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beロゴ2012年10月27日付紙面から
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見学の外国人看護師から「あなたがエンペラーの手術をしたドクターですか」と尋ねられ、「イエス」と答えた=東京都文京区
見学の外国人看護師から「あなたがエンペラーの手術をしたドクターですか」と尋ねられ、「イエス」と答えた=東京都文京区

ピッ、ピッ、ピッと心拍のモニター音だけが響く。10人ほどのスタッフが立ちあう手術室は静まりかえっている。

患者のかたわらの小さな椅子に腰を掛け、縦にまっすぐ切り開いた胸の内側に、超音波メスを入れる。上下に走る直径2ミリほどの細い「内胸動脈」をはがしていく。少しずつ、丁寧に。丁寧に。

この動脈は、患者がこれから安心して暮らすための命綱だ。心臓の筋肉に血液を送れなくなった冠動脈の代わりを果たす。だから大切に扱う。

東京・御茶ノ水駅に近い順天堂大学付属順天堂医院。心臓が拍動する状態のまま動脈を縫い合わせる、オフポンプの冠動脈バイパス手術が進む。開始から約2時間、鮮やかで迅速な手さばきで、動脈にうまく血液が流れていることを確かめた。

今年2月の天皇陛下への執刀と同じ手法だ。以来、その名が一躍世に知られるようになっても、常にベストを尽くす姿勢は変わらない。

この日は午前9時26分に手術室に入った。患者は3人。1人が終わると次の患者が待っている隣の手術室へ。昼食は抜き。短い休憩で口にしたのはマスカットのブドウ3粒とスナック菓子だけだった。複雑な人工弁手術もあり、3人目が終わった頃は、時計の針が午後7時を過ぎていた。

そんな臨戦態勢は日常茶飯事で、自宅が千葉県にあったときは、着替えを一週間分持ち込み、病院に泊まり込んでいた。今年、都内に引っ越してからも、自宅には短い時間寝に帰る程度だ。

「病院にいる方が気が楽で疲れませんよ」

心臓外科医としての経歴は異色だ。1983年に日本大学医学部を卒業してから、大学の講師や准教授のポストに就かずに教授に就任。海外で腕を磨いた経験もない「純国産」。腕一本で人生を切り開いてきた。これまでの心臓手術は約6千件に達する。

教授を頂点に専門分野ごとのピラミッド組織である大学の医局制度に、違和感があった、という。就職先を世話してくれる一方、どこの病院に勤めるかは教授の意向次第。「学生実習の時、先輩外科医が手術で命のやりとりに関わっていないのを見て、医局に入ってもしょうがないと思いました」

都内の病院で研修医をした後、手術を多く経験できそうな亀田総合病院(千葉県鴨川市)の心臓血管外科に就職した。米国帰りの上司は、若手にバイパス手術などを任せてくれた。

しかし91年にそこも離れると、医師向け雑誌の求人広告で見つけたのが心臓血管外科を新設する新東京病院(千葉県松戸市)だった。「就職したい」という電話に、同病院の部長は、学会で、積極的に質問してくる若者の名前を覚えていた。

初め無名だった病院の名を、多くの手術を成功させて評判を高めることに貢献するまで、時間はかからなかった。世界の中でも日本で急速に普及、進化してきたオフポンプ手術も、ここで始めた。

自らを駆り立ててきたのは「誰にも負けない心臓外科医になる」という求道心。権威におもねらず直言する率直さ。ヒーローはアントニオ猪木さん、楽しみはパチンコという勝負師スピリット。

「将来、自分がこうなりたいという姿を描け。トップになるという意志を持て」

若い外科医たちにも、そう鼓舞する。

抜きんでた才能に、日本の医療界は多くのチャンスを与えてほしい。「天野は特別」にしてはいけない。

プロフィール

天野篤(あまのあつし)

1955年、埼玉県生まれ。

77年、3浪して日本大学医学部に入学。父親が心臓病だったのが医師を志したきっかけ。大学ではテニス部に所属。

83年、同大卒業。都内の病院の研修医を経て85年、亀田総合病院に。

91年、新東京病院へ。当時部長だった須磨久善・須磨ハートクリニック院長は「のみ込みがすごく早い。このやり方ではダメだと言ったら、すぐに、これではどうかと納得できるものを見せてくれた」。94年、須磨さんの後を継いで部長に。バイパス手術の数が全国でもトップクラスになり注目される。

2002年、順天堂大学医学部心臓血管外科教授に就任。

12年2月、東大と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術に臨み、執刀医を務める。

高校生の頃からプロレス好きで、「燃える闘魂」のアントニオ猪木さんの大ファン。陛下の手術後、雑誌で対談が実現し、意気投合して盛り上がった。手術も真剣勝負。猪木さんの名言「いつ何どき、誰の挑戦でも受ける」を心に刻む。

日曜日にゴルフに出かけるのが楽しみ。妻と息子、娘の4人家族だが、忙しすぎて一緒に夕食という機会は月2〜3回。

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