※こちらは「月が導く異世界道中」の書籍化に伴いダイジェスト化した部分になります。
序章 世界の果て放浪編
ヒューマン、真と出会う ~リノン~
絶野。
私が住んでいる所の名前。
数あるベースの中でも一番奥にある、世界の果ての果て。
開拓と探索の最前線。
私にとって唯一の家族であるお姉ちゃんの受け売りだけど、自分が住んでいる場所の知識くらいは持っている。
途轍もなく広大で、未だヒューマンが足を踏み入れているのは一割にも満たないと言われている荒野、世界の果て。
常識が通用しない冗談みたいに過酷な環境、そこに生息する強大な力をもつ魔物や亜人達。
それでも、ここでしか得られない貴重な資源や強敵は冒険者や商人にとっては手を出さずにはいられない魔性の魅力を持った土地。
ベースはそんな人達が何とか荒野の中に活動の拠点を作ろうと頑張った結果の産物。
もちろん、出来ても潰れてしまう事も沢山あって、ベースに住んでいるからと言って安全なんて事はない。
荒っぽい気性の人が多いから住人同士ですら争い事は頻繁に起こってしまうし。
ここ、絶野はその中でも最奥のベースで、さらに二十年以上も存在し続ける実績を持つ凄い場所だ。
絶野を目指し到達する事は、冒険者にとっての大きな目標にすらなっている、んだって。
何度も何度も聞かされたから、自然と覚えてしまった。
要するに、物凄く危ない場所だって事。
そんな場所で私の姉、トアは冒険者をしている。
危険きわまりない仕事だけど、姉には目的がある。
だから何度話し合ってみても、荒野とそうでない世界を結ぶ辺境都市ツィーゲに戻る流れには出来なかった。
「もう、お金も無いや。こんな所にいたら、絶対にいつかこうなるって、わかってた癖に……お姉ちゃんのバカ」
財布に残る僅かなお金を見て、溜息と姉への愚痴がこぼれた。
この前、姉はとうとう一線を超えてしまった。
生死のじゃないけど、それに限りなく近い一線。
大きな借金をした上での依頼の失敗。
借金をして準備を整えて次の冒険、ううん、依頼に出る姉のやり方は、とうの昔に限界にきていたのに。
やめてはくれなかった。
そしてとうとう、崖っぷちで何とか踏みとどまっていた姉は足を踏み外してしまったんだ。
大怪我をして戻った姉を、残っていたお金で何とか治療してもらったけど。
結局、姉は二人で住んでいた借家には戻っては来なかった。
借金返済の為に働いている、と後日知らない人から聞かされた。
これは、終わりって事。
私はこんな感じの話を聞いた冒険者が帰って来たって話を知らない。
だから身体が震えた。
だって、もう姉に会えないと思えと言われたのと同じなんだから。
しかも私にはここで一人で生きていく事なんて絶対に無理。
役立つ技能を身につけているでもないし、冒険者としてやっていく実力もない。
ここで活動する冒険者の身内。
ただそれだけでしかない。
姉の失踪は、そのまま私の残り時間がカウントダウンされている事も意味してた。
ここにいたら危ない。
だからといってツィーゲに戻るようなお金、私には残ってない。
すぐにお金になりそうな物を(殆ど無かったけど)持って、とりあえず家を出た。
人目に付かないように、付かないように息を潜めて路上生活に耐えた。
姉の安否を知る事が状況を変えてくれるのかどうかは、その時の私にはわからなかった。
でも、心配で怖くて寂しくて。
最後に浮かぶのはやっぱりお姉ちゃんで。
たった一人の姉は、喧嘩もよくしたけど私にとっては凄く大事な人だって改めてわかった。
幸い節約には慣れていたから私一人が生き延びる位の事はしばらくの間は可能だった。
少しずつ水を取り、何日かに一度、我慢出来ない時にご飯を食べる。
何とか毎日を生き延びながら姉の情報を少しずつ集め始めた。
そんな時だった。
「お前、トアの妹だな。あー、リノン、だっけか?」
「……」
私は答えない。
私に声を掛けてくるのは私も姉みたいに捕まえてしまおうって人かもしれないから。
だから姉の名前が出ても簡単に気を許したりはしない。
「だんまりでも、調べはついてるから諦めな。大体、ここで子供が逃げきれる訳が無いだろうが。外じゃあ下手すれば一日で干からびるか凍死。転移陣には厳重な警備が敷かれてる。お前がどこでどうやってこそこそしてたかなんぞ、あっという間にわかるんだよ」
う。
唇を噛む。
痛い、でも悔しい。
確かに私は誰にも見られずに生きている訳じゃない。
言われた通り、外になんて出たら荒野の厳しい気候で一日生きられるかもわからない。
ある程度住みやすい様に整えられたベースの中だから夜でも大丈夫だって事はわかってた。
転移陣なんて不用意に近づいたらそれだけで捕まって、場合によっては殺されちゃう。
行こうとも思えなかった。
でも……こんな簡単に見つけられちゃうなんて。
「泣きそうな顔で睨むんじゃねえよ。俺はな、お前さんはよく頑張ったと思ってるんだぜ?」
「……」
だから何だって言うの?
