韓国の民族主義・ナショナリズムの特徴とその問題点

 

 

 「ナショナリズム」。辞書を引くと、民族主義、国家主義、国民主義、国粋主義などと出ている。これらを簡単に言ってしまうと、民族や国家の優秀性を主張したり、それらの結びつきを強める考え方といったところだろうか。政治的には、それにより国民などの意識を高揚させ、何らかの目的を達成するために「ナショナリズム」が用いられることがある。政治家の支持率向上や、プロパガンダ、ともすれば戦争のために使われたりするのだ。この「ナショナリズム」、また「国粋主義」などは、日本の場合、太平洋戦争までの、軍部が台頭していた時代の「国体護持」と絡めて語られることが多い。現在でも、「愛国心」教育や憲法問題、靖国問題などで保守派と革新派が対立しており、「ナショナリズム」という言葉の聞こえはあまりよろしくない。もちろん、自分の住む国、地域を愛することは大切であるが、声高に叫ぶと誤解を生んでしまうことがあるのが現実だ。

 

さて、海外にも「ナショナリズム」というのはもちろん存在する。最近の例で印象に残っているものでは、2001年9月11日の同時多発テロ以降のアメリカ社会ではなかっただろうか。建国以来初めての本土襲撃に、世界最高の国家を自負するアメリカ国民は、強い衝撃を受けた。その後、その怒りと悲しみは、国民の一致団結という方向へと変わっていった。元々国旗好きであったアメリカ国民だが、この当時は、各戸に星条旗が掲げられるといった現象が起きた。その後、世論はアフガニスタン攻撃へと傾き、テロとの戦いの名の下に、アフガニスタンへの空爆が断行されたのは記憶に新しい。ナショナリズムは、過激さを増すと、時にとんでもない方向へ進むこともあるのだ。

 

今度は「民族主義」という言葉について考える。民族主義とは、民族の独立と自立、統一を重視する思想である。元々は、民族自決の考えということであったが、右翼的な思想という意味も強い。それらの考えは、自民族優位の考え方に発展することもあり、また排他性を持つことも特徴の一つである。第二次大戦後、西ドイツに興ったネオ・ナチズムも、ドイツ民族の優位性と異民族排斥を訴えている。程度の差こそあれ、このような民族主義といったものは、世界中に存在するのではないだろうか。

 ニュースや新聞、雑誌などのメディアで「民族主義」や「ナショナリズム」といった言葉と絡めてよく登場する国がある。それは日本のお隣の国、大韓民国である。以前から日本とつながりの深い国で、最近では以前に比べてメディアに取り上げられることも多くなった。今回は、この韓国にスポットを当てて、韓国での「民族主義」、「ナショナリズム」の特徴と問題点を見ていきたいと思う。

 

1、ワールドカップにおける韓国のナショナリズム

 

2002年6月、日韓共催ワールドカップが行われたのは記憶に新しい。そのときの韓国人サポーターの熱気は凄まじいものであった。ソウル市庁舎前の特設会場には最大で15万人のサポーターが駆けつけ、辺りはTシャツの赤で染まった。試合の経過に一喜一憂し、サポーターからは「大韓民国(テーハンミング)」コールが鳴り響いた。日本でもサポーターの応援は熱狂的だったが、韓国のそれは日本の比ではなかった。

その熱気が思わぬ方向に飛び火してしまったのが同年の1月に行われたソルトレイクシティーオリンピックであった。スピードスケートのショートトラックで、アメリカの選手が韓国人選手の進路を妨害してしまったため、取れると思われていたメダルを逃してしまったのである。これに怒った韓国の人々は、米軍による女子中学生轢き殺し事件と重なり、反米感情をあらわにした。星条旗やブッシュ像を燃やすなどのパフォーマンスも行われたのである。

そして、ワールドカップのアメリカ対韓国の試合が行われたとき、スタジアムは凄まじい興奮に包まれた。韓国人選手がゴールを決めたとき、彼は他の選手とともに、スピードスケートの物まねを見せ付けたのであった。ショートトラックの雪辱を晴らしたともいうパフォーマンスであった。韓国の人々のナショナリズムはこのときに頂点に達したともいえるだろう。会場はもとより、街頭応援していた市民たちもそのパフォーマンスに拍手を送った。このときの状態は、今から考えれば異常ともいえるものであった。韓国は、その後も順調に勝ち進み、アジア初のベスト4進出という偉業を成し遂げた。準決勝では韓国はトルコに敗れてしまったが、試合後、トルコの選手と韓国の選手が手をつないで高らかと手を挙げ、スタンドに歩み寄ってきたのだ。このパフォーマンスには、サポーターは大変喜んだ。ワールドカップで初勝利し、ベスト4まで進めたという満足から、偏狭なナショナリズムではなく、真に選手に激励を送った瞬間であった。

