「異次元緩和」はなぜ失敗したのか

池田信夫

2013年06月07日 22:19

日経平均株価は、黒田総裁が4月4日に「バズーカ」を撃ったときの水準を下回り、長期金利は0.9%前後に定着し、住宅ローンも長プラも上がり始めた。その影響を受けて不動産バブルも崩壊し、REITはピークから25%も下がった。80年代後半に比べれば、人々がバブルに早く気づいてよかったというべきだろう(テクニカル)。

その最大の原因は、黒田総裁の打ち出した「期待に働きかける」という金融政策が意味不明で、80年代の「ジャパン・アズ・ナンバーワン」のような物語としての迫力に欠けたからだろう。人々の予想(期待)がどう形成されるかについては、経済学に標準的な理論はないが、大別して次の2種類がある:
  1. 合理的予想(未来の経済状態を予想して計画を立てる)
  2. 適応的予想(過去の実績をもとにして少しずつ修正する)
ちょっと前に一世を風靡したのはAで、これはすべての人々が永遠の未来にわたる定常状態を正確に知っていると仮定し、それにもとづいて消費を動的に最適化すると考える。さすがに今はこういうハードコアのrational expectationは減って、いま主流のDSGE(ニューケインジアン)では「定常状態は存在するかもしれないが、現実には価格の硬直性などがあるのでケインズ的不均衡が短期的には残る」と考える。

これに対して行動ファイナンスや計量モデルなどで使われるモデルには、Bが多い。人々は何も変化がないかぎり今期の状態が次期も続くと予想し、今期に変化があった場合はその変化率を外挿して次期の状態を予想する。これだと定常状態に収斂するとは限らず、期待が期待を呼んでバブルが起こる場合もあるが、現実の相場の動きはこれに近い。

黒田氏のいう「期待」はどっちなのだろうか。Aではないことは明らかだ。すべての人々が将来にわたる消費を最大化する定常状態を知っているなら、デフレのような不均衡は起こりえないからだ。かといってBに従うなら、15年にわたってデフレが続いてきたのだから、今後もデフレが続くと予想するのが普通だろう。

そこで考えられるのが、クルーグマンのように「*年後に*%のインフレが起こる」と予言することだ。しかしこのためには、それを確実に実現する手段が必要だ。たとえば今のインフレ率が3%なら、利上げによってそれを2%に抑制することは可能であり、中央銀行が「インフレが2%になるまで政策金利を上げる」と宣言すればいい。

しかしその逆は困難だ。特に政策金利がゼロになってしまうと金利調節がきかず、マネタリーベースにも意味がないので、物価が上がると人々に信じさせる他の手段が必要だ。その一つがインフレ目標だが、これもクルーグマンが認めるように、中央銀行がインフレを起こす能力がないのに目標を設定しても信じる人はいない。

そこで出てきたのが、(景気回復などの)何らかの原因で将来インフレが起こった場合も中央銀行は引き締めないで、一定の期間ゼロ金利を続けるという時間軸政策である。これは日銀が実施し、Eggertsson-Woodfordも理論的に意味があることを証明したが、効果は限定的だった。

少なくとも経済学で中央銀行による予想形成という場合は、この時間軸政策(forward guidance)しかない。Woodfordもその後の各国の経験を踏まえて検証しているが、FOMCの「2013年までゼロ金利を続ける」という時間軸政策は、次の図のように市場参加者の政策金利に関する予想に影響を与えた。

キャプチャ
2011年に市場参加者の予想したゼロ金利の継続期間の中央値(単位:四半期)

このように時間軸政策に効果があるのは、政策金利は中央銀行がコントロールできるからである。ゼロ金利では日銀は物価をコントロールできないので、黒田氏のように「メカニズムはよくわからんが、2年でマネタリーベースを2倍にするといえば、みんなびっくりしてインフレ予想が起こるだろう」といったいい加減な話では、市場の予想は変わらないのだ。

公平にいえば、心理的な効果でインフレ予想が起こる可能性もあったので、黒田氏の実験はまったく無意味とはいえない。しかしこの2ヶ月でインフレ予想は起こらず(BEIも下がった)、株価も地価も暴落し、長期金利は上がってデフレ効果になった。彼の仮説は事実によって反証されたのだから、もう撤退のときだ。財務省もこれ以上金利が上がっては困るので、彼の名誉が傷つかないようにフェイドアウトさせるだろう。

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経済学者。株式会社アゴラ研究所代表取締役

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