ご褒美に見逃してくれるの?
姉を返してくれるの?
「今こうやってお前を包囲しているがよ。お前については俺にある程度任されてるんだ。トアにも会ったぜ? お前の姉ちゃんがちゃんとまだ稼いでいるから、お前については見逃してもらってきたって訳だ」
「っ! お姉ちゃんは無事なの!?」
「おお? ようやく口をきいたか。ああ、トアはまだ無事さ。だけどな? そのお姉ちゃんがまずい事になったから、わざわざ俺がお前に知らせにきてやったんだ」
「まずい? まずいって何!? お姉ちゃん、どうなるの!?」
家を出る時に感じた怖い気持ちが蘇ってくる。
頭では、もう会えないかも、と思っていたけど、もし本当にそうなったらなんて思うと……ううん、思いたくない。
「……このままじゃあ、良くて一生目が覚めない。悪くて死ぬ。そんな場所に連れて行かれる」
「!!」
そ、そんなの。
やだ。
やだ、やだ、やだやだ――
「でもだ!」
「っ!」
「お前次第でお姉ちゃんは助かる。俺がきちんと話をつけてきてある」
「……え?」
「リノン、お前は賢い子だ。こうやって頑張れる子だ。……お姉ちゃんを助けたくないか?」
私を値踏みするような嫌な目で、にやけたおじさんは聞いてきた。
助けたいか。
そんなの、答えは決まってる。
「助けたい」
「だよな。なら俺の頼みを聞いてくれるな? なに、難しい仕事じゃない。お前くらい頭の良い子なら簡単かもしれない」
私に出来る事なんて知れている。
絵を描くのは好きだけど、絶対にそんな事じゃないのはわかる。
悪い事だ。
私は直感する。
も、もしかしたら……私みたいな子でも女の子だからなんて言われるかもしれない。
そういう趣味の男もいるから気をつけなさいって、姉に言われた事を思い出す。
でも、そんな事で、もしも姉が帰ってきてくれるなら……我慢だ。
私は我慢しなくちゃいけない。
吐きそうなくらい嫌なことでも、うんって言わなくちゃいけない。
自然と歯を食いしばって厳しい顔になっているのが自分でもわかった。
「……体の力を抜きな、リノン。なに、お前に体を売れとか人を殺せとか、そんな事をさせたりはしない。安心しな。リラックスだ」
私の表情から、何を考えているのか見抜かれたみたい。
でも、ちょっと安心したのも確か。
この人は多分悪人だと思うけど、姉を助けてくれるとは言ってくれている。
表情から私の考えがわかるくらいだから、きっとこれまでにも同じような事はしてきているんだろう。
おじさんをどこまで信じていいのかわからないけど、ここで逆らっても私にも姉にも良い事なんてきっと無い。
無理に顔と身体から力を抜いて、私はリラックスと言うおじさんの言葉に頷いて見せた。
「良い子だ。さて、リノン。お前、少し前にこのベースが大騒ぎになった事件、知っているか?」
「……えっと、凄く強い何かが襲ってきたけど何もしないで帰ったっていう、あれ?」
「そうだ。子供にしとくにゃ惜しい賢さだな。あれからもう大分経ちはしたが、今ちょっと冒険者ギルドで似たような騒ぎが起こってな?」
「……それは知らない」
「そっちはすぐに箝口令が出されて……ああ、黙ってろってお達しがあってな。知らなくても無理はねえ。ただ俺が掴んだ所によると、桁外れに強い女が二人、登録をしに来たらしい」
「女の人が、二人」
「ああ。先の件と関係があるかはわからないが、気にしている方がいてな。そいつら、怪しげな格好の仮面をつけた男と、これまた変わった格好の女二人の三人連れなんだが、お前にちょっと調べてきて欲しいんだよ」
「わ、私に!?」
「そうだ。なに、戦えなんて言ってないし、俺達も協力はする。だからリノンにはその連中の中に上手く入り込んでもらって、どんな事でも良いから話を聞き出してきて欲しい。いきなり子供を手にかける連中じゃなさそうだから安心だろう?」
