第2回:「宮脇理論の矛盾」について
宮脇理論批判2
ひろし@小南部(2012/10/3)
宮脇流植樹の結果を見て欲しい。
宮脇方式植樹が未だに行われている。ある程度の結果が残っている樹林もあるが、場所柄
に相応しくない状態に陥っているものが多い。
比較的年数の経たイオンの宮脇式植樹ではイオン下田ショッピングセンターの一部、ある
程度大面積の部分で、それらしい風情になっている場合もあるが、多くは「あの鳴り物入
りのボランティアを募っての植樹祭の結果がこれか」とあきれるばかりのみすぼらしい樹
林や藪が残っているだけというものが多い。イオン柏ショッピングセンターはただのケヤ
キ林になってしまった、八戸市のマックスバリュの藪は数年間ゴミの不法投棄場所になっ
てしまっていた。費用対効果、掛ける手間に対しての見返りという意味では本当にばかば
かしい結果でしかない。
なぜ宮脇流がもてはやされるのか?
それなのになぜ信者の方々は宮脇氏を賛美し続けるのだろう。例は悪いが私にはオウム真
理教事件を想起せずにはいられない。オウム真理教の信者には、特に幹部には高学歴のも
のが多かった。あれほど知識を詰め込んだ人々が、あの麻原教祖にころっと騙されるのだ
から、麻原のカルトと違い、学術的な裏づけをもつ(ように見える)宮脇理論はより多く
の人々を信じ込ませることができるのは当然のことであろう。イオンはじめ新日鉄、山田
養蜂場など宮脇式植樹の信奉者は多い。
宮脇イズムは学術的とは言えない。
宮脇イズムの基礎には全国くまなく実地調査して得たという植生データから、「潜在的な
植生はこうであるはずだ」という仮説を導き出したことにある。これは仮説ではあるけれ
ども、実験による反証などできない世界での仮説である。「光速を越えたニュートリノ」
は実験においての設備の不備を指摘され敢え無く否定されたが、潜在植生理論をその理論
の土俵の中で否定することは現実的に不可能である。その理由は、「実証のために時間が
かかりすぎる」から、あるいは「もう一つの地球で実験してみる」わけに行かないから、
となるが、ここでその理論の中の条件の罠にはまらずに考えてみて欲しい。
「この日本で人間の干渉の無い自然などあり得ないのに、人間の干渉が無ければこうだっ
た」などという話しは最早既に「学問の世界」ではない「絵空事」になってしまっている
事実。宮脇氏のいう潜在自然植生なるものは、あたかも学問の延長を装った絵空事である
ことに私たちは気づかねばならない。
宮脇イズムは実証不可能な宗教に近い。
仮想歴史小説や一部のSF小説のように「もしも、の世界」と同じで、現実の歴史や経験
則が否定したことを「れば、たら、の前提をつけて想像して楽しむ」ことと大差ない。
小説の世界では平行世界だとかイフの世界だとかはエンターテインメントとして広く許容
されているがこれが小説のような娯楽作品であれば、誰でもすぐに「現実にはないこと」
と分かろうというものだが、学問上の仮説となると、「明らかな反証無しには否定できな
い」と考えてしまうのが世間一般の方々の反応だろう。けれども学問の世界では「もしも」
を許容するほうがおかしいだろう。前述したように明らかな反証は、困難であるから、否
定もされずにいまだにまかり通っているわけであるが、前提が「もしも」の世界なのであ
るから実際上「肯定のしようも否定のしようも不可能な事」なのである。
実証不可能なことを、こうである、と決め付けるのは宗教と同じ、信じるか信じないかの
世界であるので宮脇理論は「宗教」ではあっても「学問である」とは少なくともわたしに
は「認めがたい」。
しかし世の中には「神学」というものもあるし、「形而上学」という実証できないことを
議論する学問もあるようなので、宮脇理論はそのレベルであると主張される方も中にはい
らっしゃるかもしれないが、そのような方には以下の文を読んでいただいてご理解いただ
きたいと思う。
極相林は遷移途上の森林より優れているのか?
