2012年6月、米ラスベガスで行われたポーカー世界選手権の「ポット・リミット・オマハ/シックス・ハンデッド」という種目で優勝した木原直哉さん(31)。獲得した賞金は約51万ドル(約5100万円)。世界選手権で日本人が優勝したのは史上初めて。東京大学理学部を卒業し、プロポーカー師の道を本格的に歩み始めて2年目の快挙だった。
●「不利な局面はじっと耐えてマイナスを最小限に抑え、有利な局面でチャンスを逃さずに大きく勝つのが極意。ポーカーは株式投資や会社経営と同じ」
●「焦ってもダメ。カーッと頭に血が上ったらもっとダメ。どんな状況でも、いつもと変わらない平常心でプレーし続けることが大切。クセが出ないように心がけている」
●「アマチュア相手なら負けることはない。1週間単位の勝負なら運に左右されることはあるが、1カ月単位ならば絶対に勝てる。勝負は運頼みではなく、力量差が必ず出るもの」
こんな興味深い持論が次々と口をついて出る。
今回は、世界王者の栄冠を手にした木原さんに、「確率論を駆使し、リスクに見合うリターンが期待できなければ勝負を避け、リスクに見合うリターンが期待できれば大胆に勝負する」というポーカーの戦術論のほか、世界の頂点に登り詰めた決勝の模様や日常生活、なぜプロポーカー師になったのかなど過去の経緯について語ってもらった。オンビジネス、オフビジネスの様々な場面で役に立つことが多そうだ。
まずは木原さんの自己紹介に耳を傾けてみよう。
■「頭脳ゲーム」にはまり東大に10年在籍
「もともと、ノーベル賞を取るつもりで東大理学部に入ったんですよ。でも、次第に授業に興味がもてなくなり、マージャンや将棋、バックギャモンなどの頭脳ゲームにはまるようになっていた。そんなとき、友人を通じてついにポーカーに出合ったんです」。木原さんはややはにかみながら、明るくハキハキとした口調で語り始めた。
東大を留年、休学を繰り返し、10年かかって卒業したという苦労人。
ポーカーとの運命的な出合いは休学して2年目、つまり、東大に入学してから7年目の2007年のことだったという。「バックギャモンの友人がインターネットでポーカーを対戦している様子を後からのぞき込みながらルールを覚えてしまった……」
■プロポーカー師になったワケとは?
小学生のころからソロバンを習い、数字や計算が大好きな少年だった。「塾の講師とバックギャモンで生活費を稼ぐ生活を送っていたが、ポーカーのほうが稼ぎがいいことを知った。インターネット対戦を通じて短期間で海外プレーヤーなどと多くのゲーム経験を積めたことが役立った」と回想する。
08年、バックギャモンの対戦でモナコに行った際、カジノでポーカーのキャッシュゲームをしたことがある。初めての体験だったが、約7日間で1200ユーロ(約15万7千円)も稼いでしまった。09年には、初めて訪れた米ラスベガスでポーカーのキャッシュゲームをし、約10日間で1万ドル(約100万円)も勝ってしまった。「アマチュア相手だと随分ぬるいんだなと感じた」と木原さん。やはり、ポーカープレーヤーとしての天性の才能があったようだ。
両親は就職を望んでいたが、大学卒業後、木原さんはそのままプロポーカー師になることを決意する。
2012年6月、米ラスベガスで行われたポーカー世界選手権の「ポット・リミット・オマハ/シックス・ハンデッド」という種目で優勝した木原直哉さん(31)。獲得した賞金は約51万ドル(約5100万円)。世…続き (6/7)
安倍政権がマンガやアニメ、食、ファッションなど日本文化を海外に売り込むために力を入れている「クール・ジャパン戦略」。その目玉の一つに位置付けられてきたインド版アニメ「巨人の星」のテレビ放映が、来月1…続き (5/24)
前回、「女性名から『子』が消えたワケ? 明美が分岐点」と題して日本人女性の名前のトレンドについて紹介したところ、読者の方から「男性名のトレンドについても知りたい」というご意見を多数いただいた。そこで…続き (5/10)
各種サービスの説明をご覧ください。