で、出来る訳ない。
高レベルの冒険者にはヒューマンをやめているような凄い直感を持った人や嘘を見抜く能力を得た人だっているんだって聞いた。
桁外れに、って事は物凄く強いって事。
だったら私なんてすぐに嘘がばれて……。
「私、そんな事で、でき――」
「お姉ちゃん、死ぬぜ?」
「!?」
断ろうとした私の言葉に、絶対の一言が上乗せされてきた。
そっか……私、選べないんだ。
大体、もし断ったりしたら今ここで私だって……。
なんで私、こんな所にいるんだろう。
泣きたい。
思いっきり泣きたい。
でも、面倒だって思われただけで代わりの子を探すって思われる。
きっとそうだ。
「……やる。やります」
「決まりだ! リノン、約束だ。お前がちゃんとお仕事をしたらお姉ちゃんと会わせてやる」
「絶対に? 絶対にお姉ちゃんと会える?」
「ああ、嘘は言わない。絶対だ」
「頑張る。一杯話を聞いてくるから」
「その意気だ。ふふ、じゃあこっちに来な。そいつらの顔を教えておく」
「今から?」
「当たり前だ。仕事はもうすぐにやってもらう。あいつらは今食事をしているようだからな。その様子を俺達の仲間がこっちに飛ばしてくれている。それを見て、顔を覚えて、お前は宿に戻るあいつらに接触するんだ、わかったな」
「きょ、今日これからなの!?」
「なんだ? 早く仕事をして、お姉ちゃんに会いたくないのか?」
「……わかった。わかりました」
案内されて倉庫みたいな建物の中に通される。
そこには机があって、私の顔より大きな水晶玉みたいなものが置かれてた。
おじさんを見ると、顎であそこに行くように指示された。
あれを見ろってことだよね。
お姉ちゃん、私頑張るからね。
◇◆◇◆◇◆◇◆
カチャカチャと。
向かい合って座る二人が食事をしてる。
うわ、ここって、凄い高い所だ。
三人じゃなくて二人しかいないけど、きっとこの人達から私が話を聞き出さないといけないんだ。
一人は、多分男の人。
大人しく、丁寧に食事をしてて格好以外は普通だ。
私にはあんな風に器用にナイフとフォークを使える気はしないけど当たり前に両手で食事をしている。
でも格好が物凄く変。
お店に全然合ってない不似合いで趣味の悪いローブを着て、顔には目から上を隠すような仮面を着けている。
物静かな感じだけど、とにかく怪しい人だと思った。年も良くわからない。
もう一人は綺麗な女の人。
お手入れをしているんだろう素敵な黒髪に、見た事のない綺麗な服を来てた。
姉よりも、少し年上かなあ。
とても優雅で、お店にも負けてない。
格好だけは。
何か観察しようと思っても、食べ方が気になって仕方ない。
ナイフはテーブルに置かれたまま。
フォークだけを持ってひと皿ひと皿運ばれてくる料理を豪快に突き刺して一口で食べてしまっていた。
美味しそうだけど……勿体ないよう。
育ちが良さそうなのに、テーブルマナーは知らないのかな。
でも相手の男の人は知ってるみたいだし、やっぱりよくわからない。
二人は小声で何か話しているみたいに見えるけど、その内容は聞き取れない。
違う場所の光景を見れるだけでも凄い事だけど、音についてはお店全体の音が響いている感じで、二人の会話に集中している訳じゃないみたいだ。
不意に、お腹が鳴る。
思わずお腹に手を当てる私。
だって、しょうがないよ……。
まともにご飯を食べたなんて一昨日の事だし、こんなに美味しそうな食事風景を見たらお腹くらい誰だって……。
頭を横に振る。
いけない、今はそんな事を恥ずかしがっている時じゃなかった。
二人以外のお客さんの姿も少し見えた。
