補助金打ち切り
2013年3月28日
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共生社会の歩みに背く
県の2013年度当初予算案が県議会で可決され、県内の朝鮮学校への補助金打ち切りが決定した。学校法人神奈川朝鮮学園によると、運営する5校の年間予算の3分の1を補助金で賄っており、民族教育の存続が危ぶまれる事態だという。
北朝鮮の核実験を理由に補助金を予算計上しない判断を下した黒岩祐治知事とともに、予算案を承認した県議会も責任の一端を背負うといえよう。
私立学校経常費補助金の目的は、学びの環境の維持と保護者の経済的負担の軽減にある。同じく各種学校として認可されている外国人学校(中華系2校、インターナショナル系3校)とともに朝鮮学校が支給対象とされてきたのは、存在が県民にとって必要だと認められてきたからに他ならない。
県内の外国籍住民は160カ国以上、17万人近くに上っている。多様な民族の価値観、文化を尊重してこそ、日本人を含めた一人一人の人権が大切にされる社会が築ける。そうした理念の下、県はこれまで多文化共生社会を目指してきた。
少数者のための民族教育が大事にされなければ、その実現はあり得ない。だからこそ、補助は36年間途切れずに続いてきた。
それはまた、1975年に当時の長洲一二知事が提唱した「民際外交」に始まり、時代とともに「内なる国際化」「ともに生きる」と標語を変えながら、県民の理解を深めようと努めてきた県政史に重なる。補助金打ち切りは、その歩みを断ち、掲げてきた理念を否定することにつながる。
いま一度考えるべきは、朝鮮学校はなぜ存在するのか、という意味だ。
その歴史は、日本による朝鮮半島の植民地支配にさかのぼる。奪われた民族の言語、文化を取り戻すために終戦間もなく誕生したのが始まりだ。過去の歴史的責任に鑑み、とりわけ配慮がなされるべきであるのが朝鮮学校だといえよう。
過去と未来にどう向き合おうというのか。在日コリアンの学びやは日本社会の姿勢を映し出す鏡である。
補助金の是非をめぐる議論では、拉致問題などの教え方が問題視され、より開かれた学校となるべきだ、といった意見もあった。今回の補助金打ち切りは、扉を閉ざし、歴史に目をつぶってきたのは、実は自分たちの側だったのだということを示してもいる。
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