おはようございます。
昨夜は蒸し暑く、寝苦しい夜を過ごしました。
そんなせいでしょうか。今朝はめっきりセンチメンタルな気分で、遠い記憶の中に沈み込んでいくようなけだるさを伴った朝です。少し一方的な訳のわからない内容になるかもしれません。
ん?いつものことだって?ほほ、確かに、ね。
フィリピン沖で台風8号画発生したとウェザーニュースが届きましたが、日本への影響はないそうです。
今日の私のブログはハリケーン状態で、きっと自分でも眼がまわっているのです。
[写真1.蓮(ハス) この蓮は水面より1から2mも高くそびえて咲きます 7/19撮影]
岩国レンコンは普通のレンコンより穴が一つ多く、見通しがよいレンコンとして重宝
されているだけでなく、歯触りがしっかりしているわりに、しっとり感ねっとり感があり
お料理にも使いやすい「まとまりやすさ」があります。
岩国城主、吉川家のご紋はこの輪切りのレンコンにみたてたようなデザインです。
因果関係をネットで調べようとしたのですが、うまく検索できませんでした。
花弁も茎も葉もざっくりと大きく、力強く、天空の花の儚さよりは現実の力強さを感じ
る蓮の花です。
果物ではありませんが、八木重吉のこんな詩がぴったりくる岩国レンコンです。
果物 八木重吉
秋になると
果物はなにもかも忘れてしまって
うっとりと実のってゆくらしい
注:「実って」の変換を「実のって」と変換してありました。mmmm
夏になったばかりなのに、もう秋の話とは・・・。
そして、もうひとつ秋っぽい詩を。遠い日私が大好きだった詩。台風と一緒に舞い込
んできたひとひらの葉っぱに、夢やら倦怠やらをいっぱい載せて、図書館の窓辺で
頬杖つきながら風と一緒に飛ばしてた、何も知らず、何もわかっていなかった遠い
日。
夕焼けの話をしよう
悲しい話をするのは やめよう
それよりは
海の話をしよう
佐渡の関埼から ながめた海の色が
どんなに 青かったか を
つらかったことを
思い出すのは やめよう
やさしかった ひとのことだけ
繰り返し思おう
夕焼けの話をしよう
語りたくて 語れなかった
ことばを つつみこんで
静かに 朱く もえていた
夕焼けの話しを
誰の詩だったんでしょう。出典も全く気にしていなかったので、ただ好きな
ことばやら詩やらをノートに書きとめては 時々繰りなおして溜め息ついて
た遠い日が、私にもあったのです。
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水は うたいます まど・みちお
水は うたいます
川を はしりながら
海になる日の びょうびょうを
海だった日の びょうびょうを
雲になる日の ゆうゆうを
雲だった日の ゆうゆうを
雨になる日の ざんざかを
雨だった日の ざんざかを
虹になる日の やっほーを
虹だった日の やっほーを
雪や氷になる日の こんこんこんこんを
雪や氷だった日の こんこんこんこんを
水は うたいます
川を 走りながら
川であるいまの どんどこを
水である自分の えいえんを
中・高生の頃、決して裕福ではなかった家庭の、愛だけは確かにあった環境の中で、育つことができたのは今思っても有難いことである。
だからといって、友人のように何でも両親に話すことができたかといえば、やはりそうではなかった。信頼などという言葉で簡単にかたづけられる、感情や関係性の問題ではない。
絶対の信頼を置いてはいても、自分の殻からは出ることのできない人間も、世の中にはいるのだ。それを不幸だとは思わないけれども、暗闇の中で手を握り締めるように、きりきりときりきりと自分と向き合うしかない。
だからこそ、そぼふる雨のように辛い気持を溶かしてあげたいと思うのであり、声をかけることもままならないまま、此処に佇んで見送るしかない自分を恨めしくも、情けないとも思うのである。
雨にもなれず
風にもなれず
ましてや花には
とうていなれるはずもなく
水となって
佇むことさえ許されず
ただ、流れていく
岸辺にも
花の咲く日を祈りつつ
海へ海へと
流れては
碧い海に支えられ
ひとひらの雪になり
ひとしずくの雨に
なることは
できないものだろうか