このベースではあまり見ないような上等な服を来た人ばっかり。
たまに商売の用事で絶野に来る商人さんや、貴族様があんな感じだったと思う。
そんな場所で食事を取るなんて、やっぱりこの二人もお金持ちなんだろうか。
だったら、言葉遣いとか、私の今着てるみたいな汚い服じゃ相手にされないかもしれない。
どうしよう。
おじさんに言って、服だけでも用意してもらった方がいいかな……。
色んな事を一生懸命考えながら、私は仮面の人と黒い女の人の食事風景をじっと見つめる。
あれ?
仮面の人が何か、やった。
なんだろ、ぼうって何かが淡く……。
食事の手を止めて女の人に何か伝えようとしているみたいに見える。
話せばいいだけだと思うけど……。
何度か、その様子は続いた。
黒い女の人も手を止めてソレを見ているみたい。
ビクッとなったりホッとしたり、何か、可愛い。
あ、そっか。
もしかして。
あれ、文字?
もしも会話じゃなくて文字を使ってやりとりしてるのかも。
私の見ている角度からだと、それを正確に見て取る事は出来ないけど、もしそうなら女の人がコロコロ表情を変える意味がわかるもん。
私が声を掛けるなら、その時はどんな風にすれば疑われないかな。
驚く方がいいのかな、そんなの平気って気にしない方が気に入ってもらえるのかな。
なんだか、仮面の人の機嫌が悪くなってきている気がする。
周りが気に入らないみたいな、イライラしてる感じがする。
私が周囲の目を気にしすぎるから、そう感じるだけかなあ。
あ、立ち上がった。
美味しそうなアイスクリームを食べ終えて、二人は席を立った。
仮面の人は水を飲んでいたみたいだけど、黒い女の人は食事中も色の付いた飲み物を飲んでいた。
多分、お酒だと思う。
水みたいにゴクゴク飲んでて、アイスの後にも最後にグラスを一つ空にしていた。
おかわりの度に給仕の人が来て注いでいたから量はわからないけど、私が見ていた間だけでも多分二本、もしかしたらそれ以上飲んでいる。
なのに、そんなに酔ってもいないみたいで仮面の人に身体を寄せながら、でもちゃんと自分で歩いていた。
きっと、飲んでも大丈夫なお酒の量がわかっている人なんだ。
姉もあのくらい、自分のお酒の強さを自覚してくれれば、潰れて帰って来る事も少なかっただろうなあ。
不意に少しだけ、姉の事を思い出した。
「出たか。女はかなり酒を飲んでたな。酔い潰れりゃ、多少強引な手も使えたがそう上手くもいかんか」
「おじさん。私、この服で大丈夫かな? 相手にしてもらえる?」
「服か……。大丈夫だろ。しばらく前にいなくなったお姉ちゃんを探してますって言うなら綺麗な服を着てるのも不自然だ。そのままで行け」
「……はい」
「状況がわかる距離にいてお前を見ていてやるから、上手くやるんだぞ」
見ていてやる。
見張ってるからな、って意味だよね。
背中がぞぞっとした。
もう、やるしかないんだ。
「大丈夫」
「なら来い。あいつらと会える場所に行くぞ。こっちだ」
言われるまま、ボロボロの服を来た私は夜道を歩く。
人通りもあまり多くない場所。
私はポツンと一人残された。
見張られているから、失敗は出来ない。
少し前までは怖いと思ってた一人の夜道なのに、私はそんな事はすっかり忘れて別の事を怖いと思ってた。
来た。
二人連れ。
見える影も大体、あの二人に間違いない。
私は道の端から真ん中に出て、二人が私に近づいてくるのを待った。
絶対に止まってくれるように、二人が進むのを邪魔するみたいに。
仮面の人と女の人が私の少し前で立ち止まった。
何か囁くように女の人に話す仮面の人。
やっぱり内容は聞き取れない。
少しだけ、脚が震えてきた。
でも私の都合なんてお構いなしに、話を終えた女の人が私を見た。
っっっ!