ワールドカップでの韓国の人々のナショナリズムというものは、国民が一緒になって同じ興奮を共有することで生まれたものだった。しかし、ただそれだけのことであり、純粋に自国に勝ってほしいというナショナリズムであったのだ。その興奮から、韓国が敗退でもしたら暴動が起きるとまで言われたが、それを乗り越えたのは、ほかでもない韓国人自身であった。

 

2、「ウリ」にみる韓国の仲間意識

 

韓国には、「ウリ」という言葉がある。辞書を引くと、「我」、「我々」、「うち」と出ている。「われわれ」と訳されることの多いこの言葉、韓国では非常に多く使われる。「ウリナラ(わが国)」、「ウリマ(我が言葉)」、「ウリチ(我が家)」というように、なんでも「ウリ」をつけてしまえば「我々の〜」を表せる。韓国では日本以上に帰属意識が強く、「ウリ」を非常に大切にする。各家には家系図があり、家族間の結びつきを確認するのである。また、「ウリ」意識から、一人で食事などしていると、何かあったのではないかと心配されるようなこともあるという。彼らのあいだでは、「ウリ」の関係になれば、非常に親しい人間関係が構築される。また、仲間には色々と気を使うのだ。

このような「ウリ」意識から、韓国人は人情が厚く、礼儀正しいいとよく言われているが、逆に他人にはお構いなしという習慣もある。道を歩いていて人とぶつかっても知らん振りをする。相手もさして気にしない。日本ではお互いに謝るだろうが、韓国ではそのようなことはしない。これは、他人が「ウリ」ではないためだ。韓国では「ウリ」は大事にされるが、そうではない「ナ(外、他人)」は重要視されないのだ。

この韓国人の「ウリ」意識が、仲間うちの関係から「ウリナラ」、国家単位になったとき、諸外国からみると、閉鎖的で排他性を帯びていると感じてしまうのだ。しかし、この言葉、「我々」と訳すには奥が深く、難しい概念だ。「ウリ〜」と強調するあまり、他の国の人からは愛国主義のように思われるが、彼らにそのようなつもりはない。ただ、韓国のナショナリズムを語るうえで、「ウリ文化」ともいえる、仲間意識にヒントが隠されているとも思えるのだ。

 

3、反日感情と民族のアイデンティティー

 

韓国といって、日本人なら誰でも思い浮かべるイメージに、極度の反日感情というものがあるだろう。また、この反日感情の根底には日本の35年にわたる朝鮮半島統治があることも知られている。しかし、半世紀以上を過ぎた今、果たしてそのできごとだけで反日感情を引きずることができるのか。もちろん戦前の日本の蛮行を軽視するというわけではないが、程度が過ぎるのではということだ。たとえば、アメリカが核配備を進めようとすれば、唯一の被爆国である日本の国民は怒るし、デモなども起きるだろう。しかし、ニュースなどで流れる韓国の反日デモのように、あそこまでヒステリックかつ過激にはならないはずだ。あれほどまでの反日感情というものは、実は人為的に「作り出された」ものではないだろうか。

1945年、日本は終戦を迎えた。同時に朝鮮半島では「光復」を迎えたのだ。20世紀初頭から日本の統治下に置かれていた朝鮮半島では、まだ近代的な概念での独立国家は持っていなかった。日本からの解放によって、朝鮮民族の手による新しい国づくりを創めるはずだった。しかし、朝鮮半島は、戦後アメリカとソ連による分割統治下におかれることになった。その時点での自力による独立国家の建設は不可能と考えられたからである。約3年を経て、朝鮮半島には分断されたまま二つの国家が誕生した。「朝鮮民主主義人民共和国」と「大韓民国」である。ここでは北朝鮮のことは置いておき、韓国の話を進めていく。

