福島からの鐘の音 世界に響け ― 復興を願い除染に励む
曹洞宗常円寺住職 阿部光裕氏
2013年6月6日付 中外日報(論・談)
朝6時、母の撞く鐘の音を聞くために、神妙な面持ちで幾人かのボランティアが境内に佇み背筋を伸ばす。除染ボランティア(以下「除ボラ」と略す)が行われる朝のお決まりの光景だ。県外からの参加者を中心にした活動のため、多い日で40人ほどがお寺に宿泊する。この2年で延べ2千人を超すボランティアが集まった。
鐘を撞き終わった後、母が合掌し、深々と除ボラの皆さんに頭を垂れると「お早うございます」という声が自ずと揃う。そのあと坐禅をする人もいれば、境内の草をむしる者あり、食事の準備、宿泊所に掃除機をかける人など、役割を決めずとも各々の持ち分があるようだ。中には寝起きが悪くボーっとしている人もいるが、それを咎める者はいない。
東京電力福島第1原子力発電所から北西に位置する県都・福島市も原発事故後、自然の理にならい放射性物質が降り注いだ。市の南東に位置し、帰還困難区域に指定された飯舘村は"風の道"と呼ばれていた。地形のなせるわざか、年中、風の通り道になっている。そして原発からの風も例外ではなかった。その風は飯舘村からこの地へと流れ、やがて北風とぶつかり南へと舵をきった。そこで大量の物質が舞い降りたのだ。よもや原発から60キロもの距離がある福島市に……。
当時の放射性ヨウ素の貴重なデータがある。福島市の南東に位置する県立医大近辺で3月15日(爆発から3日後)に採取された葉菜の検査記録だ。県が測定し手書きで残したその資料には、ヨウ素だけで1キロあたり119万ベクレルが検出されたことが示されている。
当時医大で医師・看護師などに「安定ヨウ素剤」を配ったのも頷けるデータだ。しかし、私たちにはそうしたデータが公表されることはなかった。
今年の1月、法務省主催の人権フォーラム「震災と人権」でパネリストを務め、こうした事実を伝えた。ところが、後日主催者から報告文書中のこの発言内容について削除したい旨の電話が入った。
医大関係者から「それは医療従事者の既得権益で、なんら問題がない」という意見が寄せられたためだ。私は「百歩譲ってそれを認めたとしても、地震により当時ライフラインの復旧のために何週間もの間、文字通り寝食を忘れ、大量の放射性物質が降り注ぐ中、復旧工事に従事していた人にはなぜ配られなかったのか。彼らには既得権益はないのか」と一蹴すると、1時間足らずで「削除せず、そのまま記録する」との返答があった。明らかな職業差別であったからだ。
どれほどの汚染状況であったのか、今ではそれを知る確かな術はない。
情報が次々と後出しで伝えられる中、何が正しく何が嘘か、何を信じていいのか解らないまま、錯綜する情報の取捨選択・決断を私たちは迫られた。
「万が一にも将来子供に影響があってはいけない。避難しよう」「この程度は問題ない。避難の必要はない」「私はもうこの歳だ。被ばくはあまり気にしない」
かくして「分断」が始まった。
私の息子は、当時小学校の2年生だった。「防護」と「容認」の狭間で心は揺れ、まともな睡眠をした記憶がない。しかし、震災から数日後に身内が急逝し、その荼毘の主となって自らが導師を務めるという出来事があり、流れに逆らう余裕もないまま留まることになった。
震災の年の春の桜は、まるでサングラスでも掛けて見ているように色褪せて見えた。
「このままでいいのか……」自問自答することおよそ2カ月。
「行動」しない人間に真の説得力はない。寺の大般若祈祷会に集まったお檀家・市民に向かって除ボラ活動を中心にした団体を立ち上げることを発表し、賛同を求めた。
何もせずにじっとしている苦痛から解放されるように、"福島復興プロジェクト「花に願いを」"というボランティア団体を立ち上げ、仲間たちと無我夢中で走り続けてきた。