宮脇氏のいう「極相林」が優れているというのも、すぐに否定も肯定もできることでもな
いが、それでは遷移の止められた「二次林」や遷移途上の樹林が劣っているというのはな
ぜだろう。理由の説明はなされているであろうか?宮脇氏によれば「人手の介入を前提と
した植相は認められない」のだそうだが、何故その独断がなされるかについて学術的検証
も説明も無い。実際問題として優劣の問題ではなく個人の価値観、いわば好き嫌いの問題
なので検証など不可能である。
遷移途上の、あるいは人為で遷移が止められた二次林がニセモノならば、遷移の結果成立
する極相林もホンモノであるはずはないだろうに。逆に私なら、遷移のプロセスに欠かせ
ない樹種は極相林の構成樹種よりむしろ大事ではないかと言いたいくらいだ。遷移を時間
軸で捉えたときに適地適木という概念のほかに「適時適木」という概念もあって良いので
はないかと思うくらい。
遷移途上の森林はニセモノか?
そんな遷移する自然をなぜ宮脇氏はニセモノと決め付けて否定するのか?この疑問に対す
る明確な答えはない。なぜ極相林という結論だけを急ぐのか?自然にとって時間とともに
変化する遷ろう自然のほうこそ大切ではないか?遷移のプロセスのいろいろな場面があっ
てこそ、生物多様性が実現可能であることにもご留意いただきたい。
しかし宮脇氏は「潜在自然植生」理論や「極相至上主義」を、反証が無いことをいいこと
にそれを金科玉条のものとして振り回している。それに逆らうとすぐ「ニセモノ」呼ばわ
りである。「俺様がホンモノだ」というアピールをし続けているための「ホンモノ」「ニ
セモノ」であり、生物として植生を構成する植物自体や植物相にニセモノなどあるわけが
無いのに。
なぜ宮脇流が蔓延るのか?
残念ながらこのような独断的な主張を否定もできずにのさばらせておくだけの背景が、日
本には厳然としてある。まず、ほとんどの日本人が「自然」を知らない。嘆かわしいこと
に高学歴の人ほど自然を知らない。なぜなら自然科学はエリートの受検科目ではないから。
中でも生物学、植物学、菌類学、地学などは金にならない学問であるから。それにもかか
わらずそれらの方々には観念的に「自然」に対する強い憧れがあり、「人の手の触れない
大自然」が尊いのだという思い込みがある。だから宮脇氏の主張する「自然度の高い潜在
自然植生」なるものが優れているのだとつい思ってしまう。だからあるべき極相林は二次
林より「自然度の高さで優れている」とすぐに信じてしまう。また「自然保護」とは「人
間をシャットアウトすることだ」と短絡さえしてしまう。
明治維新の西欧文明至上主義がもたらしたドイツ林学
そしてまた悪いことに、日本の林学はドイツからもたらされたものであったということも
かなりの影響があるだろう。日本とドイツでは気象条件が違うのにドイツ流が「進んでい
て正しい」とされた。宮脇氏自身ドイツで林学の基礎を学んだ筈である。
ドイツと日本では植物の生育環境に雲泥の差
日本とドイツとの気象条件が違うなかでもっとも林相に影響のあるものは降水量である。
ベルリンの年間降水量590mmに対して日本は乾期(冬)のある東京でも年間1,400mmで
ある。冬豪雪のある新潟県長岡では2,300mmに達する。青森市は降雪量はあるものの台風
の影響が少ないなどで年間1,300mm程度ではあるが、日本はドイツと比べると圧倒的に降
水量が多いのだ。これだけ水に恵まれた温帯中緯度の国は世界中を見回しても日本だけで
ある。それともうひとつ、忘れてならないのは土壌である。ヨーロッパはもともとジュラ
紀に形成された石灰岩地帯が多い。加えてアルプスを源流とする川の水質もカルシウムイ
オンの多い硬水である。ご存知のように石灰岩地帯の土壌、カルシウムイオンの多い水は
