2013年06月09日 22時06分46秒 posted by uruseiblog

聖書の蛇の逸話

テーマ:ブログ


今日は二日かかりで書いた短めの記事ですが
自称イエスの使徒を意識して書きました。


今日の記事にも通じる話なのですが


サタンの会派に目をつけられてしまった人間は
せめて少しでも心を暴走させないように勤めて
今の私のようにならないことを勤めて、


懸命に残りの生を生きてこの社会からしっかりと
卒業して行ってください。

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創世記のアダムとイブの逸話に関しては繰り返し取り上げていますが、
そこで出てくる蛇の存在があります。


それを悪魔の象徴であると解釈する人が多いようですし
私も同様で良いと思います。


ここでの”蛇”は他人を堕落させて魔へと誘導する
人間の象徴だと思います。


勿論そこには悪意がある事が前提です。


アダムスキーはアトランティス大陸かレムリア大陸の没落に関して
別の大陸からの人間達がその文明の人間を没落させた
と言う話を取り上げていました。(アダムスキーの宇宙哲学)


元々は精神的にも科学的にも発展していたエデンの園を
その影響を受けて堕落した人間達が地獄へと変貌する事になったのです。


大陸内では人の心が荒み、争いが起きて
それまでの全体を生きる人間が個人のエゴで生きだし、
戦争まで始まり最後には自然が介入した。


その後大陸は海底へと沈んだわけです。


それと同じ事が今世界規模で起きているのが
この地球社会なのだと思います。


イブが蛇にそそのかされて善と悪の木の実を食べたと言う逸話は
人間が他の人間の誘惑に乗せられて堕落していく事の象徴でもあるわけです。


その意味では創世記の蛇は、他人を心に従わせ堕落させる象徴として
悪魔と同じ存在と認識することが出来ます。


人間を意図的に堕落へと導く象徴。


私達が悪魔と呼ぶべき存在はまさにそんなものだと思います。


私達に善と悪の知識の木の実を食べるよう薦め
そして私達から生命の木の実を遠ざける存在。


心を持って暴走させ、誰もが自らの心を持って行動するように誘導し、
本来創造主の分身である自分の魂からかけ離れるように誘導してくる存在。


私達の意識を魂ではなくて心に囚われるように仕向ける存在。


目に見えるもの耳で聞こえるもの、
そして心が作り上げた価値観である善と悪と言ういう基準
さらにはエゴや欲として培ってきたそんな意識、


それを揺さぶっては私達をそれに執着するように誘導する存在。


それこそを私達は悪魔と呼ぶべきなのです。


荒野での修行の後にイエスもそんな存在の試みに遭いました。


この社会の中でそんな誘惑行為を実行している人間達は
一体どんな意識をした人間達なのか?


この国の中でそれを実行しているのはどんな人間達なのか?


闇政府の傀儡に決まっています。


この世の支配者に代表されるサタンの意識は、
今は世界中で勢力を一気に伸ばしつつあります。


まして今では不安と恐怖により私達の意識を極限にまで追いつめたことで、
この社会の中の多くの人間の意識が二極化する事にもなりました。


更にその中で、人間選別淘汰を続けながら
サタンの意識がこの社会を覆い尽くそうとしているのだと思います。


将来完成するその社会は、彼らによってエデンの園に
見せかけられる事になるのかもしれません。


見た目に騙されやすく、本当の楽園の姿を知らない私達は
そのイミテーションに容易に騙される事にもなります。

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ところで、聖書の中での蛇は
主として悪魔の象徴として取り上げられますが、


実はイエスキリストの口から
蛇が良い意味で語られる箇所があったはずです。


これは私や兄弟姉妹そして理解者の教訓になると思います。


「蛇のごとく聡く鳩のごとく素直にありなさい。」


使徒達を”イスラエルの滅びた家の羊達”の元に送り出す時に
イエスが語った言葉です。


勿論、ここでは蛇は悪魔の象徴ではなくて
賢明さの象徴として表現されているようですが


蛇が本当に賢いかどうかは私も判りませんし
この時にイエスが聖書の悪魔の象徴でもあった蛇を
どうして引用したかの真意も理解できません。


実はアダムスキーも著書の中で
このイエスの言葉をそのまま引用しています。


勿論過去においてイエスの使徒だった人間として、
その師の言葉を引用したのだと理解できます。


聖書や著書のその言葉の前後の文脈から見えてくる
イエスやアダムスキーが私達に語りたい内容は


私達のような真理を求め伝える人間が
他人に接する時の心構えだと言うことです。


聖書のイエスキリストのこの言葉の後には
「人々には用心しなさい、彼らはあなた方を議会に引渡し
会堂で鞭打ちますから」


と続きます。


アダムスキーの場合はサイレンスグループ(世界秘密結社)
に騙されて悲惨な最期を遂げた人間の話の引用の後に
この言葉を使用しています。


つまりここでの”聡き蛇”と言うのは
本能的に相手の悪意や嘘を見抜いてそれに対応できるような意識
として例えているのだと言えます。


一方では蛇のごとく態度で人間に対応すれば、
他人を警戒しすぎて人から離れる事にもなりますし
イエスの教えなど伝えることもできません。


そこで、”鳩のごとく素直”にという表現で補っていると理解できます。


こちらは鳩の人懐こい性質を
表現しているのだと理解できます。


つまりイエスキリストもアダムスキーも


他人に接する時は鳩のごとく相手に対して精神的・距離的にには接近し、
なおかつ蛇のごとく敏感に相手の意識を察するような
懸命な応対をしなさいと伝えているのだと言うことだと思います。


