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カンボジア王国
カンボジアの旅

2008.10.11 - 17
基礎知識 9


カンボジアへの学校建設支援運動


ポル・ポトが破壊したもの 〜 目に映らない子どもたち 〜

住民登録・出生登録のキャンペーン

 カンボジアでは、出生登録されていない子どもたちを「目に映らない子どもたち」と呼びそうだ。出生登録されていない子どもたちは、自分の誕生日も知らない。なぜなら、カンボジアで法的に存在するのは国民の5%だけだった。戦乱で住民登録台帳が失われてしまったカンボジアでは、子どもが生まれても出生登録を出せない状態が続いていた。「未登録の子どもは性的虐待、児童労働、不法な兵役など、あらゆる種類の虐待を受けやすい。」(内務省管理責任者)といわれている。
 カンボジアでは、少女たちが、毎日、農村部で大勢売買され、その身をタイで男性相手に売り物にしている。その客の中に日本人男性が少なからずいることを忘れてはならない。そんな少女たちを救うために、日々、地道な活動を続けているNPOやユニセフ、赤十字は、常に財政が困窮している。

関連サイト ▼1 ベトナム人の少女売春1 ▼2 カンボジアの少女売春2 クリックで救える命がある。
▼3 カンボジアの少女売春3 ▼4 人間力大賞・村田早耶香

 1970年のクーデター以降、20年に及ぶ内戦や政治的混乱は、カンボジアの国土を大きく破壊させた。その後、国際社会の協力などを経て戦後の復興は進んだように見えるが、まだ多くの問題を抱えている。

 2002年、カンボジア政府は、全国民には住民登録を、新生児には出生登録を義務づける法案を可決し、2005年8月までに登録を終えることを目標にキャンペーンを開始した。だが、2006年になっても、まだ34%もの国民が登録を終えていない。

 NGO・プランは、シエムリアップ郊外の村やプノンペンの北西カンポン・チャム州で住民登録を手伝うの活動を行った。プランの活動は、住民登録の支援だけではなく、教育、医療など様々な分野での支援を展開している。
 内戦で、教育が壊滅状態になったカンボジア。登録は、読み書きができない人が多いため、本人への聞き取りと2〜3人の証人によって本人確認が行われた。


読み書きのできない親たち

 カンポン・チャム州。県の人口は150万人。その約半数が子どもで、住民のほとんどが農業で生活している。県全体で173の村がある。

 ポルポト時代、強制移住をさせられて引き離された親子。この時代は、教育が著しく弾圧された時代で、読み書きができない親たちがほとんどである。教育を受けなかった親は「いい仕事につくため」にも子どもに教育を受けさせたいと願っているが、現在、実際に卒業に至る子どもたちは2%以下だという。70%の子どもたちが小学校へ入学しても、お金がない、家の手伝いをしなければならないといった事情で、学校に来られなくなってしまう。

 また、教師不足という問題も、教育が制限される理由となっている。ポルポト時代、知識層は虐殺の対象となったため、教師は壊滅状態になった。内戦後、教師のほとんどが学校を卒業したての経験の浅い若い教師たちだという。


医療と衛生の問題

 世界各国から大勢の観光客がシエムリアップを訪れ、市内は整備されてきた。だが、少し奥に入ると貧困地帯が広がっている。この辺りには、1998年までポルポト派(クメール・ルージュ)の残党勢力がいた。

 村の一角にある井戸に、子どもたちが水を汲みにやってくる。この井戸ができる前は、近くの池などの水を汲んでいた。村には病院がないので、簡単な病気の治療や子どもの予防接種はヘルスセンターで行われている。ヘルスセンターの看護師は、村々を回って衛生教育などを行っているが、電気もなく、トイレや井戸も十分ではない村では、これもなかなか進まない。

 カンボジア内戦から30年。親から隔離されて育った世代の子どもたちが成人となった。親が、子どもから尊敬されていない世代だ。  彼らは、今まで戸籍に登録されず「目に映らない子どもたち」といわれていた。彼らの子どもは教育を受けて育ったが、親である彼らは教育を受けて育っていない。これは、個人的な例ではなく世代の例であることの悲惨。言葉の通じない親子が作り出されるのは、悲惨だ。
 内戦の傷は、まだ癒えていない。ポル・ポトが破壊したものは、カンボジアの社会そのものだったといえる。