アルカリ性で、草木にとって成長の基となる窒素肥料の効きが悪く、ヨーロッパではアル
カリ性にある程度耐性のあるものではないとまともに育たない。日本では国土のほんの一
部だけに石灰岩、蛇紋岩によるアルカリ土壌が存在するが、ほとんどは火山性の酸性〜弱
酸性の土壌で、有機質に富むだけでなく、雨中にふくまれる少量の硝酸性窒素の肥効が非
常に高い。この肥料まじりの豊富な雨と肥沃な土壌のために日本では裸地はあっという間
に草地となり、藪となり、パイオニア樹種が成長し、森林への遷移が進む、というわけで
日本とヨーロッパとは植物の生育環境が全く違うということもご認識いただきたい。
江戸期に置ける日本の植樹
水と土壌に恵まれた日本では山地に植樹、植林された記録はあまり無いにも関わらず、樹
木植生の無い土地は、放牧などの用途や石灰岩地帯など地質に原因がある場合を除けばま
ず見られないといって良い。藩政時代の植樹は、特別な用途に供される有用樹や果樹、例
えば漆や蝋を取るためのウルシや家具材、下駄材用のキリ、保存食としてのウメ、果樹と
してキシュウミカンやナシなどの造林は藩政期に盛んに行われた。他は住宅周囲の防風林
(屋敷林)や防砂林、またエネルギー源である薪炭のための、コナラやクヌギが耕地周辺
に植えられた。コナラやクヌギは一度植えればあとは定期の伐採後、伐根からの萌芽によ
り自然に回復するので継続性のあるエネルギー源として最も重要なもののひとつであった
と言える。
山地における造林の記録は、能登半島、佐渡におけるアテ(ヒバの現地呼称)林業と京都の
北山杉くらいではないか?
木曾五木などの有用樹などといわれても、もともと自然林のスギやヒノキなどを止め山と
して「自然林を守る」だけで森林が維持されたと考えて良いのではないか。
北日本のブナは実は代償植生?
ヒバの場合、能登半島や佐渡では植樹されたのに本来の地域(北東北山地全域)ではあま
り守られずに伐採され続けてしまい今では自然林は津軽半島、下北半島、檜山半島に残っ
ているだけになってしまっている。北東北では一般には極相とされるブナが実はヒバの穴
埋めをしたのでは(きらいな言葉であるが代償植生とも)ないかとも考えられる。また関
東地方には低地にもっとモミが多かったが江戸の大火の度に切られて減ってしまい、陽樹
であるケヤキやコナラなどの雑木林となっていわゆる里山が増えたのだという研究もある。
白神は今では原生林と誤解されるほど。
日本の気候条件と肥沃な土壌の下では、伐り放しでも林相は変化するにしても森林は維持
されるというのが真相であり、ドイツとは違う世界なのだということをご理解いただきた
い。
現実に日本では、江戸期に形成された武蔵野の雑木林は20年〜30年スパンで伐採され薪炭
としてエネルギー源となり続けていた。白神のブナでさえ江戸期には伐採されて薪炭とな
っていたのに今では原生林と誤解を招くほどの世界自然遺産だ。藩政期の日本人は森林を
巧みに利用、かつ維持していたという事実なのだが、これは日本の気象条件と豊かな土壌
の賜物でもある。
かつての牧野もいまは森林
明治期以降、終戦後にかけても、かつて牧野だった階上岳では、植林されなかった部分も
今ではほとんど森林に覆われている。階上岳北麓の畑地やゴルフ場のところどころに見ら
れる赤松の古木の年齢を見ればよい。アカマツの年齢、およそ150〜200年前そこには樹木
の無い牧野であったことが分かる。アカマツは放牧地に最初に生えた樹種である。ほって
おいても樹林が復活するということは、言葉を変えれば、草原は人手が入らなければ草原
を維持できないということでもある。「日本の草原は、海岸や高地の一部を除けば、すべ
て放牧・野焼き等何らかの人手が入っている」ことを銘記いただきたい。
