千葉高論
千葉高における「変人」とは,造詣の深い者である. (一般の表現)また,千葉高における「変人」とは,自らを常識と摺り合わせながらも,それに囚われ俗となることを許さず,既存の通年にアンチテーゼをぶつけ,エロスする者である.(千葉高生の表現)
変人に,社会に対する広く深い理解と健全な批判力及び一般的教養が伴えば,民主的国家を形成する有為な一員となる.つまり変人は,学識と思考力と心とを備える必要条件と言うことができる.
変人とは,アンチテーゼを抱き,時に及んでアウフヘーベンさせる者であり,千葉高生は変人であるべきだ.対象となるテーゼは,外部の社会のみならず,自己に含まれるものであることが肝要だ.
千葉高の校風の一つに「自由」が良く挙げられ,主張されるが,この「自由」に対しても疑問を突き付けなければ,いつの間にか名ばかりのものとなる.既存の社会に安住していれば,「自由」は価値無きものとなる.
例えば,本校は50年近く,投票によって構成員が選出される生徒の自治組織,いわゆる「生徒会」が存在しない状態にある.この学校社会は,長短双方を含有するので,必ずしも変革を主張する訳ではないが,現状を鑑みて,あれこれと思索し,議論する必要は十分にある.その行為自体に,制度の精神の喪失を防ぐ作用があるからだ.
近年,千葉高は変革を迎えている.そしてそれは,内発の要因ではなく,外発の要因である.特色化選抜の廃止,県立中学の併設は,その代表である.県教育委員会の決定で,指針が大きく変わる可能性があるのが,公立高校の宿命だ.これら変革の良し悪しは別にして,これらに疑問を呈することが重要であるのは明らかだ.
千葉高生は変人であるべきで,変人によって千葉高の校風が護持されるのだ.
外発の要因の比重の大きさのゆえに,公立高等学校は,伝統の連続性に対する自己完結性を欠く集団である.公立である本校において,より自主自律を推進するには,生徒の投票によって構成員の選出される組織,いわゆる生徒会の存在が必要であると,有志会は考える.
本校の生徒による自主的な活動は,主に体育大会実行委員会,文化祭実行委員会,そして会長会によって営まれる.それぞれの生徒による組織はそれぞれの伝統を有している.そして,それぞれの生徒による組織の自主的な活動の素晴らしさは,改めて具体的に述べる必要はないほど周知されていると思う.
これら生徒による組織は,所属する生徒だけで独立する.独立は,体実・文実にとって,その伝統を護持する要件であり,活動の高い品位を実現する要件である.
しかし,会長会にとって,独立は首肯され得る性質だろうか.他の生徒と一線を画すべき存在だろうか.否,その活動をすべての生徒に諮るべき存在である.なぜなら,会長会にとって独立は,すべての生徒が現状を鑑みあれこれと思索し議論する機会を低減させて,「自由」を価値無きものとするからである.会長会は,追求された民主主義の形態ではない.
会長会の活動の実際は,各クラスの会長からさらに立候補した会長が構成する会長会執行部が決定し,行っている.もちろん体実・文実のように少数精鋭を目指すため,という擁護も成り立たなくはないが,現状の長短を天秤にかけると,やはり会長会の独立は望ましいことではない.
また,会長会は,登校時の交通の呼び掛け運動や募金など日常的に多くの生徒の上に立つ活動が多いので,その構成員は生徒から直接選出されることが望ましい.
投票によって構成員が選出されれば,活動する生徒とその他の多くの生徒との溝は,格段に埋まる.そして,両者の活動に対する意識は向上するだろう.さらに,活動の正当性もより確かとなる.
有志会は,千葉中高の自主自律の推進が目的であるので,活動する構成員が生徒による直接投票で選出される組織,いわゆる生徒会の設立も目標とする.
ゆえに有志会は,単に情報共有などを行うニュートラルの集団ではなく,それらの活動を通して千葉中高の自主自律を目指し,その一環として生徒会の設立を主張する硬派である.
現在,有志会の成すことは,非常に少なく,非常に小さい.目下,認知度を高めることと会員を募ることが目標である.しかし,この弱小の活動が,将来大きな波となって,千葉中高の自主自律の推進に貢献することを祈念し,行動する.
平成25年4月
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