Jリーグ20周年:開幕カードで対戦の2人に聞く
毎日新聞 2013年05月15日 18時49分(最終更新 05月15日 19時37分)
Jリーグは15日、開幕から20周年を迎えた。日本初のプロサッカーリーグとして10クラブが参加して始まり、現在ではJ118クラブ、J222クラブが争うリーグにまで成長した。開幕カードとなった1993年5月15日、東京・国立競技場でのヴェルディ川崎−横浜マリノス戦(クラブ名は当時)でピッチに立ち、日本代表でもそれぞれ主将を務めた元ヴ川崎の柱谷哲二・水戸監督(48)と元横浜マの井原正巳・柏ヘッドコーチ(45)に開幕当初の思い出やサッカー界の成長ぶりについて聞いた。
◇さらなる発展へアイデア必要
元横浜マリノス 井原正巳・柏ヘッドコーチ
あれからもう20年もたったのか、というのが率直な印象だ。「初めてのプロリーグがどうなっていくのだろうか」という期待と不安がある中でのスタートだったが、あの日、あれだけのサポーターが国立競技場を揺らし、鳥肌が立つような感覚でピッチに入ったのを覚えている。
急にプロになり、待遇面やサポーターの数、メディアの注目度など、サッカーを取り巻く環境が大きく変化して戸惑う面もあったが、選手は「プロとは何か」を意識し、世界のトップレベルの技術や戦術をいかに吸収するかを追い求め続け、技術的なレベルはこの20年で格段に上がった。Jリーグは地域密着を掲げ、草の根から底辺を広げてきた。それによって、サッカーが文化として少しずつ日本に溶け込んできたと思うし、小さい頃から競技に親しむ子どもが増え、Jリーグを見て育った子たちが日本代表の中心を占めるようになった。ワールドカップ本大会連続出場を果たすまでになった日本代表チームは、Jリーグの成果そのものだと思う。
ただ、選手がどんどん海外へ活躍の場を広げる一方、観客動員などでやや停滞している面もあり、ドイツや英国など世界のトップのリーグと比べると、まだまだ大きな差がある。今後、もっともっと発展していくために、難しいことではあるが、そうした点をいかに日本なりに改善するか。これからもみんなでアイデアを出し合い、考えていかなくてはならないと思う。【聞き手・平本泰章】
【略歴】いはら・まさみ 滋賀県出身。選手時代は横浜マ、磐田、浦和でプレー。09年から柏のヘッドコーチを務める。
◇経験を選手に伝えるのが義務
元ヴェルディ川崎 柱谷哲二・水戸監督