日本ではほっておいても適地適木で森林になっている。
岩手県の平庭岳麓、折爪岳や七時雨なども牧野から森林に戻っているが標高の比較的高い
場所でのパイオニア樹種は70年生くらいと思えるシラカバ(平庭高原)やダケカンバ
(七時雨、折爪岳など)である。また蔦温泉から谷地温泉への国道沿いの樹齢の揃ったブ
ナ林も伐採後自然に回復したブナ林である。植樹しなくても日本の自然条件のもとでは樹
林は形成できるのだ。
藩政期の杣夫たちはそれを分かっていたのだろうろうと思う。
ドイツではミズナラ近縁種とドイツトウヒが植えられた。
対してドイツでは伐ったら植えなければ森林は無くなる一方だった。ドイツではオウシュ
ウブナFagus sylvaticaをほとんど伐りつくし、あの黒森も維持し続けるためには伐採する
たびに植林をし続けなければならなかった。だからこそ林学が盛んになったのだろうこと
は想像に難くない。
昔ユーロ導入前のドイツやフランスの硬貨にはオウシュウナラQuercus roburの枝の図柄や
フユナラQ. petraeaを植えている図柄のものが使われていたのである。ここで私は樹種に
こだわりたいのだが、植えられたのは伐ってしまったオウシュウブナではなくて日本のミ
ズナラに近縁のオウシュウナラ(英語でEnglish Oakドイツ語でStieleicheまたはDeutsche
Eiche)やフユナラ(英語でSessile Oakドイツ語でTraubeneiche)である。Oakは日本では
誤訳に近いカシと訳されたので常緑樹であるとの誤解が多いし、ドイツ語のEicheは葉形の
相似からカシワと訳されたようで、こちらでも元北大のある先生が誤解したまま「ドイツ
ではカシワが尊重され植えられた」と著作に引用したりしている。植えられたオークは、
ミズナラに極く近縁の落葉ナラ類であってブナでもカシでもカシワでもないということに留
意されたい。
オウシュウナラやフユナラは熟成用酒樽材、高級家具材としての評価が高いのでブナよりは
育てやすくまたより有用な材を得るためには必然の選択であったろう。日本の北海道産ミズ
ナラの材質がこれらのナラに勝るとも劣らないものであったので高級家具材として欧州に輸
出されていた時期もある。また有名なSchwarzwaldシュヴァルツヴァルト(黒い森)ではオウ
シュウモミAbies alba(英語Silver Firドイツ語Weiss-Tanne)より「材質が優れ、育ちの良
い」オウシュウトウヒ(ドイツトウヒPicea abies〜英語Norway Spruceドイツ語Rottanne)
が造林の主役であった。オウシュウモミは(日本のモミも同様なのだが)幼木の時期には半
日陰でないとまともに育たずある程度成長すると日向でないと大きく育たないという性質が
強いので造林には手間がかかりすぎる。生育条件が面倒ではなく植えれば育ちかつ木材とし
てもオウシュウモミより優れたオウシュウトウヒが選ばれるのは当然であったろう。
ドイツ林学は自然林や原生林とは縁が薄い
必要な木材を得たいと言う場合は当然のことながら目的の樹種で造林する必要がある。植樹
すること自体が適地適木から外れる場合があることと優良材を得るためには手入れが不可欠
である。この人工林に関しては「耕作地と同じ」で「自然」の一部とは見なさないほうが良
いだろうと思われる。ドイツ林学はこの方面での実学ではあるとは思うが、潜在自然植生ど
ころか自然林とはあまり縁が無いように思われるのだが、宮脇氏はドイツ林学から何を学ん
だのだろう?「植えなければ!」という強迫観念だけではないのだろうか
そのドイツ林学が江戸期の杣夫の知恵を駆逐した
ともかくドイツから輸入された林学は学問の上では過去の日本人の杣夫たちが持っていた常