「除染」は「移染」であることは否定しない。身近な所から物質を取り除いて、少しでも生活圏の線量を低減させ安心を取り戻すために、とりあえず移すことだ。そのために必要不可欠なのがいわゆる「仮置き場」だ。私は寺の所有地につくった。震災からわずか3カ月後、日本で初めての「仮置き場」だった。
常円寺の所有地にある除染土の「仮置き場」での作業の様子
あっという間に世界中からマスコミが押し寄せ、人の知る所になると両極の意見が飛び交った。が、【覚悟】は決めていた。だから、「住職を追い出されてもいい」と私は思った。
「覚悟」は二つの"さとり"という文字から成り立つが、「覚」は「知覚」という言葉があるように「知」で「さとり」、「悟」は"立心偏"に「吾」で、「心」で「さとる」ということだと私は思っている。つまり、「放射能」に対する知識を持ち、正しく対処することで自分の心を安定させることが私の【覚悟】だった。
「人間が勝手につくって、勝手にこけて、ばら撒いて、大騒ぎしている」
それが原発事故に対する私の受け止めだ。自然界をご覧いただきたい。何もなかったかのように、その営みを続けているではないか。人間の過ちの結果を人間が受け止めることは至極当然のことで、その人間のひとりが私なのだ。
除染は、計測活動から始まる。「空間線量」を測定するだけでは話にならない。どこに線源(放射線を出す場所)があるかを細かく見つけ出すことから始まる。
したがって、基本は0センチで計測する。私たちの除ボラ活動の中心は、子供目線で行動範囲を割り出しホットスポットを見つけ、つぶす除染だ。放置すれば足の裏からも被ばくし、舞い上がって吸引することもある。それ以前に現実はいまだに毎時50マイクロシーベルトを超える場所も存在し、毎時2マイクロシーベルトのスポットぐらいなら至る所に存在する。
水は高所から低所に流れ、風は吹き溜まりを造る。セシウムは粘土などに主に付着し留まるので、それを取り除き運び出す作業だ。高圧洗浄はピンポイント以外では極力使わない。拡散させることになりかねないからだ。
もちろん、作業には徹底した防護が求められる。仕事内容で被ばくのリスクも違うので時系列で累積被ばく線量を測定し、データを保存している。マスクやゴーグルも何種類かのものを使い分け、身に着けるものは、使い捨てもあれば洗って使い回すものもある。洗濯機は専用、貸し出し品は最低50人分用意している。
最近、駅前で行われた除ボラは参加者が450人。地域の住民が立ち上がり、要請により私たちが主導して行った。経験をすることで「除染」に関しての理解も「放射能」に対しての「覚悟」も変わる。そうした行動が確実に行政サイドを動かし、環境省からの依頼で県や省庁の役人に対する講師の依頼も来るようになった。
とはいえ、故郷を追われた人の気持ちを慮ると胸が締め付けられそうになる。故郷でこうして活動ができる分、私たちはまだましだ。
しかし、いかなる理不尽な出来事も、自分の目の前に起きたならばそれは現実の世界だ。事実は事実として受け止めるほかはない。今、何が起きているのかをつぶさに観察し、それを受け止め、自分が何を想い、何を考え、何を言い、どう行動するか、そこに尽きるのが人の世なのだろう。
「三塗八難(さんずはーなん) 息苦停酸(そっくじょうさん) 法界衆生(ほっかいしゅじょう) 聞声悟道(もんしょうごどう)」
禅寺で鐘を撞く時に唱える偈文だ。「三悪道に堕ちたものも、八難に苦しむものも、すべての生きとし生けるものが、この鐘の音を聞いて真実に目覚め、幸せとなれ」
福島から放たれる鐘の音が世界中に響けと思う。何に目覚めて生きていくのか。個々に迫られた現実の問題なのだと思う。