カンボジアの学校建設 日本の援助

カンボジアの教育 現状と課題

 カンボジアでは、1975年に発足したポル・ポト政権によって自国民が大量虐殺され、カンボジアは大きく荒廃した。その後、1993年に新カンボジア王国が誕生し、カンボジアは治安の安定や経済の復興に向けて着実に歩んでいる。だが、カンボジアでは、まだストリートチルドレンが数多くおり、保健・医療の未整備や学校の不足といったインフラが整備されていない現状にある。

 現在、カンボジアの人口は増え続けており、1,390万人といわれている。夫婦間の子どもの数は多くて、5〜10人が当たり前だという。ポルポト時代に多くの人々が虐殺されたことも要因で、人口の60%前後は18歳未満とさえいわれている。カンボジア全体の人口が増え続けている上に加えて、首都・プノンペン近郊に人々が集まり、学校の数は、さらに不足している。そのため、アジア開発銀行や世界銀行からの資金で、今後2年をかけて学校を600棟建設するという計画が進んでいる。

 だが、学校を建設しても、そこで教える教師はどうするのかという問題もある。カンボジアの各州に師範学校(教員育成学校)があって、2年間の課程を修了すれば教師になれる。教師の給料は、政府が決めており、20〜30ドル程度で、一般の企業で働けば100〜200ドルもらえるのに対して、余りにも給料が低い。そのため、教師は、農業などの副業をせざるを得ない状況にある。

[ 鈴木智恵子・夢・スクール ]
鈴木智恵子さんはジブラルタ生命の営業担当者
で、特別ボーナスと貯金とでカンボジアで個人で
学校を一棟建設した。


カンボジアの教育制度

 カンボジアの教育制度は、日本と同じ6・3・3制で、最初の9年が義務教育となっている。だが、多くの小・中・高校で、教室や教師が不足しているため、授業は午前と午後の2部制となっている。児童・生徒は、空いた時間は、家の手伝いやアルバイトをしたり、プライベート・スクールで英語やコンピュータを勉強したりしている。

 プノンペン市にあるプレアッ・シソワット中高等学校は、同国で最も歴史ある名門校だが、授業は2部制となっている。落ち着いた校風で、生徒総数は6,206人、1クラスは約50〜60人。しかし、家庭の事情などで退学する生徒も多く、上の学年に行く程1クラスの人数が少なくなるという。

 中学3年生(第9学年)と高校3年生(第12学年)には、卒業試験がある。高校卒業試験は、大学入試資格試験も兼ねており、2年目に不合格になると試験資格がなくなる。必修科目は、数学、クメール語(国語)、歴史、英語、化学などで、選択科目は体育、芸術、農業があるが、機材や教師の不足しているため限られた人数しか受講できないそうだ。

 カンボジアの学校は、9月に始まり、翌年の6月に終わる。7〜8月の2ヵ月間は夏休みで、9月にも日本のお盆のような休みがあるため、多くの学校は10月から始業となる。


大正大学が カンボジア大正小学校を建設

 大正大学(東京都豊島区)では、1996年にカンボジアのシェムリアップに学校校舎を建設・寄贈した。この時から、カンボジア大正小学校を中心に支援活動を行っている。
 内戦が終ったばかりの当時、日本からきたさまざまな団体が学校を建設し支援したが、今でも支援が続いているのは大正大学を含めてごくわずかだという。

 大正大学は、大正15年に旧大学令にもとづく大学として開学し、天台宗・真言宗豊山派・真言宗智山派・浄土宗の4宗団が協調して設立している仏教系大学である。

 1996年に大正大学の学生24人が現地に入って、学校校舎の建設作業の手伝いをしたことから始まった。参加学生たちが、毎回、カンボジア大正小学校の支援プログラムのテーマを考え、これまで8回にわたって延べ130名の学生が参加している。


一個人も芸能人も 学校建設を支援

鈴木智恵子・夢・スクール

 2007年3月、鈴木智恵子さんはジブラルタ生命川越支社の営業担当者で、特別ボーナスと貯金とでカンボジアで個人で学校を一棟建設した。
 ちなみに、1000万円あれば学校を一棟建設できるという。
カンボジアの「あい校舎」