晴れて独立を果たした韓国であったが、大きな問題が浮かび上がった。それは、「国家の正当性」と「韓国人の育成」である。

まず、「国家の正当性」である。韓国の独立は予てから民族の悲願であった。ついにその独立を勝ち取ったわけだが、民族の独立は日本の連合国に対する敗北でもたらされ、国家建設はアメリカの戦略によってもたらされたといえる。しかし、これでは国家の成立過程としては聞こえがよくない。そこで、民族の独立と国家建設は自分たちで勝ち取ったという「事実」が強調された。

戦中、日本統治下の朝鮮では独立運動が起こっていた。そのなかで、独立国家建設をもくろみ活動していたのが「大韓民国臨時政府」であった。彼らは、戦中から対日工作と独立国家建設の準備を進めていたのだ。末期には中国へ逃れていたが、光復とともに朝鮮へと戻ってきた。つまり、光復は自分たちの民族の独立運動と対日工作によりもたらされ、新政府はその活動をしていた大韓民国臨時政府に由来するとして、国家のアイデンティティーを保つことにしたのである。

そして「韓国人」の育成。これには複雑な事情が見え隠れする。日本の朝鮮半島統治中、抗日独立運動が盛んだったのは有名で、特に1919年3月1日の「三・一独立運動」などが知られている。この独立運動は民族主義の象徴として、現在の韓国でも語り継がれている。しかしながら、足掛け35年の統治の後半は、目立った独立運動が起こっていない。理由はいくつかあるが、統治期間が長くなってきたために、一種の慣れが生じて独立の機運が低くなってしまったこと。そして、30年ほどの間に、「日本人」としての教育を受けて育った世代が多くなってきたことだ。日本人として育てられた世代には、朝鮮民族としてのの誇りが失われてしまっても仕方がない。

こうしたことから、新しい「大韓民国」を担う若い世代は「日本人」化してしまい、「韓国人」の育成が必要になったのだ。そして、若い世代に「韓国人」の意識を植え付け、民族の誇りを持たせるため、考え出されたのが「反日」教育なのである。韓国の本当の敵国は北朝鮮であるから、「反共」教育は当然行われた。しかし、同じ民族がいがみ合っている状況では、民族としてのアイデンティティーは確立できない。そうして、民族の独立を妨げ、搾取と蛮行を繰り広げ、あげくに民族を分断させた張本人「日本」をもう一つの憎むべき相手と位置づけ、敵を置くことで、国民を結束させナショナリズムの高揚を図ったのであった。つまり、韓国の反日感情は、韓国政府のプロパガンダの成果とも言えるのだ。

その後も「反日」教育は行われ、「反日」は韓国のカラーと言っても過言ではなかった。日韓で歴史認識にズレが生じたり、日本人には理解できないような反日デモの原因は、このようなところから来ているといえよう。日本への対抗心を糧に、韓国は結束して国を発展させ、経済成長を成し遂げてきたのだ。敵をおいて、ナショナリズムを煽る手法は現代でも使われるが、日本もその対象となっていたことは、日本人として知る必要があるだろう。

 

4、総括

 

韓国のナショナリズムの根底は、独特の「ウリ」意識というものがあるかもしれない。元々、「自分たち」というまとまりを大切にする民族性が韓国ナショナリズムを引き立たせているのだろう。そして、日本の朝鮮半島統治に対する恨みと政府のプロパガンダによって、韓国には「反日」が発生した。「反日」は、国威を高揚させ、民族主義を引き立たせるのに大きな役割りを果たした。現在では、その「反日」も緩やかになり、日韓は新しい時代を迎えた。ナショナリズムは、ワールドカップのときのように、純粋に自国を応援するという、政治色の薄いものに変わっていっている。北朝鮮に絡み、朝鮮半島情勢は、日・韓・米・中・ロを交え、日々変化している。この先、韓国のナショナリズム、民族主義がどう変化していくのか、今後に注目したい。

 

《参考文献》

・インターネット

Japan on the Globe 国際派日本人養成講座』

「お家の事情」の歴史観

「反日」ナショナリズムという病

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogindex.htm

『成田好三スポーツコラム「オフサイド」』

ナショナリズムを超える夢を見た―W杯、最後に…―

http://www.nipponrunners.or.jp/sportscul_narita_column/

『裏辺研究所』

雑学万歳!!

第98回 韓国人のウリ(我々)意識

http://uraken98.cool.ne.jp/zatsugaku/zatsugaku_98.html

 

2003年9月17日提出)

 

なりぃ社会学Top

 

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