目が合って私は足の感覚が無くなるのを感じた。
お尻から下が無くなっちゃったみたい。
怖い。
この女の人、怖いよ。
私を見る目。
初めて向けられる目だった。
何の興味も持ってない、多分何の価値もない石ころを見るみたいな、物を見る目。
人として見られていないんだって、すぐにわかった。
「子供。何か用ですか」
「あ、あの、わた、わたし」
「邪魔です、どきなさい」
「ひっ」
冷たくも暖かくも無い。
そのどちらよりも辛い言葉。
さっきまでの気持ちが全部無くなっちゃったみたいに、気がついたら私はへたりこんでしまっていた。
足の感覚どころか、もう全身が痺れたみたいで、指先とか顔とか、ほんの少しだけ、私がまだいる、って事を教えてくれていた。
もう駄目だって思った。
言われた事も出来なくて、失敗しちゃったと物凄く悲しくなる。
でも、女の人が次に何かを言う前に、仮面の人が女の人を手招きして、その頭をスパーンと勢いよく叩いた。
ホントにスパーンって聞こえた。
どうでもいい事だけど、何だか凄く驚いた。
仮面の人は右手で宙を指差して女の人に何かを伝えている。
ああ、やっぱりあれは文字だったんだ。
共通語だ。
私たちヒューマンが使う言葉。
話すだけなら女神様の祝福でヒューマンなら誰だって出来る言葉。
読み書きは勉強しないと駄目だけど、私はそれなりに出来る。
ええっと。
[お前は小さい女の子相手に何をやっているんだ。脅かしてどうする]
「お、脅かしたりなんてしていません、若様。邪魔なのでどかそうとしただけで……」
[用事があるかを聞いて欲しいと言っただろう。どうしてどかす話になるんだ]
「だって、用事は言いませんでしたし……。それに若様とのお散歩を邪魔されているのも面白くないです……」
仮面の人の文字と女の人の声。
女の人は私に向けた時とはまるで違う、暖かい感じで、でも困った感じで。
何となく食事の時の彼女を思い出しちゃう様子だった。
「ふふふ」
しまった、と思ったのは笑ってしまった後の事だった。
へたりこんだまま、私は二人を見て笑ってしまった。
物凄く怖かった人が今は笑えるようなやり取りをしていて、気が抜けていた。
馬鹿な事をしちゃったと思っても、もう遅い。
「なにがおかしいのですか」
[やめろ、澪。もうお前はいいから]
仮面の人が私に近づいてくる。
[連れが怖がらせたようで、済まない。文字、読めるかい?]
頷く。
何だろう、この怪しい人。
目は仮面に隠れて見えないけど、不思議な感じがする。
[良かった。僕らに何か用があるの?]
柔和な雰囲気で文字を宙に書き出す仮面の人。
さっきの声の感じ、意味はわからなかったけど、この人は思った通り男の人だろう。
ローブが地面についちゃうのも気にしないで、しゃがみこんで私と同じ高さに顔を下げてくれている。
そっか。
この人……。
「わたし、リノンって、いいます」
[うん。リノンちゃんか。僕はライドウ。あの人はミオ。旅の商人だよ]
頷いてくれたり、手で女の人を指してくれたり。
ちょっと大げさにも見える動き。
この人は、私を子供として、扱ってくれる人なんだ。
ここじゃ、考えられない事。
弱い子供であると知っても、つけこもうとしない。
ライドウさんみたいに優しくしてくるのは大抵が本心を別に持っているけど、この人からはそういうのを感じない。
優しい人、なんて絶野で会える事はまずないって思ってたのに。
「あの、お願いがあって」
[僕に?]