 2003年“I WiSH”のボーカル ai としてデビューした川嶋あい(1986年生まれ)。歌手以外の活動として、幼い頃からの念願だった学校建設支援活動を始めた。JHP・学校をつくる会に託して、19歳の時(200年)には、西アフリカにあるブルキナファソ(Burkina Faso:旧国名オートボルタ)のマヤ村に、22歳の時(2008年)にはカンボジアのチュランクポーに小学校を建設した。
 なお、川嶋あいは、<川嶋あいチャリティーソングクリック募金>による資金をピースウィンズ・ジャパン(PWJ)に託して、2009年6月にリベリア北西部ロファ州のゾルゾル郡にあるゲイフロ・デビー小学校を建設した。

川嶋あい


チュランクポー小学校完成

チュランクポー小学校完成

「あい校舎」の記名

 川嶋あいが建設したチュランクポー小学校は、カンボジアの北西部・タイとの国境に近いバッタンバン州のバッタンバン県にあり、その州都はバタンバンである。バッタンバンとは、文字通りには「杖を失う」という意味で、 Preah Bat Dambang Kranhoung(Kranhoung:杖王)の伝説にちなんでいる。

 そのバッタンバンには、大量の地雷が埋まっている。カンボジア全体では、未だに1,000万個以上の地雷が埋まっているという。

▼1 カンボジアにおける地雷・不発弾の事故状況
▼2 地雷の村に学校ができた!
▼3 カンボジア地雷撤去キャンペーン


島田紳助・石坂浩二なども 学校建設支援

 2008年11月9日に放送された「行列のできる法律相談所」で、島田紳助が「カンボジアに学校を…」と呼びかけた。有名人に絵を描いてもらい、その売り上げをカンボジアの学校建設に役立てようという企画 『100枚の絵でつなぐ!カンボジア学校建設プロジェクト』 だった。
 おなじみの行列メンバーを初め、「北斗の拳」の原哲夫ら著名な漫画家や石坂浩二、工藤静香などの玄人はだしのタレントの出品もされた。

州都・バッタンバン

 どの絵もみんな、一生懸命に異国の子どもたちのために描かれたものばかり。内戦終結後も、未だに貧しいカンボジア。彼らの思いは、はるか遠い国で貧困にあえぐ子どもたちの救いの一歩となったことだろう。そのカンボジアの子どもたちに校舎を建ててあげるという志は、立派でうれしい。


イオン(株)も 学校建設支援

 イオン(株)は、顧客が寄せた「カンボジア学校建設支援」募金に、イオン1%クラブの拠出金を添えて、*年7月、事業のパートナーである「財団法人日本ユニセフ協会」に学校建設支援金を贈った。この「カンボジア学校建設支援」募金は、2001年より3ヵ年計画で実施している。

 これらの支援金は、長く続いた内戦によって失われたカンボジアの教育基盤が1日も早く回復することを願って、ユニセフ・カンボジア事務所が進めている学校建設事業に充てられ、その一部は、子どもたちに安全な飲み水を確保するための井戸や衛生的なトイレの設置、黒板・机・椅子といった備品やチョーク、ノートなどの提供、教職員の訓練費用、貧しい子どもたちへの奨学金、PTAの設立とその研修費用等に役立てられている。

 これまで2年間に顧客から寄せられた募金と、2000年より開始しているイオン1%クラブからの拠出金により、小学校92校を開校した。また、*昨年10月には、イオン(株)の子会社である米国タルボット社もイオンの活動に賛同し、小学校1校分の建設費をアメリカユニセフ協会を通じて、ユニセフ・カンボジアに寄贈した。
 これらの資金によって、2005年春までに小学校52校が新たに開校できた。この結果、カンボジアに開校する小学校の総数は、これまでの92校と合わせて144校となった。