そしてこれはまさに、真のイエスの使徒として
このサタンの意識渦巻く社会の中で生きていこうとしている
兄弟姉妹や理解者にこそ実践してもらうべき生き方だと思います。


例えば、極端な話が相手が悪意を持ちながら
こちらの理解者であるがごとく振舞って
懐に飛び込んで来ようと勤めるかもしれません。


しかしその時に相手の真意を見抜くことなく
創造主の法を価値観として語れば闇政府に密告され
この社会のシステムのノイズであると判断されて


会堂で鞭打たれなくても、ハイテク攻撃の餌食や
精神病院送りにされるきっかけになるかもしれないわけです。


寂しい話ですが、私達はこの社会の中では、
単に他人に対して素直に心を許すだけの
存在であってはいけないと言うことだと思います。


これに関しては私などは組織的犯罪被害者としての立場で
延々と体験してきたような内容にも繋がると思います。


勿論、天使達の世界ではこんな意識は不要のはずです。


彼らは相手の真意をそして精神をテレパシーで感じて
相手をありのままに理解出来るからです。


そして彼らは共に鳩の様に素直に交流する事になるのだと思います。


しかし私達はテレパシーを自在に使う事もできませんし
偽りと悪意と偽善に満ちたこの社会の中では


単純に鳩のごとく素直に反応していたのでは
酷い目に遭う事にもなりかねません。


そこで、野生の本能鋭いであろう蛇のごとく勘をも働かせた状態で
人間とは接しなさいと


イエスキリストやアダムスキーは
自分の使徒や協力者に対して語っていたのだと思います。


警戒すべき対象は一方は2000年前のサタンの会派であり、
一方は50年前のサイレンスグループですから
その対抗策も一緒だと言うこと。


そしてそれは現在であっても同様だという事
理解して頂けるかと思います。


この社会は2000年前の延長にこそ存在しているからです。


そして裏の支配者層も同じとなれば
それへと対抗策も同様となります。


この社会の恐ろしさは、心情を布教するのではなくて
それを胸に抱いているだけでも危険に晒されかねない事です。


この社会は支配者達の予定している一定の秩序の上にこそ
成立することを求められています。


そこでは価値観や知識や心情や思考までもが
彼らにとっては人間を判断する基準となるはずです。


宇宙の法則に関しては、
今後は私の様に目だって広報して叩かれるような事は
出来ないと想像しています。


この社会はあまりにもすべての面で
偽りと嘘が法則の中心として存在しているからです。


元々が真理が存在していない社会なのですから
私達の価値観では何を語ってもそれはノイズとなるはずです。


今後この社会で”長生き出来る”のは、卑しい人間と、頭の悪い人間、臆病な人間
左脳に特化された人間、洗脳された人間、そして闇政府に従うことを
約束した人間だと想像してもいます。


中途半端に正義感が強かったり、真理に気がついていたり、
勇気があったり、そして昔ながらの道徳心に満ちている人間は
間違いなく居心地も悪く長生きも望めないと思います。


真理に近づいた人間ほど、そして彼らに騙され難い人間ほど
この社会ではノイズとして淘汰されていくのではないでしょうか。


ただ、この空間は創造主の予定とは遥かにかけ離れたものである事を思えば
その社会の中で不要とされたり憎まれる事は何の恥でもないと思います。


私達は意識のある間はイエスキリストとアダムスキーが語っていたように
蛇のごとく聡くあって、鳩のごとく素直であれば良いのだと思います。


創造主の法はきっと私達を進むべき道へと
導いてくれることでしょう。


兄弟姉妹と理解者はそれを信じて生きてください。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】

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P.S.

今日は未だ思考がしっかりしているので
触れておきたい事に触れておきます。


まずは兄弟姉妹と覚醒者に
無理なく生きてくださいと触れておきます。


熱くしか生きれない方は私のような生き方を選択するかもしれませんし
冷たく(冷静に)生きれる人間はそんな生き方を選択すれば良いと思います。


中途半端な生ぬるい意識は私達の進化の妨げにもなりますし
意識を容易に変えられることにも繋がるはずです。


例え上っ面では馴染んで見せても、
この世に調子を合わせてはいけないと
パウロが語っていたことも忘れないでください。


正しい事、真理とされるべきことを語っても
それは罪や悪とされるこの社会。


視覚・聴覚・味覚・嗅覚で
認識できないと否定され、真理も嘘とされる社会。


一方では自分達は目に見えないありえないオカルトを作り上げては
それを実証できないにも係わらず真理としているという矛盾まであります。


つまりは何もかもが支配者こそが全て正しいのだと言う
大前提にこそこの社会の秩序は成り立っているのです。


言い換えれば私達は自分達の魂が
自然体として表現することさえ妨害されていることになります。


この社会は魂を封じている空間です。


ここを離れてこそ私達は真の自分と対面することも
出来るようになる。


私はそれを確信しています。


それまではこの社会を”巨人の星”に出てくる
大リーガー養成ギプスだと思って暮らしてくださいね。


次の生ではきっと魂の開放を感じることになると思います。


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