「はい。その」
[ゆっくりでいいよ。落ち着いて話して]
理由は、よくわからない。
その文字を見た時。
私は、姉が戻ってこなくなってからずっと我慢していたものが切れてしまったのを感じた。
「う、ふぇ……」
[リノンちゃん?]
「う、ううっ……リノンでいいで、うあああーーーん!!」
私は目の前にいる初対面の男の人に抱きついた。
いや、抱きつこうとした。
でも足に力が入らないままだった私は手と顔、それに辛うじて上半分を動かしてライドウさんの膝に抱きついて泣いた。
半分地面に寝転がった、格好悪い姿勢で。
「なっ!? この、離れな、え、ええ!? でも若様、お召し物が汚れますし、その、そんなのでも一応女で、うう、はい……。わかりましたぁ、若様のよろしいように! もう!」
ミオ、と紹介された人が私とライドウさんの向こうから何かを言っていた。
ライドウさんと何かやりとりをしてるんだって事はわかるけど、私はただただ大声で泣いていた。
お姉ちゃんを探して欲しいって事だけ、何とか喚きながら伝えると、後はもう何を口走ったのか、よく覚えていない。
こうして私は、怪しいけど優しい、とにかく不思議なライドウさんと出会った。
◇◆◇◆◇◆◇◆
昼の日差しが容赦なく降り注ぐ中。
私はライドウさんがいる宿に戻ってきた。
あまり、気分はよくない。
ううん、最悪だ。
昨夜は物凄い格好悪い事をして泣き喚いた挙句、ライドウさんの泊まっている高級宿に泊めてもらった。
そこには、話に聞いていた強い女の人のもう一人がいた。
トモエさんと言って、誰かをベッドに寝かせていた。
凄いお部屋だった。
宿に入った瞬間から緊張していた私は、その部屋に入った時にバカみたいに口を開けて思考が止まったのを覚えている。
部屋は何個もあって、どれも私たち姉妹が住んでいた家よりも広い。
それにキラキラした飾りもそこら中にあって、お姫様がいる部屋みたいだと思った。
当たり前みたいにその部屋で過ごすライドウさんを見て、この人が何者なのか、またわからなくなってしまった。
この時の私は、彼をお人好しなお金持ち、なんだと思っていた。
病気みたいなもので話が出来ないと言っていたライドウさんはトモエさんと何か長いこと話していて、何語かはわからないけど話せるんだと思って聞いてみたら呪いのせいで共通語を話せないんだと教えてくれた。
魔族の仕業だと思ったけど、違うみたいだった。
でも何故か、トモエさんからはお礼を言われた。
何か怒られていた最中だったのかな。
お説教だった感じもしたから。
二人は、寝かせていた人が男の人じゃなくて女の人だった事で何か話している様子だったけど。
私は姉の特徴を聞かれたり、別の部屋に行っているように言われたり、お湯を使わせてもらって体を拭いたり。
何だか慌ただしくしている内に寝てしまった。
多分、お湯が一番の理由だと思う。
すごく気持ちよかったから。
……体を拭き終わった後のお湯の色は思い出したくないけど。
ちゃんと綺麗に掃除もしておいたからきっとバレていないと信じてる。
そう言えば……絵が描ける事を褒めてもらって姉の似顔絵を描いたっけ。
たかが絵を描けるなんて何の役にも立たない事なのに、凄く褒めてくれて私は全力で最高の似顔絵を描いた。
好きな事を褒めてもらえるのは凄く嬉しい。
ライドウさんに見せると、凄く驚いた顔で姉の似顔絵をじっと見ていた。
一瞬、姉が好みのタイプなのかと思ったけど、何だか違う感じだった。
次の日、つまり今日の朝会った時には優しい感じに戻っていたけど。
