体育館、プールは残すことになった。合わせて、市、学校、PTAなどで「改築協議会」をつくり、ワークショップ方式をとることになった。(15回開催)
3 工事着手。しかし・・・
順調な滑り出しだった。私は当時完全に安心していました。しかし、くい打ち段階でトラブル発生。工事が中断。設計変更となった。仕方ない、というのが率直な感想。
4 東日本大震災発生
①校舎は座屈。学習棟は立ち入り禁止に。勿論、新築工事も完全ストップ。
卒業式は青山小学校体育館。 私も震災対応のさなかの出席で防災服着用して出席、挨拶、中座したこともあった。
紆余曲折をへて、新年度は止む無く3校分離でスタートした。
将に紆余曲折だった。様々な案が出され、消防法の解釈で施設利用形態の決まらない日々。怒号も飛び交った。
② 3年生が利用する校舎管理棟を改修することになった。
トイレは?水飲み場は? 課題が山積。 遅々として進まない。 最終的には、仮設トイレをユニセフ予算で対処した。
③ 頑張る厨中生
7月 地区懇談会。各地の生徒が、重い口を開きだした。 水道はお湯しか出ない・・・。 教室は40度近い(扇風機の不備、工事で窓を閉めていた)・・。
雨が降ると、臨時昇降口は長蛇の列・・・。遠慮気味に話し出した。被災地はもつと大変だから・・。 更に盛岡市に緊急要望。しかし、改築までだから・・・、と遅々として課題は解決に向かわず、少しづづの漸進だった。
④工期の延長通告
ある日の改築協議会
議題は、校舎の色、と工期の延長。24年度も三校分離との見込みが示された。校舎の色の話は吹っ飛んだ。最も緊迫した会議だった。
時間の都合で、つづくと致します。
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