識を覆し、「植林は必要不可欠なこと」にしてしまった。学校でも「植樹は良いこと」と教
えるのみのため、「たしかに禿山に適木を植えるのは良いことに違い無い、けれどもほって
おいても適木の森林になるのですよ」ということを知っている人や教えることができる(立
場の)人がいなくなってしまった。私にとっては不適地に植えられた木ほど哀れなものは無
いのだが、植えれば何でも育つと思っている方々が圧倒的に多いようだ。
宮脇流で適地適木原則が守られているか
宮脇流でも適地適木は当然重視されるべきことだろうと思うのだが、イオンの現場などをみ
ると必ずしも原産の分布域を守っているとはいい難い。つまりその土地にあるべき潜在植生
的な自然林ふうではないのである。不適でないものはすべて許容しているというべきかも知
れない。例えばユキヤナギは当地に置いては植栽に適しているといえるが自生種がほとんど
見られないので(中国原産説もあるくらい)園芸種であると見たほうが妥当である。同様に
アジサイも当地の原産種エゾアジサイではなくてセイヨウアジサイ(ガクアジサイの園芸種)
である。当然のことながら園芸種のほうが(品種改良や選抜の結果)作りやすく苗の生産も
多いのだからそれらを庭園作りに利用するのは一向に構わないとは思うものの「自然林とは
言えない」ことはまちがい無い。そしてかつこれらの苗を必要以上に密に植えるということ
は苗の大量消費が目的であろうことは想像がつくことである。苗生産者の立場にたてば、宮
脇氏は尊ばれるであろうことは間違いない。
もっと直截に言えば、宮脇方式植樹は、うたい文句である「極相林を作る」ことですらなく
て宮脇氏自身を売り込むためのパフォーマンスでしかないのではないか?「この植樹の結果
は30年後、いまは宮脇イズムを浸透させ賛同者を増やし、じゃんじゃんポット苗を消費させ
て、業界内での立場を有利にするとともに己のマージンを稼ぐ」ことに他ならないのではな
いか? これまで述べてきたような現状であるのに、その結果極相林風の樹林ができたとこ
ろでそれが自然だなんて私には思えない。宮脇流人工林でしかありえないではないか。
だいいち、植物だけ揃ったところで動物相、菌相までついた本物の自然な生態系など限られ
た面積では望むべくも無いではないか。
植えなくても育つのに、
宮脇流に限らず、日本のように環境保全のためには樹など植える必要がない日本でやたらと
植樹祭が多いのも気になるところだ。岩手県折爪岳山頂付近では風衝地帯ということもあっ
て低木状に藪化したヤマツツジ、ミズキ、ダケカンバ、ミズナラ、クマイザサなどの叢林が
形成されていたのだが、その藪が伐採され地拵えされヤマツツジとオオヤマザクラの苗が植
えられた。ヤマツツジの復活を望むのなら古木のヤマツツジの周囲を刈り払うだけで良かっ
ただろうに、要らぬ手間や金をかけるものだ。またオオヤマザクラは中腹にはあるが800mを
越す山頂の風衝地帯では、ミネザクラのほうが適していると思われるのだが。
愚かしいことの最たるものは青森市の水道部が水源地のミズナラ林を伐採してブナを植えた
ことである。ブナが適木ではないとは言わないが、ミズナラはブナ以上の適木でなんの問題
もなく水源地林に最適の樹種であったのにわざわざ市の予算を使ってそのミズナラを伐採し
てしまった。それだけでなく潔癖地拵えをして林床の自然破壊をしたうえ、ボランティアを
募ってまでブナを植えて「水源地の植生を保全した」と開き直っているあたりは自然に対す
る無理解としか言いようがない。当会の追及を受けた市は、急遽宮脇氏の出馬を要請してシ
ンポジウムを開催した。その場で、宮脇氏は「ミズナラ伐採ブナ植樹は間違いではない」と
コメントしているあたり、すでに学究の徒ではないことが分かろうというものだ。
