ブログ「KOBAのつぶやき」を表示した理由。
テーマ:ブログ皆さんこんにちわ。昨日の二戸地方は、からっと晴れ上がり、未明に6度台だった気温はぐんぐん上昇し、県内で最も高い29.3度まで行きました。
さて、私のブログを開けますと、右端袖の「読者になる」コーナーに、“KOBAのつぶやき”という文字が、最近になって張付いていることに、お気付きの読者もあるかと思います。
この表示は、一週間位前からですが、いつもお読み頂いている読者様に、説明の必要があると思い、本日“KOBAのつぶやき”と、私の関係をご紹介します。
私は、昭和51年4月(1976年)兵庫県にある、国立K大学に入学して半年後の9月、当時兵庫県宍粟郡一宮町(現在宍粟市)に住む女子高生と、彼女の新聞投稿が縁で、文通を始めます。
同年9月26日に初めて彼女から届き、以後昭和53年3月20までちょうど一年半、回数にして39通、合計194枚に及びますが、彼女が、私と同じK大学医学部の付属看護学校合格を潮に、二人の関係にピリオドが打たれます。
縁者や知人または先輩という者が、全くいなかった関西・兵庫は神戸という異境での生活で、少女から定期的に飛び込む手紙を待つのが、私のささやかな、しかし大事な生甲斐にもなっていました。
彼女の、清楚にしてまとまった綺麗な字の、そして毎回枚数の多い手紙が届く度に、無垢な青年の心が震えたのでありました。
[写真1 昨日6/27お昼に紹介した、一戸町奥中山の“元気”畑の遠景。]
あれから34年という長い年月が過ぎ去り、はたち前後だった私は、54歳になり県議と云う職業に転身していました。
昨年の3.11、東日本の沿岸に大津波をもたらした未曽有の大震災は、私が目前に掴もうとしていた、県議の椅子をも簡単にさらって行き、残酷にも選挙は、“無期延期”となったのでありました。
幸い、神のご加護と、支持者の過分にして身に余るご声援を頂いたおかげで、二戸選挙区でトップ当選を果たさせて貰い、県議会という住みかを得て、人生の息を吹き返しつつありました。
そして、あの歴史に残る禍災からちょうど一年後の今年の3月11日、“お元気そうですね。”と題した一通のメールが届きました。そのメールこそ、あの少女であり、ニックネームのKOBAだったのです。
[写真2 “元気”畑の隣では、夫婦が仲良くレタスの収穫に汗を流していた。]
勿論、最初そのメールを目にした私は驚愕です。死者からお呼びがかかったとは、まさにあの時の情景を云うのでしょう。(本欄3/13付をご参照)
それからというもの、二人はほぼ毎日メールを交換し、やがて電話のやり取りも追加されます。30数年の年月は、かたや岩手県一戸町、かたや本州のはずれ山口県岩国市で生活の本拠を構えさせます。
なお彼女は現在、国立岩国医療センターで内科の看護師をしております。岩国市は、オスプレイの一時立ち寄り基地に決定されるなど、ニュースで注目を浴びる “名勝・錦帯橋”を有する、広島県に近い市です。
洪水の如くだったメールと電話は、毎日更新される私のブログに触発され、彼女の心を動かし、“私もブログを開設して同じ目線、同じ肩の高さでお話しを続けたい!”と、彼女も立ち上げたという訳です。
それが、“KOBAのつぶやき”なのです。
従って、私と彼女のブログの内容や話題は、直接的には無関係です。が、その時の話題によっては、地球と月の引力の如く少し影響することがあります。
どうぞ私のブログに参加してくださる方、彼女のそれを開けることで、よりブログ内容の背景が理解できたり、味が濃く美味しくなりますので、本日からは、横に貼り付けた彼女のそれにもクリック頂ければ幸いです。
[写真3 大学生時代を思うと、小さい頃通った廃校校舎に足を運んで見たくなった!] (一戸町立平糠小・中学校元校舎。6/27撮影。)
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