ライドウさん、仲良くなれるかと思ってお兄ちゃんって呼んでみたら、ライドウさんには妹がいるらしくてその人を思い出したと言われた。
でも嫌な顔はしなくて、呼びやすいならそれでいいよ、と言ってくれた。
この頃には、筆談にも慣れて普通に話せる感じになってて、私はお言葉に甘えてお兄ちゃんと呼ぶ事にした。
実は最初はお兄さんにしていたけど、何だか呼びにくかったからお兄ちゃんにしたんだ。
呼ばれ方にはあまり気にしていないみたいだった。
女の人は二人ともいなくて、私とお兄ちゃんは商人の集まるギルドに向かう事になった。
馬車に荷物を積んであったからそれに乗って行ったんだけど、何とお兄ちゃんは旅の商人なのに馬車が動かせないと言った。
信じられない。
物腰からも思ったけど、この人はただのお金持ちじゃなくて凄いお金持ちなんじゃないかと思った。
仕方なく私が手綱を握って商人ギルドに行った。
用事があるのは商品を売る場所なんだけど、商人ギルドと併設しているから一緒の事なんだ。
そこで私がボロボロの服で奴隷と間違えられた時、お兄ちゃんは別に私はそんなの気にしないのに商人さんに態度を直させていた。
普段見下されしかしなかった人に謝られて頭を下げられて、すごくびっくりした。
それから私は……お兄ちゃんの所から、家に一度戻るって無理に飛び出してきて。
おじさんと会った。
何とかお兄ちゃんから聞き出した事を全部教える。
嫌な事をしてるって気持ちが、どんどん大きくなるけど、姉を助ける為だって自分に言い聞かせていた。
でもおじさんは私の聞き出した事では足りなくて、姉にはもう会わせないって言ってきたんだ。
約束が違う!
私は必死で頼む。
お兄ちゃんもお姉ちゃんも。
どっちも好きだけど、でもどっちかしか選べないなら私はやっぱりお姉ちゃんを選ぶ。
お兄ちゃんは優しくしてくれたけど、私の本当の兄じゃない。
お姉ちゃんはどうしようもない所もあるけど、私のたった一人の家族だから。
お兄ちゃんに聞かれたら、きっと見捨てられちゃうような事も言いながら、私はおじさんにお願いを繰り返した。
「……そこまで頼まれたら仕方ねえな。最後にもう一仕事してもらおうか。それで姉ちゃんを返してやるよ。借金もチャラにしてやる」
「!! そんな事が出来るの!?」
「ああ、簡単だ。いいか、ライドウが今持っている金貨五百。俺の所に持ってきな。リノンはまるで疑われてもいねえみたいだから、簡単にやれる。どうやら、強いのは連れの二人だけで、あいつは大した事がないみたいだからな」
「で、できないよ! そんなの泥棒だよ!」
言っておいて、私は口を手で押さえた。
私、できないって……言えない。
「またできないよ、か? 俺は別に良いぜ?」
「……全部盗んじゃうの?」
「袋からわざわざ金を出して持ってきたら、バレやすいだろうが。袋ごと、持ってこい」
「でも、トモエさんとかミオさんが戻ってきたら大変な事になっちゃう……」
「そんときゃあ、お前が謝りな? 盗るのはお前、俺はお前が落としたそれを拾うだけのこった」
「そんな……」
ずるい。
この人、最低だよ。
お姉ちゃん、なんで?
なんで借金までしてこんな場所にしがみつくの?
ご先祖様の事なんて、私達には関係ないのに!
どこかの街で普通に暮らせればそれで十分なのに!
優しくしてくれた人のお金を盗むなんて、絶対嫌だ。
絶対、嫌、なのに……!
「俺もそろそろ屋敷に戻らなきゃいけねえんだけどな。どうするんだ、リノン?」
「すぐに、戻るよ」
「お前は本当にイイコだよ、リノン」
五月蝿い!