景観を残すためには手入れが必要な場合が多い
北日本各地にはツツジの名所が多い、場所によりヤマツツジだったり、レンゲツツジだった
りするが、ツツジの名所はかつての放牧地である。ツツジの葉には毒があり、牛馬は食べな
い。それでツツジ類だけが残ってツツジの名所となったのだ。放牧をやめた今、ツツジの名
所を維持するためにはツツジの周囲を刈り払わなければならない。ほおって置けば背の高く
なる樹種に鬱閉されてツツジは消滅する。植生は遷ろうものである。
来年国立公園に編入される現県立自然公園の種差海岸の目玉のひとつ、天然芝生地も放牧を
やめた現在では芝生地を維持するためには定期の刈り込みを必要としている。十和田八幡平
国立公園の南八甲田では登山道の管理もしない「放置することがベスト」のような管理しか
為されていないが、種差の芝生に同じ姿勢で臨まれれば芝生は数年でより背の高い草原とな
り、10年を経たずに藪化しその後樹林になってしまうのにそんなに年月を要さないであろ
う。南八甲田の登山道の荒れようを思えば国立公園になってから管理方針が変って種差がそ
ういう事態にならないかと危ぶまれる。
自然保護の手段は守りたい自然が何であるかで変る
このように自然の遷移に任せれば人手に管理されることによって保たれる都市公園的景観は
すぐに自然によって変化させられてしまう。けれども遷移のプロセスも自然なのであって、
ダイナミックに遷ろう自然があるからこそ種の種類数という生物多様性が保たれる。「ある
べき極相林」だけなら多様性は望むべくも無く、生物相は単調なものになるだろう。もちろ
んそんな極相林も人の領域の外にはあったほうが良いことは間違いないのだが遷移途上の自
然も生物多様性の維持のためには不可欠である。また、人間の領域では都市公園的自然の保
全も重要課題になると考えられる。つまり自然保護という場合に、その遷移のどの場面を維
持保全するかで自然保護の具体策が変るのである。人の領域内で要求度が高いと思われるが
芝生や草原を保全するなら、刈り込みや野焼きという人手が必須である。つまり人手によっ
て遷移を止めることも「自然保護の範疇に入る」だろう。
人間が立入れないような極相林がよければ管理は放置であるかもしれない。しかし人の領域
である都会や都市郊外の住宅地や耕作地に極相林は必要なものであろうか?鎮守の森は都会
の中でも神の領域であるから必要ではあるかもしれないがそれすらも下草刈りなどの手入れ
は必要であり、放置できる極相林とは異なるものであるべきだろう。
また最近では外来種に注意が必要な場合がある。例えばハリエンジュはパイオニアとして初
期緑化能力は高いが、繁殖力も旺盛で、次の樹種へのバトンタッチがスムーズになされない。
日本本来の自然の遷移の軌道に乗せたい場所ではこれらの外来種は排除する必要もある。
自然の多様性を守り、人類が永続的に生きていくために
生物多様性を維持し、かつ人類が永続的に存在し続けるためには人の領域ではない天然林の
ほかに人の領域である里山の二次林、また生産性の高い木材生産林、人間の憩う場所として
の風致地区や公園などがバランスよく存在することが望ましい。二次林や造林された林分ま
た整備された公園を自然度が低いと蔑むのは間違いである。
人の領域では基本的に自然を高度利用すべきであり、耕地や木材生産林など、生産性の高さ
が求められる関係上、自然保護云々という概念では捉えるべきではない。人類は自然に依ら
なければ生存できない存在であるからには、「人の領域」においては、自然をきちんと利用
して生産性の高い耕地や木材生産林、あるいは公園などの風致地区を作ることによって、人
の領域外の「極相林をめざすダイナミックな自然の遷移に任せる領域」も維持できると考え
るほうが自然ではないか?