カンボジアへの教育支援団体

スクール・エイド・ジャパン
SAJ
 スクール・エイド・ジャパン(SAJ)は、一人でも多くの子どもたちに人間性向上のための教育環境と教育機会を提供することを目的として2001年に設立され、子どもにかかわる教育支援プロジェクトを積極的に推進している。
 SAJでは、政治的判断ではなく、カントリーリスクやその国の教育事情などを判断し、大使館などのアドバイスを受けて、賛同者の厚意が確実に届けられることを基本に支援国を決定している。
 ○ SAJへの協力学校・企業 (2008年4月現在)  ○ 支援の実績年度別学校建設数
JHP・学校をつくる会
JHP
 JHP・学校をつくる会は、1993年に設立され、現在までに200棟以上の校舎を建設してきた。JHPは、井戸やトイレの整備など学校建設以外の活動も行っている。
 JHPのカンボジアでの活動には、(1)学校建設、(2)音楽・美術・衛生教育、(3)幸せの子どもの家(Center for Children's Happiness)、(4)ボランティア派遣、の4つがある。
 ○ 学校建設数実績 ○ 過去15年間にトイレ161棟(700室)、井戸(約75基)を設置。
カンボジアの健康及び教育と地域を支援する会
SCHEC
 SCHEC(Support for Cambodian Health, Education & Communities :カンボジアの健康及び教育と地域を支援する会)は、2002年に法人)として内閣府より認可を受け活動を開始。カンボジアを始めとするアジア諸国の国民に対して、健康で衛生的な生活が送れるように、井戸掘り事業や小学校校舎建設、歯科診療活動、貧困格差の現状を訴える活動を通じて日本国民のボランティア意識を高め、国際交流に寄与することを目的としております。 SCHECは、「目に見える支援活動」を大きな特徴としております。井戸の横に掲げた看板や建設した校舎の壁面に、井戸掘り事業と小学校校舎建設にご寄付いただいた方のご希望のお名前(個人名・グループ名など)を入れ、ご支援いただいたことが目に見える形で現地に残るようにしております。 学校の絶対数の不足によって学校に通えない子どもたちが就学機会を得られるように、小学校校舎を建設しています。鉄筋コンクリート造の校舎1校(5教室)を350万円で建設し、現在までにシェムリアップ州で8校を寄贈しました。
 ○ 学校建設数実績 ○ 過去15年間にトイレ161棟(700室)、井戸(約75基)を設置。
国際開発救援財団
FIDR
 FIDR(ファイダー)は、故飯島藤十郎氏(山崎製パン株式会社創業者)の寄付を主な基本財産として1990年に発足した。子どもの未来を育むチャイルド・ケアと、日本企業と日本人による国際協力の推進を掲げて、開発途上国の人々の自立と発展を目指してカンボジア、ベトナム、スリランカ、日本で活動している。1992年、外務省の「特定公益増進法人」の認定を受けた。
 ○ 初等教育支援
ピースウィンズ・ジャパン
PWJ
 PWJは、1996年に設立され、紛争や災害、貧困などの脅威にさらされている人々に対して支援活動を行うNGO(非政府組織:特定非営利活動法人)で、日本に本部を置いて世界各地で活動している。
 PWJは、イラク北部やスマトラ島沖地震の被災地を初め、世界16ヵ国・地域で支援活動を実施した。2007年3月現在、イラク、アフガニスタン、モンゴル、東ティモール、リベリア、スーダンの計6カ国・地域で活動を続けている。災害や紛争から時間が経過した地域では、人々の自立をめざし、復興・開発のための支援を行っている。
 紛争地では、長い戦乱のために学齢期になっても教育を受けられない子どもが少なくない。また、文化・宗教上の理由で女性が学校教育を受けずに育ったケースもある。PWJは、学校の建設・修復や学用品などの提供だけでなく、成人を対象とした識字教育などの教育支援にも取り組んでいる。 ○ 協力団体・助成団体
プラン・ジャパン
PLAN
 PLAN(プラン:国際NGO)は、国連で採択された「子どもの権利条約」にのっとり、すべての子どもたちが権利を享受し、本来の可能性を発揮できる世界の実現をめざしている。
 プラン・ジャパン(特定公益増進法人)は、国際NGOプランの一員で、途上国の子どもたちを手紙で応援するプラン・スポンサーシップという支援方法を採っている。
(1) 子どもたちと共に途上国の地域開発を進める (2) 貧困に苦しむ子どもたちを長期にわたり支援する (3) できる限り多くの子どもを支援する (4) 「子どもの権利」を守るため、世界中の人々をつなげる (5) 問題解決に向けて、政府や関連機関と協力・連携する (6) 子どもたちの声を発信する


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