大声で怒鳴ってやりたかった。
でも、私に出来たのはそう心で呟く事だけ。
そして、今私はライドウさんの部屋に向かってる。
姉を探してくれるって言ってくれた恩人からお金を盗もうとしてる。
最低だ。
最低だよ、私。
「っ?」
床が、少し揺れた気がした。
地震?
でも絶野で地震なんてこれまで一回もないのに。
また。
今度はかなり揺れた。
横に揺られるみたいな、大きな揺れ方。
私は窓から外を見た。
窓の縁を両手で掴んで揺れても転ばないように気をつけながら。
「え?」
何か、変だ。
目で見た事が信じられなかった。
違和感の正体にはすぐに気付いた。
街の建物が減ってたんだ。
また、揺れた。
ああ。
揺れの正体もわかっちゃった。
黒いナニカが建物にまとわりついて、潰すように飲み込んでいる。
それが振動になってこっちにまで伝わってきていたんだ。
それだけじゃない。
黒いのが建物を食べてしまった直後に、今度は別の建物が真っ二つになった。
剣で斬られたみたいな綺麗な真っ二つ。
そうなった建物はすぐに真っ白になって、塵になって崩れて消えちゃった。
今度は揺れなかった。
でも、怖さは感じない。
怖くないんじゃなくて、怖すぎるからなのかもしれなかった。
私はその時、何故かお兄ちゃんと一緒にいた二人の女の人、トモエさんとミオさんを連想していた。
強い二人ならこの位、やるかもしれないと思った。
バレたんだ。
そう思うのと同時に目を瞑った。
お金なんて盗んでる場合じゃない!
謝って許してもらわないと、絶野が壊れちゃう!
お兄ちゃんの部屋に向かっていた私は宿の入口に急いだ。
どこか、見える範囲にいてくれれば!
玄関部分を走り抜け、ようとして私は立ち尽くした。
「なにも、ない?」
真っ先に見た、おじさんが待っている筈の場所はもう何も無かった。
ううん。
この辺りに沢山立っている宿どころか、見える場所にあった建物が殆ど、無い。
人の姿も、無い。
初めて見る、絶野の姿。
宿の入口で足が止まって身動きが取れなくなった私は、周囲を見ていた。
動く影が見えた。
複数の人影だった。
そこには、姉らしき人もいた。
他にも何人かいたけど、足を止めていた。
動いていたのは、二人だけ。
トモエさんと、ミオさん。
やっぱりあの人達が、やったんだ。
二十年以上続いた最前線のベースを、穴ボコしかない場所に、変えちゃった。
全身が震えて止まらない。
何で震えているのか、怖いって思う前に震えだした。
一直線に私の所、ううん、お兄ちゃんのいる所に戻ってくる二人の女の人。
姉が私に気がついたのか、こっちに向かって走り出したのが見えた。
「お姉ちゃん、無事だったんだ……よかった」
今頃になってようやく、私は姉の無事を理解した。
嬉しい。
嬉しいけど、これから私がどうなっちゃうのか、凄く不安だった。
お兄ちゃんは、これを見てなんて言うんだろう。
◇◆◇◆◇◆◇◆
私は今、馬車を動かしている。
隣にはミオお姉ちゃんがいる。
反対側にはライドウお兄ちゃんがいる。
私は真ん中だ。
荷台には姉と、一緒に捕まっていたっていう冒険者の人たちがいる。
トモエお姉ちゃんは一人で吠えながら荒野に消えたってお兄ちゃんが言ってた。
深く考えたらダメだ。
私も姉も、何とか生きてる。
お兄ちゃんは私たちをツィーゲまで送ってくれるって言ってくれた。
ミオお姉ちゃんがいるから襲われても全然怖くないの。
凄い、幸運だと思う。
あんな暮らしから、街で生き直すチャンスまでもらえちゃったんだから。
ありがとう、ライドウお兄ちゃん、ミオお姉ちゃん、トモエお姉ちゃん。
恥ずかしいからあんまり何度も言えないけど、凄く感謝してるよ。
手綱を握りながら、私はツィーゲに着いたら似顔絵描きでもやって少しでもお金を稼ごうかな、なんて考えていた。
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