極相林にはCO2削減効果は無い
極相林幻想を打ち砕きたいもう一つの明確な理由がある。極相に達すると森林はそれ以上の
二酸化炭素吸収をしなくなる。飽和点に達するというか吸収と放出がバランスしてしまうの
だ。二酸化炭素の吸収は材の蓄積量の増加に比例する。材木は二酸化炭素と水からなるブド
ウ糖の高分子、セルローズやリグニンでできている。木材を生産することはすなわち二酸化
炭素を固定し続けている証であり、それを薪炭にすればまた元の二酸化炭素と水蒸気に戻る
わけであるが、木材として使い続けると二酸化炭素は固定されたままということになる。つ
まり木材生産林は二酸化炭素の吸収固定にはっきりと寄与している。対するに極相林は蓄材
と分解がバランスする結果平衡状態になった状態であるからもはや二酸化炭素を吸収できな
い。つまり極相林は二酸化炭素の減少にいささかも寄与しない。この理屈をどれだけの方が
理解されているだろうか?
宮脇氏の指導による新青森駅前の「縄文の森」の悲惨な現状について
当会ホームページの画像を見て、またか!(ためいき)」というしかない結果なのだが、、、
植樹された樹種については(園芸品種でなければ、だが)自生種であり「縄文の森」という
名称を辱めるものは無い。けれども湿度環境的に適地ではない樹種が何種もあり、それらは
周囲の強い適木樹種に負けて枯れる運命にあるから、それらを初めから除外するべきであっ
たろうと思う。不適地に植えられた木は哀れなもので、緩慢な死を待つしかない。
そんなことより場所柄大問題であるのが美観である。宮脇式植樹に必ずついて回るのだが、
宮脇式植樹ではまず
1、 雑草の藪となり、
2、 2潅木の藪となり、
3、 高木候補は逞しいものしか生き残れずに大半枯死する。
4、 やっと名に相応しくなるのは早くても20年後である。
その間の美観はどうなるのか?雑草処理をどうするか、あらかじめ決めておかねばならない
ことであるだろうに「、ただ植えればそれでおしまい」では、都市部の美観上の大きな問題
が発生するのは必然である。まずこのような見苦しい状態になれば、ゴミのポイ捨て場にな
る。八戸のマックスバリュの現場では一時大型ゴミまで不法投棄されるほどに藪化した。
美観の上からばかりでなく、宮脇式植樹でベストの成果を出そうとすれば植樹後3年くらいは
雑草除去は不可欠であろう。これは植樹に参加された方々が、自分で植えた木を守る意味で
自主的に行うのが良いだろうと私は思う。植えたら手入れしなければならないのは、特に都
市部であれば、必然のことだ。その上で自分が植えた木の行く末を見守っていただければ、
宮脇式植樹がどれだけ樹木のポット苗を無駄に消耗しているかが理解できるだろうと思う。
30年経過してそれらしい樹林になったときに瀕死でも旺盛な勢いでもとにかく生き残れるの
は1/3〜1/5くらいではなかろうか。残って欲しい樹種が残ってくれる保証は無い。残ったも
のからでも自然林といえるほどのヴァイタリティを感じられれば良いのだがあの面積では難
しいだろう。「みすぼらしい樹林が新青森駅前に、手入れもされずに残されている」という
結果に終わる可能性が大きい。結局は「新青森駅前に相応しいかどうか」では大いに疑問が
残る結果になるだろうと予測する。
そのようなリスクの大きな樹林のために30年という時間を消費するくらいなら、あらかじめ
ある程度の大きさの樹木を、美的外観を考慮しつつ陰日向を配慮しつつ造園業者に作業させ
たほうがよほどマシなものになるであろうと思うのだ。
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